誰かが亡くなると、決まって風が吹く…
いつからか、その事実に気づきました。母方の祖父が亡くなった日も、祖母の通夜の夜も、そして父方の祖母がなくなった日も、やはり風が、思わず顔をあげて窓の外を見てしまうような強い風が吹いていました。
この不可思議な法則は、自分の身内だけではなく、他の誰かが亡くなったときにも起こりました。抜けるような青空の下、しんと静まり返った大地の上を強い風が吹き抜けていく…
不思議なこともあるものだ…。
説明がつかないまま、それは私にとっての動かしがたい事実となっていきました。
そして数日前の大寒、同じ日に3つの訃報を耳にした日、やはり予期せぬ風が吹きました。
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みぞれ混じりの雨が降る12月の寒い日、礼拝から帰って、火の気のない寒い家に入れずに、ストーブだけつけて車に戻り、部屋が暖まるのを待っていたときのこと。
何気なくあわせたカーステレオから、この歌の朗読が聞こえてきました。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
妙に腑に落ちながら聞いていました。
亡くなった方の魂が風になって大空を吹きわっている…
私にはそういう風に聞こえたというより、むしろもっともっと、大きな摂理のような、大いなる存在のようなものを証する声として響いてきたのでした。
聖書の、ヨハネによる福音書の中に、弟を失って墓石の前で涙にくれている姉妹マリヤとマルタの話が出てきます。
イエスに弟ラザロの病を癒してもらうことを期待していた彼女らに、イエスは泣かないように、悲しまないようにと言うのです。ラザロは死んではいない、と。
人々はイエスをあざけって笑いますが、イエスが呼ぶと、死んだはずのラザロは生きて墓の中から出てくるのです。
この箇所のことを歌ったゴスペルの曲を、以前アレサ・フランクリンが歌うのを聞いたことがありましたが、その中で囁くように繰り返されるコーラスの声が、この"千の風になって"の詩とダブって響いてきました。
そして、この曲の入ったアルバムを私にプレゼントしてくれたのは、そういえば昨年の9月に天に召された友人Takeちゃんでした。
年末の紅白歌合戦でこの"千の風になって"を歌ったのは、テノール歌手の秋川雅史さん。この方は、愛媛出身のTakeちゃんの後輩に当たる方なのだそうです。
偶然では片付けられない繋がりが、大きな風の流れになって吹き渡るように感じました。そしてその流れは、たくさんの方々の思いを乗せ、"死んでなんかいません"という声とともに、大いなる存在の力によって、死すらもこえて私たちを永遠の希望へと導いてくれるのだと。
"a thousand winds"
author unknown
Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.
When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
もし人違いだったら恥ずかしいので、とりあえず今日はこのへんにしておきます。
またチェックしてみます。
アレサ・フランクリン、聴いてみるよ。
mottyさん、人違いではありませんでしたよ!見つけてくださってありがとう!
もも大活躍のご様子、うれしいかぎりです!
こちらは無事にTに弟が生まれ、元気で田舎暮らしをしています(笑)
ブログにはあまりプライベートは明かしていませんが、mottyさん、mixiはご存知ですか?私はそちらにもおりますので、よかったらご案内しま~す
これからも、ぜひ遊びにいらしてくださいね
akiちゃんのブログにあったように、主ご自身が死に打ち勝たれたお方だから、私たちはその希望に生きることができるのですね。
“あの方はそこにはいない”…天使の言葉が聞こえました…