for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

もうけメールに まゆつばつけて

2012年06月30日 22時58分13秒 | 日常の発見

社会勉強と思って、しばらくビジネスの勉強とも呼ぶようなメールをときどき読んでいました。 著名人・メディアに登場した人などの講演会・ビジネスサポートという類の内容でした。 

パソコンやスマホを通じて、どんな人とでも安価に情報や声が送られて聞けます。

” 自分の目で直接見たり、聞いたりしていないじゃないの!” そう叫びながらネット社会勉強をしたつもりです。ひょっとしたら、おれおれ変形版かもしれません。

信じようが信じまいが、メールには何とでも書けます。利用もできます。

だから、うまそうな話の話題があった場合、気をつけるようにしてください。

弱みや向上心に便乗したネットお仕事もあるのではないでしょうか。 正当に収入になっているIT従事者もいるでしょうが。

メールはともかく、知ったこと

http://www.change-jp.com/consulting/overseas_advance.html  

 

 


親になった幸せ 

2012年06月28日 08時52分12秒 | シノイラニカ

F. J. ベルトゥーフ  という本を見つけた。まだ手にしていないけれど、どうして行き当たったか.......「wiki大好き!」とも放った。

新羅についてwikiを読んでいると、語源の英語版に惹かれた。 cockatriceとあってサーフィンすると、行き当たったのがベルトゥーフ 。 

読みながら、映画のロードオブリングに登場した人間が石になった映像を思い出した。

<おもしろいわねえ。これって、親になったから幅が広がったのでしょうねえ。 (それ以前に絵本の講演会に出かけたこともあったけれど。)>

西も東も畏敬の創造物は、人間にとって共通のイメージとしてあがったといえるのでしょうか。 新羅が鷄林 とも呼ばれる謂れに、この鶏龍cockatriceがあったのです。

シイラ シラギの都はソウルだったともwikiにあり・・・・・ソウルから移動中に山間に見えたお墓をちらっと見た時、あらっ!とmy映像には、飛鳥の石舞台古墳がリンクしたのです。

とあれ、新羅からBerutuchの存在に行き当たり、プリニー(プリニウス)にさかのぼり、シンラ シイラ シラギからシノイラニカにまたまた循環しています。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/490393568X/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

http://en.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Justin_Bertuch  

 外部リンクを訪問すると、ページが閲覧できます。

 

 


シンラ シイラ シラギ 日本語と韓国語そして文化への興味へ

2012年06月27日 11時12分04秒 | シノイラニカ

Sino Iranica は、とてつもなく惹きつける本になった。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/490393568X/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

お問い合わせは seiaonvwi@gmail.com

 

本を読みながら、語源の影響で惹かれた異国への旅に繋がり、それが歴ドラをへて私の中で循環し、再び綴っている。 写真は、昨年写したもので、慶州の両班の住まいに宿泊。

6月の下旬だというのに、(旧暦に沿った)端午祭 ユネスコ無形文化遺産 と記されたツアーがあったので、今回は、これが目的の旅だった。

ところが、デフレ現象化あるいは価格競争が旅行業界のツアー企画にも影響されていると、担当添乗員からも指摘をうけ、

現地では、てんやわんや気味の端午祭見物になった。 添乗員と現地係り、企画者の不備(印刷にあげる限りでは、責任をもって!)による不満と弁解を知る機会にもなってしまった。

とあれ、歴ドラの一部に登場したように、過去にシャーマニズムが息づいていた文化の痕跡を韓国 江陵の端午祭で拝見しました。

無形文化遺産になっているけれど、会場で見られたのは、祭りの初めから終わりまでではなくて、かいつまんだいくつかでした。  

http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_3_10_1_14.jsp

http://www.epochtimes.jp/jp/2009/06/html/d75858.html

この一環が見られるツアーを期待していたのです。 仮面劇・シャーマンによるお祓い儀式?・民衆のブランコ乗り等を設営会場で少しばかり見ました。

ドラマで見るような配色の綺麗な衣装の祭りを期待していたのは、乙女要素が過ぎたでしょうか。が、現地祭り実行委員の若い女性が引率し、

博物館で日本語による祭りの映像を見、会場に移動し、小さな一口よもぎ餅やお神酒をいただきました。祭りに参加する人はわずかなお米を提供し、その場で搗いて口にしたお餅になったそうです。

前回、博物館で絵ハガキを買い、今回は、その作者名を記すことができました。端午祭を描いている絵もあります。 

http://www.decoration-asie.com/wp-content/uploads/2012/06/Kim-Hong-Do.jpg 女性が髪を洗っているのは、菖蒲の葉を使った湯だそうです。

画家 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%BC%98%E9%81%93  

柔らかい線がお気に入りで、博物館では模写をしていた高齢の男性もいました。

 

配信映像が文化への関心・旅へと、繋がります。伝統芸能や文化への影響となっていることがらを知りたいです。だから、現地情報をしっかり把握して活字にして欲しい。

<日本国内の公演  http://www.koreanculture.jp/info_event_view.php?number=3439    >

 観光産業で相互協力できるのではないでしょうか。 関心を寄せ、お互いを知るきっかけになります。

 

 


燕の親

2012年06月20日 21時28分39秒 | 日常の発見

今年は、燕の到来がとても早かった。4月の半ば過ぎ頃だっただろう。

6月になって糞が増え、火曜日の18日に段ボールのトイレを捨てた。

親が巣の縁に立ち、「どうしたの、みんな無事飛べたのね」とでも言いたげにきょろきょろしていた。アジサイがピンク色になって咲き始めた朝だった。

20日は台風で、「ああ、良かった無事飛び発った。いいやそんなはずはない。燕は飛ばされてしまう。」とも考えた。

と、けれど、いつもの燕のせわしない声が耳に届いた。「どこにいたの!」

親子ともどもひとつの巣では暮らせないから他に引っ越しをしたのだろうか。何せ、つがいが造る巣に3羽も成長するのだから、手狭にはなってしまう。

我が家にやってきた燕の内、子供が成長して手狭になったのか、別の壁に巣を作ろうとしたツガイもいた。

いったいどこにいるのだろうか。 

そう言えば、金環日食の朝、鳥のさえずりが届いた。

http://www.youtube.com/watch?v=KQGzRw87wKE&feature=related  ガビチョウだったでしょう。

我が家で育った燕の新家族、その後は・・・

7月上旬、7・4 今頃でも、ときどきチチチと近くで燕がさえずると姿を探している。なんと、わが家の巣に飛び留まるではないか。どこかに引っ越しして

スウイートホームを懐かしく立ち寄るのかしらん。


緋色 スカーレット

2012年06月19日 09時22分21秒 | シノイラニカ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

ペルシャ織物から由来するとある。 当時の織物のサンプルも見たかったけれど・・・

語源を想像する楽しみに 、そしてこれから目に入るだろう歴史の痕跡を映像や旅で楽しむために

http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/490393568X/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

お問い合わせは seiaonvwi@gmail.com

色彩の歴史

 http://regalia.nir.jp/~makimaki/tips/clr_07_history.html