野に還る

ペンタックスをザックに
野山に花や鳥、虫たちを追う。
身を土に返すまでのほんの一時
さあ野遊びの時間の始まりだ。

18切符福島紀行3

2016-12-31 14:23:04 | 旅行

  5年前の豪雨以来、不通になっている只見線の只見→会津川口間は

一日7本の代行バスが運行されている。私が乗ったのは9時25分発のバス。

同乗者は日曜日にもかかわらず3人、運転しているのはとても親切な女性運転手だった。

50分ほど雪道を走って会津川口駅に着いた。

 

 このバスは、2時間20分待たないと会津若松行きに乗れない。そこで親切な運転手さんに10分ほど

戻ったところにある湯倉温泉という共同浴場を紹介してもらった

 

 バス停から只見川の対岸に共同浴場の建物(左側)が見える。

 

橋を渡っていると、急にマヒワの大群が飛び立った。

 

 

バス停から5分ほどで共同浴場へ。

 

先客は地元の人3人。話によると、近辺にはたくさんの共同浴場があるが、冬は泉温の高いこの湯倉温泉に

来ることが多いという。ここで会津川口駅で買った弁当(駅の近くのおふくろ食堂で作った巻きずし風の

トンカツ弁当でとてもうまかった)と栄川のカップ酒で、眼下を流れる只見川を見ながら時間を過ごした。

 

 再びバスで会津川口駅に戻った。

 

ホームのすぐ近くを只見川が流れている。

 

 ここからはほぼ2時間乗って会津若松へ。

若松からは磐越西線に乗り郡山に着いたのは16時20分だった。

 この日は郡山に泊まり、昔からの知人達と旧交を温め旨い酒を飲んだ。

翌朝は7時14分発の水郡線に乗った。

常陸大子駅どまりだったので40分ほど待つ間に町を散策することにした。

 短い時間だったが昭和の面影が色濃く残る町並みを堪能できた。

 

 

 以前は店屋だったと思われる家が多い。

 

 

 街かど美術館とある。

 

小さい建物なのに柱がとても太い。

 

 

 しもた屋となって年月がたち、今では何屋だったのか判然としない。

 

 

 

 

 

 速算学会とはそろばん教室のことのようだ。

 

 

 

 

 夜、裸電灯の下を歩いていたら、昭和の時代にタイムスリップしてしまえそうだ。

 

 

僅か40分足らずの散歩が結構楽しかったので、味を占めてもう一つ

常陸大宮にも途中下車した。駅舎の背の低さが何とも心地よい。

 

 洗濯物を干してある一軒を挟んで建つ二軒の写真館。

 

 壁にラジオと電機。その下にはPIONEERとSON(Y)の文字。

 

  壁に補修の後のあるこの店は一体何を扱っていた(る)のだろう。

 

 

 軒先テントの傾ぎ具合が絶妙だ。

 

 ここにも写真館。この地の人はよほど写真が好きなのか。

 

 建物の横の壁にはやはり聖書看板。

 

 ここにも

 

 ここにも

 

「すきた」ではない、よく見ると「すぎた」となっている。シャッター前の張り紙は閉店のお知らせだ。

 

 うーん独特の色合いだ。

 

 今では看板の文字は消え失せ、通りすがりの者には何の商売をしていたのか

知るすべがない。

 

人が老いてやがて死んでいくように、建物も老いて朽ち果てていくのだと

思い知らされる。

 

 そんな家が通りではたくさん見られた。

 

 

 水戸からは常磐線で友部、水戸線に乗って小山、宇都宮線で浦和、京浜東北線で南浦和

武蔵野線で新秋津、西武線と乗り継いで自宅に戻ったのは4時ごろだった。

 

 この辺で。