書評は近々bk1に投稿するとして、今回は付箋代わりのノート。
原著は2001年9月から10月にかけて書かれた。
★文明概念の誕生
「文明の概念が出現するのは、…(略)…最初に見出されるのは、ミラボーによる1756年の『人間の友、あるいは人口論』である。」31頁
「ヨーロッパがうっとりと見入っているのは、自分が到達したと思い描いている状態――ヨーロッパの目からすれば、他の人類とは懸け離れた状態である。したがって、この語が暗黙に意味しているのは、ヨーロッパが自分自身について抱いている観念であると同時に、ヨーロッパ自身が抱く卓越した模範としての自己イメージでもある。」32頁
★複数の文明と「西洋」の危機意識
「19世紀の初頭には、文明という語の意味が別の方向性を持ち、しかも複数形で用いられるようになる。」
「文明という語を複数形で用いることは、ヨーロッパの思い上がりに終止符を打つことであり、それぞれの文明の特異性(そのアイデンティティや独自の発展の経路など)を認める事に繋がっていくのである。」34頁
ヨーロッパの不安は「結局のところ、ヨーロッパが自分の優位性を疑うところから来ている。…(略)諸文明から自分を守らなければならない、という考えが出てくる。」「そこから「黄禍論」等のさまざまな脅威が語られることになる。」36頁
ハンチントンが何度も依拠している書物は、
『西洋の没落』(オスヴァルト・シュペングラー)
★差異の本質化
「文明は協約不可能なものであり、たがいのコミュニケーションもない。その混交は不可能であり、また混交されるべきでもない。それはアイデンティティの危機をもたらすだけである。実際、こう主張するためには、文明の隔たりが偶然や偶発的なものではなく、また可逆的でもなく、自然であり、さらには本質的であることを証明しなければならないはずである。根本的な差異を主張するには、もろもろの差異の自然化ないし本質化に訴える以外ないのである」42-43頁
★恐怖を作り出す文化、敵を作り出す文化
「われわれは…(略)…「諸文明」の互換性に確信を持つべきだろう。諸文明は一枚岩でも均質でもなければ、同一性を備えた塊として互いに対立しているわけでもない。諸文明の「アイデンティティ」は、諸文明が相互にもたらしたものによって形成されている。それは、ときに暴力を伴う場合があったとしても、はるか以前から相互交換の実践がなされてきた結果なのである。」109頁
■■付論1 法・歴史・政治(桑田禮彰)
クレポンの平和論を読む導きの糸はカント。
クレポン自身がカントのテキスト『永遠平和のために』を出発点にしている。カントの平和論は楽観的で非現実的といわれることがあるが、そうではない。
ただし、クレポンは明確にカントの態度とは異なっている。
「クレポンが、ハンチントンの言う諸文明の閉鎖性を批判し、諸文化の開放性を前面に押し出すのに対し、カントは、閉鎖性と開放性を両方とも、永遠平和実現のために利用しようとする。文明ないし文化は開放性とともに閉鎖性を持っている――これが現実であり、その両方を利用しようというのがカントの現実感覚である。端的に言えば閉鎖性は人間集団どうしを互いに分離させるが、世界帝国を阻止する力として利用できるのである」120頁
「カントが非暴力の道を歩んでいることは、彼が「永遠平和」をめざしている以上、自明と思えるかもしれない。しかし、たとえばカントが『啓蒙とは何か』で、自律のために服従すべき自己の内なる道徳律を、啓蒙専制君主に重ね合わせようとするとき、私たちは正当に、カントの自律の哲学は、きわめて巧妙に権力者への隷属=他律を教え込むイデオロギーではないか、そして結局は非暴力とは隷属のことではないか、と疑ってみることができる。」129頁
柄谷行人は「カントとフロイト」(『文学界』2003.11月号)で興味深いカント=フロイト論を展開している。
「後期フロイトが超自我=文化を発見し、それを永遠平和の礎としようとしたのはカント永久平和論の「歴史哲学」の展開である、というこの柄谷論文の主張は卓見である。」136頁
「罪悪感という文化=自律」134頁
→※暴力をとめるのは「罪悪感」か? 「政治哲学を排除しつつ法哲学を文化哲学に還元する」(135p)ってどういう意味? 要するに罪悪感に訴えて、倫理を向上させようってことかな。
■■付論2 文化の力の追求(出口雅俊)
ハンチントンの文化のとらえかたは「文化本質主義」。文化の独自性や一貫性、その閉鎖性や純粋性に着目するような文化のとらえ方。
クレポンは反本質主義的文化館を提起する。それは、文化の流動性や可変性、その開放性や雑種性(混交性)に着眼する文化のとらえ方。
「本質主義的な文化観をすべて危険なものとして退けてよいものだろうか」145頁
「「本質主義的文化観VS反本質主義的文化観」という「理論的対立」を、すぐさま善悪をともなった二つの文化観の「現実的対立」へと、性急に還元してしまうことには注意すべきではないか。」146頁
「文化観を支えとした国際平和の実現、というクレポンのある種の文化論的解決に」は疑問がある。p146
「(ハンチントンもクレポンもともに)文化の働きを重視する、というロジックに着目するならば、両者はともに文化主義的な立場を取っている。なぜなら、ハンチントンの文化主義とは、社会的葛藤を「文化論的理由」に委ねるという形で、これを批判するクレポンは、社会的葛藤を「文化論的解決」に委ねるという形で、ともに文化主義的立場にあるからである」p147
「ある考え方や物の見方が、たとえイデオロギーに満ちた嘘や幻想であることを見抜いていたとしても、それを信じるほうが自らの利害に合い、それを心地よいと思えば、人はその快い幻想を簡単には手放さないばかりか、むしろ進んで、そうした幻想に身を任せてしまう」p151(※これはジジェクの発言)
★文化の溢れる時代における文化の敗北
今日、文化的現実が社会的現実に対して有効な抵抗の力になっていないのではないか。
「文化という考え方の政治性とは、たとえそれが、文化を通じた支配や暴力であれ、あるいは文化を通じた抵抗や対話であれ、現代社会における文化という場の政治的な交渉可能性を語るものだ。…(略)…カルチュラル・スタディーズは、…文化という場を迂回して作用する権力の様態に直面しているとも言われている」p165
この例として、沖縄ブームに言及する。
「沖縄文化が前景化される一方で、政治や経済の問題は構造化され背景に退くことで人びとの日常意識には上がらなくなる。端的に言って後景化したのは、沖縄に集中する米軍基地と沖縄振興に絡む利権の問題なのだが、文化の領域に人々の目が向けば向くほど、それらの問題は忘れられていくという構図になっている。(田仲康博「メディアに表象される沖縄文化」『メディア文化の権力作用』)」p167-168
「文化の肯定性を救おうとするベクトルの向きは、当然保持されるべきである。文化の脱政治化は目指されなければならない。だが、文化の脱政治化は、文化に対する私たちのまなざし自体を脱政治化することによっていは達成されない。むしろ、文化の力を否定性から肯定性へと引き上げるための「階段作り」の手だてを、私たちは模索しなければならない。」p172
「私たちは、日常生活のさまざまな場面で、文化を主体的に語り、あるいは聴きながらも、そのような行為によって主体化されてしまう「いくつもの自分」や「思わぬ自分」に気づくことができる、そういう個別性と受動性を常に持ち合わせた主体である。文化に対する政治感覚を養うためには、こうした「文を語り/聞く」自分の位置の個別性と受動性の理解に、まず心掛けることだ。日々の日常生活のなかでのそうした「文化的」営みが、文化の否定性の発現を絶えず封じ込め、文化の肯定性を絶えず発現させてゆく手立てとなるだろう。
そして、このように、文化を文化の力として追求することが、「文明の衝突」論という水平線をこえ出て、その先にある力に満ち溢れた文化の海原へと誘う帆となり、風となるはずだ。」p175-176
■■付論3 文化と翻訳(マルク・クレポン)
ベンヤミンの翻訳論を手掛かりに、文化の翻訳について考察する。
「移行、交換、転移の数々によって、それぞれの文化がアイデンティティを獲得すると同時に、それらに共通した性格も明確になる」p180
★文化の脱構築
★文化を横断する翻訳
「文化的アイデンティティの流動性」
▲今後の参考文献(Read!)
『イデオロギーの崇高な対象』(ジジェク著、青土社 2000)
『民族誌的近代への介入――文化を語る権利は誰にあるのか』(太田好信著 人文書院、2001)
「文化という罪――『多文化主義』の問題点と人類学的知」『文化という課題』岩波書店、1998
原著は2001年9月から10月にかけて書かれた。
★文明概念の誕生
「文明の概念が出現するのは、…(略)…最初に見出されるのは、ミラボーによる1756年の『人間の友、あるいは人口論』である。」31頁
「ヨーロッパがうっとりと見入っているのは、自分が到達したと思い描いている状態――ヨーロッパの目からすれば、他の人類とは懸け離れた状態である。したがって、この語が暗黙に意味しているのは、ヨーロッパが自分自身について抱いている観念であると同時に、ヨーロッパ自身が抱く卓越した模範としての自己イメージでもある。」32頁
★複数の文明と「西洋」の危機意識
「19世紀の初頭には、文明という語の意味が別の方向性を持ち、しかも複数形で用いられるようになる。」
「文明という語を複数形で用いることは、ヨーロッパの思い上がりに終止符を打つことであり、それぞれの文明の特異性(そのアイデンティティや独自の発展の経路など)を認める事に繋がっていくのである。」34頁
ヨーロッパの不安は「結局のところ、ヨーロッパが自分の優位性を疑うところから来ている。…(略)諸文明から自分を守らなければならない、という考えが出てくる。」「そこから「黄禍論」等のさまざまな脅威が語られることになる。」36頁
ハンチントンが何度も依拠している書物は、
『西洋の没落』(オスヴァルト・シュペングラー)
★差異の本質化
「文明は協約不可能なものであり、たがいのコミュニケーションもない。その混交は不可能であり、また混交されるべきでもない。それはアイデンティティの危機をもたらすだけである。実際、こう主張するためには、文明の隔たりが偶然や偶発的なものではなく、また可逆的でもなく、自然であり、さらには本質的であることを証明しなければならないはずである。根本的な差異を主張するには、もろもろの差異の自然化ないし本質化に訴える以外ないのである」42-43頁
★恐怖を作り出す文化、敵を作り出す文化
「われわれは…(略)…「諸文明」の互換性に確信を持つべきだろう。諸文明は一枚岩でも均質でもなければ、同一性を備えた塊として互いに対立しているわけでもない。諸文明の「アイデンティティ」は、諸文明が相互にもたらしたものによって形成されている。それは、ときに暴力を伴う場合があったとしても、はるか以前から相互交換の実践がなされてきた結果なのである。」109頁
■■付論1 法・歴史・政治(桑田禮彰)
クレポンの平和論を読む導きの糸はカント。
クレポン自身がカントのテキスト『永遠平和のために』を出発点にしている。カントの平和論は楽観的で非現実的といわれることがあるが、そうではない。
ただし、クレポンは明確にカントの態度とは異なっている。
「クレポンが、ハンチントンの言う諸文明の閉鎖性を批判し、諸文化の開放性を前面に押し出すのに対し、カントは、閉鎖性と開放性を両方とも、永遠平和実現のために利用しようとする。文明ないし文化は開放性とともに閉鎖性を持っている――これが現実であり、その両方を利用しようというのがカントの現実感覚である。端的に言えば閉鎖性は人間集団どうしを互いに分離させるが、世界帝国を阻止する力として利用できるのである」120頁
「カントが非暴力の道を歩んでいることは、彼が「永遠平和」をめざしている以上、自明と思えるかもしれない。しかし、たとえばカントが『啓蒙とは何か』で、自律のために服従すべき自己の内なる道徳律を、啓蒙専制君主に重ね合わせようとするとき、私たちは正当に、カントの自律の哲学は、きわめて巧妙に権力者への隷属=他律を教え込むイデオロギーではないか、そして結局は非暴力とは隷属のことではないか、と疑ってみることができる。」129頁
柄谷行人は「カントとフロイト」(『文学界』2003.11月号)で興味深いカント=フロイト論を展開している。
「後期フロイトが超自我=文化を発見し、それを永遠平和の礎としようとしたのはカント永久平和論の「歴史哲学」の展開である、というこの柄谷論文の主張は卓見である。」136頁
「罪悪感という文化=自律」134頁
→※暴力をとめるのは「罪悪感」か? 「政治哲学を排除しつつ法哲学を文化哲学に還元する」(135p)ってどういう意味? 要するに罪悪感に訴えて、倫理を向上させようってことかな。
■■付論2 文化の力の追求(出口雅俊)
ハンチントンの文化のとらえかたは「文化本質主義」。文化の独自性や一貫性、その閉鎖性や純粋性に着目するような文化のとらえ方。
クレポンは反本質主義的文化館を提起する。それは、文化の流動性や可変性、その開放性や雑種性(混交性)に着眼する文化のとらえ方。
「本質主義的な文化観をすべて危険なものとして退けてよいものだろうか」145頁
「「本質主義的文化観VS反本質主義的文化観」という「理論的対立」を、すぐさま善悪をともなった二つの文化観の「現実的対立」へと、性急に還元してしまうことには注意すべきではないか。」146頁
「文化観を支えとした国際平和の実現、というクレポンのある種の文化論的解決に」は疑問がある。p146
「(ハンチントンもクレポンもともに)文化の働きを重視する、というロジックに着目するならば、両者はともに文化主義的な立場を取っている。なぜなら、ハンチントンの文化主義とは、社会的葛藤を「文化論的理由」に委ねるという形で、これを批判するクレポンは、社会的葛藤を「文化論的解決」に委ねるという形で、ともに文化主義的立場にあるからである」p147
「ある考え方や物の見方が、たとえイデオロギーに満ちた嘘や幻想であることを見抜いていたとしても、それを信じるほうが自らの利害に合い、それを心地よいと思えば、人はその快い幻想を簡単には手放さないばかりか、むしろ進んで、そうした幻想に身を任せてしまう」p151(※これはジジェクの発言)
★文化の溢れる時代における文化の敗北
今日、文化的現実が社会的現実に対して有効な抵抗の力になっていないのではないか。
「文化という考え方の政治性とは、たとえそれが、文化を通じた支配や暴力であれ、あるいは文化を通じた抵抗や対話であれ、現代社会における文化という場の政治的な交渉可能性を語るものだ。…(略)…カルチュラル・スタディーズは、…文化という場を迂回して作用する権力の様態に直面しているとも言われている」p165
この例として、沖縄ブームに言及する。
「沖縄文化が前景化される一方で、政治や経済の問題は構造化され背景に退くことで人びとの日常意識には上がらなくなる。端的に言って後景化したのは、沖縄に集中する米軍基地と沖縄振興に絡む利権の問題なのだが、文化の領域に人々の目が向けば向くほど、それらの問題は忘れられていくという構図になっている。(田仲康博「メディアに表象される沖縄文化」『メディア文化の権力作用』)」p167-168
「文化の肯定性を救おうとするベクトルの向きは、当然保持されるべきである。文化の脱政治化は目指されなければならない。だが、文化の脱政治化は、文化に対する私たちのまなざし自体を脱政治化することによっていは達成されない。むしろ、文化の力を否定性から肯定性へと引き上げるための「階段作り」の手だてを、私たちは模索しなければならない。」p172
「私たちは、日常生活のさまざまな場面で、文化を主体的に語り、あるいは聴きながらも、そのような行為によって主体化されてしまう「いくつもの自分」や「思わぬ自分」に気づくことができる、そういう個別性と受動性を常に持ち合わせた主体である。文化に対する政治感覚を養うためには、こうした「文を語り/聞く」自分の位置の個別性と受動性の理解に、まず心掛けることだ。日々の日常生活のなかでのそうした「文化的」営みが、文化の否定性の発現を絶えず封じ込め、文化の肯定性を絶えず発現させてゆく手立てとなるだろう。
そして、このように、文化を文化の力として追求することが、「文明の衝突」論という水平線をこえ出て、その先にある力に満ち溢れた文化の海原へと誘う帆となり、風となるはずだ。」p175-176
■■付論3 文化と翻訳(マルク・クレポン)
ベンヤミンの翻訳論を手掛かりに、文化の翻訳について考察する。
「移行、交換、転移の数々によって、それぞれの文化がアイデンティティを獲得すると同時に、それらに共通した性格も明確になる」p180
★文化の脱構築
★文化を横断する翻訳
「文化的アイデンティティの流動性」
▲今後の参考文献(Read!)
『イデオロギーの崇高な対象』(ジジェク著、青土社 2000)
『民族誌的近代への介入――文化を語る権利は誰にあるのか』(太田好信著 人文書院、2001)
「文化という罪――『多文化主義』の問題点と人類学的知」『文化という課題』岩波書店、1998