体を動かしたくなって、京都を思いついた。たくさん歩ける場所でもある。 虫こぶつきだったから、
贅沢をするつもりもないので、宿坊を探してみた。 見せてあげたい場所のひとつでもあった。何やら宿泊客でなければ入れない場所もあるらしい。
部屋は、十分広かった。 さあて、はしゃぎ勇んで、出たことばが、まくら投げ、かくれんぼう (トランプ貸出はなかったから)。
押入れやら、ふとんやら鏡台の陰と、知恵を凝らし・・・・、それでも翌朝の読教は、わからぬ限りでも、貴重な経験になっただろう。
読教の声にさまざまな個性もあり、いったいどんな話題を日頃提供して楽しむだろうか。AKBの話題をあげるだろうか・・・などと
経本がなかったので一瞬にかすめながら楽しんで創造して座っていた。 般若心経はなかった。 わからないながらも、あれば、少しは楽しめたかもしれない。
せんざあい sennzaai あれは、しぇんざい shennzaai だわよねえ、知っているのは。メロディーは同じ。 中国語? 何読み? 最後に臨座する人たちの祖先の供養と繁栄を祈ることばがあった。
「ありがとうございます」 過去から営々とこの仏像を前にして心を静め教をささげてきた人たちだ。 白い合わせの着物の上には、ひとえのウコンの衣と襟元を覆う真っ白な絹を身につけていた。
読教が終わり、お話があった。 お教よりも声はつやがあり、話しかけ方も穏やかだった。 ( ああ、日常会話よりも教に渋みが増す人もいた。音楽のようでもある。)
(お教は、声に出してこそ、感じられるのではないか、それも肉体行動だから、とは、伝えなかった自論でもある。)
永観堂では、修行期間だったようで、若い僧侶が白い薄衣のみそぎ姿で手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお題目を唱え、水を浴び、教を唱えるのに遭遇した。
その昔、ひとりで夏に来たこともあり、緑の葉が勢いを増し、気持良かったのを思い出した。 バスの車内で合った女性に誘われて一緒に食事をしたものだった。まだ道路事情も改善されていなかった。
柱には虫食いもあったり、建築物を裏側から調べている従事者もいた。
日本文化芸能のひとつでもある、派を存続する付加価値でもあるかのような決まりごとも宗教界にはあるように思われた。
京都は男性支配下文化の歴史が影響しているのだろうか、と、勝手に思った。 出合った女性・婦人の気さくなおしゃべりが、痛快だった。(同性同士は、あけすけなのでしょうか)
京おんな イメージにもまして ストレートかつ優し
ただ、参拝者には、せんざあい せんざあい 佳きかな善きかな と 心がとろけるような甘露が届けられば幸いである。
山門をかけめぐり 鬼ごっこしては 絶景かなと 見返り拝礼