ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

アメリカが民主主義の国とは聞いてあきれる

2004年11月09日 | 徒然なるまま(日々雑事)
米に唯一の黒人上院議員誕生=将来の民主党大統領候補? (時事通信) - goo ニュース



米上院に黒人議員が登場するのは過去150年でわずか3人目。オバマ氏はカリスマ性があり、将来、民主党の指導的地位に就く可能性が大きいと見られている。民主党の大統領候補にすらなり得るとの見方もある。

だそうです。
華氏911を見た方はご存知だと思いますが、、いかに黒人の選挙権が剥奪されたかを下院議会で問題にしようとしても
「下院で扱う議案は上院議員一人のサインが必要である。」
とのルールのもとで、上院議員が誰一人サインしなかったために、その問題は各黒人議員の演説だけで終わっていましいました。

あの国の本質はWASPのためのパラダイスであって、アメリカンドリームもWASP
たちのためにだけ存在している側面が大きいと思います。

日本でもITバブルの時に、ベンチャーバブルに乗りたい若者(坊や)たちと会話していると

ベンチャーバカ:「アメリカは誰にも成功のチャンスがあるんです!!」
と力説していたので、
猫:「なるほど、誰にでもチャンスがあるなら、一人か、二人、ベンチャーの黒人社長の名前を教えてくれないかな?あれほどアメリカ社会で貪欲に成功に餓えている黒人たちなら、何人も社長になってもおかしくないよね?」
ベンチャーバカ:「・・・・・・うみゅ」
な状況でした。無邪気に流行の言葉に踊っても、その実情を深く考えようとしなかったんでしょうね。

当時は就職系のMLやサイトでも、「大企業にいくのと、ベンチャーに行くのはどちらが成功への近道か?」なんて社会経験の無い人たちが必死で論議していましたが、寺島さんの本でも読め!!ですね。
(不思議と、ベンチャー就職にあこがれるのは東大とかの国公立の学生ではなくて早稲田・慶応をはじめとする私立学生が多かったようですが、なぜ??)

日本にしろ、アメリカにしろ社会のチャンスは誰にでも、といことはないのです。
日本でもすぐれたベンチャー企業はいくつかありますが、やはり知力と良いビジネスをするのだという信念と資金調達力が必要です。
(松井証券や楽天には信念を感じますが、ソフトバンクはキャッシュ以外の価値はないように見えます)

だいたい、アメリカのように大学に行くために貧困層がGI Billをあてにして、戦地へ行かないと大学へ進学できないような国が、「誰にでも平等にチャンスのある民主的な国」だなんてまったく思えません。


誰にでもチャンスがある国
民主的な国

この言葉が真実であるためには、白人どもが誰にでもの誰に黒人を含んでいない
と考えないことにはつじつまがあわないんですよね。
上院議員にもベンチャー社長にも大学の教授にも黒人がいなくても 誰にでもチャンスのある国ですか
はぁ・・・それを信じているとしたら、あまりに幼稚な世界観ですよね。

ところで、ITバブルの頃に、誰にでもある可能性を求めてぱっと出ベンチャー企業へ行った人たちは今頃どうしているんでしょう?

だいたい、人が作ったベンチャー企業にあとから入っても、おいしいところは創業メンバーで持って行っちゃうと思うのですが・・・・

まぁ、朝日新聞も北朝鮮を「この世の楽園」と称していたわけですし、人がいう「隣の芝生は青い」
なんて信じないことだと思います。
なにしろ、どんな社会にしろ「無条件に人を幸せにしてあげる社会」なんてありっこないのですから。

コンピューターエンジニアの知識はすぐに陳腐化するか?

2004年11月09日 | IT・情報化・コンサルティング
こんばんわ。

最近、コメントをお返しできていないのに、新しい記事を書くのは恐縮なのですが、
記事を書いていないのに見に来てくださる方が、結構いらっしゃることに驚いて、
申し訳ないので記事だけでも書こうと思いました。
(書きたいネタも山ほどあるのです

世間ではIT業界に住むエンジニアの技術は、新しい技術が出てくるから陳腐化が凄く早い
といわれています。
しかし、本当でしょうか?

たしかに、流行の三文字言葉など、ERP,CRM,ASPなどなど出てきては消えるものが多数あるので技術というか知識の陳腐化は早いかも。(まぁ、ERPなんて10年前のBPRやSCMをほとぼりがさめた頃に、当時の新人コンサルが、偉くなって焼きなおして持ってきただけに見えたりして・・・)

しかし、最近流行のLinuxは基本的にはUNIXのクローンですよね。
UNIXには定義がいろいろありますが、まぁ、LinuxもUNIXの知識が流用できることにはそんなに異論はないんじゃないかと思います。

さて、そのUNIXですが商用の歴史は1980年代前半から続いていますし、今でもその技術は
現役でインターネット上のサーバーとして運用されているように脈々と続いています。

日本でも1990年にはUNIXは普通に大学などでは使われていましたし、当然、システム部門でも使われていました。

また、最近はネットワークエンジニアが人気のようですが、TCP/IPの歴史ももう20年以上の歴史があります。

もちろん技術的な発展はありましたが、基本的な思想は脈々と続いてきています。
私の少ない経験でもこの10年間で本当に基本的な知識として必要なものはそんなに変わっていないように思います。
IPv6がユビキタスなどのキーワードでもてはやされていますが、この理解も現行のIPv4の知識があればすぐに理解できるでしょう。

で、何がいいたいかというと、そんなに技術って劇的に変化していないのではないか?
ということです。
こと、自分が仕事のベースにしているUNIX,Linux系やIPネットワークでは、10年前に書かれた本が参考になりますしプロジェクトマネージメントでも人月の神話などIBMにおいてOS/360メインフレーム用のオペレーティングシステム開発マネジャーを経験した際の知識を基にしていますが、原著は30年前に書かれています。

でも、今でも名著だと言われているんですよね。

UNIX系の開発言語のC言語ももう1978年に書かれた
The C Programming Language”, Prentice-Hall, 1978
という本が、バイブルとされていますし、私も20歳に読みましたが、読んでから10年たっても、今でも十分に通用すると思います。
というより、これ以上の本があるでしょうか?(これより簡単な本は山ほどあります)

技術革新が早いからと言われますが、どうも、業界として若い人間を安くこき使いたい人々と、転職市場を活性化させたい企業の人々が
「技術が陳腐化するから」
といっているように思えてなりません。

日本では技術者を管理職にしないスペシャリストとして、管理職級の処遇をする仕組みがないので、年配のエンジニアに適切な処遇もできませんし、長く、技術が通じることにしておきたくないにおいも感じます。
あとは、単価が高くなるならSEなどの仕事で稼いでこいということもあるのでしょう。

いずれにしても、業界の常識を疑ってい見るのもいいのではないかと思います。

小手先のテクニックは時間と共に変化するかもしれません。
しかし、エンジニアとしての根幹を流れる哲学はそうそうかわるものではありません。

ただし、マイクロソフトに魂を売り渡してしまったエンジニアはとても苦労して、すぐに知識が陳腐化するようです。
たぶん、知識が陳腐化するのは、Windows系の開発者の人たちのことなのでしょう。
(.NETってなによ? ですな。)


一度、エンジニアの方々は冷静に技術が陳腐化しているのか考えてみて欲しいと思います。
私には、マスコミや転職会社などの技術をご存知で無い方の主張のように思えます。
(くどいようですが、Windowsの知識に関しては、陳腐化は猛烈に速いように思います。)

おやすみなさい。

献血と多忙につき・・・

2004年11月08日 | 徒然なるまま(日々雑事)
日曜日はやっと献血に行ってきました。
スケジュールを見ると、日曜日にいかないと!!と思い立ち吉祥寺へ行ってきました。

予想以上に混んでいましたし、若い人も(私も若いが)多く、キャピキャピした人たちも結構いました。(私はキャピキャピほど若くは無いが・・

まだまだ、相互の助け合いの心は若い人にも生きているようだし、この国は舵取りさえまちがわなければ、まだ大丈夫になる余地は十分にあるよ って思いました。
成分献血だったので、あまり体には負担は無いはずだったのですが、とにかく行く前にも昼寝していたほどの過労状態だったようで、帰ってきてから眠り、大学の予習中に眠り、月曜日も眠り続け、すごい量眠ってしまいました。

先週無理して頑張った分は全部、睡眠で帳尻を合わせられてしまったようです。

そんな状況で少々多忙につき、いただいたコメントなどへの返信が遅れてしまいますがご容赦ください。

光回線化を阻害するのは誰か?

2004年11月05日 | IT・情報化・コンサルティング
NTT、光回線を大幅増へ 2010年までに3000万回線移行

NTTは光回線を家庭に引き込むFTTHを2010年までに本格的に実行するつもりのようです。
しかし、NTTはこれの実現のために、回線開放義務の見直しを求めると思われます。

回線開放義務とは、光回線に空きがあれば、他社にも自分のユーザと同じ額で貸し出しなさい。
という義務です。

この議論は日経BPの東西NTTの光ファイバ開放義務は是か非かにわかりやすい解説がなされています。

しかし、NTTからしてみれば、僻地など情報弱者が生まれやすいところでは、他社も参入してこず、都市部など利益の出るところだけは、他社が参入してきて、自社のインフラを安く貸せと言われ、どこでも利益が出ない。というADSLと同じ状況が生まれるのは目に見えており、現状の義務緩和を求めるのは当然かと思います。

インフラでも、水道管もガス管も電車の線路も高速道路も他社に貸し出す「義務」などないのに、回線だけは開放義務という異常な義務を貸しています。
この開放義務、ITバブルの時にアメリカが自国の通信会社を日本で設けさせようと、無理やりに日本に呑ませた感のある法ですが、当のアメリカは資本が半数以上外国の通信会社の営業を「国防上の理由」で禁止していますし、あまり正当性のあるものではないでしょう。

いい加減に他人のふんどしで勝負をする人を、「新規ビジネス」だというのはやめましょう。
同じサービスをNTTよりも1円安く提供すれば客がつくだろうというのは、業界を疲弊させるだけで、イノベーションとは程遠いものです。
基本的に今の通信会社の開放を利用したものは、安く貸せ!!とたかりのビジネスでしかありません。(音声系の開放など、借りている連中が決めたルール(長期増分費用モデル)どおりに算定したら、通信量減少で利用料が上がってしまったら、無法だ、違法だ、と騒ぎ出す始末。)

光回線をひけるのはNTTだけでなく、電力会社も既にNTT以上の回線長を持っていますが、彼らに開放義務はありません。またIP系のインフラであるCATVにも開放義務はありません。

NTT以外に民間企業が自社のためにリスクを承知で投資したものを、他社にも安く使わせるなんてことはありえません。
日本の将来のためにも、まっとうな競争ができて、ビジネスとして、投資とリスクとリターンのバランスの取れた、十分に投資するインセンティブに見合うビジネスになるような政策をとってもらいたいものです。
その上で、ソフトバンクが投資したければ、投資すればいいし、電力系も投資すればいい、もちろんNTTも。
NTTだけに線を引かせて、安定したインフラとして離島や田舎の投資をためらわせ、儲けがでないゼロサムゲームになるまで、買い叩き続けるって、誰がいったい得をするのでしょうか?

香田さん家族を傷つける書き込み 人でなしの所業だよなぁ・・

2004年11月05日 | 徒然なるまま(日々雑事)
掲示板に香田さん遺体画像、法務省が削除要請 (読売新聞) - goo ニュース

「犯行グループがイスラム系ウェブサイトを通じて流した香田さんの画像とともに、香田さんの家族の感情を傷つける書き込みを確認。」

今回の香田さんのご家族、国民感情にも凄く気を使っていらっしゃるし、香田さんもむごい殺され方をしていて、とても不憫に思えるのですが、どうして、さらに追い討ちをかけるようなことをするのでしょう。

(以前の三バカの家族相手になら、無事に帰ってきたし、テレビ画面で国民相手にケンカを売っていたし、まぁ、気持ちもわからないではないですが)

そりゃ一億人もいれば、頭のおかしい人もいるでしょう。
統計的には分布するんだから、正常じゃない人がいるのは仕方ないかもしれない。
しかし、やっぱり許せないよなぁ。

いったい、そういう悪行をする奴は自分は何様だと思っているのだろう?
人が死ぬのは悲しいし、それが日本人ならなおさらだ。
人が死んで、その人の死をあざわらう同胞がいることも悲しい。

今回の事件だって、多様な考え方があるのはいい。
でも人が死んだらやっぱり家族をいたわるぐらいの優しさは持とうよ。

さて、寝ます。
明日もいい日でありますように。

そして、香田さんが成仏できて、家族の方に一日も早く少しでも平穏な日々が戻りますように

モラルの低下と就職難と君が代とその他

2004年11月04日 | 政治・経済・社会現象
今の左翼色の強い教育では、権利や自由を重んじますが、それに対する義務や役割や抑制といった大人としての側面を教えることは少ないように思います。

○○をすると内申点に響くぞ!!
という教員は、
「君は大人だから○○は××だから、してはいけない。」と叱れずに、「管理教育」をしているだけです。
点数を持ち出せないと、説教もできないような似非教育者が跋扈する中では、学校教育で公人として生きていくための教育は望むべくもありません。

そういう世間での点数や損得でものをはかり、さらに、権利や自由を吹き込まれた人たちはどうなるのか?
就職活動を見ていても思うのですが、
「自分が好きな仕事をしなさい」
というように、まさに権利と自由の発想。
あなたは成功して幸せになりなさい、というメッセージが多いですよね。

しかし、
「自分が社会から受けた恩恵を返すにはどうしたらいいか?」
という発想はあまり出てこないようです。

たとえば、自分が子供が好きだから、教員は終身雇用で安定して女性も働きやすいからという教員と、将来を担う人間を育てたい、という教員では、志の点で天と地の開きがあります。
(そして、異常な教育現場はそういう志のある人がすごく生きにくい社会であることも理解しています)


君が代を否定する人もいますが、仮に卒業式で君が代を歌わなくても、
子供たちが、「自分たちに教育を施してくれた平和な社会に感謝する気持ち」は他の手段で育てなければいけません。
しかし左翼教員たちによって学校教育で国家を否定された子供たちはどうやって、公人として振舞う準備をするのでしょうか?

そんな戦後教育と、社会の世論形成を続けてきた結果、
政治・企業のトップから末端まで、私欲を主張するオンパレードです。
力あるものの一部は汚職をし、力ないもの一部はフリーターやニートが楽でいい、と言い出す時代。

そうした短小軽薄な世の中では、大儀や自己犠牲や社会貢献といったものは軽視されがちです。
しかも、「成功しろ」と、個人をまくしたてる時代では、金という価値ばかりが重んじられます。

青臭いかもしれませんが、松下幸之助が目指した「成功」と、今の社会で「成功者」と言われる人たちの成功は全然違うように思います。

水道哲学で、日本の普通の人々が水道を使うように家電を使えるようにすることを成功とした松下幸之助、
欲にまみれた投資家や世間をだましてでも一攫千金を目指した、ぱっと出ベンチャーや顧客を騙してでも儲けようとするコンサルたち。

生きにくい世の中だからこそ、自分が何をしたいか、ではなく、自分が(世の)ために何ができるか。
と考えて欲しいなと思います。
君が代を歌わないと軽いファッションで言った少年たちは、自分ひとりの力で大きくなったつもりでいるのでしょうか?

もし反戦思想ゆえに君が代を歌わないと言ったとして、その彼らは自分を育ててくれた平和な社会に対してどうやって敬意を払うのでしょうか?

国を憂いて批判することと、単なる評論家に成り下がることはまったくことなります。
前者には、良くしたいという志があり、後者には自分を良く見せたいという欲望しかありません。

私もいつかは国を憂いて何かを成せる人間になりたい。と思います。

個人的には、かものはしプロジェクトのように大志をもった若者たちの今後の活動に期待しています

文系の人のIT就職 やっぱり辛口

2004年11月03日 | IT・情報化・コンサルティング
文系のSEについて当blogのお得意様のbird氏が書かれていたので、ちょっと思うことを。

TB先でいわく、
「先日、我が大学のチュータのある先生に、就職活動のことで相談にいった。そこで、「なぜ、SEに文系が多いのか?」って聞いたら、返答は「彼らは、いわば文系の中では「負け組み」です。」とのことだ。なぜならば、文系の場合の勝ちパターンは、「国一、弁護士・司法書士・金融・損保・商社・・・」ってことで、そこにもれた人間が、ほかに行くところがないので、SEに来る。まさか、文系の人間にハードウェア等の設計は、無理だし、パソコンなら、何とかなる、って考えているとのことだ。

勝ち組が人口の数%しかいないなら、このチューターの仰るとおりでしょうね。
しかし、法学部を出て弁護士になれる人なんて本当に1%程度以下だと思われるので、それ以外は負け組みだというチューターって、25歳ぐらいでドクターを取った超エリートなのかと思ってしまったりして

ただ、後半についてはその通りだと思います。
自分も業界が長いと、輸入品のセキュリティデバイスのSEをやっていてマニュアルの翻訳やレクチャーまでこなす、文系女性や、芸術系出身のIBMのR&Dスタッフの女性なんて方とも話をしたりしたので、一部に例外はあるということは重々承知の上で、
「文系のIT系の人って何のプロなの?」と営業支店にいたときには思いました。
優秀な人材はどこの企業も中央本社に集めるので、自社も他社もあまりできるリソースではない人たちが多かったからだと思うので、ある程度は間引いて読んでください。

見てきたダメ営業の例:(他社含む)

・自分が文系で営業職だということで、技術はSEに聞けばいいと、技術の勉強しないし、業界での常識でもわからないと顧客にも平気で言う。(プロ意識の無いバカ)

・理系の範囲ではない分野、たとえば顧客の会社の数年の営業収支や投資余力など案件に関わることについて把握しているかというと、そうではない。(自分の範囲を広げようとしないバカ)

・提案で、ERPなどの業務改善系のシステムをやりたがるが、投資対効果で、「この投資金額を回収するのにかかると思われる年数はどれくらい?」と僕が聞くと、「考えてませんでした」これもよくわからないらしい(もはや自分が何を提案しているかすら理解できていないバカ)

・システムなどに不具合があったときに、営業がかけつけるとお客が「まぁ仕方ないね。○○さんに免じて今回は多めに見よう」なんて関係をつくっているかというと、そうでもないケースもあり。(通常の営業のプロでもなし)

無論、IT系にありがちな、「会計システムを提案できるほどの会計のプロです」、という営業も稀有でしたね。

で、結局、おまえらは何のプロなのか?と。

理系のSEであれば、技術のプロとして自己のアイデンティティを磨けばいいのですが、文系の場合はそういう場所を見つけにくいのかもしれません。
文系がコンサル系に行くとしても、システムのわからないコン猿なんて、猿以下の仕事しかしないですし、
接待要員として文系を雇うというほど、接待で案件がとれるわけでもなく、顧客とのパイプ作りのために正社員として営業を大量にかかえるような時代はそろそろ終焉するでしょう。
だいたい技術のわからない人と、億単位の案件の話をする覚悟のあるシステム部門なんてこの世にないでしょう。

競争が激化する中では、文理とわず、非技術畑としてIT業界でやっていこうと思うなら、基本情報ぐらいの知識レベルを入社後三年以内程度で取得するぐらいに知識を蓄えて(試験勉強無しで受かる程度に業務で知識を蓄える)自らがITシステムとして構築したい分野の業界動向やビジネスについて理解し、というなら、十分に優秀な営業マンになれると思います。

IT業界で就職活動をする人は IT業界で具体的にどういう仕事をしたいのか、さらに突っ込んで考えて欲しいなって思います。

お客のいったことを後方部隊のSEに伝えるだけなら、内容を理解できずに情報が欠落してしまう文系営業より、テープレコーダーの方が優秀です。
そういうレベルの営業マンもけっこういるんですよね。

結局、あなたがいることの付加価値はなんですか?という問いに答えられるだけの文系SEってあまり見ませんでした。
逆に、そういう問いがあったときに
「私の付加価値は○○です」と答えられる人が増えてくると、この業界もより良くなるだろうと思います。

まぁ、別の業界も同様ですけどね。(ファイナンスのわからない現場の銀行マンなど、別に他の業界にもいますよね?)

雑事 (英語)

2004年11月02日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
私の通っているMBAは一応和製とはいっても、正規の大学院教育なので私が通っているビジネススクールでは普通に英語の論文も読みます。

しかし、私は英語がすごーーーーーーーーーーーーく 苦手です。
センター試験を受けると予備校がセンターリサーチで偏差値をだしてくれるのですが、
なんと偏差値40でした。
全国平均138点の英語の試験でなんと103点。

こんな偏差値で旧帝大に入ったのは私ぐらいだろうと思っています。
少なくとも旧帝大の下位1%以内に入っている自身があります。

さらに入社時に受けたTOIECでも220点という点数を叩き出し、まわりの人たちに安心をプレゼントしてしまいました。

そんな英語も整体にいって脳みそがまともになってからは、随分とましになって、
海外一人旅もどうにかこなせて、TOIECもスコアは倍以上にはなったのですが(元が低いから)
やっぱり英語で社会学の論文読んでも全然わかりません。
普段読んでいる技術系の英語と違って抽象度が高すぎです。

ほんと、海外のMBAを取りに行く人の語学力には脱帽です。

僕はこれからサイゼリアで英語と格闘してきます。
これでガストとサイゼリアのローテーションで5日目です。

疲労こんばい気味。仕事の裁量が非常に大きい私はかなり楽している部分もありますが、
普通に業務をこなしているクラスメイトたちは凄いなって思います。

君が代問題Ⅱ 共産党や日教組は教育現場では黙れ。

2004年11月02日 | 政治・経済・社会現象
コメントを頂いていたのですが、個別に返答すると長くなりそうなので、
ひとつblog記事にしてしまいました。

私の思想的な立ち位置は、保守的な立場ですが、中道的といったほうが合うように思います。
大学一年生の時は、民青や革マルあたりからも家まで熱烈な勧誘を受けるような、
左翼思想の持ち主でしたが、話をしていて
「こいつらアホだ。つきあいきれん」
と思って、左派には見切りをつけました。その後は社会党支持ぐらいを経て、いまでは、
支持政党なくて困ったなという状況です。
石原慎太郎の著書も読みますし、。Days Japan写真ジャーナリズムの左派メディアの雑誌も、発行にあたり定期購読数が一定以上必要との事だったので、定期購読をしています。
こういう平和や人権を守るために、全てをかけているような人には、敬意を払っていますし、
だからこそ、設立時にわずかながらですが、定期購読もしました。

背景には、そういう覚悟のある自らが写真を撮りに行くジャーナリズムと
自分の職場でぬくぬくと安泰な教員生活を送りながら、吼えることだけはやたらとでかい人間として幼稚な人々の主張は当然区別されるべきだと思っています。
当然保守論壇ではもアメリカのいいなりになるような犬もいるわけで、とにかく言う事がでかいし、先導したがるくせに自らは安泰な場所にいるという卑怯者たちが嫌いなので、左派だから批判しているわけではないというスタンスだけは明確にお伝えしたいと思います。

さて、君が代に国民のコンセンサスがないという話ですが、
オリンピックやサッカーの試合での「君が代」にクレームがつかない以上、
君が代を世界的に日本の国歌だとしても問題がないように思います。
朝日の社説で「オリンピックでの君が代斉唱をやめて、アジアに土下座しよう」
なんて書いてあるのを見たことも聞いたことも無いので、コンセンサスはあるのだと思います。

また、一部に反対論者がいても、「半数以上が君が代を支持していて」、かつ、
「具体的な代替案が無い」状況では、君が代を国歌として運用する以外に方法はないでしょう。
解決やアクションプランの無い状態で、好き勝手に吼えさせているいまの状況は過激な左翼のごね得になっています。

さて、本題に戻すと、
たかだか現場の教員ごときが、自己の判断で「共産思想教育」を現場で行う権利などない
と思っています。
私の学校の日教組の奴だった担任は、自分の授業でプロレタリア映画を見せていましたが、
現場の判断で特定の思想教育をする権利なんて無いと思います。
これこそ、子供を洗脳してやろうという共産党員たちの策略であり、子供の学ぶ権利を蹂躙するものです。
子供は可能な限り良質の教育を受けられることが望ましい。
(まぁ、共産や朝日からすれば、インテリの大人は相手にしてくれないので、無垢な子供を洗脳する方が容易だと思っていて学校に固執するのは戦略として理解できますが、非常に不愉快です)


上で、教員をたかだか現場と言ったのは、たとえ学校で事件があっても、校長あたりが表に立ってきて、
関係した教員がでてこないように、社会的には「責任能力なし」のポジションだとして扱われているからです。すなわち判断をする立場ではないということです。

また、石原氏は明らかに保守論者ですが、彼は正当な選挙によって圧倒的な支持の下で都知事の業務に携わっており、行政のトップとして、都民に一定水準の教育を提供する「義務」を負っています。
また、都知事の行いが真に不当で正義にかなわないのであれば、都議会が
「都の教育機関での君が代を禁止する法案」を策定して立法すればよいのです。
民主的な手続きにのっとらずに、テロ的に好き勝手やってやろうって、民主主義をうたう左翼のやることですかね。まったく

私が、前のblogで共産学園や姉妹校の朝日学園を作って好きなだけ、共産教育をしろといっていたのは、
そういう看板であれば、保護者も本人も一応、学校の教育方針に納得していると言えるからです。

私が子供をもったとして、公立学校にいかせると、運が悪いと、子供が学校で共産思想を叩き込まれてくるという状況は非常に困ります。
自分の子供にとってはかけがえの無い一年であり、そういう時期に狂信者の餌食にされるのは困るのです。
教育内容が違法状態であると抗議をしても、組合に守られた教員は痛くも痒くもないでしょうし、
当の本人は末端の一教員ですから、矢面にでてくることは絶対にないでしょう。
せいぜい校長が事実関係を調査するというだけでしょうね。
(末端の公務員が矢面にたつことなどないのが、日本の行政の運用のしかたのようです)
ですから、好き勝手をした教員が、「責任」を問われることが無い以上、
ですから、責任能力の無い人間に自己判断などされては困るのです。

また、下手に問題にすると子供がわに報復されかねません。
保護者側が泣き寝入りする状況が容易に想像つく以上、学校教育において、たかだか教員の
裁量などで、好きな思想で好き勝手にしていいですよ。などと認めるわけにはいきません。

それは左翼だけでなく、学校で皇国思想を教えられても困ると思っていますし、
学校の音楽で軍艦マーチを教えられても困ります。
また、クリスチャンの教師に進化論は神への冒涜だと言われても困るわけです。

ですから、公立学校では、一定の事前に許可された範囲での教育を行って欲しいし、
特殊な教育理念がある場合にはそれを掲げた学校法人を作るべきなのです。

ということで、
君が代を国歌とすることに、コンセンサスはある。
教員に自己決定権はない
と結論したいと思いますし、
行政において責任能力があるというのは、都知事のように「免職」される手続きが明確化されている人たちや大衆の問いに対して答える立場にある人たちのことですから、現場の判断 で教育内容を大幅に変更することは認められべきではないと思います。

再度、反論、ご意見をいただけると嬉しく思います。
よろしくお願いいたします。

過激な文面 (教師は君が代を歌え!! 生徒は好きにさせよう!!)

2004年11月01日 | 政治・経済・社会現象
石原知事「強制じゃない」 君が代問題の都教委対応 (共同通信) - goo ニュース

石原都知事の言っていることが正論だと思うな。
かなりこの問題では腹を立てているので、文章も雑ですがご容赦下さい。

問題が意図的にすりかえられている気がするのですが、
「公務員である教員が、職務中に行事に参加するのは当然」ですよね。
自衛隊員や警察官が、国旗掲揚のときに反対運動していたら変だと思いませんか?
教師だから好きにしていいなんて、明らかに思い上がっています。
外務省の役人が「国旗が嫌いだからパスポートは見たくない」とか言っていたら、あきれませんか?
教員だけはそんなに偉いんですかね?(どっちかっていうと、公務員社会の底辺だと思うのですが)

一般市民が学校行事から君が代・国旗を無くそうとしているなら、まぁわからないではないし、
政治として論議することは自由だし、奨励されるべきです。

しかし、反対しているのは共産系の組合員(日教組)の人たちであり、総論としての反対ではありません。
そういう一部の過激派の話を、いちいち相手にするのもバカらしいと思うのですが。
そんなに卒業式の内容がいやなら、堂々と年休を取って、「私人」として卒業式に参加していればいいと思いますが、そういうささやかな覚悟もなく、自虐史観的イデオロギーの騒ぎをしたいだけなのだと思います。

無論、一般生徒が歌いたくないと言っているなら、それは尊重されるべきでしょう。
各自の心情に従って好きにすればいい。
学生は権利として行事に参加しているが、教員は義務として行事に参加しているのです。
そういう当たり前の認識すらもてない共産系の教員が「俺は歌いたくないから歌わない」って、
「おまえ、仕事なんだからちゃんとやれ」って思うわけです。

教職員って、学生からそのまま教員になってしまって、学校という組織しか知らない人間たちが教師をやっているので、世間で「仕事をする」という感覚と逸脱した連中も教師をやっているわけです。
まともな人も無論たくさんいますし、だからこそ学校が運営できているのですが、まともじゃない人の集まりの主張をいちいち大事に扱うメディアの方がおかしいと思うのですが、いかがでしょう。

僕は成人式の時には良心に基づき、国旗掲揚のときには着席したままでしたが、別に罰則ありませんでしたよ。
それが普通の反応であって、成人式に参加している「公務員」が歌わなかったらやっぱりおかしいですよね。

また、日本では共産系・社民系の組合が強いところでは、
「君が代を歌う自由」がありません。
行事の中に君が代斉唱をいれようとして、共産党系(日教組)や解放同盟に自殺に追い込まれた広島の校長の話に見られるように、学校現場で歌う自由がないところなんて多数あります。

自由というのは学生の自己決定権のことであるはずで、学校行事から君が代と国旗を抹殺しようとしている連中の「自由」なんて論議に値しないと思いますがいかがでしょう?
日本では歌う自由よりも歌わない自由の方が強い。ように思います。

そして、歌いたくないといっているのは、一部の教師であって、生徒達ではないのが問題の根幹にあると思います。

一部の教師やイデオロギーを持った人たちで
「学校法人共産学園」とか「学校法人朝日学園」を作って、そこで好きなだけ君が代や国旗のないイベントをやっていればいいと思います。
公務員ではないのだから、都知事もとやかく言わないでしょうし、僕もとやかくいいません。
でも、学生はこないだろうなぁ。教員は結構あつまりそうだし、朝日新聞の紙面で「この世の楽園」とか「自由の学園」と書かれそうだけどw。

イラク戦争に反対するアメリカ教師が星条旗を破りしてたなんて話は聞かないし、中国や北朝鮮あたりで国旗不掲揚って重罪な気がするのですが、学校行事で国旗・国家を行わない「権利」を明記している国なんてあるのですか? >> 共産系・朝日新聞系の人
自国の国家を歌わない権利を尊重する国家 というものを私は知らない。
であれば、今の日本は異常だといってもいいだろう。
戦争をしたから?世界でこの百年間で戦争をしていない国があるなら教えて欲しい。

他国の国旗に対する損傷などは、相手国への非常な侮辱とされている。
なぜ自国の国旗を自ら侮辱することが、「自由」なのだろうか?
国民としてのアイデンティティを問うような自由というのは全身全霊をかけて行うものである。
彼ら(左翼の一部)のように社会において信念や理念をつらぬくことがいかに困難で代価の大きいものかを感じられないような学校しか知らない人間がとやかくいうような軽い問題ではない。
日本国のパスポートを使わない、海外で拉致されても自衛隊のヘリで救出されるなら死を選ぶほうがまし、そういう覚悟が欲しいけど、別に、サッカーの試合会場で「君が代反対!!」とやるほどの根性ももちあわせていないのだろうと思うわけです。

そういう、社会での理念ということの重さも理解できないで、差別だ、差別だ、訴訟だ!! とやっているような幼稚な精神がいう良心というのは、私にとって信頼に足りないわけです。
とっとと公務員としての教師をやめて、自らの教育理念に賛同する人々を集めて、あなたが「正しい」と思うことをやればいい。
しかし、それそしないで、左翼は子供じみた論議を続けているよなって思います。

自国の国歌を歌うか歌わないかで訴訟をしているなんて、世界に対して恥ずかしくないんですかね?
チベット人を虐殺している中国もイラク人虐殺しているアメリカ人も、チェチェンその他を虐殺しているロシア人も自国の国旗も国歌も使わない自由と権利なんていわないぞ、たぶん。
(アメリカのように州立学校でダーウィンの進化論を教えてはならない!!と訴訟をしているのと同レベルで恥ずかしいと思う)

補足:
google様に「君が代 広島 自殺 校長」あたりでキーワードを入れて検索してみてください。
君が代反対を訴えている人たちのほうが狂信的だと思えてくると思います。

異論反論お待ちしております。