ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

イーグル・アイ

2008年11月16日 | 映画レビュー
 Googl Earthが登場したときには、どこから誰に見られているかもわからないという事態にぎょっとしたが、これではうかうか外もぼーっと歩けないではないか。これからは家から一歩出たら、いやいや、家にいても、常に誰かに監視されていると覚悟するしかないのだろうか。
 そんな心配が沸々と頭をもたげる映画でした。以下、ネタバレを避けるため、ちょっとわかりにくい表現になっているところがいくつもあります。すんません。

 ある日突然、見も知らぬ女から携帯に電話がかかってきて、言うことを聞かないとFBIに逮捕されると脅されて…。これが、スピルバーグお気に入りのシャイア・ラブーフくんが演じるジェリー・ショーというしがないコピー屋の店員の場合。そしてもう一つが、ミシェル・モナハン演じるレイチェル・ホロマンという一児の母の場合。彼女は、幼い息子を人質にとられて、いうことを聞くように謎の女から脅しを受ける。ジェリーもレイチェルも謎の声に動かされ、携帯電話にかかってくるその声に縛られる。彼らの動きはすべてお見通しであり、何もかもがその携帯からの女の声のままに。
 このスピーディな展開がすごい迫力。

 ある日突然わけのわからない陰謀・犯罪に巻き込まれるというシチュエーションは丸っぽ「北北西に進路をとれ」と同じで、カルーソー監督はよほどヒチコックが好きなのか、前作も「裏窓」を翻案した「ディスタービア」だった。巷間、ヒチコックの引用しすぎとか言われているけれど、わたしは「イーグル・アイ」を見てヒチコックよりも手塚治虫の漫画を思い出した。マザーと呼ばれるコンピュータが世界を支配し、そのコンピューターが暴走することで人類の危機が訪れる、という話。

 この映画では、謎の女の正体が分かるまでがサスペンスたっぷりでおまけに超派手なスピーディ展開にはぶったまげる。あまりにも自分の行動を見透かされていることの恐怖といい、自由自在に周囲を操れる万能の手の存在の怖さといい、これだけたたみかけるように展開されると思わず「おお」と感動してしまう。 なにしろ、主人公達を助けるためなら、「見えざる手」が電車をビルに突っ込ませるわ、交通信号をすべて青信号に変えてしまうわ、車をクレーンでつり上げて海に落とすわ…。が、後半がちょっとありきたりで、むしろこの手のテーマ自体は全然目新しくない。目新しくはないけれど、かつては荒唐無稽と思われたような高度管理/監視社会がもう実現しているというリアルな恐怖を抱かせるだけの根拠があった(たぶん)。

 製作総指揮のスピルバーグは、この映画を見終わった観客が恐怖のあまり携帯電話の電源を入れられなくなるような映画を作るという意気込みだったらしいが、実際にはそんなことは起こらない。その点、カールソー監督のほうがニヒルだ。「観客は映画館を出れば直ちに携帯の電源を入れるだろう、そんなものさ」と語っている。いくら電脳管理社会の恐怖を見せつけられても、それは映画として消費されてしまえば誰の頭にも残らない。観客はただちにケータイの電源を入れて友人にメールするのだ、「あのさあ、さっき見た映画が怖くってねえ~、ケータイなんかうっかり持ってたら何されるかわかれへんでぇ~」と。この映画がそのような安全安心なものに過ぎないのは、結局のところ「国家」を肯定して終わるからだろう。

 先日、梅田で3キロも被害者を引きずったひき逃げ犯の容疑者が逮捕されたが、あれにしても、かの車がきっちり街角の「防犯カメラ」(と称する監視カメラ)に写っているのだから恐ろしいというか、なんというか…。高度に組織された便利さがいいのか悪いのか、それすらもはや選択の余地がなくなってきている。そのことを自覚して自衛するしかないのだろうか?

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イーグル・アイ
EAGLE EYE
アメリカ、2008年、上映時間 118分
監督: D・J・カルーソー、製作: アレックス・カーツマンほか、製作総指揮: スティーヴン・スピルバーグ、エドワード・L・マクドネル、脚本: ダン・マクダーモットほか、音楽: ブライアン・タイラー
出演: シャイア・ラブーフ、ミシェル・モナハン、ロザリオ・ドーソン、マイケル・チクリス、アンソニー・マッキー、ビリー・ボブ・ソーントン

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