ブログよりも遠い場所

サブカルとサッカーの話題っぽい

【漫画】ちぇりっしゅBOX

2010-01-15 | 漫画
ちぇりっしゅBOX (コミホリコミックス) ちぇりっしゅBOX (コミホリコミックス)
価格:¥ 840(税込)
発売日:2009-06-29
ちぇりっしゅBOX 2 (コミホリコミックス)
価格:¥ 840(税込)
発売日:2009-12

 二巻が出てたので購入ー。
 いやー、相変わらずヌルくてイイ。ヌルいのがイイ。僕がこの漫画に求めているのはヌルさだから、コレでイイのです。コレがジャスティスなのです。トゥットゥルー。

 や、この作品って、おそらく無理矢理カテゴライズすると「日常系ハーレムラブコメ」になると思うんですけど、こういう系統の漫画、ラノベ、エロゲって近年めちゃくちゃ増えた(ちゅうか氾濫してる)ワリに、実はあまり琴線に触れる作品がないんですよね。
 例えば僕は同系統(注:私見)の漫画として、『ながされて藍蘭島』を愛読していますが、あれはイイ線いってるけど、たまにとんでもないハズレ巻があるのがすごく残念。
 具体的には、紅夜叉(笑)のエピソードとか、過去のエピソードに見られるシリアス(笑)な話全般なんですけど、そういう成分が多めに含まれてる巻はちっとも楽しめなくて。あと、最初もあまりこなれてなかったですけど、しのぶが出てきてからの8~13巻あたりはめちゃくちゃ面白いのに、それ以降はかなりトーンダウンしちゃってるんだよなあ。
 これはひとえに「僕が求めているモノとは違うモノを提供されているから」という、手前勝手なユーザーが感じる手前勝手な物足りなさにすぎないのですが、結構似たような感じの作品が多いんですね、コレがまた。それこそ、漫画でも、ラノベでも、エロゲでも、外殻は「日常系ハーレムラブコメ」という点で共通しているのに、沢山あるのがかえって仇になっていると言うべきなのか、なかなか好みの作品群に巡り会えないと。

 そんな中、この『ちぇりっしゅBOX』はイイねー。
 うん。何度でも言うけど、すごくイイんだ。

 だってさ、主人公は「勉強もできるし身体能力も高いけどちょいやる気ない系」で、ヒロインは三人いて、

A.幼なじみ。世話焼き。貧乳。ちびっ子。ツンデレ。
B.幼なじみ。天然。巨乳。Aの妹。
C.転校生。美人系。Aより分かりやすいツンデレ。最初は敵対するが徐々に……。

 ホラ。見てよ、このラインナップ。
 もうこれ見ただけでピンとくるでしょ。思わず「スゲー」って言っちゃうでしょ。
 今みたいに「日常系ハーレムラブコメ」が氾濫してる時代に、敢えてこんなベタな「日常系ハーレムラブコメ」設定をぶつけてくるなんて、なかなかできるこっちゃねえ。しかも、このキャラクターたちから想像されるお約束の展開を、これでもかってくらい忠実になぞってくれる。
 ところが、このど真ん中ストライクが、不思議と盲点だったってことなんだろうなあ。
 逆に新鮮になっちゃってる。
 というか、むしろ、今って他にこういうストライクの作品がないんだよな。

 ちゅうわけで、ここ最近の変化球を狙った作品ばかりの世の中に疲れた人にスゲーお勧めです。ちょっとシリアス方面に進みそうな感じで不安ではあれど、きっとどうにかしてくれるやろーという感じで。

 つか、作者の人ってこの人なのか。
 『ハルヒ』の同人(web漫画)で知ってはいたんですけど、そういえば『トロピカルKISS』の冊子漫画もすげー楽しかったっけ。グイグイ認知度が上がって、どんどん活躍して頂きたいわ。


【SS】神の居ぬ間の祭り唄・閑話

2010-01-15 | インポート

閑話 「編入初日」


「ミルファ・H・姫百合です。短い間ですけど、よろしくお願いします」
 一息で自己紹介をして頭を下げる。よかった。途中でつかえずに言えるかどうか不安だったが、どうやら始めの一歩は無事に踏み出せたらしい。
 ゆっくり顔を上げると、視線の雨が浴びせられていた。
 教室に入ってきたときには少し気圧されたそれを、わたしは平然と受け流すことができる。どうしてかといえば、わたしに向けられた視線の中に、一つだけ馴染みのあるものが混ざっていたからだ。
 ――そんなに心配しなくても大丈夫だよ。
 まったく、貴明は本当に心配性だ。あんなにハラハラした顔を向けられたら、こっちが申し訳なくなってしまう。心配されるのが嬉しくないと言えば嘘になるが、度が過ぎると頼りないと思われているような気がして複雑だった。
 貴明の顔を見るのは一日ぶり。
 たったの一日。ほんの一晩離れていただけだ。それなのに、落ち着かない様子を姉さんに指摘されてからかわれた。
 不意に、どこかで見かけた一日千秋という言葉が思い浮かぶ。
 そう。考えてみれば、今のこの季節こそが秋なのである。
「あー、小牧―。委員長として、彼女に色々と教えてやってもらえるかー」
「は、はいっ」
 おどおどと返事をしたのは、ブルーの髪留めが目を引く大人しそうな女の子。一つ一つの仕草に特徴があって、なんだかテレビで見たハムスターみたいだな、なんて失礼なことを考えてしまう。
 委員長、というのは確かクラスの代表だったはずだ。ということは、このクラスの責任者がこの「小牧さん」で、彼女がわたしという新参者の世話を任されたということだろうか。
「席は小牧の隣を空けてやってくれー。それじゃあホームルームを始めるぞー」
 担任教師の言葉に従い、あらかじめ用意されていた机と椅子が、小牧さんの隣に挿入される。運んでくれた男子生徒に軽くお辞儀をしたら、どうしてか妙に戸惑っていた。
 真ん中の列の中央より少し前。ここが学び舎における、わたしのパーソナルスペースに決まったらしい。
 貴明の席は窓側の後ろの方にあるので、残念ながら少し離れてしまった。同じ教室にいられるだけでも嬉しいはずなのに、わたしの欲望には際限がない。
 こんな自分は、いけないメイドロボだと思う。
「えと、よろしくお願いしますね」
 既に担任が話を始めていたので、小牧さんが声をひそめて話しかけてくれる。
「こちらこそ。あの、お世話になります」
 挨拶を返しつつ、静かに椅子を引いて腰かけた。見た目は安っぽいのに、不思議と座り心地のいい椅子だ。横目で窺った小牧さんに習い、カバンを机の脇にかけたところで、深い安堵の息が漏れる。たったこれだけで達成感を感じてしまう自分が少し情けない。
 後頭部や背中のあたりがむずむずする。自己紹介のときほど露骨ではないが、周りの意識がこちらに集まっているのが伝わってくる。編入してきた人は注目を集めると聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。
 環とこのみから受けたアドバイスを思い出す。
 一つ、第一印象さえよければ後はどうとでもなる。
 二つ、お弁当を分けてくれる人に悪い人はいない。
 三つ、スカートの丈が短いので十分に気をつける。
 どれも頷ける内容だ。隣でこれを聞いていた貴明が、げんなりしたり呆れたり慌てたりしていたのはどうしてなのか、いくら考えても分からない。
 何はともあれ。
 こうして、わたしの学園生活は幕を開けた。

*****

 学校は勉強をする場であって、それは生徒が新たに増えたからといって変わることのない決定事項である。朝のホームルームはとっくに終わり、担任が教室を出て行ってから、次の授業の担当教師がやってくるまでの空白の時間ができた。
「姫百合さんは、前の学校でも同じ教科書を使ってたんですか?」
「う、うん。たぶん」
 そんな短いロスタイムに、小牧さんがこうして話しかけてくれるのは、居辛そうにしているわたしを思いやっての行動なのだろう。
「たぶん?」
「ううん、そう、そうだよ……です。授業の進み具合も一緒くらいだって、親戚の子から教えてもらった……もらいましたから」
「ふうん。それならだいじょうぶかなぁ」
 教科書を挟んで、小牧さんが色々と説明してくれる。
 わたしはまだ、どんな言葉遣いをすべきか決めかねているので、普段の口調と敬語がごちゃごちゃになっていた。話し方が定まらないのに引っ張られて、笑顔までぎこちなくなっているのは、我ながら苦笑するしかない。
 相変わらずわたしたちの様子を伺うような気配が漂っているのも、ぎこちなさに拍車をかけていた。
 教室内は妙に静まり返っている。そこら中で聞き耳を立てているようだ。次の授業が始まるまで余裕がないせいか、恒例の「新入りに対する質問攻め」は、ひとまずお預けになっているらしい。
 小牧さんと相対するだけでこんな状態なのに、十人、二十人に詰め寄られたらどうなってしまうのか想像するのも恐ろしかった。
「いちおうね、現国は147ページまで進んでて、今日はここから始まるんですよ」
「委員ちょ、そこ違う。その次」
「え? え? そ、そうだっけ? ごめんなさいっ。あたし嘘教えちゃった……」
 後ろの男子生徒に指摘され、小牧さんがしょんぼりと肩を落とす。
 うん。この人はきっといい人だ。間違いない。
「教えてくれてありがと……ございます。小牧さんって親切ですね」
「……あの、姫百合さん?」
「はい?」
 首を傾げるわたしに向かって、小牧さんはぽやんとした微笑みを浮かべる。
「その、差し出がましいとは思うんですけど、話しにくいようなら無理に敬語を使わなくても……あ、そんな言い方は失礼ですよね。でも、姫百合さんが話しやすいようにして欲しいというか、あの。……どうでしょう?」
「う……やっぱり変かな……ですか?」
 自分でもおかしいと感じるのだから、他の人にとっては言わずもがなだ。
 ところが小牧さんは、ぶんぶんと首を横に振って、
「そ、そんなことないですよぉ。あたしもたまに変なこと口走っちゃったりしますから……って、どうしてみんな頷いてるのぉ!?」
 その言葉が示す通り、周りの生徒たちが腕組みをして頷いていた。
「と、とにかく、気楽にいきませんか? これからあたしたち、クラスメイトになるわけですし、ね?」
「……うん、分かった。そ、それじゃあこれから、よろしくね」
「はぁい。分からないことがあったら、何でも聞いてくださいね」
 ほんのりと胸の辺りが暖かくなったような、そんな気がした。まだ最初の授業すら始まっていないのに、わたしはこのクラスに編入できてよかったと感じている。
 周りは「おお、友情成立か?」「ロザリオを渡したりしないのかしら」「先制攻撃は委員ちょか。意外な結果だな」といったような、よく分からない盛り上がり方をしていたが、楽しそうな人ばかりでよかった。ここなら上手くやっていけそうな気がする。
 ――貴明も一緒だし、楽しみだな。
 自然と頬が緩むのを感じながら、姉さんはどうしたかな、なんてことを考えていたら、
「えっ、貴明さん、教科書忘れてきちゃったんですか? 珍しいですね」
 聞き捨てならない台詞が耳に飛び込んできた。
 貴明、という名前を、わたしの聴覚は鋭敏に聞き分ける。左斜め後ろ。先ほど確認した貴明の席周辺から聞こえてきた。
「……カバンの中身を見たら、明日の時間割りだったよ。はあ……」
「けっけっけ。おまえは別のことに気ぃ取られすぎなんだよ」
 貴明の声と共に、雄二の声も耳に届く。そこにはからかいの色が含まれていて、なんだか少し面白くない。確かに貴明には抜けたところもあるが、わたしの知る限り忘れ物をしたことなんてなかったはずだ。昨夜、わたしのいないときに何かあったのだろうか。
 しかし、続けて聞こえてきたのは、そんなことがどうでもよくなるような、とんでもない発言だった。
「それなら、私の教科書を一緒に使うしかないですね。貴明さん、こっちにぺたっと机をくっつけてください。遠慮しなくてもいいですから。ぺたぺたっと」
 ――――な。
 後ろに振り返りたい衝動を全身全霊を持って抑える。
 深呼吸。
 平常心。
 セルフコントロール。
 妙に馴れ馴れしい女子生徒がいるようだが、そんなことをいちいち気にしていたらクラスに溶け込めない。笑顔、笑顔。
「む、机をくっつけただけじゃダメですよ。ちゃんと椅子もこっちに……はい、よくできました。読めますか? 読みにくいなら、もっと身体もくっつけて――」
 ばきっ。
「ひうっ!? ひ、姫百合さんのシャーペンが真っ二つに!?」
「……老朽化してたみたい」
「すごく新品に見えましたけど……って、だいじょうぶですか? 怪我とかしてません?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
 心配してくれる小牧さんに平坦な口調で返して、ギチギチと口の端を吊り上げる。
 大丈夫、大丈夫だ。
 わたしはまだ学校というシステムに疎い。冷静に考えてみよう。隣の人が教科書を忘れた。だから見せてあげる。なんだ、それくらい当たり前のことじゃないか。
「貴明さん、どうしました? ちょっと顔が赤いですよ?」
「い、いや、うん、あのさ、草壁さん、俺、ちゃんと読めてるから、そんなにくっつかなくてもいいよ」
「あ……、ご、ごめんなさい。嬉しくてはしゃいじゃいました」
 めりっ。
「ひゃあ!? ひ、姫百合さん! 机の脚が1cmくらい床にめりこんでますよ!?」
「脆くなってたのかな……ふふ」
 きっと相手の女子生徒は、他人のために何かするのが大好きな人なのだ。嬉しくてはしゃぐというのはつまりそういうことで、別に貴明にくっついたのが嬉しいとか、そんな不届きなことを考えているはずがない。そうに決まっている。
「いや、まあ、こっちこそごめん。俺のドジのせいで迷惑かけちゃって」
「水くさいこと言わないでください。貴明さんのためなら、私いくらでも……」
 …………………………。
「な、なんだか、姫百合さんの周りの空間が歪んでるような……」
 小牧さんの呟きを、もはやわたしは聞いていなかった。
 間もなく授業が始まったが、わたしの意識はずっと後ろに向いていた。
 それから昼休みになるまで、生返事ばかりしていた気がする。
 ――なんなのよ。
 貴明のばか。……うわきもの。

*****

 昼休みに入ってすぐ、雄二に声をかけられた。
「よお、ミルファちゃん。姉貴が用事あるっつってたから、ちっと屋上までついてきてくれねーか?」
「……環が?」
 ほとんど八つ当たりで睨み付けるわたしの視線を軽く受け流して、雄二は飄々とした仕草で肩をすくめてみせる。
「そ。……ってわけで、ミルファちゃんは借りてくぜ。わりぃな委員ちょ」
 そう言った雄二の先には、小牧さんが立っていた。
「はあ……、向坂くんって姫百合さんとお知り合いだったんですか?」
「まあな。とりあえず昼メシの誘いは、明日以降にしてくれ」
 お弁当の包みを抱えた小牧さんは、わたしを誘いにきてくれたということか。メイドロボである以上、わたしに食事を摂る必要はなく、昼食は抜いているとか適当な理由をつけて切り抜ける手筈になっていたが、クラスメイトと一緒に過ごせる時間が増えるのは大歓迎である。
 とりあえず、今日は環が呼んでいるようなので、屋上に行かなければならない。
「それじゃあまたあとで」
 ひらひらと手を振る小牧さんに会釈で返して、雄二の背中を追った。
 廊下を歩いていると、大勢の学生たちとすれ違う。思い思いの方法で昼休みを満喫しようとしている様子は、リラックスしているようでどこか忙しない。研究所でもこの時間に見られた風景だけに懐かしさを感じる。
 人波は、ほとんどが階下に向かっているようだった。流れに逆らって進む様子に首を傾げていたら、雄二が足は止めずに、
「あっちには学食と購買があるからな。どこで食うにせよ、最初は下に向かうのがセオリーなのさ。ま、弁当があるときは別だ。貴明はミルファちゃんお手製弁当をいつも屋上で食ってるよ」
 俺もたまにおこぼれに預かってるんだぜ、と言葉を結ぶ。
 だが、階段を一段ずつ上るわたしが返したのは、可愛げの欠片もない言葉だ。
「……お昼ご飯って、あの人と一緒に食べてるの?」
 雄二は肩越しに振り返って、
「あの人っつーと、優季ちゃんのことか。ミルファちゃん、やっぱりヤキモチ妬いてたんだな」
「……ヤキモチなんて妬いてないもん」
 ヤキモチを妬くはずがない。理由がない。わたしはそんなに独占欲が強くない。
「あいつは果報者だねえ」
 ため息混じりに漏らすと、雄二はそれっきり無言で階段を上り続けた。ゴム底の上履きでリノリウムの床を踏みしめる感触は独特で、二つの足音が生み出すリズムがやけに耳に残る。屋上には、すぐに辿り着いた。
「――んじゃ、親善大使の役目はここまでだな。ま、大目に見てやってくれよ」
「雄二?」
 ぽん、とわたしの肩を叩き、雄二は上ってきた階段を引き返していく。
 どういうことだろう。環はわたしにだけ用事があるということだろうか。だとすれば、それだけのためにここまで先導してくれた雄二は、よくよく付き合いがいいと思う。貴明の周りには、そういう人が集まるようだ。
 ――はあ。
 貴明のことに考えが及び、思わずため息が出た。
 わたしは貴明の学園生活を知らない。何か面白いことがあれば、話して聞かせてくれたりもするが、それがすべてではないのは分かる。
 ただ、今日みたいな教室でのやり取りがいつものことなのか、イレギュラーなことなのかは分からない。分からないが、いくら自分に言い訳をしてみたところで、わたしがヤキモチを妬いて不機嫌になっているのは明らかだった。
 ともあれ、いつまでもこんなところでうじうじしていてもしょうがない。環がどういうつもりでわたしを呼んだのか検討がつかなくとも、できるだけ早く用事を済ませてしまうのが正解だ。
 屋上に続く扉のノブに手をかけて捻る。金属の扉は、ちょうつがいが少し錆びていて、思ったよりも重かった。悲鳴のような音をあげて、扉が開いた。
 目の前に青い空が広がる。
 金網のフェンスを背にした人影が、ゆっくりと片手をあげる。
 秋の風を受けてそこにいたのは、環ではなく、
「編入おめでとう……ってのもおかしいかな、やっぱり」
 制服姿の貴明は、困ったような笑顔を浮かべて、そんなことを口にした。

*****

 どうして、という疑問はそれほど長続きしなかった。
 雄二に連れられてやってきた屋上に、いるはずの環がいなくて、いないはずの貴明がいる。どんなに察しが悪かったとしても、状況を見れば一目瞭然だ。
 無言のままのわたしの態度をどう捉えたのか、貴明はますます焦った様子で、
「騙まし討ちみたいになっちゃってごめん。ミルファと話したくて雄二に頼んだんだけど、その、俺が呼んでもきてくれないと思って」
 頭を掻きながら目を泳がせている。
 ――貴明はずるい。
 仕草の端々から真剣さが伝わってきて、これじゃあ責めることなんてできっこない。抱えていたのが理不尽な憤りだというのも手伝って、さっきまで感じていたもやもやしたものはほとんど消えかかっていた。嘘をついて呼び出したというのも、そうまでしてわたしと話そうとしてくれたのが嬉しい、なんて思ってしまうのだから重症だ。
「本当にごめん」
「べ、べつにいいよ。気にしてないから」
 ぶっきらぼうになってしまったが、とりあえず本心に沿った言葉が出てくれた。貴明の表情が緩んで、安堵の色が広がっていく。だが、
「……あの子とは仲いいの?」
 これだけは聞いておきたい。是が非でも。
「あ、あの子?」
 ぴしり、と音がしそうなくらい貴明の顔が引きつった。
「……どうして声が裏返ってるの?」
「い、いや、裏返ってないって! 草壁さんは、クラスメイトで隣の席の子だよ」
 物凄く怪しい。
「ホントに?」
 じと目で詰め寄る。貴明の顎のあたりから覗き込む格好になる。
 貴明は冷や汗を浮かべて、
「……く、草壁さんも二年生になってから転校してきたんだけど、小さい頃に面識があった……かも」
「かも?」
「あ、あった、ありました。で、でも、それだけだって。そのときのよしみで、よく話しかけてきてくれるみたいだけど、本当にただのクラスメイトだよ!」
「ふーん……」
 貴明は嘘をつくのが下手だ。そういうところもすごく好きなのだが、それとこれとは話が別。この慌てぶりを見るに、嘘は言っていなくてもすべてを話していないという感じだと思う。日常茶飯事とまではいかないまでも、先ほどの教室でのやり取り程度は普段からしていると考えて間違いない。
 なんだか、無性に腹が立った。
「……話はそれだけ? わたし、もう行くね」
「ちょ、ちょっと待った! 何か誤解してないか!?」
 わたしは貴明に背を向け、扉のノブを握り締める。
 誤解なんてしていない。してるもんか。
「早くお昼ご飯食べないと、休み時間終わっちゃうよ? わたしも次の授業の準備があるから――」
 言いつつ、扉を開けた。
「ミルファ! 待ってくれって――」
 貴明が駆け寄ってきたのも同時だった。そして、
「………………」
「………………」
 二人で一緒に固まった。
 わたしはノブに手をかけた格好で。貴明はわたしに手を伸ばした格好で。
 鉄の扉が悲鳴をあげた先には、
「……こ、こんにちは~……」
 小牧さんを始めとしたクラスメイトたちが勢揃いしていた。
 一体何の冗談だろう、これは。
「な、何してんだよ! お前ら! こ、小牧さんまで!」
「ち、ちちち違いますっ! あたしは止めたんですよぉ!」
 呆然として動けないわたしの横を追い越し、貴明が猛然と抗議を始める。
 後ろの方から「委員ちょもノリノリだったじゃん」とか「河野くんって顔に似合わず手が早いのね」とか聞こえてきたが、もはやそんなことはどうでもよかった。
「雄二! なんでお前まで一緒になって聞き耳立ててるんだよ!?」
「俺、ミルファちゃんを連れてこいって言われただけで、そっから先は何も頼まれてねーもん」
 しれっと言い放つ雄二に向かってパクパクと口を動かしてから、貴明はがくりと膝をついて動かなくなった。
「あの……」
 控えめな声と共に、半ば放心状態のわたしの肩が優しく叩かれる。顔を向けた先にいたのは、黒髪の綺麗な女の子だ。
「はじめまして。私、貴明さんのクラスメイトでお隣の席で昔のよしみがある草壁優季っていいます。とりあえず、」
 件の草壁さんは、そこでポンと両手を合わせ、
「姫百合さんと貴明さんの関係その他、もろもろを聞き出しちゃいますから、よろしくお願いしますね」
 完璧な笑顔で、クラスメイトたちの喝采を浴びていた。

 学校って、
 怖いところかもしれない。

 肩を震わせる貴明を見て、わたしはそんなことを考えていた。


to be continued


【SS】神の居ぬ間の祭り唄・第二章

2010-01-15 | インポート

第二章 「編入の日 10/3」


 夏場に比べると、少しだけ低くなった秋晴れの空の下。
 俺は足を進めながら詰め襟をつまんで、首元に空気を送り込んでいた。
 久しぶりに袖を通したせいか、まるで他人の制服を着ているような感じで落ち着かない。ずっと剥き出しだった腕に制服の裏地が当たるのも、不快とまでは言わないが、くすぐったいような何とも微妙な状態で困る。
「なんだか久しぶりに着るとヘンな感じがするね」
 横でにへらと笑うこのみも、どうやら同じ感想を抱いたようだ。
 活発なこのみは、俺以上に薄手の夏服が恋しいのかもしれない。それでもどこか嬉しそうに見えるのは、春先に新調した制服に再び袖を通し、新鮮な気持ちを思い出しているからだろうか。
 今日は、十月に入って最初の月曜日。
 休日を挟んだ週明けなので、今日が衣替えの初日なのだ。
 近年の地球温暖化は、残暑の厳しさにも表れている。いっそ涼しくなるまで衣替えを延期してワイシャツでいた方が勉強もはかどるんじゃないか、などと益体のない考えが頭をよぎる。学生にもクールビズを適用してみればいいのに。
「おはよう、タカ坊、このみ」
「……よう」
 くだらないことを考えていたら、タマ姉と雄二の二人が合流してきた。
 当たり前だが、二人とも俺たちと同じように制服を着ている。
「おはよう」
「お、おはよ……」
 歯切れの悪い挨拶を返すこのみの態度には理由があって、
「……なあ、雄二。朝っぱらからやつれてないか? ていうか両こめかみのあたりが陥没してるぞ。これ大丈夫なのか」
 健康そのもののタマ姉とは対照的に、雄二が三途の川の手前で引き返してきました、みたいなオーラを身に纏っていた。何となく察しはつくし、触れずにおくのが正解だと分かっていても、捨てられた子犬の目で見つめられたら心が揺らぐじゃないか。
「――タカ坊、ちょっとこっちを向きなさい」
「え、っと、うわ」
 そんな雄二が返事をするより早く、タマ姉の手が伸びてきた。ひんやりとした手のひらが触れて、蒸し暑さで火照った頬からすうっと熱が引いていく。
「た、タマ姉、なにを?」
 俺に自分の方を向かせたタマ姉は、つま先から頭のてっぺんまでくまなく見回し、
「……ふむ、ちゃんとしてるみたいね。いい? いくら暑くても、だらしなくボタンを外したりしちゃダメよ。あんまりだらしないと――」
 ちらり、と横を見た視線の先には、がくがくと震える雄二がいた。
 ――こうなるわよ、ってことか。
 あまりにも分かりやすい。分かりやすくて、寒気がする。
 満足そうに頷いたタマ姉は、俺から手を離して歩き始めた。慌ててそれに続いたこのみを、俺は雄二とともに追いかける。
「ちっくしょう……あの女の辞書にゃ情けって言葉はねえのか……」
 どうやら恨み言を呟ける程度には回復したらしい。
「それを知りつつ本能のまま振る舞えるお前って、実は大物なのかもな」
「人を馬鹿みたいに言うんじゃねえ。くっそ、傷ついた心を珊瑚ちゃんたちに癒してもらわねえと、学園まで持ちそうにないぜ」
「あの二人だったら、今日は先に行ったぞ」
「なにっ!?」
 心底意外そうに驚く雄二。ひょっとして忘れてるのか、こいつ。
「……前に話しただろ。今日からイルファさんたちの試験運用なんだよ。で、その手続きがあるから、今朝は早めに登校するんだってさ」
「あー、そういや今日からだったか。メイドさんとクラスメイトになれるかもしれない記念すべき日だってのに、姉貴のせいですっかり忘れてたぜ。記憶って物理的に搾り出せるんだな」
 いや、そんな芸当ができるのはお前だけだ。
「ていうか、分かってんのか? イルファさんたちが、」
「わーってるよ。メイドロボってのは内密に、だろ? ちったぁ俺を信用しろ」
 ほんの少し前まで忘れてたくせに、そんなことを言って胸まで張ってみせる。
 イマイチ不安ってのが正直なところだが、まあアテにさせてもらおう。
「ん? ってことは、ミルファちゃんも一緒ってことか?」
「ああ。昨夜は珊瑚ちゃんところに泊まるって言ってたから、今頃は四人で職員室にいるんじゃないかな」
 それも気がかりだったが、瑠璃ちゃんとイルファさんがいれば滞りなく編入の手続きを済ませることができそうだ。頼りがいがないなんて言ったら、珊瑚ちゃんはともかくミルファが怒るのは間違いないから、これは心の中だけに留めておこう。
「ほっほーう」
「なんだよ」
 含みを持たせて口元を吊り上げた雄二は、
「いやいや、メイドマスターの貴明さまは、寂しい一夜をお過ごしになられたってわけですな。そりゃまたご愁傷様なこって」
 そんなことを言って、ばしばしと同情的に背中を叩いてくる。
「……あのな、一晩くらいで何が変わるってわけじゃないだろ。ミルファがくるまでは一人暮らしだったんだぞ」
 大体、誰がメイドマスターだ、誰が。長瀬さんといい雄二といい、俺に妙なニックネームをつけるのが流行ってるんだろうか。
 雄二は両手を広げ、肩をすくめるオーバーリアクションを取ると、意味ありげな顔で首を横に振ってみせる。
「自分の感情に自分で気付けないってのも難儀なもんだねえ」
「言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
「お前、寂しい、って顔に書いてあるぜ?」
「……なに言ってんだか。そんなわけないだろ」
 できるだけ無表情を心がけたつもりだが、上手くいったかどうか。
「――ま、実際どうなのかは分かんねえけどな」
 にやにやといやらしい笑いを浮かべる雄二を、俺はもはや無視して足を早めた。
 本当のところは、自分でもよく分からない。が、寂しいというのは正確ではないと思う。俺はただ、ミルファのいない自宅、ミルファのいない生活というものに違和感を覚えただけだ。
 無意識のうちにミルファに呼びかける自分。
 当たり前のようにあった返答がない違和感。
 昨夜、返事の返ってこない呼びかけを片手の指の数くらいは重ねた。こんなのは笑い話にしかならないと自分でも分かっているから、雄二にはもちろん、タマ姉にもこのみにも、ミルファ本人にだって言わないでおこうと決めている。
 俺だって驚いたのだ。
 いつの間にか。
 本当にいつの間にか、ミルファとの生活が日常になっていることに。
 そして、
 ――その日常が、当たり前で大切なものになっているということに。
「ミルファちゃん、どのクラスになるのかなあ。うちのクラスになるといいな~」
 このみの無邪気な言葉が耳に届いた。このみとタマ姉は、肩を並べて数歩前を歩いている。襟口に触れる程度の後れ毛と、腰まで伸びた長髪は、後ろから見ると対照的だった。
「同じクラスになれるといいわね」
 朗らかに応じたタマ姉は、ミルファたちの編入とは直接関係がなかったりする。前もって聞いている話によれば、ミルファとイルファさんの編入は一年生と二年生のクラスに一人ずつということになっているからだ。
「どうしてタマお姉ちゃんのクラスには入らないって決まってるのかな?」
「きっと受験への配慮ね。私たちは三年生でしょう? ま、夏を制する者は受験を制す、なんて胡散臭い台詞にはうんざりだけど。私に言わせれば、自分を制する者は受験を制す、よ。自己の鍛錬に時期は関係ないわ」
 夏はとっくに終わってる、なんて突っ込みは置いておくとしても、何ともタマ姉らしい考え方だと思う。
「そっか、三年生は受験なんだよな。余裕っぽいけど、タマ姉はだいじょ」
「あら、私の心配をしてくれるの?」
 俺の言葉を途中で遮ったかと思うと、タマ姉はすうっと目を細めて、
「心配してくれるのは嬉しいけど、そんな暇あるのかしら? 来年は、タカ坊たちが同じ立場になるのよ。一年なんてあっという間なんだから」
 俺と、俺の斜め後ろにいる雄二にその視線を向けた。
 優しげな声は弟分を心配する姉そのもので、それだけ聞けばためになる訓辞なんだろう。しかし、
「雄二の成績表はチェックしてるけど、次からタカ坊の成績も見てあげるわ。中間テストが終わったら答案を持ってきなさい」
 こんなことを言われてしまうあたり、自分が藪を突いてしまったのだと自覚せざるを得ない。
「い、いや、俺は別に」
「――持ってくるのよ?」
「…………はい」
 ――勉強しないといけない理由が一つ増えたな。
 肩を落とす俺とは逆に、雄二は祭壇に捧げられる生贄が増えたのを喜んでいるようだった。

*****

 結局、本鈴の鳴る少し前に教室に辿り着いた。
 こんな時間に登校してくるのは、俺と雄二を除けば寝坊をした不届き者しかいないので、ほとんどのクラスメイトたちの顔が揃っている。
 少し前に予鈴が鳴ったというのに、大人しく席についている者は少ない。本鈴の五分前に予鈴が鳴るというのは合理的なシステムだが、実際はそれほど用を成していないのが分かる。
 適当に挨拶を交わしながら自分の席に辿り着いた俺は、カバンを机の脇にかけてから、安っぽい背もたれに身を預けた。
「しっかし、マジでイルファさんと同じクラスになれねえかなあ。アタックする機会さえあれば、絶対モノにしてみせるぜ」
 カバンを机に放り投げた雄二が、懲りない台詞と共に目の前までやってくる。前にイルファさんを口説こうとして、瑠璃ちゃんに蹴りを入れられたことがあったというのに、この調子ではすっかり忘れているらしい。
「二年に何クラスあると思ってるんだ? そんな都合よくいくかよ。それにイルファさんじゃなくてミルファと同じクラスになる可能性もあるし」
「あ? イルファさんの方が上で、ミルファちゃんは妹なんだよな?」
「普通に考えればそうなんだけどさ」
 確信めいた予感が、何かを訴えかけているのだ。
 普通に考えても、あっさりと編入を決めるなんてただ事じゃない。それを平然とやってしまう人たちの行動が、果たして俺の想像が及ぶ範囲に留まるのだろうか。正直、面白ければ二人の学年を入れ替えるくらい平気でやりそうなのが恐ろしい。
「何のお話ですか?」
 窓側から穏やかな声がかけられる。
「おはようございます。朝から楽しそうですね?」
「よう、優季ちゃん。優季ちゃんは朝から可愛いね」
「ふふ、相変わらずですね、雄二さんは」
 雄二の軽口に引いたりせず、軽く流してくれるあたり、この人は本当に優しい。手入れの行き届いた黒髪が、秋の日差しを受けて輝いていた。
「おはよう、草壁さん」
 挨拶を返して、
「今日から知り合いの子の親戚姉妹が編入してくるんだよ。うちの学年にもくるみたいだから、どこのクラスになるのかなって話をね」
 あらかじめ打ち合わせしておいた説明を口にした。編入してくる以上、学園で顔を合わせないのは不可能だろうし、だったらいっそのこと最初から顔見知りというのは隠さないでおこうというアイディアである。
 木を隠すなら森の中。さすがはタマ姉と言ったところだ。
「知り合い……って、あの、貴明さんのお隣さんのですか?」
「いや、そっちじゃなくて」
「双子の一年生さん?」
 首肯する。
 代名詞にまで「さん」を付けるのは律儀というか何というか。
「つまり河野ハーレムに新たなメンバーが加わるってわけですよ。なあ、優季ちゃんもふざけてると思うよな?」
「え? い、いえ、そんなことは……、むしろ私も加わりたいかな、なんて」
「…………」
「…………」
「あ、あれ? お二人ともどうしたんですか? じょ、冗談ですよ、もちろん!」
 あはは、と自分で言ったことを笑い飛ばすみたいにして、草壁さんは自分の席に戻って行った。彼女の背を見つめる雄二が、呆気に取られた顔をしている。きっと俺も同じような顔をしているはずだ。
 びっくりした。そりゃあ冗談に決まってる。頬まで染めるなんてあまりにも手が込んでいて勘違いしそうになった。草壁さんって演技の才能があるのかもしれない。
「なあ、貴明」
 雄二は精気の抜けた声で、
「俺たち親友だよな?」
「そう呼べなくもない」
 どこかで聞いたようなことを言い始めたかと思うと、
「だったら親友の感じてる憤りを、ちっとばかしぶちまけさせてもらえねえか? つうかぶっちゃけ一発殴らせろてめえ」
「ふざけるな」
 友情に名を借りた暴力行為を断固拒否したところで、スピーカーが鐘の音を歌い始めた。途端に教室内が慌しくなり、クラスメイトたちは生まれた川に帰る鮭のように、各々の座席へと戻っていく。
「……ちっ、夜道には気をつけろよ」
 しぶしぶといった様子で、雄二も皆に習って自分の席に腰を下ろす。親友どころか、仇敵への呪詛としか思えない台詞を吐き捨てながらも、泣きそうになっているのが印象的だった。
 ――まあ、雄二の戯言はともかく。
 自分がこんな環境に置かれることになるなんて、想像もしていなかったというのは間違いない。これまでは、家族以外でまともに話せる異性といえば、このみとタマ姉だけだった。それが珊瑚ちゃんと出会い、瑠璃ちゃんに虐げられるうちに、周りの環境も自分自身の感じ方も変わってきたように思える。
 春先に転向してきた草壁さんは、このみとはまた違った間柄の「幼馴染」だから別だとして、それ以外の女の子と話をしたりするときにも、ヘンに緊張しなくなったのは大きな変化だった。それがいいことなのかどうかはともかく、不必要な気負いがなくなったお陰で随分気楽になったのは確かだ。
 そんなことを考えていたら教室のドアが開いた。
 辺りに漂っていたざわめきの残滓が消える。
 担任教師が教壇までの数メートルを歩き終えると、
「きりーつ」
 聞き慣れた小牧さんの号令がかかり、整然とは言い難い動きで皆が席を立ち上がった。椅子の足が床を擦る音は、きちんと揃っていないと結構な騒音となる。
「れーい、ちゃくせーき」
 それぞれが思い思いのリズムで頭を下げて腰を下ろす。
 小牧さんのせいとは言わないが、彼女の号令は癒し系で、気合が入るとかそういった効果までは期待できないのだ。まあ、朝の挨拶なんてどこのクラスも似たようなものだろう。厳格な体育教師にお叱りを受ける有様だったとしても、うちの担任はアバウトだから問題ない。
 こうしていつもの朝が始まった。
 ――いや、違う。
「あー。ホームルームを始める前にー」
 引っかかっていた小さな違和感。いつもはすぐに閉じられる教室のドアが、今日に限って開け放たれたままになっている。
 そう。
 今日の朝は、いつもと同じではない。
 今日の朝は、いつもと違う朝なのだ。
「転校生を紹介するー」
 担任の言葉を受けて、ドアの向こうから卸したての制服が現れた。赤いミニスカートには白いラインが二本並んで走っていて、上着は薄桃色のオーソドックスなセーラー服。胸元のリボンはきっちり整えられ、僅かばかりも乱れてはいない。
 制服を着こなした女の子は、赤味がかった髪の毛を頭の後ろで一つにまとめて尻尾を作っている。太もものあたりでカバンを握る両手には力が込められていて、その様子から緊張が伝わってきた。
 女の子は、おずおずと教壇の方に歩み寄る。クラスメイトたちの注目を浴びながら、彼女――ミルファはゆっくりと身体を教室の中央に向けた。
「あー、彼女は外国からの短期留学生でー。親戚の通ってるうちの学園にー」
 担任の紹介が、右耳から左耳へ抜けていく。
 何となくの予感はあった。
 だから、ミルファがここにいることに大した驚きはない。
 それでも俺は固まっていた。瞬きすらできなかった。
 いつも一緒にいる女の子が、見慣れた制服を着ているだけだというのに、俺は完膚なきまでに、

 ――ミルファに見惚れていたのだ。

 そのとき、緊張で泳いでいたミルファの視線が、まるで見えない力に引っ張られるように俺の姿を捉えた。途端、
「――――」
 強張った顔が嘘のように緩み、安堵の色が広がっていく。
 こんなのは反則だ。
 教室が感嘆のため息を漏らす。俺だってきっと、立場が違ったらそうしていた。それくらいの急激な変化。ミルファは華が咲いたみたいな笑顔で、俺のことを見つめていた。
「じゃあー、自己紹介をしてもらえるかー」
「はい」
 ミルファはハキハキとした声で返事をすると、
「ミルファ・H・姫百合です。短い間ですけど、よろしくお願いします」
 ポニーテールを揺らして、控え目なお辞儀をした。
 少し前に俺たちが披露した気の抜けた挨拶とは違う、文句の付けようのない綺麗な仕草だった。


to be continued