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「裁判員制度」への関心について(6) 自分が裁判員になることについて

「裁判員制度」への関心は、
「自分に手紙が来たらどうしよう」というのが
多いようだ。

「この忙しいのに」
「裁判のことはわからないから」
「人様を裁くことは、その人生に影響を与えることになる。荷が重い。」
「思わずいろいろな人に話したくなってしまう」
「自分が判断したことを他の人に知られたくない」
などなどです。

司法制度改革審議会では、
「21世紀の司法制度の姿」を
(1) 国民の期待に応える司法制度の構築(制度的基盤の整備)
(2) 司法制度を支える法曹の在り方(人的基盤の拡充)
(3) 国民的基盤の確立(国民の司法参加)
と描いています。

「国民の司法参加」の意義を理解しあい、
皆が進んで参加していく雰囲気となることを
望んでいると受け取れます。

そうなれば、
「自分が裁判員に当たりさえしなければいい」
という感触の意見はなくなることでしょう。


「裁判員は、判例の知識は必要ない」とのことですが、
「『裁判』(人を裁く)とは何なのか」についての
国民的な共通理解は不可欠だと理解します。

「社会正義」とは何?
「公平・公正」「一罰百戒」「更正」・・・
なかなか難解です。

「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」
という考え方は、変わりません。
わが国の「義務教育を終える」というモノサシのひとつに、
こういうことも入るのではないかと、感じています。

なお、
裁判(司法)への国民の関心を高める方法として、
最高裁判所裁判官の国民審査を改善するという意見に
注目しています。

具体的には、
「信任する(罷免しない)」→「○」
「不信任(罷免に相当)」 →「×」
とし、
信任票(○)が有効投票の半数未満であれば罷免とする
という方法です。

確かにそうなれば、
一人ひとりの裁判官について注目されるばかりでなく、
大きな裁判の行方にも関心が高まることでしょう。


以上、「裁判員制度説明会」を、自発的に開いてみて
感じたことした。

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