ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

叫びとささやき

2007年12月02日 | 映画レビュー
 997本目のレビューです。1000本まであと3本。

++++++++++++++


 どぎつい原色の赤、不気味なまでの白、禍々しい黒、この三色の対象が観客の恐怖心をそそるまでに鮮やかで美しい。唯一、時々映る庭園の緑が心を和ませてくれる。

 ベルイマン監督が見た夢に着想して作られたというだけあって、計算され尽くした色彩の幻想的な雰囲気や夢と現実が一体となったような展開は人間の死を描くにはまさに相応しい。

 19世紀末の大邸宅を舞台に3姉妹の愛と憎しみを描いた本作は、これまで見たベルイマン作品の中では一番わたしには理解しづらかった。きょうだいの葛藤をあのような形で経験したことがない者にはただ驚きをもって眺めるしかないないような物語なのだ。もともときょうだいというものは親の愛情をめぐる生まれながらのライバルだ。美しい母の愛を妹に独占される孤独で頑固な長女にとって、愛らしい妹は憎しみの対象でしかない。

 長じて長女は神経質で固い殻を被った女になった。セックスを求める夫にうんざりした彼女は自分の陰部を傷つけるという恐るべき手段で夫に刃向かう。病気の次女は胸の中のエロスの炎を燃やすこともなくもはや末期を迎えようとしている。三女は主治医との不倫に身を焦がし、夫との間には信頼も愛情もないかのようだ。

 長女も三女も上流階級の虚飾の生活に倦みながら、さらに嘘を重ねる生き方を続けている。その嘘は次女の死後に明らかになる、死者への仕打ちに表れている。死後に見つかった次女の日記に書かれていた、彼女の至福の日々のできごとは、永遠に死者を裏切り続ける姉妹の嘘の愛に満たされていたのだ。死者は既に言葉を失った。次女にはもはや姉と妹の偽りの愛は存在しない。そのことの冷たさを知った観客(わたし)は身を切られるような思いに背中が冷たくなる。ベルイマンはなんという冷酷な物語を作ったのだろう、と。

 召使いのアンナがその豊満な肉体で死者を抱きかかえるとき、彼女は聖母マリアとなる。マリアに抱かれた死者は天国への眠りについた。しかし聖母マリア(アンナ)もしょせんは召使いにすぎないのだ。彼女は3姉妹が乗るブランコに一緒に座ることはできない、ただそのブランコを揺らすだけ。

 階級社会の上層にいる人間の冷たさをまざまざと見せつけたベルイマンの脚本がまたしても人の心を抉る。そして何よりも素晴らしかった撮影監督スヴェン・ニクヴィストのカメラに賞賛を。(DVD)


--------------------
VISKNINGAR OCH ROP
スウェーデン、1972年、上映時間 91分
監督・脚本: イングマール・ベルイマン、撮影: スヴェン・ニクヴィスト
出演: イングリッド・チューリン、ハリエット・アンデルセン、リヴ・ウルマン
、カリ・シルヴァン

最新の画像もっと見る