9時52分、アプトいちしろ駅に入りました。ホームに着く直前に、前々回の巡礼でも見た市代吊橋が見えました。現在の駅ホームは吊橋から見て北に位置しますが、かつての旧駅の川根市代駅は南側、いまアプト式電気機関車の待機線がある辺りにあったそうです。
アプトいちしろ駅のホームに着きました。ホーム下に並ぶ紅葉が綺麗でした。上図の木造の小屋はトイレです。
今回は行楽シーズン期間にあたっていて、ホームにて川根本町の地元振興会による柏餅の販売が行われていました。アプト式電気機関車の連結作業を見に降りた乗客の大半が柏餅も買っていたようで、その後の車内にはしばらく柏餅の香りがただよっていました。
アプト式電気機関車の「ブッピガン」こと連結作業を見に、乗客の大半が降りたあとの車内です。私は前々回の巡礼時に「ブッピガン」を見ているので今回は車内にとどまったまま、持参のナッツやチョコを食べてまったりしました。
アプトいちしろ駅を9時56分に発して、日本で唯一のラック式鉄道つまりアプト式鉄道の区間に進みました。次の長島ダム駅までの区間で、上図がそのアプト式鉄道の長い登り区間です。右下に流れる大井川の奥には長島ダムがありますが、地形に隠れてしばらくは見えませんでした。
この区間は、かつては線路が大井川の渓谷に沿った低い位置を通っていましたが、2002年に竣工した長島ダムの人口湖に水没することになったため、補償金を受けて新たに湖岸に現在の線路を建設しました。その途中に90パーミルの急勾配があるため、碓氷峠越えの国鉄信越本線で昭和38年(1963)に廃止されて以来、日本では途絶えていたアプト式が採用され、アプト式電気機関車を導入運用することによってこの区間のみが電化されています。
ちなみに90パーミルとは、水平方向に1000m進むと90m上がる(または下がる)勾配の数値です。日本の鉄道は原則として1000m進むと25mの高さを上る25パーミルを限度としており、箱根登山鉄道の80パーミルが国内有数の急勾配として知られますが、それ以上になると列車が自力で進めなくなります。レールの上を車輪が滑って空回りしてしまうので、パワーを上げても登れない、ブレーキをかけても止まらない、という事態に陥ります。
私の地元の京都市でも京阪電鉄の京津線に61パーミルの急勾配区間があり、併走する国道1号線も同じ坂道になっていて、何度も行き来して相当の坂であることを実感していますので、今回の90パーミルの急勾配がどんなものであるかはよく理解出来ました。
上図は90パーミルの急勾配区間を、後ろのアプト式電気機関車の押し上げによって登っている最中です。車や徒歩ではよくある坂道の勾配ですが、鉄道においては登れないキツイ坂です。
途中で、眼下の大井川の対岸にいちしろキャンプ場が見えました。各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃の三人がキャンプした場所です。前々回の巡礼でその中を通り、前回の巡礼時にも志摩リンビーノで立ち寄りました。キャンプ場の上段の細長い平坦面が、かつての井川線の線路跡にあたり、その廃線跡トンネルを私も歩いたわけです。
90パーミルの急勾配区間がどんなものかは、登り切ろうとする辺りから後ろを見れば分かります。上図のように、短い区間で相当の高さに上がってきていることが実感出来ました。登るのも大変ですが、降りる時も普通の車輌のブレーキでは停まれないため、降りる際にもアプト式電気機関車の助けを借りるわけです。
急勾配区間の終わり近くで、長島ダムの雄大な姿を正面に見ることが出来ます。
今回は、初めて井川線の全区間を通して乗りましたので、行きの車窓から長島ダムを眺めるのも初めてでした。
1分遅れの10時5分、長島ダム駅に着きました。ここでアプト式電気機関車を切り離したので、その作業を見にまた大勢の乗客が降りてゆきました。
私自身は席にとどまったまま、いま登ってきたばかりの急勾配区間の方角をぼんやりと眺めていました。かつての井川線が長島ダムの人口湖に水没することになっても廃止はせずに、現在の急勾配の線路をよく造ったもんだなあ、と思いました。それなりの需要、必要があったのでしょう。 (続く)