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お台場(2)

現在、「お台場」といえば、
臨海副都心の東京湾埋立第13号地のことを思い浮かべます。

しかし、もともとは、
今から150年以上前の嘉永6年(1853年)にペリー艦隊が来航して、
幕府が開国要求を迫られたとき、
江戸防衛のために建設した品川台場(品海砲台)のことで、
「御台場」といわれていました。

この「御台場」は、
大潮、強風、大雪など、様々な困難を乗り越えて
わずか8ヶ月で完成させました。
取り仕切った、江戸幕府作事方大棟梁(だいとうりょう)平内大隈を中心とした
当時の日本の技術者集団の力量が伝わってきます。

現在は、第3台場、第6台場だけが残されています。
(写真は、「おだいばビーチ」から、
お台場公園(第3台場)」と「レインボーブリッジ」を望む)

厳密には「フジテレビ」は港区台場にありますが、
「パレットタウン」「大江戸温泉物語」「日本科学未来館」は江東区
「船の科学館」は品川区になります。
でも、そういう経過から、「御台場」のことを知った上で
第13号地全体を「お台場」といっていいのではないかと思います。


さて、
伊豆代官の江川太郎左衛門英龍は富津・観音崎のラインに台場を置いて、
そこを防衛ラインとしようと建議書を提出しました。

調査の結果、水深が深くとても無理であることがわかりました。
そこで、最終防衛ラインとして
人工島(間隔連堡)を作り要塞化しようと計画しました。

残念ながら、和式の土木建築技術への理解がなかったのか
オランダ式のモデルをそのまま模倣したものようです。

それだけに、当時の技術だけで施工できる設計に直したうえ、短時間で完成し、
さらに震災にも耐える強度である(わずかな修復程度ですんだ)ことは、
その土木水準の高さをあらわしていると、感心させられます。

(なお当時は、信管をつけた砲弾が開発され、
世界的には要塞の半地下式へとなっていました。
半世紀遅れていていることには、幕府もやがて気がついたようです。)

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