for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

算額を知る    正法寺 高坂岩殿

2021年10月22日 11時25分41秒 | 日記
寺の木製説明より算額を知った。10月16日の土曜日
このお寺は母がずっとお盆では招いていたお寺さん。住職のお父さんの渋い読経を思い出す。

翌日の天気が雨らしいので、さっと出かけた。金子から川越に回り、東上線を下る。久しぶりの東上線下り電車だ。川越市を越して霞が関に入るあたりで農村地帯を川沿いに見て、昔目にしていた光景を見比べていた。霞が関駅もホームが広くなっていた。

東松山で下車、初めてだろうか。目指していた了善寺は川越寄りで交通の便もよくない。岩殿に行くことにした。駅は高坂だったので、ひとつ下る。

この駅へは、父のお使いで小学生になったかならなかったか、ひとりで来たことが何度かあった。初めてきたのは、母と一緒だったのか、それも覚えていない。けれど、駅を降りて線路をわたり、どんどん道を進んでいく。途中で二股に分かれるあたりに木があって、そこまでくるとどこかホッとし、あの先だ、と再び歩き続けたものだった。

母は兄が車で連れてきたことがあったのだろう。

が、正法寺には今になって初めて参拝する。

「聖なる数学:算額」 深川英俊  トニー・ロスマン 共著
「江戸の数学」に朝鮮  山根 誠司

図形が描かれ下に文が示される。侍は塾などで教えていたそうで、徴兵のために農村に出かけていたが、機会が減り、農民が田畑の面積他の計算が必要になり、塾に出かけ、あらゆる階級の人が通える費用だったそうだ。

ドラマで見た覚えはないわねえ。ふ~ん 和算の本を出せなかった人が算額を掲げたって、そうだね、多くに知らせる手段だわ。

埼玉の和算貢献者たちがサイトで紹介されていた。

比企郡では 嵐山町  
         内田裕五郎往延  1845年 生まれ
    1871年29歳 1984年42歳  1922年 80歳

      熊谷 戸根木格斎
<嵐山町博物誌 武蔵比企郡の諸算者  >

 比企郡には多く学んだ人がいたようだ。I wonder my father was also influenced by those people.



うごめいていたもの   武士が武士ではなくなった過渡期

2021年10月12日 16時47分14秒 | 日記
浅田次郎さんの小説だろう映画作品「壬生義士伝」を見た。私の中にとどまっているものがある。
武士という身分が変わり、それまでの位置が逆転した点を映画作品で描いたことだった。と、後で思い出されたのが、「柘榴坂の仇討ち」(原作は『五郎治殿御始末』)の同じような場面だった。仇討ちをする時代は終わったことを、一騎討ちの最中を設定して、お互い同士が自覚する世の中の変化が映画場面で伝えられた。

「壬生義士伝」では、主君に対する関係力学が社会変化で変わっても、個人(主君に仕えた後に長になった元下僕)は主君への恩をその息子につなぎ続けた。うまい数秒の場面で見せつけられた。

明治という変革の時期に平民になった武士階級がその後、どこにそのエネルギーを向けていったのだろうか、とは、私自身の関心でもある。時の流れに気持ちを任せていったか、新たな職業に向けていったか。

壬生義士伝では、町医院であった武士の息子は「満州に行く」というセリフの筋書きに、更なる未来への一歩への意思決断だと感じた。身内にまつわる主従関係の諸々は、「もうご破算で、懐かしうございます」とでも胸の内で元侍の年長者に吐露しただろうか。

明治の変革の中で人は、どんな風だったか、発展したのは、融通性が利いたのは商売、海外で学んだ人?・それにあやかれなかった人は?ついていけなかった人は?どんどん変化していった・・・気にはなる日本人たちでもある。

☆ 維新後、政府から旧氏族に給付されていた金禄公債というものがあったようだ。

< 金禄公債証書(表)(検索番号8995) 明治9(1876)年
 明治政府は華族、士族などには家禄を、維新の功労者には賞典禄を支給していましたが、明治9(1876)年に、数年から十数年分の家禄、賞典禄の価額分の公債証書を交付し、家禄等の支給を廃止しました。ここに掲載している公債証書は、その際に交付された「金禄公債証書」です。>  


 まさに渋沢ドラマのタイムリーな事情と一致します。

嵩 俊海

2021年10月11日 09時16分33秒 | 
「詩経の鑑賞」村山 吉廣

詩経の名跡  この項目に埼玉三学者として東松山野本  真宗了善町寺の僧だと知る。 
嵩 俊海(1837~1919)82歳
   15歳から家塾 春桂塾を開き、(父親が経済に無関心だったから)漢詩人として創作。「漢詩人の描いた明治  嵩古香の肖像」ゆまに書房
                著者 嵩 海雄(1933~・藤井明(1937~

ネット掲載  山下 寿美子  「詩僧 嵩 俊海とその詩 大沼 枕山」
  4⃣ 82ページ