正直、ずっと、自分の頭の上のハエを追うので、せいいっぱい人生でした。特に、大人になってからは。
その日その日の苦労が十分すぎたり、間違って進んでしまった歩みの軌道修正に、
莫大な時間と労力を使っていたりして。
ずっと根無し草のようだった自分が、やっと居場所を見つけて根を張りはじめた、この半年。
剥がれてしまわないくらいに根付いたのを確認したなら、ぜひ会いに行きたいと思ってやまない友が
わたしにはいました。
金曜日の勤務を2時間早上がりして、子供たちの学校の終業時間を待ち、最寄の駅から電車に飛び乗る。
暮れ行くお日様を追いかけるようにして、東海道線で、西へ。
2時間あまり揺られた電車の終着駅に降り立てば、親愛なる友とその子供たちとの、ただただ喜ばしき再会が待っていました。
背も伸び、知恵も増し、神と人とに愛されて育ってきた、互いの子供たちを合流させる。
会わなかった時間が、あっと言う間に埋まる。
共有した時間は決して多くないはずなのに、不思議と魂で繋がっている、その恵み。
・・・同じ父を持つ家族なんだ、私たちは。改めて、そう気づく。
大切な人だからこそ、罪ある、欠けだらけの自分が訪ねていって、静かな水面を波立てていいものか・・・
そんな風にも思っていたけれど、そんな思いを吹き消すように、ただただ再会を心待ち、そして喜んでくれた友。
与えられた時間をフルに使って、心をつくし、思いをつくし、力をつくし、出費もいとわず、私たちの滞在を有意義なものにしようと、もてなしてくれました。
自分は日常を営みながら、旅の空にある私たちがムリにならないように、でも十分に得ることができるように、と、どんなにか走り回ってくれたのだろうね?
地魚のお店・・・遊覧船・・・森のパン工房カフェ・・・『すぅ』
美味しいイタリアン・・・思いがけぬ秋花火・・・礼拝・・・おうちランチ・・・
ともに過ごした時間が、今ひとつひとつ宝石のようにキラキラ輝きながら、記憶の中に浮かんでは消えます。
伊豆半島は、実は近いんだ。
思い立ちさえすれば、決して来られない距離ではないことに気づき、足元の枷がまたひとつ外れたような、
開放感。
『Rくんになにかして欲しいときは、右の耳からお願いするといいよ。』
離れた場所で生きていて、なぜか不思議と、今の我が家の必要に出会うスキルを身に着けていた彼女。
天の配剤といわずして、どのように説明がつくでしょう。
置かれた場所で、抗わず、つぶやかず、 静かに感謝にあふれて咲く友の、凛とした美しさ、強さに、今回もまた心打たれてきました。
伊豆半島の美しい自然の中に、主が彼女とその愛する人々を置かれている。
今日も、あの可愛らしい車を駆って、人に仕え神に仕える友の姿が見える。
嬉しいような、誇らしいような、ホッと安心するような・・・