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(16)一宮が「明るい選挙」を宣言したころ

一宮町が「明るい選挙宣言のまち」を宣言したのは、
どういう経緯があったからなのだろう。
昭和39年のころを調べたくなった。

手元にあった「一宮町史」と「暁光」を開いてみた。
町史の発行は昭和39年3月3日。
「明るい選挙宣言の町」についての記載は見つからなかった。

また、「暁光(町政100周年記念誌)」にも
「明るい選挙」についての記載はなかった。

どういうことなのか、関心を持ちました。

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ところで、両誌を見返してみて、
昭和30年代終わりごろの、一宮町の活力を感じることができた。


「一宮町史」は、東浪見村と一宮町が合併して10年を記念して
編集されたことがわかった。当時の町長は近藤三郎氏。

編集後記をみると、編集委員長の作家の上田廣氏(一宮在住)と、
それを支え、全面的に協力する田中定治氏をはじめとする
町民の苦労が伺える。
わずかな期間で仕上げることができたことからも、
町全体に文化的な雰囲気が漂っていたことが感じ取れる。

折りしも、町史編集の始まった昭和37年には、
一宮町ゆかりの加納久朗氏が千葉県知事となった。
しかし、編集の最中の昭和38年2月21日に
知事在職わずか110日で急逝されてしまった。
編集後記では、このことにもふれられている。

その当時は、一宮中の体育館が完成し、
駅から中学校までの道も整備されたりしていった。
元気で文化的な一宮がそこにあったのだろう。
まだ、鉄道が電化する10年前のことである。

この一宮のようなところがどこでも、
個性豊かで活力ある地域になっていければ、
千葉県全体が元気になっていけるのではないかと
感じています。
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