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加納久宜没後90年

今日(26日)は、加納久宜元町長の没後90年の祥月命日でした。

職場から近いこともあり、朝と夕に一宮小学校の裏にある城山の『加納さんお墓』(『加納久宜公の墓』町指定史跡)に立ち寄りました。
今は、いつも誰かが花を生けてあります。

今日は、教育委員会主催の「おらがまち探検隊-文化財保存体験編-」により清掃が行われました。誰かが、榊を持ってきて生けてくれたようです。
『加納久宜小伝』によると、葬儀は神式で行われたそうです。


ふと、昭和40年ごろ皇后陛下(または皇族の誰か)が参拝に来たことを思い出しました。
校門前の坂から、校庭を歩いて、当時はあった階段を登っていきました。
当日は、小学生が歩く道に沿って列を作り、旗を振って出迎えました。(自分も)

どういう経緯でのご訪問か、説明があったかよく覚えていません。
今、憶測するに、赤十字の活動の普及に尽力したこともあったなのかなと想像しています。

旅程や案内者、説明内容などがどうだったのか、気になり始めました。


「たとえ戦場においても、敵味方関係なく負傷者を助ける」という
赤十字の基本理念は、重要なことだと思います。


この1年、「加納久宜-鹿児島を甦らせた男-」の月1回の読み進めながら、人物像をつかもうとしてきました。3月で読み終わります。
驚くほど多くの課題に対し、的確な理念のもと、精力的に取り組み、成果を挙げ続けたことがわかり始めました。

『同時代の人との出会い』『教育改革』『フランス留学への思い』
これらをキーワードにして、さらに調べていきたいと思い始めています。
ご存知の方があればお教えください。


ところで、お墓には名刺入れがありましたが、現在は上部が壊されています。
昔は、多くの人が参拝に訪問した証拠だと思います。

没後100周年の2019年には、現在工事中の道路も開通し、振武館(城山公園)への車でのアクセスもよくなることと思います。
人生の集大成を町づくり(地方自治)にかけた思いを、皆で感じられたらと思います。

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