for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

流派は別にして

2018年01月31日 14時49分09秒 | 展覧会

フランドル派というのに惹かれた。現在、ブリューゲルの世代表現が展覧会開催中。以下は展覧会とは関係がありません。今回の展示作品の中に、画面中央に小さなバランスが描かれている絵が何枚かあります。製作者の胸中に近寄れば・・・現代へのメッセージになんとしよう

フランドル派のいわゆる宗教絵画は変化があって観ていて楽だと感じた。素人の憶測ですが、宗教改革の影響ではないかと思います。オランダは新しい物を育てるのが速い?

 

 

 

 

 

 

(タイトルで、「アンデルマット付近の悪魔の橋、サンゴッタルド峠」を見て、今地形はどのようになっているだろうか、当時の橋を渡すのもたいへんだっただろう。圧倒される。(同じ地形の他者作品Die Teufelsbrücke, 1824, Aquarell von Peter Birmann (Pierre), 1768-1844))

 伊藤清忠景観デザイン・フォトライブラリーで楽しめる写真があります。

 

 

あっ アリエッティの家族! 

 


予想的中

2018年01月27日 09時25分44秒 | 日記

「春めいた」という言葉一つで誰もが気持ちが軽くなるだろう。そんなことばに釣られて予想に反し、裏切られた経験が

少しはあるだろう。場所と時間によっては流れてくるお天気放送は不具合も生じ、だから検索モードに装いモードを探ることになる。

今年、いや温暖化という言葉が知れた以降では、ラニーニャとか、エルニーニョとか、まるでジェンダーまがいの言葉で、まさにその国の

光を表しているかのような日差しで、まぶしい。けれど気温は10度台そこそこだ。

 

こんな季節を話題にして、ときたま見かけられるシーンを思い出して会話を繋いでいた。

太陽が明るく眩しいと、きまって西洋人(アメリカの人?)は皮膚感覚が違うのか、半袖短パン姿を見かける時がある。

それも春先のまだコートが必要な時期にである。

日本人にとってはまばゆく「寒くないのかしら」と視線を送っているかもしれない。食生活と民族の違いにしても、

鍛えている人なら惚れ惚れするだろう。

と、外出先で冬の大寒波到来という最中の眩しい昼下がり、見事にも半袖姿の西洋人を見つけた。

別の場所では、冬に咲く桜を見つけて足を止め、カメラを向けている人もいた。黒い上着姿の西洋人だった。

 

 

 


辺りはまだ

2018年01月26日 14時08分00秒 | 日記

白い雪が残り、まだ寒気が居座っているのか、晴れても気温が低い。

それにしても雪とは違い、どこに行っても、周囲は男性も女性も黒い洋服に上下とも身を包み、記録したくなった。

数年前だっただろうか、ぱっと鮮やかな明るい色のコートを着た人を見つけては、心が躍ったものだった。

繊維業界は単調なのか、忙しいのか、菊池喜一郎になった心地で昨今の黒着て何示してんの?

平然とあちらでもこちらでもまっくろくろ~いくろいと、身を包んでいる。

高齢者は危ない色でもあるけれど、ご苦労な主張なのだろうか。

いやいや、日本もどこかと同じように外出時は黒いベールで、自宅に戻ればあっと驚く

カラフルモードを繰り広げているかもしれない。とやかくもなくそれぞれの家族の安泰を望むばかりである。

国の経済のことはさておいて、真っ黒経済も回っているのかもしれない。

そしてこらえ性も期限で変化するか、意味がぼやけて忘却の彼方へと。


最大級の寒気到来

2018年01月25日 17時46分13秒 | 日記

が大寒過ぎて入り込んでいるそうだ。東京でも最低気温がマイナス4度という予想もでていた。

朝起きるなり、ファンヒーターの表示板を見ると、4度とあり、「あら、これが予報の温度!私にも少しは我慢ができるだろうか、

などと起き抜けの脳をそれから切り替え、「ああ、マイナス4度だわ」と朝の支度にとりかかった。

さすがに洗面所に立っていても足元がいつもより冷える。それに昨晩の浴室では、室内暖房の時間を過ぎると、

なにやら冷気が上から入っているのに気づいたくらいだった。換気扇が働いているのだから、まだ雪を抱えた屋根は夜間に冷えきるのだろう。

 日が当たり始める頃、ベランダにやってくる鳥にも気づかなかったくらいだ。きっと雪が降った晩は、木の幹は押せ押せモードの満員御礼だろうか。

寄りそって暖かいかもしれない。 

 冷気予防のマスクをつけても温度差が発生してか、摩周湖モードで寒いやらもやいでいるやら、その上眩しいやらで、この時期の

耳は大活躍でうっとおしさもかぎりない。

それでも横断歩道を歩き始めた男性に、「あら、外国の人だわ、成人式の時にも気づいたけれど、年長者でも

多く住むようになったんだわねえ」と感心していると、再び脳の切り替えで、自然に任せたサングラスをつけ、黒い装いのシルバーだと気づいた。

 日が落ちるころ、オレンジ色の夕焼けも見えた。屋根からつたり落ちた水滴がつららになっていた。シラシドミソソと

音でもたてるかのような透き通った自然の造形物に、夕暮れの冷えを感じつつなんともほころんでいた。

2月はもっとも雪が降る季節のように思い出した。科学技術の恩恵で雪おろしの最適温度や天気も伝えられるそうだ。

凍った道を楽しむかのように渡り歩こうとするのは男性で、あまり積雪を喜べなくなった心地に、少しばかり恨めしくもあり、

つららつららと音など口ずみたく蹌踉。

 

 

 

 


今は昔 

2018年01月22日 16時30分56秒 | お知らせ

2010年09月13日 09時18分47秒 | 自由句


なあんにもわるくないじゃない、ねえ、と同意する人と電話口で放ったけれども。

放送はいかに一過性を利用してごだごだ本当に言い続けるから、家にはテレビがないと、見てないと

ことばを一般視聴者が放ったんだ。

今、放送は種々の表現物の影響による混乱回避のために、誤って利用される都市伝説の誤解と、あるべき品性を公共で伝えようとしている。

 

かもしれない。

 

高齢者社会突入で発展したことは、健康対策・働き方対策・報道や番組の編集改善改変他でもあるだろう。