あってな。
ブダペストは今回の私の旅では4番目の訪問先だった。
宿泊先が市の近くにあり、便が良く(のをたいてい選ぶ)、キッチンで食事を済ませて博物館に出かけた時には、まだ観光客への便利な交通パスカードの販売はなくて、博物館を出た後に地上駅の近くで受付嬢が販売していた。
私はそのカードを利用して美術館に行こうと地下鉄の車内で案内のチラシを見ていた。閉館時間を確かめ、下車駅を探していたのだが、なんとも小さい文字で、ペンダントを取り出して焦点を合わせていた。と、私の仕草を「あら、貴女もですか」とでも声が湧いただろう長身の男性が、そばでにこやかな表情をしていた。私が傍に立っていた若い女性に駅を尋ねたところ、「○○駅なら、こちらでいいですよ」と他から聞こえた。すぐ目の前に立っている男性の奥様だった。「あの人、ひとりで旅行しているね」と立っていたご主人に相槌すると、「わかっている」と返した。
美術館ではブダペスト特有のアートを見たかったが、交じり合った文化の影響か、閉館時間という事情もあって、パプリカのいわれを受け付けで知って(他国産物をバラエティー豊かに愛用だそうで)、帰りの順路に進んでいった。
と、宿泊先に向かうバスを待っていた。と、「あらま!」地下鉄で会ったご夫婦と同じバス停で出くわした。「こんにちわ、また会いましたね!」と、綺麗な日本語を話すのは、あの男性だった。「えっどうしてこんなところに日本語を話す人がいるんですか?!」商売でもしているのかと思ったほどだ。
「私、東京オリンピックに行きました!」
「えっ アスリートですか?今度東京でオリンピックがありますよ!」
会社は「ニップン?・ニッ○○」とかいう会社の配属で(ブダペスト?)から派遣されたようだと知った。代々木・神宮外苑などの地名が口から飛び出した。
と、詳しくお話が繋がらないうちに乗りあうバスがやってきて、ふたりで入り込み、👐を振ってお別れをした。
来年に開始のオリンピックに備え、都内は多少の変化が見られ、暮らし向きにも影響がありそうで、その声援が届けられる。
食にまつわるオリンピックの関連ドラマを知った。
ブダペストであった長身の男性は、いったいどんな活躍をかつての日本で成し遂げたのだろうか・・・
国会議事堂を見学したブダペストは35,38度という気温。観光客の表情に比べ、衛兵さんの頭から足元、その従事姿にはただただ脱帽です。(緊張は汗をも出さない?!!!)訊いてみたいです。空調はよほどの所以外は、自然空調並でした。