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サブカルとサッカーの話題っぽい

【小説】遠まわりする雛

2012-08-25 | 小説
遠まわりする雛 (角川文庫) 遠まわりする雛 (角川文庫)
価格:¥ 660(税込)
発売日:2010-07-24

 読了。

 古典部シリーズ四冊目『遠まわりする雛』は短編集。時系列的には「心あたりのある者は」以降が『クドリャフカの順番』より後のエピソードということになるようです。
 『氷菓』に関して、アニメが放映されてから原作を読むという信条(笑)を掲げた僕ですが、そのために積んでおくのも面倒になったのでさっさと読んじゃいました。

 や、面白かったです。まあ、〝日常の謎〟モノの「謎」の部分については、回を重ねるごとにどんどんショボくなっている感じがしますけど、登場人物の心情の変化と、関係性の変化のほうに目を向けると興味深く読めますね。
 個人的には、「正体見たり」までの三編が気に入りました。これらは、すでにアニメでも見ているエピソードですが、いかにも〝日常の謎〟といった体裁を保っているのが小気味よかったです。
 特に「正体見たり」は、アニメと違い、「一見(というか、えるの希望として)仲良さそうな姉妹であれ、実際はそうではない」というところを着地点にするのが実にイイですね。微笑ましさとか後味の良さでいったら、圧倒的にアニメのほうなんですけど、語り手の真意を伝えるのは、やはり原作小説のほうなのかなと思ったりも。
 あそこは、ハッキリと仲良くしている姉妹の様子を描写してしまうよりも、それを敢えて書かずに、「まあ、実際はどうだかわからないけどな」という奉太郎の心の声が聞こえてきそうな結末にするほうが、ひとつの物語として深みを与えるオチになると思います。行間を読むってやつですね。ハイ。
 正直なところ、「心あたりのある者は」以降は、ちょっと謎自体に無理が出てきてしまったこともあり、登場人物の心情描写以外の部分は全然楽しめなかったかなと。まあ、登場人物云々という点についても、里志と摩耶花には『クドリャフカの順番』までであまり良い印象を持っていないため、大筋においてどーでもよかったんですけどね!
 唯一面白かったのは、「手作りチョコレート事件」における心理戦かなー。里志は感心できるレベルのクズ野郎でしたが、えるを同席させることで断られないための布石を打った摩耶花にも「よくやるなあ」と感心してしまいました。むしろ、そんな心の機微を察することのできた奉太郎がすげえや。
 里志と摩耶花は、色んな意味で似合いの二人だと思います。問題は、事ここに至るまで、どうして摩耶花が里志に執着しているのかまったくわからないことだけですわ(ダメじゃん)。
 えると奉太郎に関しては……どうなんだろう。最後の「遠まわりする雛」を読む限り、たしかにお似合いではあるんですけど、かなり奉太郎のほうが先走っていて「え? 大丈夫?」と不安になるような感じじゃありませんでしたか。
 いやあ、付き合ってるわけでも告白されたわけでもないのに、お前の将来のために進路を決めようかみたいなこと言われたら普通怖いですよね。ホントに言わなくてよかったね。よかったね。

 つーわけで、面白かったけど、なーんか諸手を挙げて歓迎できるような感じでもないという不思議な作品ですねということで。


【小説】クドリャフカの順番

2012-08-20 | 小説
クドリャフカの順番 (角川文庫) クドリャフカの順番 (角川文庫)
価格:¥ 660(税込)
発売日:2008-05-24

 読了。

 面白かったです。アニメも面白かったですが、原作小説は登場人物たちの心情を掴みやすかったので(古典部メンバーの一人称視点が場面によって切り替わるため)、ひとつひとつのシーンの持つ意味がよりわかりやすくなっていました。
 期待すること、されること。才能を持つ者、持たない者。文化祭という大きなイベントを軸にしつつ、ミステリ要素で味つけを加えて、キャラクターたちの青臭い葛藤を描くことに成功した良エピソードだったと思います。ハイ。
 以下雑感。

・えるの「里志と摩耶花はいい人だけど、奉太郎に対する不当な評価だけは納得できないという心情描写にだいぶ救われた気がする。正直、これまでも、現時点で〝えると知り合ってからの奉太郎〟しか知らない読者からすると、奉太郎に対する里志と摩耶花の言動がかなり偏執的に見えるので不愉快でした。これで例えば、奉太郎の「やらなければならないことは手短に」というモットーが、「手短に=手抜き」みたいな形で他人に迷惑をかけるなら分かるんですが、単に積極的でないというだけの理由で奉太郎のことを怠け者呼ばわりしているなら、ワリと酷いですよね。この点に関しては、デリカシーのない体育会系のゴリ推しめいていて不愉快だったので、作中に同じことを感じてるキャラがいると知って安心しました。

また、里志の心情描写が行われたことで、摩耶花のことを憎からず思っているどころか、完全に両思いとわかったのは僥倖……ってほどでもないか。むしろ、頭の中で他人の採点をしながら暮らしてるような描写が多かったので、更に印象が悪くなりましたね!wしかし、興味を抱かせる対象にしか思い入れを持たない里志が、高校に入学する前の奉太郎と友人関係を続けていたってのがよくわからないんだよなあ。そのへんは今後に向けた伏線なんでしょうか? だとすると、奉太郎=無気力と決めてかかっているような言動と矛盾する気がしますけど……。

・同様に、摩耶花が「空気を読めない」のではなく、「空気を読まない」キャラだというのも明らかになりましたが、このへんもさして驚くほどの新事実というわけでもなく。ただ、漫研で一番のタヌキは間違いなく部長。あの人こわいわー。無害キャラ装ってるけど、自分の手のひらの上で踊る人間を見て楽しめるタイプ。入須といい、怖い女キャラ多いですね。そんなわけでメタな視点で見ると、摩耶花(とナコルル先輩)は振り回された被害者ということになりますけど、まー、やっぱ自分の犯したミスのリカバリを最優先事項に置かないあたりには好感を抱きにくいかなと。アニメ以上に自分のことでいっぱいいっぱいになっていたので、可哀想ではあるけど同情できねーなみたいな感じで。

・逆に、アニメに比べて好感度が上がったのはえるだったり。アニメは演出過剰で、挙動不審すぎたのでコミュ障に見えて気持ち悪かったですけど、原作小説は「自分の思想信条に合わないことをしている」という部分が強調されていたので、これが本来の形なんだろうなと。あと十文字事件絡みで、奉太郎が里志だけ連れ出そうとしたときの様子が、僕にとっては『クドリャフカ』のフェイバリットでしたよと。

 つーわけで、面白かったですということで一つ。


【小説】愚者のエンドロール

2012-07-27 | 小説
愚者のエンドロール (角川文庫) 愚者のエンドロール (角川文庫)
価格:¥ 560(税込)
発売日:2002-07-31

 読了。

 1巻同様、アニメを見てから読みました。今回はイマイチだったかなあ。アニメのほうもイマイチでしたし。面白くなかった作品についてダラダラ語ってもしょうがないので、要点をザックリと二点に分けてまとめてみます。

 第一に、僕が『愚者のエンドロール』を楽しめなかったもっとも大きな理由は、登場人物たちのアンフェアさが引っかかったということです。この登場人物というのは、奉太郎をはじめとした古典部の面々も含まれます。
 なんつーかなー、身も蓋もない言い方をすると、コレって「奉太郎を勘違いさせて、鼻っ柱を折ること〝だけ〟を目的とした話」ですよね。僕はべつに「常に主人公はいい目を見るべきだ」とは考えていませんが、持ち上げて落とすことを主目的にしたような描かれ方をされたキャラたちを見ていると不愉快です
 チャットで入須に「踊ってくれるやつはいる」なんて言い方をする奉太郎の姉をはじめ、無関心な素振りで対案の揚げ足取りばかりする奉太郎も、無責任な物言いばかりの古典部の部員たちも、自分の都合のいいように周囲を動かそうとする入須も、内部のゴタゴタを外に持ち出す二年生たちも、どいつもこいつも不愉快すぎてなあ……。ぶっちゃけ、キャラが不愉快に感じる物語って基本的に面白くないですよ。

 第二に、それでもアニメよりは原作小説のほうが面白かった、というか、いくらかマシだったのは間違いないかなと。何故か。それは原作のほうが〝行間を読む〟ことができる作りになっているからです
 これは僕の個人的な感想ですが、『氷菓』アニメにおいて、原作2巻にあたる『愚者のエンドロール』は、(皮肉なことに)上記した第一の問題点に書いた「奉太郎に勘違いをさせて、鼻っ柱をおること」にスポットを当てて再構成された脚本になっていた、と思います。
 原作小説では、喫茶店で入須と二度目に対峙した奉太郎は、比較的感情を抑えて言葉を紡いでいます。ところが、アニメの同じシーンでは、演技、演出過剰に感じるほど、奉太郎は激情に任せて入須に言葉をぶつけていました。また、喫茶店を立ち去るときの映像を見る限りでは、「奉太郎は心から信じていた人に裏切られた」といったような絶望感すら伝わってくる演出になっていました。
 や、正直、アレはやりすぎですよね。原作では、奉太郎は憤りや怒りの感情より、諦観のほうを強く抱いていたように読み取れますので、あんなふうに入須を強く糾弾するような形にしてしまったら、あのシーンの持つ意味、ひいては奉太郎というキャラクター像が歪んでしまうような気がします。
 で、行間を読むことができる、という話がコレとどう繋がるかというと、僕は真の意味で原作を再現するのであれば、奉太郎と入須のやり取りではなく、入須と本郷、そして入須と奉太郎の姉のチャットでのやり取りを強調すべきだったと思うのですよ。最後の数ページに書かれた、あのチャットログこそが、『愚者のエンドロール』におけるキモだったのではないかな、と。
 どういうことかというと、あのシーンにおける入須に対する奉太郎の姉の指摘は、古典部OBが発するモノとしては最大限の皮肉になっていて、「プロジェクトを成功させなければならなかった」と弁解する入須にとっては完全に足場を崩される一言でした
 入須にとってのプロジェクトの「成功」というのは即ち、「出来の良い映画を完成させること」でした。しかし、それはあくまでも入須個人の価値観でしかなく、本郷をはじめとした二年F組の面々にとっての「成功」は異なるものでした。そして、その「成功」というのはおそらく、本郷がチャットに打ち込んだように「皆で完成させて万歳すること」ではなかったでしょうか。その部分に関しては、えるが言うところの〝良い人たち〟である二年F組の思惑は一致していたと思われます。
 ですが、実際に二年F組がどういう状況だったかといえば、入須に出来が悪いと判断されて切り捨てられた本郷は、半ばハブにされたような形で苦い文化祭の思い出を作ってしまうハメになりました。他の数名の生徒も、まったく無関係の古典部に茶々を入れられて外注した脚本に沿った映画を撮るハメになりました。
 こんなの、いくら映像の出来がよくても「良い文化祭の思い出」にはなりません。これは1巻のときに解き明かされた過去の古典部の歴史をなぞるような出来事です。誰かの犠牲の上に成り立つプロジェクトの「成功」……すべてを見通す奉太郎の姉には、こうした絵図が見えていたハズです。
 だからこそ、あのシーンで奉太郎の姉は「女帝」に釘を刺した、というふうに僕には読み取れました。無言でチャットルームを退室したのは、「あたしに言い訳しても、あんたのやったことは償えないでしょう」という意思表示だった気がします。
 結局、『愚者のエンドロール』が示すところの「愚者」というのは誰だったのか、と。
 アニメでは奉太郎が「愚者」だったということが強調されていました。原作では行間を読むことで、入須もまた「愚者」であったということが明確に示されているとわかります。このさじ加減の差によって、僕はアニメよりも原作のほうが上手いことまとまっているというふうに思えたわけです。

 なんか短くまとめるつもりが長くなりましたが、文化祭の話は面白いので続きも読んでみようと思いますということで一つ。


【小説】ミレニアム 3

2012-06-21 | 小説
ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫) ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
価格:¥ 945(税込)
発売日:2011-12-05

ミレニアム3  眠れる女と狂卓の騎士(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫) ミレニアム3  眠れる女と狂卓の騎士(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
価格:¥ 945(税込)
発売日:2011-12-05

 読了。

 2巻からだいぶ間が空きましたが、上下巻とも読み終えました。
 ようするに、三月の時点で「今週中に続きを読んでしまいたいです」とか言ってたのは明らかにタワゴトに過ぎなかったということになります。全部『スパロボ』と『FE覚醒』と『ドラゴンズドグマ』のせいや! 僕は悪くないんや!
 ――とまあ、そんな感じで。実際のトコロ、作者さんがすでに亡くなられているので、「続きの構想はあったのにコレで完結する」というのが前もってわかっていると、読んでしまうのが少し勿体なく感じてしまってなあ……
 いや、残念ですね。たしかに3巻でリスベットにふりかかる問題は一段落した感はありますが、妹の件や彼女の財産の行く末など回収できる伏線はいくつも散りばめられているので、できることなら作者さんには健やかな余生を送り、『ミレニアム』を完成させて頂きたかったです。まあ、それはいくら言ってもどうしようもないことですが。

 ともあれ、3巻も満足のいく内容でした。
 特に面白さが加速してきたのは、上巻で〝班〟のメンバーがついに強攻策に及び、ミレニアム関係者の周辺に盗聴器を仕掛けて尾行を始めたあたり。その企みにミカエルがいち早く気づいて対応策を打ち出したのは、俺TUEE要素のあるスパイモノっぽくてすげー脳汁出ました。正直このへんからページをめくる手が止まらなかったっつー感じです。ハイ。
 しかし、なんだか今回(というより作品を通じて?)は一貫して、過去の権力にしがみつく老人の姿が悪辣に描かれていましたよね。リスベットを取り巻く状況はもちろんのこと、それとは直接関係のないところでエリカがソレの犠牲になったりもしましたし、やはり書き手がジャーナリストだけあって容赦がないというか、権力者が既得権の確保を優先する姿勢は世界中どこでも変わらないんだなあと思ったりも。
 また、女性の権利について語る内容が多いのも相変わらずで、特に3巻ではこれまで以上に「優秀な女性」という存在がクローズアップされていたように感じました。物語のターニングポイントでは必ず女性キャラが「真実に気づいていながらも、大目に見てスルーする」という描写が挿入されていたあたり、かなり意識的に書かれているんじゃないでしょうか。
 どうでもいい話、公安の金髪さんは初登場時から妙に描写に力が入ってるなーと思っていたんですけど、そんな違和感を証明するかのごとくミカエルと早い段階で肉体関係を結んでいてちょっと笑いました。「またかよオメエ」的な。

 んで、一応コレで完結ということで作品を総括すると「ハッカーすげえ」というところに帰結する作品だったなと。
 や、ぶっちゃけ1巻のときから感じてましたけど、この作品におけるすべてのご都合主義はそこに集約してますよね。元々続きの構想もあったらしいですし、3巻ではハッカーの設定が少しだけ掘り下げられていたので、たぶん何らかの意図があってこういう設定にしたんでしょうけど、少なくとも3巻の時点では「便利な設定だなあ」としか思えません。
 身も蓋もない言い方をすると、「気に食わないやつの裏事情を全部自分が握ってそれをチラつかせて支配下に置く」って、「教室にある日突然テロリストが攻め込んできたらオレが颯爽と解決」系の厨二妄想じゃないですかコレw
 正直、作品において肝となる「国ぐるみの陰謀にどのように立ち向かうか」という部分の解決策として「世界的なハッカー集団が協力してくれました」っていうのは、ちょっと安易すぎやしないかなーと思ってしまうところもあります。ミカエルがPDAとは別に携帯電話を配管に置く、みたいな工夫は思わず唸るポイントですが、その根っこにあるのが「リスベットならネットに繋ぐことさえできればあらゆる問題を解決できる」という、いかにもフィクション的な設定だと少し冷めますよね。
 ただ、徹頭徹尾、相手側の思惑の先をいくという展開は爽快感がありましたし、ヒットマンにミカエルが狙われるというのはスリルもあったので、ハッカー設定は面白さそのものには影響がないのかもしれません。
 個人的に感心したのは、あまり出番が多いわけではなかった裁判長の一言。
 要約すると「たしかにリスベットは国家によって人権を侵害されていたが、それはそれとして今後世間からマトモな人間として扱われるためには、そういうふうに振る舞わないといけない」と諭すくだりがありましたが、アレはたしかにその通りだなと思いました。その流れを受けて描かれた最後のリスベットとミカエルのやり取りは、1巻、2巻のころを踏まえると考えられないようなものなので、裁判を通じてリスベットは大きく変わりつつあるのかなとも。
 それだけに、成長したリスベットと、(ある意味)まったく成長しないミカエルが、これからどのような関係を築いていくのかスゲー気になるんですけど。繰り返しになりますが、もう続きは読めないので、こればっかりはしょうがないっすなあ……。

 なにやらとりとめのない文章になりましたけど、未読の方はいつか是非読んでくださいねということで一つ。


【小説】氷菓 1

2012-06-01 | 小説
氷菓 (角川文庫) 氷菓 (角川文庫)
価格:¥ 480(税込)
発売日:2001-10-31

 読了。

 かなんさんの提唱した秘技「アニメのペースに合わせて読む」を実行中。面白かった!

 んで、これはいわゆる「日常の謎」系の作品と考えて問題ないと思うんですが、コレ系の作品はラノベでも最近わりと見かけるようになりましたよね。僕が読んだ中で代表的なのは『子ひつじは迷わない』とか。
 何年も前に加納朋子さんの作品を薦めてくれた友人曰く「このジャンルのはラノベに合う」とのことでしたが、言ったとおりになっているのはスゲー。源氏物語をモチーフにしたラノベが出るってのも予見してましたし、先見の明があるっていいことなのだわ。とはいえ、まだメガヒット作品は生まれてない気がしますが。
 と、こんなふうに書くと、「そもそも『氷菓』って10年前の作品だしwwww」とか言われるかもしれませんが、ここで言うラノベってのはラノベレーベルから発売されているものだと思ってください。上のブログジャンルがラノベではなく小説になっているのはそういうワケ。まあ、そうすると今度は前段の発言と矛盾するんですけど、ぶっちゃけ僕の中だとこれくらいもラノベの範疇だったりします。
 正直、僕が学生のころはラノベと言ってもこれくらい中身のあるのが当たり前だったのに、ここ数年で本当に〝軽い〟小説が増えたからなあ。べつにそれが悪いとは言いませんが、小説未満を沢山バラまいて『IS』や『ハイスクールD×D』みたいにクラスチェンジを狙う作品ばかりになるとキツいなあと思ったりも。

 閑話休題。

 内容に関しては、アニメ→小説という順番で見た(読んだ)ので、新鮮味という意味では特筆すべきところは特にナシ。
 ただ、小説を読むとアニメがよくできているのがよく分かるってのは間違いないと思います。よくこんな地味な話を、毎回30分近く退屈させずに見せる映作りができるもんだわ。
 や、べつに原作をdisってるわけじゃないんですが、ひとつひとつの謎がホントどーでもいいじゃないですかw言うなれば「日常に潜む謎を解き明かす」というより「日常の出来事を無理矢理謎に仕立てあげている」という感じなので。
 でも物語の構成はすごく練られていて、例えば1話、2話では〝えるの超感覚〟とでも呼ぶべき五感の鋭さが事件の発端になっている反面、3話では〝えるの超感覚〟が鈍っていたからこそ事件と呼ぶべき謎が生まれた形になっているあたりはとても巧いなと。
 あと、登場人物に不快感がないのはいいですね。里志が狂言回しすぎて、少し言動が鼻につくのが気になるといえば気になりますけど(これは先にアニメで阪口さんの好演を見ているのに助けられたかな?)、えるの強引さだったり、奉太郎の煮え切らなさだったり、他の作品であれば引っかかりそうなところでマイナス要素ナシでキャラが立っているのは作家さんの実力を感じました。
 しかし、奉太郎をはじめとしたキャラクターたちの性格設定は、1巻を読んだ限りでは過剰なまでに強く味つけ(アピール)されていますが、これは2巻以降で掘り下げられたりする……んだろうなあ。ここまで構成に凝る作家さんが、最後まで考えてキャラクター設定をしていないハズがないので、続きがスゲー楽しみです。

 だけどアニメのペースに合わせて読むからまだ2巻を読めないちゃん!
 つーわけで、早いうちに前言撤回する可能性大ですということで一つ。