for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

リュステム パシャ(娘婿)   スレイマン Ⅰ(大スレイマン)   シェザーデ(息子)

2014年09月19日 19時48分12秒 | 旅行

リュステム パシャはクロアチア出身だそうだが、幼少時に連れてこられ、コンスタンチノープルでデウシルメ(強制教育)され、出世。スレイマンⅠ(大スレイマン)の娘と結婚し、宰相に任命。大変な財(賄賂他)を築き、1563年にミマール シナンによりモスク建造が完遂。

リュステム パシャのモスクは混雑したバザーの通路にやっと見つけた入り口。建物の外に出れば、バザー沿いに繋がっている。スルタンではなかったので、敷地はなくて、財は内部装飾に費やされたとか。

スレイマニエ モスク 建物のスタイルは写真のようで、そのうちに、写真と名前の一致に自信が持てなくなってくる・・・・

スレイマンはトラブゾンに生まれ、7歳の時に母親が死去し、デウシルメ(改宗し、教育)という制度により徴用される。父、セリムⅠを継ぎ、即位。歴史家によると、若者いころから、アレクサンダーを理想としていたらしい。上記 リュステム パシャと嫁いだのは娘のミフリマ。

 
1970年、ドイツ人画家により描かれた大スレイマンと妻のフルラム(フルラムは描かれたように楽器を弾く、スラブ系ロシア人で、タタール人がロシアを荒らしていたころにさらわれ、宮廷でスレイマンに遣え、寵愛をうける)
 
氏・出生に関係なく資質を徴用していたことが分かり、古の進歩的ともとれる。これも人口・人材が財産だから自由発想だった?と!
 
アヤ ソフィアにあり、シナンが建造したハマム(浴場)は、フルラムが関わった。 ひとりで入湯するコースを選んだけれど、それだっただろうか。アヤ ソフィアの財源。
 

ここが、シェザーデ(王子)モスクだったか。

上記、ミフリマの王子 メフメットは知事在任中に21歳で死去。「選ばれた王子」という称号があったそうで、シナンが建造。

 


Fatih ファティーフ

2014年09月16日 20時26分26秒 | 旅行
 非常に広々としていたモスク。それもそのはず、聖使徒(アポロン)教会を解体して1463年から1470年に新しく造ったそうだ。いったいどのようなギリシャ正教の教会だったのでしょう。
 

 (アポロン教会であっただろう頃に聖ヨハネ クリソストモCrysostomの棺が移されたと思われる絵画)

教会は、金、カラフルな大理石、タイルではなくて、真ちゅう等が材料で、きらびやかだった。

1766年の地震により、全壊。 アヤ ソフィアができるまでは、コンスタンティノープル最大の境内面積(11ヘクタール)をほこる教会だったという。 
 1451メフメトⅡの即位式。
 
                                                 

 コーラ修道院 カーリエ博物館

2014年09月15日 16時06分55秒 | 旅行

Chora、ホーラはギリシャ語で郊外・田舎を意味し、アラビア語でカーリエ 郊外を意味するそうだ。

その時々の呼び名で混乱するけれど、美術館として運営されているかつての修道院モスク。トルコ隣国のギリシャとは本当に入り乱れた歴史事情がある。

ミカエルⅧの娘、イル汗国に嫁いだマリア パレオロギナ。チンギス汗の孫イル汗国フラグに嫁ぐはずだった(マルコポーロが海路随行員)が、フラグ死去のため、その子のアバーカーの妻となる。アバーカーはキリスト教の影響を受け、信頼厚い。が、その後汗が死去し、マリアは未亡人としてコンスタンチノープルに帰り、モンゴルのマリアと呼ばれる。モザイクには尼僧  メラニア・メラーナと刻まれる。

 

 マリア パレオロギナが身につけているような形のかぶり物女性 尼僧姿。

過去の征服者の治世の影響により、モザイク壁画のアンバランスな頭部が指摘されるが、このカーリエ博物館にも不自然な、後で付け替えたような物もあった。

 


常識? 良識? 成熟?

2014年09月15日 09時11分16秒 | 日記

比較するのは、いけないこと?

旅行から帰ると、ときどき感じる。「つくづく日本の若者は年長者に配慮が欠けるわよね。」何故だろうか?

スーツケースをひいている旅の移動中、エレベーターがない駅だった。うんとこしょどっこいしょ。2,3段降りかけた頃、後ろから若い女性が

声をかけて、荷物を下までおろしてくれた。日本の利用駅では、高齢者対策としてたいていエレベーターが設置されている。助ける必要も感じないね。

手助けの声をかけられたことは、一度もない。「座りますか」の促しもないだろう、幸いに?

台北で、シルバーシートに座っていた若いカップルの男性が、私と目を合わせるなり、すまなそうに、「座りませんか?」と合図をした。「もうすぐ降りますから、大丈夫ですよ」と、座る気もなかった。

足首保護を着用していたけれど、別の日の地下鉄の車内では、中年女性が「座りませんか?」と、かなり余裕のある、混んでいない状況で声をかけてくれた。「ありがとう」と、言葉に甘えを返した。

教育や道徳が違うのだろうか、と考えたくらいだった。 尼僧の読経も、テレビで法曹界の番組もあるし・・・

お盆直後の都内からの車内。両脇、両足をゆったりと座席に荷物と体を預けて座っている若者。眠そうに心地良いのか、旅疲れか、それとも電車に慣れていないのか、周囲からも少々ひんしゅくを買う

気配も漂っていた。 隣にたまたま座った男性は、ときたまちょっかいをくらわしている。スマホもITゲームも同時にあちこち接続させながら楽しむ若者は、きっと

夏季トレーニングにでも参加したのだろう・・・・台北の夏休みは、日本とは明らかに違うだろう・・・とは考えていたのだが、

昨日の「並んでいるんです!」の若者からの声掛け、それも券売機の前から3人目の声。私って到着したばかりで、右隣の列で2番目だったのに、「何人ぬかしで、何が腹立たしいんのよ!」と、

列乱しに間違えられた。 

決まり切った若者の投げかけ言葉に本当に驚き、がっかりした。それでも、声掛けられた方は、いったいどう返すやら。 

いやいや、短直に彼らの若さ故の固定観念情動が決まり切って働くのだろう。

高齢者ですら、ホテルからさっと荷物に手を差し伸べてくれる異国のジェントルマンシップも経験している。

もうすこし大人になりいや、っとオリンピックにかこつけて願っている。年齢、容姿など、加味すれば、優遇されるはずもないのが浴びた状況なのだろうか、と探りもする。

さあて、「並んでいるんです!」に対抗するユーモア返しは?etc でも、媚びる必要ないじゃない。

列表示や、立ち位置をマークで示せば問題なし? 

どこかに増長したり、形骸化させる片鱗もありはしないだろうか(ババアジジイと呼びかける卑下)、と訊ねたくもなる、今日は何の日。残暑もなく、動くのが気持ちよさげな祭日。

除草日和 いざ声かけしも おつかれさん、と体は応えた お湯の中

 

 


錬金術   吉田光邦

2014年09月10日 16時39分37秒 | 

錬金術あるいは錬金・練丹製法の歴史。

絵本の「錬金術」で部屋に水があふれる作品を思いだし、錬金術は、子供のための教訓的なお話と受け止めていた。

が、侮るわけにはいかない。 確かに私たちは錬金術に挑んでいたのが、本著からうかがえる。

「シ」で知ったtheriacは、本著でテリアカと表され, 解毒を意味していた。翻訳当時、げっぷとしか意味がなかった。それではまずいと、別の言葉を当てた。

今でもAbu Mansur Muwaffaqという人がわからないのに、原作者はどのような

経過でこの人に行き当たったのだろうかと、練丹を読みながら好奇心がわき起こった。

エメラルド タブレットはエメラルド表 だろうと、改めて関心がわく。J.Ruskaという人より知る。時間が経つと、情報も上がってくるだろう。

 「医心方」(日本の医書)他を初め、古今東西の錬金・練丹・使用にまつわる人の話。

著者 <地球は、宇宙から見ればほんの星クズでしかない。科学をとてつもない巨視的な、あるいは微視的な世界が開発され始めた時、

科学は再び神秘を備えた門外漢の理解をこえたものとなってきた。>と、1963年に記している。

スペースロケットの中では生物の実験もなされ、宇宙にも予約して飛行できるようになっている。

が、医科学で、 未だ、全ての症例・病の薬はできていない。

癌が発生し、このタブレットをどうぞ、と処方され、完治される日はいつだろうか。今のところ、日常のメインテナンスが処方なのかもしれない。

航空宇宙工学と、医学、果たして双方が関連し、どのように役に立ち、発展するのだろう。