ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

靖国神社関連本、2冊

2005年10月06日 | 読書
 先ごろ、高橋哲哉著『靖国問題』を読んだので、もう少し違う角度から靖国神社について読んでみようと、歴史的アプローチの本2冊にあたってみた。

 高橋さんの本は靖国神社の政治的・イデオロギー的側面の分析に偏っていたが、坪内本は靖国神社をめぐる風俗史である。坪内祐三は靖国神社が明治時代には競馬や相撲や祭が開かれる娯楽場であったことを強調する。靖国神社一帯の土地の説明から始めて東京を山の手と下町に分ける境界線が靖国近くの九段坂にあることを述べていく筆致はなかなか魅力的で、本書は東京の都市文化史でもある。

 明治・大正時代の文学作品に靖国がどのように描かれているか、著者の得意とする明治文学から多くの作品を引いて引用文を書き連ねているところは、小説の紹介としてはおもしろいけれど、わたしが読みたかった「靖国」とはちょっとずれていると感じてしまう。

 徹頭徹尾、靖国神社をアミューズメント施設として描きつくそうとすることには疑問が残る。靖国の「ある一面」を取り上げてそこにだけ光をあてることの問題を感じてしまった。もちろん、靖国の多面的な部分を掘り起こそうという意図はわかるし、それじたい興味深いのだが、こういう書き方でいいのかなと思う。

 そしてもう一冊は『靖国神社』。新刊書だ。こちらは歴史家の力作なのだが、事実を積み重ねる叙述が淡々と続くと少々読みづらい。文体で読者を惹くということもない真面目で固い本だから、とっつきにくい読者も多そうだ。て、わたしのことやんか(^^ゞ。

 本書はとりわけ戦後の靖国について詳しく分析してある。敗戦直後の靖国神社の主張、遺族の主張、それを受けた自民党の動き、反対派の主張がどのようにからまりあい変化してきたかがよくわかる。

 一言でいえば、靖国をめぐる論説は、「慰霊」「顕彰」「追悼」をめぐる攻防戦だった。敗戦直後は「平和主義」へと傾きかけた靖国神社側の主張が、やがて世の中の「逆コース」といわれるような動きに合わせるかのように、いつしか「平和の礎」としての靖国という考えかたから変化して、戦争を称揚し賛美する主張へと変わっていく。その様子が『靖国』という機関誌を分析することによりつぶさに描かれている。

 戦争の記憶が薄れるにつれ、だんだんと戦争への反省も薄れ、戦死者を英雄として祀る考え方が台頭してくるようだ。そういう考え方の変遷に大きな影響を与えたのが「軍人恩給」の存在だと赤澤氏は述べる。戦後まもなく、軍人恩給は廃止され、遺族たちは生活の支柱も精神的な支柱も失ってしまった。それまでは、「国のために戦った褒賞としての恩給」という位置づけがあったのに。それを失くしたために、「死んだ者は犬死だったのか」という痛切な思いが遺族を苦しめたのだ。ひいてはその感情は戦争を否定し、平和へと向かう。

(なお、一旦はGHQの指令により廃止された軍人恩給は、1952年4月に「戦傷病者戦没者遺家族等援護法」の施行という形で復活する。再軍備政策と軌を一にする動きであった。)

 本書を読んで新たに知ったことは、自民党の集票マシーンというイメージしかなかった立正佼成会が、靖国の国家護持に反対し、先の戦争を侵略戦争と位置づけてその反省の上に「靖国国民護持」運動を展開していたということだ。立正佼成会の青年部は中国人の遺骨収集事業にも参加していた。こういうのを読むと、「保守」とか「革新」とかいうレッテル貼りの二分法は一面的な評価でしかなかったのだなと反省させられる。

<書誌情報>
靖国 = Yasukuni / 坪内祐三著. -- 新潮社, 1999(写真は2001年刊行の文庫本)

靖国神社 : せめぎあう「戦没者追悼」のゆくえ / 赤澤史朗著. 岩波書店, 2005


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