気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く32 その17  朝は柿崎弁天島へ

2023年08月16日 | ゆるキャン△

 2023年4月9日、伊豆半島ゆるキャン聖地巡礼の二日目も快晴でした。6時半過ぎに起床し、外を見ました。昨日みたのと同じ景色でしたが、陽光が逆に東から差し込んでいて、昨日は陰になっていた範囲が明るく浮かび上がっていました。

 

 昨日見た巡視船「しきね」も停泊中でした。出動が無いというのは付近の海域が平和で事故も起きていないということです。有り難いことですね。

 

 7時前にフロントに降りて、昨日予約しておいたレンタサイクルを借り出して外に出ました。朝食が7時30分からなので、それまでの約30分で柿崎弁天島の見学を行なうつもりでした。時間が貴重なので6時55分には出発、ギアを上げて急いで下田港沿いの車道を駆け抜けました。

 

 ぐるりと回って下田港の東側に行き、柿崎神社バス停の近くの交差点を右折しました。上図の景色が広がりました。

 

 すぐに上図の防波堤の水門を通りました。その向こうに大きく立ちはだかる岩崖が、柿崎弁天島でした。

 

 これが柿崎弁天島、ですか。あfろ氏の描き下ろしイラストに登場する4ヶ所目のスポットで、この脇の車道を大垣千明と犬山あおいが駈けていったわけです。原作コミック第8巻91ページからの下田港のカフェで金目鯛バーガー食べたシーンの前後に立ち寄ったのでしょうか・・・。

 

 案内板です。なるほど斜交層理でしたか。岩崖じゃなくてクロスラミナ(斜交層理)だったのか、と思いつつ説明文を二度読みました。斜交層理とは、砂やれきが斜めに積み重なった地層のことをいい、水の流れがある中で砂やれきが堆積する際に作られる地層の一種です。

 

 あfろ氏の描き下ろしイラストとだいたい同じアングルで撮ってみました。こんな感じでしょうか。

 

 近寄ってみました。なかなかの規模のクロスラミナですね。確か、規模が小さく一層当たりの厚みが1センチ以下ですと、斜交層理と言わずに斜交葉理と言うのですが、こちらは一層当たりの厚みが最小でも3センチぐらいありますから、斜交層理の表現は正しいわけです。

 

 ここの斜交層理の上には大きな岩が乗っかっています。その底面の一部が御覧のように見えるほどに、下の斜交層理がかつての海流で削られていき、地殻変動などで海面上に隆起して島になった、という流れです。

 

 凄いなあ、これだけ積もるのに何万年もかかるわけですから、原始時代以前からの自然史のタイムカプセルと言われるのも納得です。

 私は歴史考古・美術史学の研究者ですが、こういった自然史学のカテゴリーにも興味があるので、かつて鳥取や島根に住んでいた頃は山陰のジオパークへよく遊びに行っていました。でもこのようなクロスラミナを山陰の海岸線にて見た記憶はありません。

 

 上のほうは削られ方が浅く、もとは海面上に出ていた部分なのだろうと思います。これが海面下で波や水流に接して削られていくと、深い溝の並びが形成されてゆくわけです。大自然の永い営みによる天然の造形ですが、人間が作り出す造形よりも迫力と存在感があり、同時に不思議なほどの神秘性をも感じさせてくれます。  (続く)

 

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黒森峰女学園 ティーガーⅡ(ポルシェ砲塔)(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その1

2023年08月15日 | ガルパン模型制作記

 御存知ガルパンコミックの「フェイズエリカ」です。同じコミックの「リボンの武者」とともに、多数多種の戦車および車輌が登場することで知られます。アニメシリーズには出てこない車輌が多いので、再現製作も様々に楽しめます。

 これらの作中車のうち、私の製作においては、既に継続高校チームの戦車を7輌作りました。そして主人公逸見エリカの属する黒森峰女学園チームの車輌を計4輌作ります。1輌目としてシムカ5、2輌目としてキューベルワーゲン82型、3輌目としてSd.Kfz.251-1D型装甲兵員輸送車を作りましたので、今回はラストの4輌目にトライしてみます。

 

 上図のティーガーⅡです。「フェイズエリカ」の主人公逸見エリカの搭乗車です。逸見エリカはアニメ版でも同じティーガーⅡに乗っていますが、あちらはヘンシェル砲塔のタイプです。コミック版のこちらではポルシェ砲塔のタイプですので、ガルパンの黒森峰女学園チームは2種類の砲塔のティーガーⅡを両方とも保有していることになります。

 

 このポルシェ砲塔タイプの外観上の特徴は、砲塔側面の予備履帯が無いことです。車体は同一ですから、こちらの方がスッキリして見え、精悍かつ獰猛な陸の王者の風格をスマートに示している気がします。
 作中車は様々な角度から描かれて情報量も多いですが、ほぼ実車準拠の姿であり、アニメ版の劇中車と同じジャッキ台の表現が、僅かな相違点として挙げられる程度です。それで今回はほぼストレート組みで楽しめるかな、と思いました。

 

 使用したのは上図のタミヤのミリタリー・ミニチュアシリーズの169番のキットです。公式キットではこのポルシェ砲塔タイプは出ていませんので、タミヤの製品を選びました。他にドラゴンやタコム、童友社、ホビーボス、ズベズダ、モンモデル等から豊富にキットが販売されていますが、普通に模型店で定番になっていていつでもどこでも買えるこの製品が、一番の適応キットとなります。

 

 中身です。安定のタミヤスタンダード、履帯もベルト式でストレスを感じさせません。気軽に楽しく作れるプラモデルとは、こうでなくてはならない気がします。履帯を連結式に変えただけで、戦車プラモデルにチャレンジした方の約6割が他ジャンルへと離れていく、と聞いたことがありますが、よく理解出来ます。

 

 説明書および組み立てガイドです。その左にデカールが見えますが、こういうデカールはガルパン車輌に仕上げると不要になるので、私の手元にも膨大な量が溜まっていました。先月の模型サークルの定期会合での譲渡会にてジャンクパーツのおまけとしてタダで配ったら、意外に需要があるらしく、AFV部会の先輩方のみならず、モケジョさんたちにも相当数が引き取られてゆきました。なんでも「ガンプラに貼ると割と似合うから」であるそうです。

 

 ステップ1では砲塔を組み立てます。今回の車輌の一番の特色であるポルシェ砲塔を真っ先に作ります。作中車がほぼ実車準拠であるようなので、ガイドの指示に沿ってほぼストレートに組んでゆきます。

 

 ステップ1で組み立てるポルシェ砲塔のパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 なるほどこれがポルシェ砲塔ですか。ヘンシェル砲塔タイプを既に制作し、棚に飾って長いこと見慣れている眼には、曲面が目立って繊細な雰囲気すら感じられます。角張って強そうなヘンシェル砲塔に比べると、どこか柔らかくて弱そうに見えてしまいます。
 実際、史実でも防御力に問題があったらしく、後にヘンシェル砲塔タイプに生産ラインが切り替えられていったそうです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その16  下田の宿

2023年08月14日 | ゆるキャン△

 石廊崎から下田駅に帰り着いたのは16時43分でした。目的地の5ヶ所のうち、鮎壺の滝、土肥金山、石廊崎の3ヶ所を回って1日目が終わったな、と実感しました。あとは宿に入るだけとなりました。

 

 それで、宿の近くを通るバス路線の10番乗り場に行って、時刻表を見てバスの便があれば乗る、無ければ歩こう、と決めました。

 

 時刻表を見たところ、16時45分の時点で次の便は一時間余り後でした。上図のようにゆるキャン聖地のひとつで以前に行った爪木崎行きのバスが、この日の宿の近くを通るのですが、便数が最低限なので観光利用には向いていない気がします。

 

 ちなみに、上図の「柿崎神社前」というのが、明日に行くゆるキャン聖地の4ヶ所目の柿崎弁天島の最寄りのバス停です。柿崎弁天島にも神社があるのですが、そちらは下田龍神宮といいます。

 このように、下田駅からバスで柿崎弁天島へ行けるわけですが、今回の計画では明日に宿から行くことに決めていました。なぜなら、今回利用した宿ではレンタサイクルが利用出来るため、明日の朝一番に下田港観光のミニサイクリングを楽しんで柿崎弁天島へ行こう、と考えていたからです。

 かくして、宿へは徒歩で向かいました。駅から宿までは約500メートルぐらいなので、私の足なら6分ぐらいで行けるからです。2019年に京都へ凱旋移住した際にマイカーを手放して以来、移動は徒歩と公共交通機関利用になっていて、とにかく歩く機会が多くなって、今ではそれが当たり前になりました。一日の通勤でも往復あわせて40分は歩き、休日の京都散策では朝から夕方まであちこち歩き回って、平均して5キロを歩きますので、もう歩くのには慣れました。

 なので、片道20分までの距離なら、気楽にスイスイ歩きます。歩き回る生活に変えた途端、それまでの病気がちな体、疲れやすく怠い体調というものが、驚くほどに無くなって、健康診断の諸数値も良い方向に転じてゆきました。食欲も出てきて、よく眠れるようにもなりました。自分でも信じられないほどの変化でした。ウォーキングが健康に良い、とよく言われますが、本当にその通りでした。

 

 この日の宿、伊東園下田ホテルはな岬です。御覧の通りの立派な外観ですが、料金はリーズナブルです。前回のゆるキャン聖地巡礼でもここに泊まろうかと考えたのですが、人気の宿なので予約が取れませんでした。今回は取れたのでラッキー、でした。
 ここで時計を見て、16時56分でしたので、ギリギリ間に合った、と思いました。オンライン予約時に到着予定時刻を17時にしてあったからです。

 

 カウンターで手続きをして、明日の朝にレンタサイクルを使いたい旨も申し出て、その手続きもしました。キーを貰って部屋に入りました。

 

 布団も準備されていましたので、このままちょっと寝ちゃおうか、と思いましたが、寝たら深夜まで熟睡するに決まってるので、18時からの夕食の時間に出られなくなります。今回は夕食朝食の二食付きプランで予約したので、食事も楽しみでした。というか、朝早くから鮎壺の滝に行き、鉄道やバスを乗り継いで土肥金山、堂ヶ島、石廊崎と回ってきましたので、お腹も空いていたのでした。

 

 それで、食事の時間までを上図の窓際の椅子に腰かけて、外の景色を眺めつつ過ごしました。

 

 宿は下田港エリアの西側に位置するので、窓からは下田港の景色が楽しめます。このときは夕陽をあびて港の建物も船も真っ白に輝いていました。船のほうは識別が出来ないほどでした。

 

 右手の下田公園の丘の陰にも、2隻の白っぽい船が見えました。船が好きで軍艦オタクで艦船模型を長く楽しんできた眼には、巡視船だとすぐに分かりました。すぐにザックから双眼鏡を取り出して観察しました。

 

 おお、準新型の「はてるま」型巡視船だな、ここ下田は海上保安庁の第三管区に属するから、ええと、下田海上保安本部の本拠地で三隻の船が配備されてる筈・・・。番号はPL66か、すると巡視船「しきね」かな・・・。

 

 さらにデジカメの望遠モードで撮りました。やっぱり「しきね」でした。「はてるま」型巡視船の6番船で、平成19年に就役した船です。現在の最新型の巡視船は「くにさき」型ですが、その前のクラスにあたります。日本の海の警備ご苦労様です・・・。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)継続高校 T-28中戦車(フェイズエリカ仕様)

2023年08月13日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ホビーボス (商品コード 83854)

  制作期間   2022年10月13日~10月27日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 完成です!!

  総評・備考
 T-28は、ソ連初の多砲塔戦車として1933年に制式化された戦車である。重戦車並みの大きさながら中戦車に分類され、1939年のポーランド侵攻で初めて投入され、次いでフィンランドとの冬戦争にて本格的な実戦を経験した。ガルパンではコミック「フェイズエリカ」にて継続高校チーム副隊長リリの搭乗車として登場するが、史実のフィンランド軍か冬戦争にて5輌のT-28を鹵獲し自軍に編入して運用していた経緯にちなむのであろう。
 公式キットは無く、適応キットがホビーボス、ズベズダから発売されている。作中車は形状からみて1938年型のT-28B溶接タイプと思われるが、史実のフィンランド軍では1938年型のT-28Eも鹵獲しており、その増加装甲仕様に他の鹵獲車も合わせて改修したとされているので、T-28Eをベースにして形状を合わせる形での製作を試み、ホビーボスの品(下のキット一覧の4)を使用した。エッチングパーツが多くて組み立ての手間がかかるものの、大型車輛の割にはパーツ数が少なめで作りやすかった。ただ、初心者クラスには少しハードルが高いかもしれない。

  公式および適応キット一覧(2023年8月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その15  石廊崎から下田へ

2023年08月12日 | ゆるキャン△

 強く吹き上げる潮風と激しく打ち寄せる荒波の音に包まれつつ、石廊崎の南端に出ました。伊豆七島展望所の石板が設けられてありましたが、その方角には白く靄が広がっていて、島影すら見えませんでした。

 

 波が大きくうねってゆくのを、しばらく眺めていました。

 

 位置を変えずに反対側に向くと、熊野神社の祠がありました。5円玉を賽銭として投じて拝礼しました。奈良に住んでいた頃に二度訪れた、和歌山熊野の本宮、新宮、那智の三社の佇まいを思い出しました。

 

 参道をそのまま回りながら、周囲の景色を眺めました。高所恐怖症であることを忘れるほどの、ジオパークの大自然の地形の荒々しさ、美しさが印象的でした。

 

 一周して、石室神社の建物へと戻りました。改めて、建物の位置が断崖の上であることを確認し、よくこんな場所に建てたものだなあ、ここに建てないといけない事情があったのだろうな、と思いました。
 
 太古の昔には、石廊崎のような特異な地形を海神の憑代とみなして篤く敬ったという歴史があったようなので、石廊崎そのものが御神体とされたのは間違いないでしょう。それで御神体をお祀りする施設も、近くに設けたのだろうか、と考えました。

 

 東側へ回ると、西からの強い潮風も石廊崎の岩塊に遮られたので、海の景色を落ち着いて眺めることが出来ました。

 

 眼下を恐る恐る見ると、目のくらむような絶壁でした。垂直に海岸線まで落ちている感じでした。

 

 時計を見ると15時42分でした。ここに来てもう30分が経ったのか、と気付いてもときた参道を引き返し、石室神社に再び一礼して、引き返しました。

 

 15時48分、石廊崎の観光施設の横まで戻りました。観光施設の休憩ルームで水を飲み、観光資料などをいただきました。

 

 15時55分、バス停に16時発下田駅行きのバスがやってきましたので、乗り込みました。

 

 帰りのバスの車窓の景色は、石廊崎から弓ヶ浜までずっと上図のような海岸沿いのそれでした。

 

 しばらくボーッと眺めていましたが、なぜか眠くならないのでした。そういえば堂ヶ島までの移動中や、下田までの移動中にずっと寝ていたな、と思い出して、道理で眠気が尽きたわけだな、と笑ってしまいました。

 

 海沿いの景色は、若い頃は北陸の越前海岸や出雲石見の海、瀬戸内海や九州の有明海など、西日本のほうでよく見たものです。車でドライブする時は、たいてい浜田省吾や竹内まりやの曲をかけて、シャイでナーバスでロンサムな気分にひたりつつ、夕暮れの紀州灘や播磨灘沿いの海岸道路を走っていたものでした。

 

 ですが、マイカーを手放してもバスの旅で同じような海の景色をいくらでも楽しめるのだ、と気付きました。浜田省吾や竹内まりやの曲をかけるオーディオ機器はありませんが、曲そのものは脳裏にていくらでも再生出来ますから、今回もシャイでナーバスでロンサムな気分にひたることが出来ました。

 

 眺めているうちに、将来的に住む場所として海の近くはどうだろうか、と思いました。前の会社の異動や出向で日本の各地に引っ越して住みましたが、住所が海の近くだったのは鳥取県鳥取市、島根県松江市、大分県別府市、愛媛県松山市、兵庫県赤穂市などでした。いずれも車で5分も走れば海岸線に出ましたし、どこでも海産物関係の料理が美味しかったな、と思い出します。ここ伊豆も同じなんだろうな、と思いました。  (続く)

 

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黒森峰女学園 Sd.Kfz.251-1D型 装甲兵員輸送車(フェイズエリカ仕様) 完成です!!

2023年08月11日 | ガルパン模型制作記

 ステップ13ではフロントフェンダーを取り付けます。A38の斧、A41の鶴嘴は塗装後に取り付けます。
 ステップ14では機銃を取り付けますが、作中車は機銃を外しており、架台のみが付きます。それでB1の機銃、C5の防盾、C9の機銃架、Y20の弾帯は不要となります。

 

 ステップ13で取り付けるフロントフェンダー関連のパーツ類です。このうち斧と鶴嘴は塗装後に取り付けるので、ここでは保管しておきます。

 

 組み上がりました。作中車は後部しか登場していないので、車体の前半部や上図の部分は見えません。背面扉にみえる校章マークが前部にも付いているかは分かりません。

 

 ステップ14で取り付けるパーツ類です。小さくて細いパーツばかりなので、折ったりしないように気を付けました。

 

 組み上がりました。前部の様子です。

 

 前後の機銃架台です。後部のものは作中にも描かれますので、それに合わせて右側に向けてセットしました。

 

 以上で、塗装前の組み立てが完了しました。

 

 塗装を行ないました。グレーのサーフェイサーを薄く吹き付けた後、ミスターカラー13番のニュートラルグレーで車体と車輪を吹き付け塗装しました。ベルト式の履帯は28番の黒鉄色で塗りました。

 

 転輪と前輪のタイヤゴム部分は、ポスカの黒で塗りました。シート類はポスカのブラウンで塗りました。

 

 転輪を取り付けました。

 

 ベルト式履帯をセットしました。

 

 シート類を取り付けました。

 

 斧と鶴嘴は木製部分を43番のウッドブラウン、金属部分を28番の黒鉄色で塗ったのち、上図のように左右のフロントフェンダー上に取り付けました。塗装後の組み立てがこれで完了しました。

 

 最後に、校章マークのデカールを貼りました。上図の作中車シーンにて、背面の扉の右側に校章マークが付いているのに合わせます。

 

 モデルカステンのガルパンデカールセットVol.5より、幅1センチのものを1枚とって貼りました。

 

 作中車は車体後部しか出ていないため、車体前部の様子や校章マークの有無は分かりません。史実のドイツ軍の実車では十字マークが背面や側面にあるケースが多いですが、ガルパンの作中車がそれに倣っているとは限りませんので、デカールは背面のみに貼りました。

 

 かくして、黒森峰女学園チームのSd.Kfz.251-1D型装甲兵員輸送車がコミック「フェイズエリカ」仕様にて完成しました。製作期間は2022年12月1日から2日までで、組み立ておよび塗装を2日で仕上げました。

 Sd.Kfz.251-1D型のキットは人気があるのか、タミヤ、ドラゴン、AFVクラブ、ICM、ダスヴェルク等から色々出ていますが、作中車がほぼ実車準拠であるようなので、作り替えや改造の必要が無く、簡単にストレートで作れるタミヤ製品を選びました。ゆっくりと楽しんで作りましたので2日かかっていますが、手際よくスピーディに組み立ててゆければ1日で出来たと思います。それほどに楽な、ストレスフリーのキットでした。

 今回のSd.Kfz.251-1D型の完成をもって、黒森峰女学園チームの陣容は、ほぼ史実のドイツ装甲師団と変わらぬ顔触れになってきたと思います。ドイツ機甲師団の末裔とうたわれる所以ですね。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その14  石廊崎

2023年08月10日 | ゆるキャン△

 石廊崎の観光遊歩道を進み、石室神社の鳥居をくぐって小ピークを越えると、道は下り坂に転じて前方の視界に海面が加わり始めました。前方右奥に白い灯台の頭が見えましたので、これは岬へと降りて行くのだな、と思いました。

 

 さらに進むとまず右手に海岸線が広がり始め、左手は灯台の敷地とみられるコンクリート造りの高台が灯台の位置まで段々に連なって見えました。

 

 石廊崎灯台です。その敷地はフェンスで仕切られていましたが、時計は15時21分であるにもかかわらず、鍵がかかっていて中に入れませんでした。おそらく、事前にバス停の横にあった観光施設の窓口に申し込まないと、鍵を開けてもらえなかったのかもしれません。
 ですが、灯台の敷地に入るのが今回の目的ではないので、そのまま遊歩道を先へ進みました。

 

 石室神社参道、と刻まれた標柱が立っていました。灯台の敷地ももとは神域に含まれていたようです。道は灯台敷地の先端を左へと回り込んでいて、そこまで行くと視界が一気に開けました。海原から吹き上がってくる強い潮風に包まれて、思わず帽子をおさえ、次いで脱いでザックに仕舞い込みました。堂ヶ島で強風注意報が出ていたのですから、ここ石廊崎でも同じだろう、と思いました。

 

 うわー、ここも風が凄い、海も波が高くて飛沫音も絶え間なく響いてくるなあ・・・。ここが石廊崎なのか・・・。

 

 右手を見ると、海岸線の岩崖に打ち寄せる波が激しく音をたててぶつかり、波を拡げて海面を白く染めていました。この時点で風にあおられ気味になっていて、遊歩道の柵を右手で掴んでいました。

 

 遊歩道は灯台の下で左へと曲り、急な下り階段となっていて、一気に10メートルぐらいの高低差を落ちるように降りる感じでした。眼下に上図のような断崖絶壁に囲まれた小さな岬の先端部が荒海の中に突き出ているのでした。高所恐怖症の身には、かなりこたえました。軽い目まいに襲われつつも、手摺につかまって慎重に階段を降りました。横風が凄いので、階段の脇の岩崖に押しつけられそうになりました。

 

 ここで初めて左側の景色を見ました。御覧の通り、ジオパークに指定された岩崖の海岸線が複雑な起伏と凹凸とを見せて遠くまで続いていました。

 

 下り階段の先には、岩崖に張りつくようにして建てられた建物がありました。これが石室神社の拝殿かな、と思いつつ、降りてゆきました。

 

 凄い所に建てられていますね・・・。岩崖の下の窪みに建物をおさめる形で、下は舞台造りのような木組みで支えられていました。石室神社の本殿と拝殿と社務所とが一緒になっていました。

 

 社務所の壁に貼ってあった境内図を見て、石室神社が「いろうじんじゃ」と読むのだと初めて知りました。なるほど石廊崎の神様だから読みも同じ「いろう」なわけか、と納得しました。

 建物の奥が本殿で、岬の先端部には摂社の熊野神社がお祀りされていますが、参道はそこまでぐるりと回る形になっています。まず本殿に拝礼し、今回の聖地巡礼の交通安全を祈りました。ここの祭神は伊波例命、海上安全の神様と聞いたからです。

 

 次いで岬のほうへ進みました。伊豆半島の南端に位置する、石廊崎です。先客が一人居て、周囲の写真を撮っていました。

 

 少し進むと、既視感のある景色になりました。ここがあfろ氏のイラストのアングルだな、と気付きました。ここを大垣千明と犬山あおいが駆け抜けていったわけです。

 ですが、高所恐怖症の身には、断崖の上の細い参道を駆け抜けるなどという芸当は無理でした。恐る恐る足を進み、吹き付ける潮風にあおられつつも、手摺に捉まって、なるべく下を見ないように岩肌に沿って熊野神社の鎮座する先端へと向かいました。

 

 なるべく海を見ないようにしていたため、視界は石廊崎の上図の黒っぽい岩塊が大半を占めました。ここの岩もなんか普通の岩と違う、溶岩が一気に冷えて固まったような感じの、荒々しいゴツゴツ感に満ちているな、と感じました。

 

 ちょっと振り向くと、上図のような海岸線の姿が望まれました。その景色自体は大変に美しくて必見の価値があるものでしたが、強風と恐怖感とに苛まれて行きたくもない断崖の上の細い道をこわごわ進んでいる身には、その価値を満喫している余裕はありませんでした。
 吊り橋といい、断崖の岬といい、どうしてゆるキャン聖地は高所恐怖症の身にはしんどい場所ばかりなんだ、と文句を言いたい気分でした。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)継続高校 GAZ-AA(フェイズエリカ仕様)

2023年08月09日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ミニアート (商品コードMA35124)

  制作期間   2022年11月4日~11月10日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 完成です!!

  総評・備考
 GAZ-AAは、アメリカのフォードAA トラックを原型として、ソ連が生産し運用したトラックの一種である。派生型を含めて98万台が生産され、ソ連軍でも多数が使用されている。ガルパンにおいてはコミック「フェイズエリカ」にて継続高校チームの移動用車輌として登場する。継続戦争などでフィンランド軍が多数のGAZ-AAを鹵獲して使用した史実にちなむのであろう。
 公式キットは無く、適応キットはズベズダ、ホビーボス、ミニアートなどから出ているが、今回は最も精巧とされているミニアートの製品(下のキット一覧の3)を使用した。パーツ数が多くて作業工程も長いが、エンジンもインテリアも完備した作り甲斐のあるキットで、作中車が実車準拠であるためにストレートに組み立てて楽しむことが出来た。ズベズダ品(下のキット一覧の1)やホビーボス品(下のキット一覧の2)で作っても仕上がりはほぼ同じであるので、お好みで選べば良いだろう。

  公式および適応キット一覧(2023年8月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ゆるキャン△の聖地を行く32 その13  下田から石廊崎へ

2023年08月08日 | ゆるキャン△

 堂ヶ島食堂での昼食休憩の後、堂ヶ島公園を少し歩いて過ごし、堂ヶ島のバス停で13時15分発の下田駅行きバスに乗りました。

 

 約一時間の移動中は殆ど寝ていたので、窓からの景色を撮ったのは、県道15号線松崎街道を松崎から大沢温泉口へと向かう時のみでした。上図のような、長閑な田園風景が続いていましたので、次第に眠くなってしまった訳でした。

 

 なので、下田駅への接近案内のアナウンスで目が覚めました。その2分後の14時13分に、終点の伊豆急下田駅のバスターミナルで降りました。上図は、乗ってきたバスを撮ったものです。今回の聖地巡礼はバスの旅でもあり、ほとんど伊豆半島一周のかたちでバスを乗り継いでいくので、なかなか楽しめました。

 

 伊豆急下田駅のバスターミナルにて、石廊崎行きのバスに乗り換えるべく、4番の乗り場へ行きました。修善寺駅のバス案内所でお姉さんに教えてもらったところでは、12分後に石廊崎へ行く便が4番乗り場から出ます、ということでした。

 

 バス停の時刻表を見ると、12分後の14時25分にありました。下田駅から石廊崎へのバスは一時間に1便なので、帰りの便も同じダイヤになっています。つまりは石廊崎での見物タイムは約1時間になるわけか、と理解しました。

 

 バス乗り場の反対側には、上図の大きな帆船の模型がモニュメントのように置いてありました。これにはちょっとびっくりしました。もともと艦船模型が大好きでしたから、自然に吸い寄せられてしまいました。

 

 台石に「サスケハナ号」とありましたので、幕末に下田港に来航したペリー提督率いるアメリカ黒船艦隊の一番大きな船だな、と思い出しました。そういえば、下田港の観光遊覧船も確か黒船サスケハナ号を模してるんじゃなかったかな、と考えました。

 しかし、この模型はよく出来てるな、舷側に並ぶ大砲もちゃんと作ってあるな、と感心して眺めていました。模型を眺めていると、時間は早く過ぎてしまうものです。

 

 あっという間に、石廊崎行きのバスの時刻となり、14時25分に乗り込みました。乗客は私の他に10人ぐらい居ましたが、その全員が途中のバス停で降りてゆきました。

 

 45分後の15時10分に、石廊崎オーシャンパークのバス停で降りました。ここまで乗った乗客は私のみで、一番前の席に座っていたので、バスの運転手さんに話しかけられ、石廊崎の観光について教えていただきました。
 石廊崎巡りはバス停からの往復が30分もあれば出来ますよ、ということでしたので、片道15分で行けるのだな、と思いました。というか、15分も歩くとなると、ちょっと距離があるな、と気付きました。

 

 バス停近くの観光案内板にも、上図のようにバス停から石廊崎までのルートが示されていました。バス停は日和山の左側にあるので、上図のマップのほぼ中央にあるPマークの位置でした。

 

 実際にその方向を見ると、こんな感じでした。石廊崎灯台の上部だけが岩崖の尾根の奥に見えていました。石廊崎は灯台よりさらに進んだ位置で、石室神社の境内地に含まれるようでした。

 

 バス停の南には売店やカフェのある観光施設の建物があり、その横から観光遊歩道が上図のように石廊崎へと伸びていました。もう15時台になっていましたからなのか、人影はありませんでした。もしかして私だけか、と思いました。

 

 少し歩いて、上図の鳥居をくぐりました。石廊崎とは、神社の境内地つまりは神域であるのだな、と感じました。ゆるキャン聖地巡礼では、神社に行く機会がかなりあり、このように鳥居をくぐったのも二度や三度のことではありません。今回のように海辺で神域に入ったケースは、伊豆半島では志摩リンが訪れた大瀬崎の大瀬神社が思い出されます。  (続く)

 

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ゆるキャンから始めたNゲージ その12  大井川鐡道へ取材見学に行く 下

2023年08月07日 | ゆるキャン△

 新金谷車両区を見た後、駅前のプラザロコに入って一休みし、館内の模型展示を見た。大井川鐡道の直営の展示施設だけあって、模型も全て大井川鐡道の車輌や駅などを再現しており、今回の取材目的には最適のスポットであった。車輌のほうはしっかりNゲージサイズの品も揃えてあって、どんな車輌がNゲージ化されているのかをつぶさに見ることが出来た。自身なりに、コレとコレとコレは買って揃えよう、と考えてメモしておいた。

 続いて駅舎の模型も重要であった。上図のような、精巧な新金谷駅の模型などがNゲージサイズで作られていて、非常に参考になった。これまで1/35スケールのガルパン戦車をメインに作っていたから、Nゲージの1/150スケールがいかにいかに小さいかが実感出来た。

 展示には新金谷駅のほかに家山駅、神尾駅などの模型があり、総じて昭和の田舎の駅という感じの素朴な外観で、たとえばトミックスやカトーのストラクチャーでは似たような品が無く、自作するのが一番だな、と思った。大井川鐡道の駅は、ほとんどが島式ホームと木造の古い駅舎のセットなので、以前はペーパークラフトが販売されていたほど、作りやすい部類に属すると思う。

 私自身のレイアウト計画では、ゆるキャンに登場する金谷駅と千頭駅の二つは作ってみようと考えている。が、その二つの駅の模型は、プラザロコには見当たらなかった。大井川本線の起点と終点の駅が模型化されていないというのも、ちょっと不思議な気がした。

 おそらく、金谷駅も千頭駅も、簡単に作れるほうではないのだろう。崖面に立地して懸造り状の外観をもつ金谷駅はともかく、千頭駅は大井川鐡道の駅のなかで最も立派で、ログハウス調の凝ったデザインの造りなので、模型として作るのもなかなか大変だと思われる。先行作例もネット上では1、2件ぐらいしか見当たらず、いずれもNゲージの1/150スケールに合わせて寸法を縮めるなどの大幅なデフォルメがなされているようだが、そうでもしないと作りにくいのだろうか。

 それで、私としては、金谷駅も千頭駅も、なるべく実際に近い寸法で再現し、一部を省略するにとどめ、サイズ的にはやや大き目に作ろうかな、と思っている。その判断に至った理由は、いずれ別の記事で後述したいと思う。

 

 プラザロコの見学を終えて11時2分の旧東急7200系に乗り、上図の家山駅にて11時32分に降りた。家山駅の側線には、前回の訪問時でも見た「国鉄ホキ800形貨車」と呼ばれるホッパー車が2輌置かれてあった。
 この2輌のホッパー車が、現在の大井川本線に存在する唯一の貨車なので、帰りにまた見ておこうと考えた。Nゲージでもトミックスから2輌セットが出ているようなので、買う予定である。

 上図左の、乗ってきた旧東急7200系のほうは、Nゲージでは天賞堂やトミーテックから商品化されているほか、東急電鉄から上田電鉄に譲渡されたタイプが鉄道コレクションにて出ている。
 が、大井川鐡道の7200系は両サイドに運転台を設けた改造型なので、そのものズバリの品は無く、再現して合わせるには改造するしか方法が無い。改造型の新設運転台側の外観は同じ東急電鉄の8000系とほぼ同じなので、鉄道コレクションに出ている東急電鉄8000系の前面部を移植すれば何とかなりそうかな、と考えているが、どうだろうか。

 

 家山駅から代行バスに乗って11時40分に出発、千頭駅に12時25分に着いた。千頭駅の側線には、旧南海21000系がポツンと取り残された状態で駐機していた。例の台風被害で家山から千頭までが不通となったため、この21000系も運行出来なくなって、千頭駅に留め置かれたままになっている。

 この21000系1編成2輌が、私がこの前京都の「ホビーランドぽち」にて買った鉄道コレクションの南海21000系2輌の実物であり、車番も同じである。既に一年近く留め置かれているので、ただでさえ古いボロボロの車体に、汚れや傷みが加わっている感じであった。最近に地元の有志によって清掃メンテナンスが行われたと聞いているが、外面の片側(上図では反対側)の塗膜の剥がれが酷くなっていて、ベタベタと補修が応急的に施されていた。

 

 千頭駅では、約1時間をかけて駅舎やホーム、構内などを見学し、あちこちを撮影して記録画像資料の構築をはかった。現時点で、模型的にも面白味が感じられて、作ってみたい気持ちが強いのが千頭駅であるので、独特のデザインの駅舎の内外はもちろん、長いホームや南側の転車台、井川線のホームも含めた広い駅構内をじっくり観察して回った。

 今までゆるキャン聖地巡礼にて三度この千頭駅に来ているが、いずれも乗り継ぎや巡礼行動にて次の移動に移っていたため、駅の内外をゆっくりと隅々まで見たのは四回目の今回が初めてであった。思っていたよりも立派な駅で、大井川本線と井川線の結節点でもあるから、Nゲージで再現すれば大井川本線と井川線の双方を楽しめるな、と気付いた。

 今回は大井川本線が不通のままだが井川線は通常運行していたので、駅も普通に営業していたが、大井川本線のホームのガランとした寂寥感ただようたたずまいには、さすがにやりきれないものを感じた。早く復旧して以前のように普通電車やSL急行「かわね路」号の発着シーンが見られるようになって欲しいものである。

 

 千頭駅の取材見学を終えた後は、駅前の上図の奥大井観光案内所に寄って、大井川エリア観光の現状と今後に関して色々とお話を伺った。既にゆるキャンの2024年からのアニメ3期のことは向こうも知っていて、大井川鐡道がアニメ化されることについても期待を寄せているようであった。

 が、家山駅から千頭駅までの不通区間は、2024年になっても多分そのままだろう、代行バス便のほうも大井川鐡道が撤退するため、今年10月から地元の川根本町が運営するコミュニティバスに置き換わる予定だ、と言われた。つまりは各務原なでしこの気分で近鉄16000系に乗って千頭駅まで行くというのは、しばらくは無理だろう、という見立てであった。

 そうなると、アニメ3期放送後の聖地巡礼も、現在のように家山駅と千頭駅の間は代行バスの利用を余儀なくされるだろう。聖地スポットは井川線のほうに多いので、マイカーやバイクで行く人も、井川線の列車に乗る確率が高くなるだろう。その場合は車やバイクをどこに停めるのか、また畑薙大吊橋までの「デスロード」を大井川鐡道利用で行く場合はどうやって辿ったらよいか、といった問題もある。奥大井観光案内所でもそのことは承知していて「色々とハードルが高い状態ですので・・・」と苦笑されていた。

 そして試案として、大井川鐡道が毎年実施している沿線ツアーに、ゆるキャン聖地巡りツアーというのを創設して畑薙湖の沼平までバスで行くコースを検討してくれるように提案する、という話もされていた。あ、それはいいですね、アニメの聖地巡礼のバスツアーというのはどこでも人気があって成功してますから、こちらでもぜひお願いします・・・、と賛同し要望しておいた。

 巡礼ファンは、おそらく全員が畑薙大吊橋まで行きたい筈である。私は一人で行って、千頭駅からはレンタカーを利用して畑薙まで行ったが、巡礼ファンの大半が同じ移動形態をとるのは物理的に不可能に近いと思う。レンタカー自体が数台しかないし、大井川本線が不通のままで代行バス便も一日9便から6便に減らされている今は、時間的にも畑薙までの往復は相当にキツイものがある。

 ではマイカーやバイクで行けばいいかというと、それも難しい。畑薙まで行っても停める場所が限られているうえ、天候不順時には下手をすれば通行止めになるそうだから、本当にハードルが高い。大変な労苦が多いゆるキャン聖地巡礼ルートにおいて、最強レベルの難関ルートであるのは間違いない。「デスロード」の称は漫画の冗談ではなく、ハンパない本当の事なので、甘く見ないほうが良いであろう。私自身が畑薙大吊橋までの往復を通じて、そのことを何度も実感したので、今でも「最もゆるくない大変なルートだったな」と時折回想する。

 だから、大井川鐡道が毎年実施している沿線ツアーに、ゆるキャン聖地巡礼のバスツアーを臨時的にでもいいから追加してくれると、大勢のファンが喜んで行くだろう。
 例えば井川駅で集合して、バスで沼平まで行ければものすごく助かるし、帰りは家山駅まで送って、途中の川根温泉ホテルにも立ち寄って1泊付きオプションを追加すれば、泊まってゆくファンも少なくないであろう。
 さらに、キャンプ好きの方向けに、アプトいちしろキャンプ場と提携してのバス聖地巡り&キャンプツアーも開催すれば、キャンプメインのファンも行くだろう。とにかく、行きにくい聖地巡礼のスポットが多数あるから、それらを案内するバスツアーというのは、大いにアリだと思う。大井川鐡道さんには、是非とも前向きに検討いただきたいものである。

 

 奥大井観光案内所を辞して、上図の「カフェうえまる」で昼食休憩にした。このお店も聖地スポットとして有名で、各務原なでしこがダムカレーを食べた店舗とは位置が変わっているが、ダムカレーは変わっていないから、今でも巡礼ファンの必須立ち寄りスポットになっている。アニメ3期にも間違いなく登場するだろうから、放送後はさらに訪問者数が増えることは間違いない。お店の方も「楽しみだけと、ちょっと怖い気もするんですよ、売り切れが出るんじゃないかと」と笑っておられた。

 

 店内のゆるキャンコーナーは相変わらずの規模で健在であった。このお店自体が聖地になっていて、コラボポスターの一種類はこのお店での各務原なでしこのダムカレー及び豚串の実食シーンで描かれるので、お店としてもノリノリでアピールしないわけにはゆかない成り行きである。このまま頑張っていただきたいと思う。

 

 今回も定番のダムカレーをいただいた。この外見とボリュームで、アニメ3期にもそのまま登場するんだろうな・・・。

 

 さらに、このお店限定の、各務原なでしこダムカレーのデザインのTシャツも販売されている。ここでしか買えないので、欲しい方は必ずダムカレーを注文して食べた後に買いにゆこう、とさりげなく宣伝しておく。

 

 昼食休憩後はまだ時間があったので、井川線の構内を外から見物したり、千頭駅に隣接するSL資料館を見学したり、駅前の「川根物産」で川根茶ソフトを買って食べたりした。この日も暑かったので、冷たいものや水を定期的に採って体調に気を付けた。

 

 井川線のアプト式列車の時刻に合わせて、踏切の脇で通過する列車を見た。見送った後、川根茶ソフトを食べつつ、しばらく考え込込んだ。

 なぜかというと、井川線のアプト式列車の機関車や客車のNゲージ商品は、現在では絶版状態となっていて中古ショップでも入手不可になっているからである。2010年頃に「クラフト工房ていくわん」からアブト式列車のセットが限定で販売され、アプト式機関車のED90形、ディーゼル機関車のDD20形および客車3輌(クハ600形、スロフ300形(バス窓)、スロフ300形(1段窓))のセットが出ていたが、売れなかったのか、再販はなされず、今では全然ネットでも情報があがっていない。

 それとは別に「アルモデル」からも「とても簡単なシリーズ」の一種として「井川風」のディーゼル機関車と客車3輌が出ている。あくまでも「井川風」でズバリの形状ではなく、だいたい似ているので雰囲気もそれらしく、といったレベルの出来であるが、現時点で唯一の入手可能商品なので、とりあえずは買ってみる積りである。

 なお、井川線の車輌に関しては、新たな製品が「すずめ模型」にて開発中であるそうで、2023年4月時点で客車のクハ600からスロフ316までの4車種のモデリングが進んでいるとの事である。いずれは機関車のDD20形も含めたラインナップにできるよう進めるとの事で、今後が楽しみである。

 また井川線のディーゼル機関車は、DD20形のほかに現在も見られるものが2種類あり、私も以前に川根両国車両区で見たことがある。そのうちの初代にあたるDB1形はいわゆる加藤製作所の8t貨車移動機にあたり、「ワールド工芸」から組み立てキットが販売されている。これは先週に通販で購入したのでいずれ作る予定である。
 もう1種類のDD100形は、Nゲージで商品化されていなので、再現するならば自作するしかないが、小さな車体なので製作に苦労しそうである。

 

 14時27分発の代行バスで千頭駅を出発し、15時11分に家山駅に着いた。接続する列車の時刻は15時21分で、10分の待ち時間があったので、側線に停めてあるホッパー車の「国鉄ホキ800形貨車」を見学した。

 このホッパー車は線路の整備や補修用に使われるもので、バラストと呼ばれる砕石を線路に敷くために両側から少しずつ落とせる機能が付いているそうである。これが家山駅に待機しているのも、いずれ来たる不通区間の復旧工事に使われる予定だからであろう。

 奥大井観光案内所で伺った話によれば、今年の10月ぐらいをメドにして家山駅から川根温泉笹間渡駅までを運行再開とするそうで、少なくとも川根温泉までの鉄道での行き来が可能になるということである。
 また千頭駅側からの線路は、駿河徳山駅までの区間は線路に被害が無い為、列車の運行は可能であるという。つまり、現時点で土砂流入や路肩崩落などの被害が残っているのは、川根温泉笹間渡駅から駿河徳山駅までの区間であることになる。

 その被害の様子は、今回もバスの車窓から大井川越しに幾つか見ることが出来たが、いずれも昨年の台風15号通過による被災時のままであるようで、復旧には2、3年ぐらいかかるんじゃないか、と言われている。アニメ3期放送後の巡礼ムーブメントにも相当の影響、制約がかかりそうに思われまる。
 とにかく残念な現状であるが、地元の川根本町の行政サイドや政治家連中が大井川鐡道の全線復旧に尽力するどころか、廃線の方向に持っていくような不穏な動きさえ見せているというのが実情らしいので、今後も推移を注意深く見守っていく積りである。

 

 最後に、新金谷駅発車後の車両区通過時にかろうじて撮った、機関車庫横の側線の電気機関車ED500形の図を載せておく。これは、大井川鐡道の公式サイトでも「ただいま運行しておりません」とあるので、既に休車となって久しいようである。御覧のとおり塗装もあちこちが剥げたボロボロの状態であった。

 上図のように、ED500形の手前に平台貨車らしきものが連結されていたが、形式名までは分からなかった。後で調べてみたところ、大井川鐡道に現存している平台の貨車は「国鉄チキ300形貨車」と呼ばれる25トン積木造ボギー長物車しかないようなので、それかなあ、とは思うものの、実際にパッと見た感じでは全長11メートルもあるようには見えなかった。もっと小さかった気がするので、別の車輌なのかもしれない。

 以上で大井川鐡道の取材見学レポートを完了とする。私のこれからのNゲージによる大井川鐡道ふうのレイアウト構築に向けての色々な知見が豊富に得られたので、大満足であった。やはり、現地にて実物を見て得られる以上の情報は存在しないのである。
 ただ、新金谷駅の大代川側線エリアの見学を時間の都合で見送っているので、機会があればそちらへも取材に出向きたいと思う。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その12  堂ヶ島の昼食と志摩リン

2023年08月06日 | ゆるキャン△

 堂ヶ島のゆるキャン聖地のひとつ、堂ヶ島食堂で昼食休憩をとりました。ゆるキャン聖地巡礼で伊豆へ行く時は必ずここに立ち寄っていますので、今回で三度目となりました。

 

 二階の食堂へあがる階段の途中、壁に色々と貼ってあるのを見ますが、上図の大きな絵画が最も目立っていて印象に残りました。

 

 階段の踊り場にはしっかりゆるキャンコーナーも。劇場版のポスター、ドラマ版のキービジュアルも貼ってありました。

 

 今回は、前回の訪問時にいただいて気に入った上図の「デカ!アジ干物定食」を再度味わいました。アジの干物が大好物の一つですので・・・。

 

 これですよ、これ。アジの干物を食べると、個人的に幸せになれます。鮭の塩焼きですと、さらに幸せになれます。

 

 食後の会計時に、お店の方に「一階にもゆるキャンのコーナーがありますんで見ていって下さい」と言われました。それは気付かなかったな、と思いつつ一階に降りて、階段の横へ回ると、上図のようなコーナー展示がありました。

 

 おお、石膏粘土製の志摩リンのフィギュアもありますね。これは初めて見ました。犬と一緒にビーノに乗っていますが、そのビーノがちょっと変わっていますね・・・。

 

 それ以前に、ものすごく既視感のある姿でした。大井川鐡道の門出駅のゆるキャンコーナーにも同じ図柄のパネルがあったな、と思い出し、そこからの連想で原作コミック第11巻のカラー表紙のイラストを思い出しました。それを忠実に立体化してあるのでした。

 

 石膏粘土製でこのあたたかな存在感を感じさせるのは凄いです。造形も素晴らしいのですが、彩色のほうも立体感を強めるために色々と工夫がなされています。

 

 以前に黄金崎のカフェで犬山あおい、ここ堂ヶ島食堂で戸田岬の各務原なでしこ&犬山あおい、そして各務原なでしこ&犬の3作品を拝見しました。全て同じ方、松崎の旅館「しんしま」の店主さんが製作されたものです。

 

 それで、今回の伊豆行きを2月に計画した時に、松崎の旅館「しんしま」に泊まって、「しんしま」に展示されているという他の作品も拝見したかったのですが、予約がいっぱいで取れませんでした。
 そこで、立ち寄っての見学は可能かと問い合わせたところ、館内での見物は宿泊客のみに限られているとの事で、改めて3月に予約を取ろうとしたのですが、それも叶いませんでした。なかなか入れない人気旅館のようです。

 それで、今回の巡礼コースでは松崎に寄りませんでした。堂ヶ島から松崎を通って下田へ向かうバスに乗って、下田経由で石廊崎へ行くことにしたからです。

 

 なので、堂ヶ島には一時間半近く滞在し、昼食休憩のみで過ごしました。堂ヶ島の観光は前回、前々回にて楽しみましたし、この日はとにかく風が強かったので、あんまり外を歩く気にもなりませんでした。

 

 堂ヶ島の観光連絡道のパネル展示で見た、昭和30年ごろの堂ヶ島食堂の外観写真です。現在と全然違うなあ・・・。もとは釣り客をメインターゲットにした休憩所としての形態をとっていたようです。

 

 堂ヶ島の観光連絡道のショーウインドー内のゆるキャンキャラクターパネルもまだ健在でした。これらのパネルを初めて見たのが2021年5月の二度目の訪問時でしたから、二年が経っているわけですが、この状態で常設展示になっているようでした。  (続く)

 

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ゆるキャンから始めたNゲージ その11  大井川鐡道へ取材見学に行く 上

2023年08月05日 | ゆるキャン△

 去る7月26日、静岡県の大井川鐡道へ向かった。26日は掛川で前泊し、27日に金谷へ移動して大井川鐡道本線に乗る計画であった。

 

 26日は新幹線で浜松へ行き、京都造形芸術大学時代の友人と久し振りに会い、昼食をともにした。友人は掛川市に実家があり、天竜浜名湖鉄道の桜木駅が最寄である。それで夕方に掛川駅で別れ、彼が乗っていった上図の列車を見送った。珍しく、ノーマルカラーの車体であったが、このタイプはなぜかまだNゲージ化されていない。

 

 掛川での宿は、いつもの「くれたけイン掛川」を利用し、翌朝は8時過ぎに出発して8時37分発の上図の313系の列車に乗った。この313系も、Nゲージではカトーやモデモから色々出ていて、出来たら身延線の2300番台や3000番台を買ってみようかな、と考えている。

 

 そして8時50分に金谷駅で降りた。

 

 そして大井川鐡道に乗り換えた。今回の大井川鐡道行きは、取材見学が目的であった。最近始めたNゲージをより楽しむにあたり、大井川鐡道をメインにしたイメージでレイアウトや景色を作り、関連の車輌を色々集めて走らせようと考えたので、実際の大井川鐡道の様子や車輌などを再度きちんと見ておこうと思い立った次第である。

 それで、いずれは駅を作ることになるので、ゆるキャンにも登場している金谷駅と千頭駅をとりあえずの対象とした。列車待ちの約20分ほどは、金谷駅の内外をあちこち見て撮影し、Nゲージサイズの1/150スケールで作る場合にどのように再現するか、をイメージしたりした。

 後で知ったのだが、Nゲージの1/150スケールで大井川鐡道の新金谷駅や家山駅などのペーパーキットが販売されていたことがあるという。ジオラマ用のキットとしてシリーズ化される筈だったのが、そのうちに版元が無くなったかして終わってしまっているらしい。その版元でも、金谷駅や千頭駅は対象となっていなかったようで、いくら探しても尋ねても情報が得られなかった。

 いずれにせよ、私のNゲージの大井川鐡道においては、駅は自作となる見込みである。対象としている金谷駅も千頭駅も独自の構造を持った特色ある形状なので、その再現製作はガルパン戦車の自作スクラッチよりも難しいかもしれない。

 

 金谷からの列車は、嬉しいことに我らの近鉄車輌16000系、往年の吉野特急のスターであった。最近に検査を終えて営業運転に復帰したそうで、塗装も一新してピカピカであった。どうやら、廃車および南海6000系への置き換えは、後送りにされたものらしい。

 なにしろこの16000系が、2024年に放送が決まったゆるキャンアニメ第3期に登場して、各務原なでしこが乗って千頭駅に向かうわけである。その聖地巡礼ムーブメントにおいて、この16000系に全国からの巡礼ファンが乗りにやってくることは間違いない。それを見越しての、大井川鐡道さんの16000系続投決定なのだろう、と拝察する。

 

 原作コミック第10巻のカラー表紙裏の目次の下のイラストは、上図のシートに座っている各務原なでしこの図である。アニメ3期放送後の巡礼にて、同じ構図を再現して感動に浸るファンが間違いなく続出する筈である。

 

 この日は千頭駅まで行って往復するので、お得で使いやすい上図の「大井川本線フリーきっぷ」を利用した。大井川本線の普通列車および家山からの代行バスにこれ一枚で乗れるうえ、新金谷駅にて乗り降りも出来る。
 おそらく、アニメ3期放送後は、コラボキャンペーンを展開する筈だから、この切符もゆるキャン仕様になるかもしれない。そうなったら、また乗りに行こう。

 

 新金谷駅で降り、近鉄16000系を見送った。駅を出て行った、と思っていたら戻ってきて側線に入り、そのまま新金谷車両区のほうに回送されていった。

 

 新金谷の車両区では、側線にずらりと止めてある客車を見学した。今回の取材の目的のひとつが、大井川鐡道が保有または預かっている多くの種類の客車を見て把握することであった。

 Nゲージで大井川鐡道を再現して楽しむにあたり、電車や蒸気機関車は殆ど見ていて大体知っているので該当車輌を探して買うことになる。だが、各種各形式あわせて18輌にのぼるという客車はあまり把握しておらず、何を買ったらいいのか見当もつかない。それで、実物を見て勉強することにした。

 

 これはSL急行「かわね路」号用の客車スハフ43である。これはC12形164号機やオハニ36とともに日本ナショナルトラストの所有で、大井川鐡道に預けられており、かつてはC12形164号がけん引した「かわね路」号の1輌であったが、現在もC10形8号機が引く「かわね路」号の1輌となっているようである。

 このスハフ43は、Nゲージではマイクロエースから出ているそうである。大井川鐡道では2輌を預かっているそうなので、Nゲージのほうでも2輌揃えてみようか、と検討している。

 

 

 こちらの客車はオハ47である。オレンジ色の車体はきかんしゃトーマスの列車の客車にあわせて塗られている。Nゲージでもトミックスから同じカラーで「大井川鐵道旧型客車(オレンジ色)セット」として販売されている。特別企画品として「大井川鐵道きかんしゃトーマス号セット」があるが、価格が5万円もするらしいので手が出ない。単品はトミックスの他にカトーからも出ているが、車体色が異なる。

 そういえば、川本氏が「ホッさんはプラモやっとるから、トーマスと客車のセットのプラモを作りゃええやん」と話していたのだが、そういうプラモデルキットがあるらしい。今度探してみよう。

 

 新金谷車両区の奥の車輌群は、新金谷駅ホームから見たほうがよく見えた。右は電気機関車のE10形で、大井川鐡道向けに製造されたといい、車体に大井川鐡道の社章が光っている。これはNゲージでは商品化されていないそうである。

 左は南海から譲渡された6000系である。近鉄の16000系と置き換える予定だったらしいが、16000系の続投により、機関庫横の側線に留置されたままとなっている。この6000系もトミーテックから鉄道コレクションのナンバーで出ているそうであるが、川本氏によれば、南海電鉄のイベントで直売された限定品だったので今ではレアとなって入手困難、であるそうだ。

 南海6000系の後ろに電気機関車らしいのが見えるが、おそらく休車となっているED500形「いぶき」であろう。Nゲージではトミックスの「大井川鐵道きかんしゃトーマス号セット」に特別限定品として含まれているという。鉄道コレクションの扱いになっているらしいが、それならばなぜ単品で出さないのだろうか。

 そしてその後ろには見慣れた京阪の3000系テレビカーが見える。私が平成11年に初めて大井川鐡道を利用した時に乗ったのがこの京阪3000系であったが、現在は廃車となって1輌だけが倉庫の代用となっているという。これもNゲージ化されていて、マイクロエースから「大井川鐡道3000系」として出ている。この品は、最近に京都の中古ショップで2000円で売っていたのを見つけて買ったばかりである。

 

 新金谷車両区の転車台付近からは、C10形8号機やトーマス(C11形190号機)のほかに上図の電気機関車のE31形がよく見えた。大井川鐡道には3輌が在籍していて、この日はもう1輌を新金谷駅の南側の側線で見たが、もう1輌は見当たらなかった。機関車庫内にでも入っていたのかもしれない。
 このE31形も、Nゲージでマイクロエースから出ているという。いずれ探して、中古品でもいいから買うことにしよう。

 川本氏によれば、新金谷車両区の東側に大代川側線と呼ばれる長い側線があり、そちらに休車扱いの機関車や客車や貨車、廃車の車輌などが留置されているという。新金谷駅から出て東へ大回りしないと行けない場所にあり、距離も1キロぐらい離れている。また見学に行く楽しみがある、と考えて今回は時間の都合で見送った。  (続く)  

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その11  堂ヶ島へ

2023年08月04日 | ゆるキャン△

 土肥金山の見学を終え、バス停より11時17分発の松崎行きバスに乗り、伊豆半島西岸沿いの国道136号線をひたすら南下しました。

 

 バスの乗客は、私の他には地元住民や高校生ら5人が乗っていましたが、途中で3人が降りてゆきました。

 

 バスのエンジンの響きと音だけが低くこだまする車内の、右側の席で窓に寄りかかってボーッと海を眺めていました。車やバイクでは味わえない、のんびりとした、眠気にも誘われたりする心地よいひとときでした。バスの旅ならばでの醍醐味のひとつです。

 

 途中で海の向こうに、富士山がうっすらと望まれました。

 

 この日の太平洋側はやや曇りがちで、春霞がかかっていて景色がぼんやりしていたにもかかわらず、富士山だけは御覧のようにハッキリと見えました。不思議なものでした。

 

 晴れ間が広がって空も青くなってきた11時51分、堂ヶ島に着きました。上図の3番バス停で降りました。向かいに西伊豆町観光案内所があります。

 

 とりあえず、時刻表をチェックして、次に乗る便を確かめました。今回も堂ヶ島で昼食休憩とする予定でしたので、約90分ぐらい後の便に乗るか、と考えました。次は下田駅まで行くので、13時15分発の便に決めました。

 

 この日の堂ヶ島は、観光客があまり来ておらず、人影もまばらで静かな雰囲気でしたが、強風注意報が発令されていて、海からの強い潮風が吹き荒れていました。上図の写真を撮った直後に帽子を飛ばされて、20メートルぐらい追いかけて回収しました。

 

 上図では普通の景色にみえますが、強風がゴオオオオと吹いていて、海岸線に打ち寄せる波の音がザーン、ザーンと高く響いていました。付近の海や洞窟を回る観光遊覧船も、中止となっていました。船そのものもどこかへ避難させたのか、波止場に一隻も見当たりませんでした。

 

 車道脇の駐車場付近から、堂ヶ島の海岸を眺めました。眺めたというより、強風に身構えて足を踏ん張り、帽子を深くかぶって左手で押さえつつ、風にのって飛んでくる飛沫に目を細めつつ、辛うじて見ていた、というのが実態でした。

 

 とにかく、風がすごいのでした。まだ4月の上旬でしたから、海からの強くて冷たい風にずっとさらされていると、次第に体が冷えてくるのでした。

 

 それで寒くなってきて、堂ヶ島の景色見物を早々に切り上げました。海岸線の向かいにある、ゆるキャン聖地の食事処へ向かいました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)継続高校 T-20コムソモーレツ(フェイズエリカ仕様)

2023年08月03日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ホビーボス (商品コード83848)

  制作期間   2022年10月6日~10月12日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 完成です!!

  総評・備考
 T-20コムソモーレツは、第二次世界大戦でソ連軍が使用した小型装甲牽引車である。主に野砲や対戦車砲の牽引に使われたが、ガルパンにおいてはコミック「フェイズエリカ」にて継続高校チームの移動用車輌として登場する。フィンランド軍が継続戦争などで183両を鹵獲して使用した史実に因むのであろう。作中車は形状からみて1941年以降に生産された後期型にあたるようで、車体前部右側にある車載のDT 7.62ミリ機関銃のマウントが横長のオーバル形である、転輪が鋼製である、等の特徴がみられる。
 公式キットは無く、適応キットが幾つかの海外メーカーから販売されているが、日本ではホビーボスの製品が広く流通していて買いやすい。前期型(下のキット一覧の1)および後期型(下のキット一覧の2)の二種類のキットがあり、作中車に仕上げられるのは後者である。小型車両にしてはパーツが細かくて数も多いため、組み立てるのはちょっと手間がかかる。ある程度小型車輌の製作に慣れた方向けであろう。

  公式および適応キット一覧(2023年8月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その10  土肥金山の黄金の輝き

2023年08月02日 | ゆるキャン△

 土肥金山の金山資料館の続きです。土肥金山に関する展示資料の大半は、上図の石臼のような、金山にて使用されていた道具や工具、土器などの歴史的遺物です。個人的にはこういった文化財に興味がありますので、なかなか面白くて一つ一つをじっくりと見ました。

 ゆるキャン聖地巡礼関係では、身延町の下部温泉にある甲斐金山資料館が似たような展示施設として挙げられます。あちらは坑道は公開されていませんが、金山遺跡の範囲が全国屈指の規模をもつこともあって、考古学的資料も豊富で見応えがありましたが、金の産出量に関してはこちらの土肥金山に及ばなかったようです。

 

 金山というと、金しか産出されないイメージがあるようですが、多くの金山では金以外の鉱物が多く産出されています。むしろそれらの色々な鉱脈の中に金の鉱脈も含まれていて、その比重が大きいところが金山と呼ばれるケースが殆どです。
 一般的に、金の鉱脈は銀の鉱脈と共に発見されて採掘されるので、金山では銀も採れます。土肥金山では銀のほうが産出量も多かったのですが、それに伴って金のほうも他の鉱山よりも豊富に採れたので、金山と呼ばれる条件を満たしていたということでしょう。

 

 江戸時代初期の日本の流通貨幣といえば、上図の慶長小判金がよく知られています。時代劇でも悪役の手土産アイテムとしてよく出てくる、あの小判ですが、実際には徳川幕府が小判金の流通を隅々まで監視してコントロールし、異常な蓄積がなされたり、裏金や賄賂として使われるのを防ぐべく、取引における小判の価格上限を定めていました。

 なので、全国各地の悪徳商人が金を貯めて私腹を肥やすといった時代劇のパターンは、経済学の概念からいっても有りえない、とされているようです。第一、そんなに小判があちこちに豊富に流通していませんから、日本の貨幣経済のメインは銀貨や銅貨が占めていたということです。

 

 慶長小判金の説明です。御覧のとおり、小判は高額通貨として主に関東で流通した、とあります。全国各地に流通していたのは、甲州金で作られた一分金と呼ばれる金の小銭のほうで、単位は分と朱がありました。

 以前に読んだ、日本銀行の金融研究所貨幣博物館の刊行資料によると、1両は4分にあたり、1分は4朱にあたったそうです。つまり16朱で1両になりますが、江戸期の1両を現在の円に換算すると約12、13万円になりますから、1朱は8100円ぐらいになります。

 ちなみに金1朱は銅銭250文にあたりますから、例えば寛永通宝のような1文銭が4000枚で金小判の1両にあたります。江戸期の平均年収は、武家が約30両前後、農民が15両ぐらい、職人が19両ぐらいでしたから、円に換算すると約500万、200万、250万となります。現代とあまり変わらないようにみえますが、江戸期は物価が安かったうえにいわゆる固定費が少なくて、住居費用および家賃ぐらいしかないうえ、現在の所得税や地方税や消費税などの諸々の税金がありませんでしたから、実収入は現在より多くて割合に余裕があったとされています。

 なお、江戸幕府の税金は「年貢」と呼ばれて農産物や海産物などの収穫品のみにかかり、いわゆる税率4割の「四公六民」できつかったようですが、定期的に米や野菜を農民に還元する、今でいうとポイント還元のような制度があり、年単位でみると実質的には税率3割に近かったようです。凶作や飢饉の年には税金無し、還元放出となっていました。農民以外の町民や工人職人には、「普請」と呼ばれた労働力提供の制度があって、道や用水路や公共建物などの普請に従事させることで税金に代えていました。

 しかも徳川将軍の歴代は、将軍補任の年には祝いとして税金は免除、凶作や飢饉の年は原則として税金無しと定めており、幕府の行政機構の費用は年貢でまかない、不足分は徳川家が負担していました。その不足分というのが、いまで計算すれば何十億にものぼったのですが、徳川家は全国の金山銀山を直轄してその産出金銀によって毎年の幕府運営費用の不足分を補っていたのでした。

 なので、当時の金山や銀山がいかに重要な産業単位であったかがよく分かります。徳川家が私腹を肥やすために独占するのではなく、年貢しか税収がない時代なので、幕府の行政機構の維持においてはどうしても不足分つまり赤字が発生してしまうのを、江戸幕府の担当者たる徳川家の責任にて補填するために、金山銀山を公共事業と位置付けて直轄領とし、奉行をおいて運営にあたらせ、産出する金や銀を貨幣に代えて幕府財政の不足分にあてた、という構図であるわけです。

 だから個人的には、江戸幕府というのはかなりよく考えられた行政組織だったんじゃないか、という認識を持っています。時代劇ドラマのイメージは九割が妄想や誤解にもとづくので、江戸時代の実相を全く示していません。全国に悪代官や汚職だらけの旗本が居たはずはないのです。徳川氏の行政政権そのものが悪事や汚職をすれば物事が簡単に瓦解するようなシンプルかつ堅実なシステムでしたから、悪事があるとすぐに検挙され、関係者は全員が斬首となっています。

 かりに、いまの政治機構の頂点に徳川将軍が居たならば、政治家の殆どは何らかの不祥事や悪事や汚職に関連していますから、殆どは「斬首」に処せられる可能性が高いでしょう。それぐらい、江戸幕府というのはシビアでリアルな政治体制であったのでした。
 戦争ばかりして国内を不安定にした鎌倉幕府、朝廷との紛争が絶えず汚職や内乱で幕府が不安定となって将軍自身が京都に居られなかった室町幕府の歴史を振り返り反省し、そのうえで日本の戦国乱世を鎮めて平和を維持すべく編成された江戸幕府ですから、いまでも歴史研究者の間では人気があって、研究も盛んです。

 そういえば、鎌倉幕府や室町幕府の将軍にはいまでも罵られている人、悪人扱いされている方がいますが、江戸幕府の将軍に関してはあまり悪口を聞きません。歴代が政治に一生懸命に取り組んだことを、国民が肌で知っていたからでしょう。

 

 金山資料館の目玉は、この巨大な金塊2種です。片方は12.5キロ、時価1億円余りです。

 

 これ欲しいなあ・・・。

 

 もう片方は世界最大の金塊です。ショーケースの周囲に警備員が居て、天井からは複数の防犯カメラが睨んでいるというものものしい雰囲気のなかに展示されています。

 

 250キロ、時価23億円余りだそうです。金相場の変動にあわせて時価を換算してその都度数字の札を入れ替えているようです。

 

 これはめっちゃ欲しい・・・。これ1個で一生遊んで暮らせる・・・。毎日ゆるキャンの聖地巡礼に行ける・・・。

 

 こちらは金銀の鉱石つまり原石です。1トンの原石に金が600グラム、銀河7200グラム含まれています。一般的な鉱石1トンあたりの金の包含量は2グラムから10グラムほどですから、600グラムがいかに多いかが分かります。

 

 土肥金山の坑道の全体図です。保安図とあるので、掘られた坑道を全て網羅しているものと理解出来ます。それらのなかで、落盤や崩落の危険が高い坑道を安全のために除外し、それ以外の坑道で採掘を進めて金銀を産出したわけです。

 

 近頃は金山でも萌えキャラのマスコットが居るのか、と思ったら土肥温泉の温泉むすめ「土肥間由」でした。

 

 資料館を出ると、桜の並木道に出ました。

 

 外庭には、江戸時代の御用金運搬の作業人足のマネキン展示がありました。採掘し製錬した金銀の塊を箱詰めして駿府の銀座への船まで運ぶ様子を再現しています。

 江戸時代の鉱山は、前述したように徳川幕府の直轄領でしたから、そこで働く労働者は全て幕府の御用人足と定められて給料も他よりは多く得られたそうです。
 だから、鉱山人足の募集があるたびに人々が詰めかけて、常に抽選が行われていたというのもよく理解出来ます。大変な労苦を伴う仕事ですが、それに見合う高い給料が約束されていたために人気があったようです。
 なにしろ宿舎や食事付きの住込み人足ですから、現代で言うと寮付き賄い食事つきの労働者にあたるわけですが、そのような条件の良いケースは今でも少ないですね。

 

 土肥鉱山は昭和37年に閉山しました。その直前の写真が案内板にありました。

 

 同じ位置、アングルで見た現在の鉱山施設遺跡です。高い石垣と、右端の丸いコンクリート擁壁だけが残されています。それらの上に砕石および製錬の関連施設が並んでいたそうです。

 土肥金山、なかなか面白い所でした。今回はゆるキャン聖地巡礼の5ヶ所の2番目のスポットということで見学に約1時間をあてましたが、あと1時間ぐらいは欲しかったな、と思います。観光坑道の周囲にも金山関連の史跡や遺跡が点在しているので、さらに1時間あれば、それらも回れただろうと思います。  (続く)

 

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