と、アッテナ
6月26日 交通利用(※1)に慣れて、ヨーロッパでも最大というユダヤ教のシナゴーグに出かけた。

中欧の旅では、プラハにいても、クラクフにいても、ユダヤ人のホロコーストをつぶさに浴びた旅になった。

ブダペストにあるユダヤ教寺院の展示物を見学してから外に回り、中庭を眺めながらパネルの写真を見ていた。

「私、ここにいたのです」とすぐそばにいた年長の女性が私に話しかけ、首からチェーンを手繰り寄せてペンダントを持ち上げて見せた。(過去にもユダヤ人のこうした仕草をアムステルダムで経験したことがあった。)フランスから来たという婦人は、83歳だそうだ。私も彼女に釣られて、胸に下げていた体内笛といっしょについていた奇跡のマリアのペンダントを見せて、「これ、フランスで買いました」と言った。
私が見ていたパネルは、過去の庭で殺戮が行われた写真だった。
「6歳と〇か月の時」と告げ、当時、フランスに逃げたそうだ。

どんな状況かなどとは、聞く心境にはなくて、記念だからと彼女を写真に写した。
きっと、身のすくむような当時が、走馬灯のように走り、写真を見て思わず声に漏らしたのだろう。
サラさん、生き延びて良かった。まだ貴女には貴重な時間が繋がっています。
※ 1 ブダペストの地下鉄は世界で初めて電気運転を実現 「ハプスブルグ帝国」岩崎 著