寺の木製説明より算額を知った。10月16日の土曜日
このお寺は母がずっとお盆では招いていたお寺さん。住職のお父さんの渋い読経を思い出す。
翌日の天気が雨らしいので、さっと出かけた。金子から川越に回り、東上線を下る。久しぶりの東上線下り電車だ。川越市を越して霞が関に入るあたりで農村地帯を川沿いに見て、昔目にしていた光景を見比べていた。霞が関駅もホームが広くなっていた。
東松山で下車、初めてだろうか。目指していた了善寺は川越寄りで交通の便もよくない。岩殿に行くことにした。駅は高坂だったので、ひとつ下る。
この駅へは、父のお使いで小学生になったかならなかったか、ひとりで来たことが何度かあった。初めてきたのは、母と一緒だったのか、それも覚えていない。けれど、駅を降りて線路をわたり、どんどん道を進んでいく。途中で二股に分かれるあたりに木があって、そこまでくるとどこかホッとし、あの先だ、と再び歩き続けたものだった。
母は兄が車で連れてきたことがあったのだろう。
が、正法寺には今になって初めて参拝する。
「聖なる数学:算額」 深川英俊 トニー・ロスマン 共著
「江戸の数学」に朝鮮 山根 誠司
図形が描かれ下に文が示される。侍は塾などで教えていたそうで、徴兵のために農村に出かけていたが、機会が減り、農民が田畑の面積他の計算が必要になり、塾に出かけ、あらゆる階級の人が通える費用だったそうだ。
ドラマで見た覚えはないわねえ。ふ~ん 和算の本を出せなかった人が算額を掲げたって、そうだね、多くに知らせる手段だわ。
埼玉の和算貢献者たちがサイトで紹介されていた。
比企郡では 嵐山町
内田裕五郎往延 1845年 生まれ
1871年29歳 1984年42歳 1922年 80歳
熊谷 戸根木格斎
<嵐山町博物誌 武蔵比企郡の諸算者 >
比企郡には多く学んだ人がいたようだ。I wonder my father was also influenced by those people.