板御本尊安置を口止め!
52年路線での池田指示による模刻本尊事件で、驚くことに池田自身が会員に板御本尊を会館に安置したことを口止めしていた。つまり、“勝手に作ったというやましさ”を幾分感じていた証拠である。
「御本尊(がどんなものか)については黙っておく(おこう)。もし(会員から)聞かれたときに限り、P(池田会長)の昭和26年5月3日のお守り御本尊様であることを話してあげたらどうか」東北総合研修所牧口記念館
「口外はしていただきたくない。そこには創価学会の会長室の御本尊(模刻本尊)を安置させていただきます。これは今までなかなか富山のみなさん方の激励はできなかったわけだけれども、その御本尊を安置してみなさん方を厳然と守りたい。・・・・・私が私の部屋にある御本尊をこの富山の地に私は置きますから、全部牧口堂として、そこを参拝して力を出していただきたい。そして、この事は決して口外しないで下さい。御本尊は全部同じです!印刷の御本尊も常住御本尊もどんな御本尊も同じであります」昭和51年11月14日 富山支部結成16周年式典
模刻本尊は八体以外もある!
当時判明した学会の模刻本尊リスト
(1)学会本部安置昭和26年5月19日大法弘通慈折広宣流布大願成就
(2)関西本部安置昭和30年12月13日
(3)ヨーロッパ本部安置昭和39年12月13日
(4)創価学会文化会館安置昭和42年6月15日
(5)学会本部会長室安置昭和42年5月1日
(6)アメリカ本部安置昭和43年6月29日
(7)賞本門事戒壇正本堂建立昭和49年1月2日
(8)池田大作授与の御守本尊昭和26年5月3日
昭和39年にも板御本尊があった!
賞与御本尊(模刻)のホゾに彫られた日付より前(S48年)に、原島氏に目撃されていることから複数模刻された模様。さらに上記発言の安置場所と照合すると、模刻したのは八体ではなく、十体になり。さらに昔、三十九年九月にも千葉県の会館(千葉会館)でも目撃されている。七体は本山に回収されたが、本部安置の御本尊以外に未だに模刻本尊を所有しているはずである。
信徒が勝手に謹刻する例は無い
古来、猊下の允可なしで信徒側では絶対に謹刻できないが、百歩譲って学会が模刻の許しを得たとしても、申し出たのはS49年に「学会本部安置」の御本尊のみであり、それ以外の本尊は無許可、さらに、秘密裏に製造したお守り御本尊も勿論無許可である。
【引用書籍】
創価学会 池田大作打倒の反乱(段勲 青年書館)