創価学会の没落

悲鳴をあげる学会員

大橋議員除名の裏で

2011-07-22 16:31:58 | 公明党・選挙

創価学会が破門される前の1988年、公明党初の造反議員となった大橋敏雄衆院議員がおります。この事件については当時、会内でも全国的に周知され有名である。

池田さんの大謗法を糺した告発手記に池田さんは何も反論せず、ただただ会員にこんな言葉を発して弾圧を始めた。

「魔とたたかえ・・・ほんとうにもう、あいつの胸にピターッと短刀をね、切りつけなきゃ」(1988.4.22 本部幹部会 池田発言)

とスピーチの途中に突然、常軌を逸した恐ろしい言葉を口走った。

この後、学会は大橋氏の金や女問題をデッチ上げたことは、言うまでもないので省略いたします。

この事件で地元学会員はどう動いたのか?

どの顔にも、とまどい苦悩の色が浮かんでいた。こうした雰囲気のなかで、大橋問題が表ざたになって初めて、池田批判の大衆的宣伝行動に立ちあがったのが北九州市で「中国はり・灸専門院」をひらく筒井保氏(75歳)だった。
 創価学会に入会して三三年になる筒井氏は、選挙のベテランとして学会内で名の知られた活動家である。筒井氏は、大橋除名劇をきっかけに学会員、学会脱会者、公明党支持者ら百数十人と秘密裏に会合をひらき、八八年六月二十六日、北九州市のJR小倉駅前で、池田批判のビラを配ることで「大橋敏雄国会議員を守る会」と名乗る新しい組織を旗揚げした。

ビラは次のように訴えている。
「名誉会長池田大作は、自己の名誉欲を満たす人間の下らない人なのだろう。創価学会・公明党を支配、私物化し、いかなる謀略を企んでいるのだろう。彼が考えているような謀略に騙される日本人ばかりではない。宗教に名を借りた大悪党といわざるをえない」「この度の公明党大橋議員除名劇は筋違いの上に、人格権さえ侵すデタラメである。こうしたデッチ上げは、公党として許されることではない。諺に「天井を向いてツバをはく・・・」とあるが、(不公明)で汚れ濁った政党であることを証明したのみか、自ら団結を乱したなにものでもない。この先、除名される議員がいないと誰が断言できるだろうか。今日まで、公正清潔の一枚看板で国民をだまして来た政党ではなかろうか」
(中略)
筒井氏を中心とする新しい組織づくりは、大橋氏や従来の反池田グループが話をもちかけたのではない。筒井氏を軸に一般学会員が自発的に集い、活動資金を出し合い、何回となく議論して手づくりのビラを作製し、自分たちの手でそれを市民に配った。
 ビラの反響は大きく、「こちらでも配りたい。ビラを分けてほしい」「自分たちも何らかのグループをつくり決起するつもりだ。連携してやっていこう」と、筒井氏の自宅には、九州はもとより全国から電話、手紙が殺到した。

全国で飛び火する池田批判

飛び火するように、創価学会・公明党の牙城といえる大阪でも、池田批判ビラが公然とばらまかれた。

「はっきり申し上げるならば、池田大作という男に大聖人に対する信心というものは、もはや無いのです。彼は、自分自身が大聖人も生れかわりとして君臨したいという野望をかいま見せてくれただけなのです。もうじき彼に対して仏の断が下るでしょう」
 みずからワープロでビラをつくったのは大阪・和泉市に住む創価学会副ブロック長の時倉強氏(40歳)。創価学会和泉文化会館での会合が終わった八八年七月二十五日夜九時過ぎ、帰途につく学会員に一人で配ったのである。
 慌てた学会幹部や警備員が、時倉氏を取り囲んだものの、ビラ配りを中断させることはできなかった。時倉氏はまた、ワープロで次のような手紙もつくり、学会幹部や一般会員に郵送している。

「御書の一節に『謗法を責めずして成仏を願わば、火のなかに水を求め、水のなかに火を求めるがごとし』との厳しい御金言がありますが、名誉会長といえども例外ではないはずです。大橋さんの告発も、この一節に従っただけなのではないでしょうか」

日蓮正宗の総本山・大石寺のある静岡県---。創価学会の“聖地”ともいうべきここでも、男性学会員の手で、「池田大作氏に指導者の資格なし!財務の金額で信心をはかるのは邪宗と同じである」と題したビラが配布された。
 ビラは、「かつて、各種会合等で、『池田先生は、学会員のことは何でも御存知です』という指導が行われました。御記憶の方も多いと思われます。しかし、そんな力を池田大作氏が持っているのであれば今日の学会の姿はなかったでしょう」という文章で始まり、「財務」という名の学会員からの強制的なカネ集めの実態をこう糾弾している。

「東京などでは、定期預金を家族の分までおろして献金し、生活破綻を引き起こした家族もあります『金が無ければサラ金で借りてこい』という指導も行われました。静岡においても、住宅ローンで四苦八苦している家庭に対し、『もう一口もう一口』と強要する幹部もおります。このような実態を池田氏は解っているのでしょうか?解っているのなら放置している池田氏は無慈悲な人物ということになります。わかっていないのなら、これまでの『何でも御存知』というのはまったくの虚偽でると言えます。どちらにしても指導者としての資格ある人物ではありません」

さらに、愛知では、「『新生創価学会を作る会』名古屋事務所設立趣意書」という文書が学会内部に出回った。趣意書は呼びかけている。

「ここ迄池田の謗法や狂気が明確になって来た以上、一信徒としても、もはや黙視出来ない。今こそ、我々第一線の活動家が総立ちになり、池田及び現創価学会執行部の謗法を責めるべきである。そうでなくては、与同罪は免れ難い。これは、元側近幹部などとマスコミなどに書かれている者達だけの問題ではなく、我々の問題なのだ。我々の信心で池田という一凶を断じつくす以外にない。そして、一日も早く学会を建て直すべきではないだろうか。今ここで、我々第一線の活動家が立ち上がらねば、日蓮正宗は名のみあって実無きに等しく、又その名を地に落としめることこの上ないものとなるに違いない。我々は、このようなやむにやまれぬ思いから立ち上がった。立つからには必ず勝つ。信心で勝つ。そして、一人より二人、二人より三人と、より多くの同志と共に闘う為に事務所を設立した。人として、信仰者として、誠の心あらん人の決起を待つ!」

これらの事件が起こる中で池田さんは何を言ったか?

「敵に包囲されて、メチャメチャに攻撃されている。池田先生(注:池田氏は自分のことを先生という)一人が反撃している。公明党の大砲はどうなっているのか。宗門はどうしているのか
師匠というのは弟子を煮ても焼いても食っていいのもだ
「学会は世界一の長者になる。また名聞名利は男にとって麻薬である。その最大は議員なんだ」
(1988.8月 長野研修道場)

「総理級の学会だもの。何かいわれる、当たり前ですよ。・・・マスコミはマスゴミっていうでしょう。あれは売るためだよ。みんな。調べもしないで」
右翼がきた、左翼がきた、それからね買収した、何があったとシャカシャカ週刊誌で書いた。そんなの銃声からみれば痛くもかゆくもない」
(1988.8.19 本部幹部会)

『創価学会・公明党 池田王国の落日』中川義雄