強く吹き上げる潮風と激しく打ち寄せる荒波の音に包まれつつ、石廊崎の南端に出ました。伊豆七島展望所の石板が設けられてありましたが、その方角には白く靄が広がっていて、島影すら見えませんでした。
波が大きくうねってゆくのを、しばらく眺めていました。
位置を変えずに反対側に向くと、熊野神社の祠がありました。5円玉を賽銭として投じて拝礼しました。奈良に住んでいた頃に二度訪れた、和歌山熊野の本宮、新宮、那智の三社の佇まいを思い出しました。
参道をそのまま回りながら、周囲の景色を眺めました。高所恐怖症であることを忘れるほどの、ジオパークの大自然の地形の荒々しさ、美しさが印象的でした。
一周して、石室神社の建物へと戻りました。改めて、建物の位置が断崖の上であることを確認し、よくこんな場所に建てたものだなあ、ここに建てないといけない事情があったのだろうな、と思いました。
太古の昔には、石廊崎のような特異な地形を海神の憑代とみなして篤く敬ったという歴史があったようなので、石廊崎そのものが御神体とされたのは間違いないでしょう。それで御神体をお祀りする施設も、近くに設けたのだろうか、と考えました。
東側へ回ると、西からの強い潮風も石廊崎の岩塊に遮られたので、海の景色を落ち着いて眺めることが出来ました。
眼下を恐る恐る見ると、目のくらむような絶壁でした。垂直に海岸線まで落ちている感じでした。
時計を見ると15時42分でした。ここに来てもう30分が経ったのか、と気付いてもときた参道を引き返し、石室神社に再び一礼して、引き返しました。
15時48分、石廊崎の観光施設の横まで戻りました。観光施設の休憩ルームで水を飲み、観光資料などをいただきました。
15時55分、バス停に16時発下田駅行きのバスがやってきましたので、乗り込みました。
帰りのバスの車窓の景色は、石廊崎から弓ヶ浜までずっと上図のような海岸沿いのそれでした。
しばらくボーッと眺めていましたが、なぜか眠くならないのでした。そういえば堂ヶ島までの移動中や、下田までの移動中にずっと寝ていたな、と思い出して、道理で眠気が尽きたわけだな、と笑ってしまいました。
海沿いの景色は、若い頃は北陸の越前海岸や出雲石見の海、瀬戸内海や九州の有明海など、西日本のほうでよく見たものです。車でドライブする時は、たいてい浜田省吾や竹内まりやの曲をかけて、シャイでナーバスでロンサムな気分にひたりつつ、夕暮れの紀州灘や播磨灘沿いの海岸道路を走っていたものでした。
ですが、マイカーを手放してもバスの旅で同じような海の景色をいくらでも楽しめるのだ、と気付きました。浜田省吾や竹内まりやの曲をかけるオーディオ機器はありませんが、曲そのものは脳裏にていくらでも再生出来ますから、今回もシャイでナーバスでロンサムな気分にひたることが出来ました。
眺めているうちに、将来的に住む場所として海の近くはどうだろうか、と思いました。前の会社の異動や出向で日本の各地に引っ越して住みましたが、住所が海の近くだったのは鳥取県鳥取市、島根県松江市、大分県別府市、愛媛県松山市、兵庫県赤穂市などでした。いずれも車で5分も走れば海岸線に出ましたし、どこでも海産物関係の料理が美味しかったな、と思い出します。ここ伊豆も同じなんだろうな、と思いました。 (続く)