つないだ 手と手 らりるるる
おしゃべり あいづちしていても
ゆるめたり くみなおしたり るうるるる
指と指とでごあいさつ
おや 指の腹でなでまわした
お洒落マニキュアこそっとね
あちらもゆるんだ くちびるが
あら、あなたんち わたしんち
ちっちゃなぺケに ゆうるんだ
どうでもないこと 絵になって
ひとりがゆるむ わたしもゆるむ
つないだ 手と手 らりるるる
おしゃべり あいづちしていても
ゆるめたり くみなおしたり るうるるる
指と指とでごあいさつ
おや 指の腹でなでまわした
お洒落マニキュアこそっとね
あちらもゆるんだ くちびるが
あら、あなたんち わたしんち
ちっちゃなぺケに ゆうるんだ
どうでもないこと 絵になって
ひとりがゆるむ わたしもゆるむ
有名だから、問題になったのかもしれないと、ひとり思った。
大枚を払う食事には、よほどでないと出かけはしないけれど、家庭で食事を用意する側からすれば、
たいていは選ぶ食材の是非や、味付け具合で満足度が違ってしまう。 ホテルの食事は、大かたが会場値段だとみなしていたから、
ごくたまに出合った食事にしても、台所感覚が働いてしまうのは長年の経験で仕方ない。
というのには、旅先で大いに楽しめるスーパーに行けば、ホテルやレストランで摂った料理はどのように作られるか想像する機会にもなるからだ。
欧州料理にしても、味付けに使われるだろうペーストも、缶詰も冷凍食品も数多く並んでいる。
けれど、買い物もしないでムードあふれる場でそれなりのコーディネートセッティングで運ばれるからこそ、原価以上の値段が付加されるのだろうと
いつもみなしていた。 ( 日本人は、どういうわけか、欧米の少しばかりの美的モードに弱いのか、迎合しがちなのか、ウンスン言わない。可愛げだと思うのは、私だけだろうか。ああ、これはひょっとしたら
文化様式の羨望混じりのコンプレックス態だろうか。はて?)
問題にしたのは、それなりに良かったけれど、日頃でも書かれた内容とかけ離れた場合、どういたしましょう、日常プライスで。
( ごぼうの入ったxxxスープとあって、注文したけれど、ひとかけらもなかったので話したことがあった。はて、どのように対応されたか、その場の
アルバイト店員の詫びぐらいだっただろう。 たいていは、責任逃れをしているように思われる。)
申し訳ありません。 本日は食材が入手困難でして・・・と言われればそれまでだ。 けれど、再び足を運ぶだろうか。
空腹満たしの軽いランチならば、これからリッツカールトンのような問題に遭遇するはずもないだろう。
レストランランチの牛肉は和牛ではないだろうし、野菜にしても、調味にしてもインスタントの恩恵になっているのだろうから。
家庭の料理がいかに優れているかを知っているのは、ほかならぬ従事者が認めるところで、リッツにも届かないのだけが、大いに惜しい。
フランクフルトの博物館ウィークに合わせてアート&クラフト市の露店が準備されていた。まだ準備段階で、特別に覗かせていただいた作品です。
人間動物だから、抱きやすい。変形して恐竜も作れそう。 残り布にカラフルな色を添えて作れそうです。 バザーにもいいかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%89%E5%B3%A0 wikiに感謝。
ターナー作品
長いタイトルで、「アンデルマット付近の悪魔の橋、サンゴッタルド峠」を見て、今地形はどのようになっているだろうか、当時の橋を渡すのもたいへんだっただろう。圧倒される。(同じ地形の他者作品Die Teufelsbrücke, 1824, Aquarell von Peter Birmann (Pierre), 1768-1844)
伊藤清忠景観デザイン・フォトライブラリーで楽しめる写真があります。
台風にせかされて 青い実のまま据えられる コブシ大4つ5つ 霜降の頃
再び台風がくるらしい。 天気が悪いから、気晴らしにと、ターナー展に出かけた。美術館に向かう進路で胸像に目がとまり、足を止めた。
上野公園の発祥となった由来の人物の事が書かれていた。 オランダの医師だそうで、身近になったのも、旅のおかげでもあるだろう、と
会った人たち、歩いた街角が写真の映像と重なってどこか足取りが軽くなっていた。
いくつか気に入った絵の番号をメモしながら鑑賞する。 水の透明さ NO.29(精アガタ修道院と牛の群れ) 見晴らしのある面白い構図 no.49( ヴァティカンから望むローマ・・)
地形の迫力 NO.51 建築物や3,4色の淡いタッチで刷いたように描くスケッチなど、それとなく情景を感じさせるスケッチは上手だと思った。長いタイトルで、「アンデルマット付近の悪魔の橋、サンゴッタルド峠」を見て、今地形はどのようになっているだろうか、当時の橋を渡すのもたいへんだっただろう。圧倒される。(帰宅して夕食を作る。
朝からどことなくテレビが騒がしそうで、応援しているのか、ガス抜きをしているのか、繋がれと告げているのか・・・そういえば、上野の館内でもご婦人の視線もあったし、レストランのスタッフも
・・・帰りの車内で外人高年男性二人の会話が耳に入った。
好天に恵まれた日、コスモスを楽しんでいる時に、「チャレンジしなくちゃいけないのよ!」とすれ違いざまに声を投げかけられたけれど、誰に向けた?
依然と世界を回る「か」電波伝播、一人のため、お互いのため? 誰のため? (そうしては、人はどこか緊張しているようにも見えるのだ。)
用があれば人に連絡するし、会釈されれば、そう返すし・・・・テレビの反応だろう、私はどこか自分を失くしてしまいそうな・・・日本にいると余計におかしな気分になってくるようでも・・
いいや、これは、周囲も同じに感じて起きている現象でもある。 黒い洋服から白になったり、個々人がメディアに遇わせているような面もあったから・・・邪模様が頒布するかと思えば、その歌まで
男女が唄っていた。これも甘Chan商売はもうかると加勢されて!まあ、操作しているのは創作剪定とぽりてぃかる編集かもかもしれませんが)
私は、今日、黒の長そでチュニックを着ていた。 この洋服を着るのは、2度目で、初めては、上海万博のあった年、学校主催の太極拳講座で、動きやすいから身に付けた。
そして、ずっと身につけなかった。 もう、テレビが示すように、 黒は「腹黒いの、ごめんなさい」メッセージとして公に受け止められるわけでもあるまい、と心理が反応したのと、少々薄寒かったためだった。
黒? あまり好きではないわ。重たいんだもの。 でも、デザインは気にいって選んだのだけれど。
北風も肌に触れ、ひと月も経つと、あちこちでくうろいコートが見かけられるだろう。 少なくとも高齢者は寂しげに見えないように、危険から守る意味でもファッションで楽しみ、楽しませてほしいものだ。
(女性は、白黒の靴で、指が五本指の靴を履いていました。おしゃれです!)