サークル揚柳屋の同人誌『アマガセ』と『28651!』を購入。
それぞれ『アマガミ』本と『にゃんこい!』本です。作者は揚柳崇志さん。
この揚柳崇志さんという方は、先月発売した『アマガミ Various artists 2』の漫画を読むまで存じていなかったのですが、冬コミに参加した友人に「そういえば、あの人がにゃんこい本を出してたから買った。面白かった」という話を聞き、自分でも購入に踏み切ったという流れ。あ、ちなみに「全体の九割が成年向け」と言われる同人市場では珍しく(?)全年齢向けの本です。
――ああ!
コレは確かに面白いな!
絵心は全くないもので詳しいことは分かりませんが、自分の絵の味を残したまま原作絵の再現度が高いってあたりがツボだわー。ネタもアンソロ同様面白いというか、原作の風味を再現しつつもキレ味鋭くて実にイイ。
なんでこんな面白いんだろう。
なんでこんな物足りないんだろう。
なんていうか、特別薄いとも高いともコストパフォーマンスが悪いとも思わないけど、むしろ満足度は高いんだけど、それぞれ一冊ずつ読むだけじゃ全然物足りないんだ。ただただ単純に、この人の描く『アマガミ』や『にゃんこい!』の漫画をもっともっともっと読みたいんだ。
今後はチェックしたいと思います。
そして、『28651!』の最後。
「二期はできるだけ原作に忠実に進みますように」で泣いた。
>「神の居ぬ間の~」再UPお疲れ様です。
>いえ、はい、再度しっかり読ませていただきました。自分は何度も読む派です。
>このシリーズ、姫百合バッドエンドからの派生だったんでしたね。すっかり忘れてました。
>深刻だった割にはあっさりオチのついたミルファとは別に、
>イルファさんがどんな学園生活を送っていたかの描写も読んで見たかったですが…。
>今更、ふと気付いたのですが、
>人気の髪型なハズがTH2ヒロインズにポニテって皆無だったんですね。
>当時、公式発表前の二次創作ミルファにポニテが多かったのもそのためでしょうか?
>春夏さんがかろうじて?ヒロインと呼ぶには年が…ゲフン!
>…あれ?今自分、何を言おうと…?
>と、とにかく、残り短編の再upも楽しみにしています。
読んでくださって、どうもありがとうございました。ホント長いのによく……ウッ(´;ω;`)
そもそも姫百合バッドエンドからの派生にしたのは、すごく個人的な理由がありまして、
ぶっちゃけ、あれだけ歪んだ人間が集まったら、ハッピーエンドなんて無理やろと。
正直(三宅シナリオ全てに言えますけど)バッドエンドになるほうが自然なんですよね。
誤解を恐れず言わせて頂きますと、キャラクター最悪すぎんすよ、姫百合シナリオw
で、"原作を再現"しようとすると、どうしても瑠璃や貴明が人間のクズになってしまうため、
「一度バッドエンドで痛い目を見たので人間的に成長した」というステップを置いて、
貴明や瑠璃に(タマ姉たちにも)人並みの常識を身につけてもらうという苦肉の策です。
このへん、『AD』後に書いたリバースもそうですけど、拡大解釈しないとキャラの良点を
見つけられないって相当ヤバイですね。
イルファさんは『AD』以前のキャラか、もしくはOVAのキャラだったら何事もなくクラスに
溶け込んでそうです。『AD』のキャラだったら、サムすぎて浮くでしょうね(えー
ポニテに関しては、人気がある髪型で、かつ『TH2』に同じ髪型がいなかったというのは
もちろんのこと、おそらく僕ら世代にとって「活発ヒロイン」の代名詞的な?
ポニテにはそういうイメージがあるので、ミルファ想像図に合致したのではないでしょうか。
しかし、春夏さんのエロシーンがないというのは随分叩かれていましたけど、
アレってホントに求めてた人いるんでしょうかw
今、『TH2』の最序盤をプレイすると、
春夏さんが登場するときの貴明の中での立ち位置が「普通の隣のおばさん」なので、
発売後数年で膨らんだイメージとのギャップがちょっと笑えますよ。
僕はずっと「普通の隣のおばさん」って感じで捉えてたので、『AD』のプロローグ夢精で
キメェwwwwwwって素で吐き出しましたw
というわけで、
うわあ! キツイ! やめて!
ぼくにオリキャラを見せないで!
月間のはじまり。
羞恥プレイってされるのは好きじゃない。あ、するのは好きです。
だから、オリシルファは基本羞恥プレイを仕掛けられるキャラだったんです。
羞恥心、蕩れ。
あれ?
奇跡的に話が繋がったよ、おい。
とある休日の昼下がり。
「ねえねえ、貴明。酔っぱらうってどんな感じ?」
ミルファが唐突にそんなことを訊ねてきた。
「いきなりなんだよ」
「テレビで見たの。酔っぱらうのって気持ちいいのと悪いのがあるんでしょ?」
「気持ちいいのと悪いの……? 乗り物に酔うのは気持ち悪くてアルコールに酔うのは気持ちいいってことか?」
「そうそれ! 同じ酔っぱらうなのにどうして感じ方が違うの?」
「いや、俺に聞かれても」
申し訳ないが分かるはずがない。この国では未成年の飲酒が禁じられていて、俺は未成年なのです。
だからといって乗り物酔いについて語りたいとは思わないし、ていうか、
「……なあ、いいかげんこの体勢やめないか?」
普通、話すときは隣り合うか向かい合うべきで、上下に重なり合うべきではないと思う。
しかも問題なのは位置関係だけではない。ミルファは俺の頭にのしかかってきていて、より具体的に言うと、あぐらをかいた俺の背中に抱きつくようにして、頭に胸を乗っけているのである。
「だってここ落ちつくんだもん」
「俺はちっとも落ちつかないからどいてくれ」
落ちつかないどころか、これではほとんど拷問だ。重さよりも柔らかさが気になってしょうがない。禅寺で修行する坊さんの心持ちでいなければ、いつ鼻血が吹き出してもおかしくなかった。あと、俺の頭をここ呼ばわりするな。
「じゃあじゃあ、気持ちいい方だけでいいから、酔っぱらうってどういう感じなのか教えて?」
「完全にスルーですか」
諦め混じりのため息を吐き出す。
慕ってくれるのは嬉しいのだが、それにも限度があるというか、最近は傍若無人っぷりに磨きがかかりすぎというか。
「なんや、みっちゃん。酔っぱらってみたいの?」
おっとりした声は珊瑚ちゃんのもの。
シルファと一緒にやっていたゲームが一段落したのか、てくてくとこちらに近づいてくる。
「うーん、どうしてもってわけじゃないけど、できれば試してみたいかも。珊瑚様そういうのってできます?」
「おいおい、そんなのできるわけ――」
「できるよ~」
嘘!? できるの!?
思わず珊瑚ちゃんをまじまじと見つめてしまうが、ほわんとした表情は普段とまったく変わらない。珊瑚ちゃんを疑っているわけではないのだが、なにせミルファはメイドロボなのだ。たまにその事実を忘れかけるとはいえ、人間みたいに酒を飲めば酔っぱらえるというわけではないはずで、だったらどうやって酔っぱらわせようというのだろうか。
「それじゃあお願いしま~す」
「ええよ~。せっかくやし、しっちゃんもやってみる?」
満面の笑みを浮かべた珊瑚ちゃんが振り向くと、コントローラーを両手で握ったままふたりのやり取りを眺めていたシルファは、どうしてか俺とミルファを見比べながら、
「えっ、あの、その、よろしいのですか?」
「もちろんや~」
「そっ、それでは失礼して……」
シルファは、てくてくとこちらに歩いてきたかと思うと、少し遠慮がちに、
「え、えいっ」
「ほわ?」
ミルファが俺にしているみたいに、後ろから珊瑚ちゃんに抱きついた。
……ああ、そういう方向に勘違いをしたのか。
本能のままに振る舞う姉を見て、羨ましいと思ってたんだろうなあ。
シルファはすごく幸せそうな顔をしているし、文句を言うつもりはないのだが、
ホント、どこまでも人の話を聞かない姉妹なのだった。
×××ALCOHOLIC
珊瑚ちゃんは、目にも止まらぬ速さでキーボードを叩いている。相変わらず表情と手の動きが合っていないのがすさまじい。まるでうさぎよりも速く走るカメを眺めているみたいな光景。
「たっのしみだなー」
珊瑚ちゃんに向き合って、リビングのソファに腰かけたミルファは、待ちきれないのか足をぶらぶら揺らしていた。
その両隣には、イルファさんとシルファが並んで座っている。
「ミルファは妙に盛り上がってるけど、嫌だったら無理に付き合わなくてもいいと思うよ?」
「いえ、実は私、一度お酒に酔ってみたかったんですよね。良いも悪いも経験してみないことには分かりませんし、珊瑚様にお任せすれば心配はいらないと思いますので」
「わ、わたしも、お母さんを信じてますからっ」
イルファさんは比較的リラックスしているが、シルファは少し緊張していた。珊瑚ちゃんのことは信じているけど自分がどうなるか不安、といったところか。
少し前に珊瑚ちゃんから説明をしてもらった。
詳しい内容は専門的すぎてさっぱり分からなかったが、簡単に言うと「メイドロボを酔った状態にするプログラムを走らせる」ことによって、擬似的にミルファたちを酔っぱらわせることができるとか何とか。プログラムを走らせるなんていうから最初は何事かと思ったが、原理は人間が体内にアルコールを摂取するのと変わりないらしい。
ちなみに瑠璃ちゃんは、先ほどから珊瑚ちゃんの隣で俺を睨みつけている。口には出さないが、あの表情は「どうしてさんちゃんを止めんかったんや」って感じだろう。
ごめん。基本的に珊瑚ちゃんを止めるのは無理。たぶん誰にも止められない。
「できたで~」
早っ。
なんてことないように見えるけど、きっと普通の人がやろうとしたらとんでもなく難しいことなんだろうなあ。
「そしたら三人ともスリープモードになって」
スリープモード。つまり眠っている状態になれ、ということだ。
ミルファたちは三者三様の返事をして瞳を閉じる。ソファの背もたれがかすかに軋んで、全身が弛緩したのが分かる。
「いくで~、ぽちっとな~」
思わず腰が砕けた。
こんなに気の抜ける「ぽちっとな」は初めて聞いた。
「あれな、ボタン押すときのお約束なんやて。長瀬のおっちゃんが言うとったわ」
「……あの人は一体なにを教えてるんだ」
「文化を次の世代に伝えとるらしいで」
よう分からんけど、と言葉を結び、瑠璃ちゃんは三人の方に視線を戻す。
俺もその視線を追いかけるが、パッと見どこか変わったようには見えない。まだ三人とも瞳を閉じているし――
「お」
最初に目を開けたのはミルファだった。
長いまつげを震わせ、ミルファはきょとんとした顔で不安げにあたりを見回している。
「どうだ? 酔っぱらってみた感想は」
実を言うと少しだけ興味があったのだ。俺が酒の美味さを理解するには、少なくともあと数年は必要だと思うが、どういう感じなのかフライングで聞いてみるのも悪くない。
ミルファの傍らに歩み寄り、軽く肩を叩くと、
「ふっ、」
ミルファは、びくりと身をすくませ、
「――ふえぇぇぇぇぇ~ん」
なんとも情けない声をあげたかと思うとソファから立ち上がり、俺を押し倒さんとするかのごとく、猛烈な勢いで抱きついてきた。
「どっ、どうした?」
「たぁ~かぁ~あぁ~きぃ~、ごめんなさぁぁ~い~」
「な、なに謝ってんだ、おまえ」
「ごめんなさぁ~い、いつも迷惑かけてばっかりでごめんなさ~い」
「……泣き上戸やな」
俺の首にしがみついて離れないミルファを見て、瑠璃ちゃんがつぶやく。
泣き上戸っていうとあれか。酒が入ると急に悲観的になって、ちょっとしたことで悲しくなって、生まれてきてごめんなさいとか言い出すやつ。いや、偏った知識だってのは分かっているが、大体そんな感じだと思う。
「ダメな専属メイドロボでごめんなさぁ~い、あたし謝るからぁ~、だから捨てないでぇ~」
ミルファたちは涙を流せないから厳密には泣いていないのだが、確かにこれは瑠璃ちゃんが指摘したとおりの「泣き上戸」で間違っていない。
が、
「ち、ちょっと珊瑚ちゃん! 酔っぱらうってこういうことなの!?」
「ん~? だって酔っぱらい方は人それぞれやろ?」
と、笑顔で首を傾げる珊瑚ちゃん。
俺が言いたいのは、もちろんそういうことではない。俺はてっきり、立って歩こうとするとふらふらするとか、少しだけハイになるとか、その程度の変化しか現れないと思っていたのだ。
完全に予想の斜め上を行かれた。
――教えられた。これが、天才の思考っていうやつだ。
ミルファはますますしおらしい様子で、俺にべったりと密着しながら、
「貴明あたしのこと嫌いだよね? 自分勝手なことばっかりしてるメイドロボなんていらないよね?」
思わず、おまえ自覚あったのかよ、と突っ込みたくなったが、ぐっと堪える。今のミルファは脳天気で楽観主義者のミルファではない。落ち込んでいるのをさらに突き落とすような真似はとてもじゃないけどできない。
「嫌いなわけないだろ」
「ホント?」
「ああ、ホントホント」
「じゃあ好き?」
出た。
出ましたよ、究極の二極化ですよ。
嫌いじゃないなら好き。好きじゃないなら嫌い。こういうのってすごく答えづらいのは俺だけだろうか。
そりゃ好きか嫌いかで言ったら好きなのだが、ミルファが望んでいるであろう答えは明らかにそういう好きではない。ライクじゃなくてラブ。そして、ここで好きって返したら次は「じゃあ結婚して」とか言われそうな予感がひしひしと。
「……あたしのこと嫌い?」
とはいえ、捨てられた子犬みたいに、上目遣いでこちらの顔色をうかがいながら訊ねられて突っぱねるわけにもいかないので、
「――もちろん、ミルファのことは大切に思ってるよ」
「よかったぁ、貴明だいすきっ!」
俺の笑顔に安心したのか、ミルファは甘えるみたいに頬ずりをしてくる。実のところ聞かれたことには答えていないというか、大きな胸と小さな胸のどちらが好きか聞かれて美しい胸が好きと答えたようなものなのだが、どうやら上手くごまかせたらしい。酔っぱらって判断力も低下しているのだろうか。
もっとも、ごまかせたのはミルファだけで、視界に入った瑠璃ちゃんは爬虫類を眺めるような目つきで、
「この女ったらし」
いや、我ながら苦しい逃げ口上だったと思ってるんだから、あまり責めないでもらいたい。
「みっちゃんは酔っぱらっても貴明すきすきすき~やなあ」
「……あのさ、これってどれくらいで元に戻るの?」
「夜になれば治るよ~」
でも、少なくともしばらくはこのままってことか。
きつすぎる。
「今すぐ治せないかな」
俺の考えが甘かった。
酔っぱらいの相手をするのは想像以上に厳しい。
だって、
「……貴明、やっぱりこんなあたしじゃ嫌?」
繰り返すが、あまりにも考え方が両極端なのである。
とてもじゃないが何時間も付き合い続けられるとは思えないし、一度目を上手く切り抜けられたからといって、あんな手が何度も通用するはずがない。
「いや、ミルファに不満があるわけじゃないって。えっと、まあ、なんていうか、どっちかっていうといつものミルファの方がいい……ってわけでもなくて、今みたいにしおらしいミルファもそれなりに新鮮……とまでは言わないけど、だから、」
ああ、もう何と言ったらいいのやら。
正直、どんな言葉を選んでも地雷を踏みそうな気がする。
ちなみに本音を言えば、多少は傍若無人であってもミルファは普段の方がいいと思う。少なくとも気疲れすることはないし、気兼ねなく接することができるというのは人付き合いにおける最重要事項なのだ。
「ね、貴明、あたしのこと好き?」
オウ、これまたお約束。
そういえば親父もそうだったなあ。酔っぱらいって同じ質問を何度も繰り返すんだよなあ。
「さっきも言ったけど、ミルファのことは大切に思ってるよ」
「ちーがーうー。あたしはそんなこと聞いてるんじゃなくて、好きかどうかを聞いてるのー」
なんと追求が厳しくなった!
とりあえずという感じで泣き止んでいるミルファは、鼻と鼻がくっつきそうな位置でふくれっ面を晒している。客観的に見るとミルファは掛け値なしの美少女なので、こんな体勢になったら赤面せずにはいられない。先ほどから理性を総動員して戦い続けているが、そろそろ限界が近かった。
瑠璃ちゃんに救いを求めるため、半分身体をずらそうとしたら、
「――あ?」
何が起こったのか疑問を感じる間もなく、ものすごい力でミルファから引き剥がされ、
「、ぐ」
次の瞬間には、背中をカーペットにつけ、呆然と天井を見上げていた。
白い天井。
白い下着。
蛍光灯の明かりを背負い、険しい表情で俺を見下ろすのは、
「シ、ルファ?」
「――貴明様は、堕落しました」
硬い声。
金色のおさげを振り乱しながら、シルファは両手を腰に当て、あおむけになった俺の腹部に右足を乗せる。
うわー、なんかこれってすっごいデジャヴ。
「まだ日が高いうちからなにをしてらっしゃるんですか。もっとも、夜ならなにをしてもいいというわけではありませんが、それにしたって異常です。お姉様とべたべたべたべたべたべたべたべたしすぎです。とても健全とは思えません。不健康です。粛正します」
引っ込み思案なのが嘘のように饒舌になったシルファは、右足に力を込めて、ぐりぐりとつま先を動かす。
「本来であれば、こうして横たわった貴明様の上で紅茶をたしなむことによって反省を促すところでしたが、わたしにも慈悲の心はあります。今日のところはこれで勘弁してさしあげましょう」
「ちょ、ちょっと待った! これは色んな意味でヤバイって!」
「なにがヤバイというのですか。わたしの下着が見えていることがですか。貴明様はわたしの下着を凝視して興奮なさっているのですか」
しっかりバレてた。
でも凝視はしてないぞ。神に誓って、ほんの少し視界に入ってるだけだ。俺が悪いのではなく、スカートが短すぎるのがいけないのだ。
「……サイテーやな」
「ご、誤解だってば! そんなことより助けてよ! シルファを止めてよ!」
「無理や」
瑠璃ちゃんは、シルファに踏まれ続ける俺を凍えるような目つきで一瞥し、
「ミルファは泣き上戸やったけど、シルファは普段おとなしい反動が出てるみたいやな。酔っぱらった影響でこうなっとるなら、しばらくこのまんまちゃうか」
マジかよ。
酒が入って性格が変わるってレベルじゃない。口調から何からまるで違うし、これじゃあ完全に別人じゃないか。
シルファの〝S〟ってSサイズのSじゃなかったのか?
ひょっとして隠された別の意味もあったっていうのか?
このギャップは、すごいを通り越して酷い。
俺から引き剥がされたミルファは、ソファの脇にぺたんと尻をついて、
「ふえぇえ~ん、貴明が踏まれて喜ぶヘンタイになっちゃったよぉ~」
なってねえ。
酔ったどさくさに紛れておかしなことを言うのはやめてくれ。
「しっちゃん楽しそうやなあ。ウチもやる~」
「お母様も一緒なら鬼に金棒、猫に小判です」
珊瑚ちゃんは止めるどころか、シルファの真似をして俺の腹をぐりぐりし始めた。
ていうか、鬼に金棒と猫に小判はまったく意味が違う。
「ぐりぐりぐり~」
「ぐりぐりぐり~」
仲良く同じ仕草をする親子に、馬鹿馬鹿しくも微笑ましさを感じてしまう俺。体重をかけられているわけではないので、多少くすぐったいだけで痛くはないのである。とはいえ、ふたりのつま先がもう少し下にずれると大変なことになりそうなので油断は禁物だ。
「……なあ、貴明。アンタほんまに喜んでたりせえへんよな?」
「……そんなわけないじゃないか」
「その間なに? なんで間が空いたん?」
瑠璃ちゃんの視線はどんどん冷たくなっていく。半分どころか、もう既に八割くらい俺を信じていない。
このままでは本当にマズイ。
男として、いや人としての尊厳が地に落ちてしまう。
ミルファたちの暴走は時がくれば収まるが、瑠璃ちゃんの信用を取り戻すのは並大抵のことではない。どうにかして現状からのリカバリーを試みなければ。
俺は珊瑚ちゃんとシルファのつま先から逃れるため、身体を捻って上半身を起こそうとし、
「ごぉ~めぇ~ん~ねぇ~、貴明が踏んで欲しい人だって気づけない専属メイドでごめんなさ~い」
ダメだった。
奮闘むなしく、野生のクマみたいに飛びかかってきたミルファに再び押し倒された。ちょうど顔のあたりに胸が押しつけられている。ミルファは俺の上半身に右側からしがみついているのだ。
下半身は相変わらず珊瑚ちゃんたちの攻撃を受けていた。強すぎず弱すぎず、絶妙な力加減でふにふにと腹部が刺激され続ける。うわ、ちょっと下にずれてきた。あ、ダメだって、それはホントにダメ。
「る、瑠璃、ちゃん、助け」
もが、とミルファの胸で口が塞がれる。強く頭を抱きしめられる。
視界が完全に覆われる前にちらっと見えた瑠璃ちゃんは、もはやこちらに顔を向けていなかった。やがて軽い足音が聞こえ、ドアの閉まる音が辛うじて耳に届く。
なんてこった。
瑠璃ちゃんは、この状況をほっぽってマンションから出て行ってしまった。
俺は見捨てられたのだ。完全に。
「ふえぇえん、貴明さっきから瑠璃様のことばっかり見てるぅ~、やっぱりあたしより瑠璃様の方がいいんだぁ、ダメなメイドロボなんていらないんだぁ~」
「わたしたちにお仕置きをされながら瑠璃様に色目を使うなんてっ、本当に貴明様は堕落してますっ。これはもっともっとお仕置きするしかありませんね。えいえいっ」
「ぐりぐりぐり~」
――ああ、俺はここで死ぬのかもしれない。
これで死んだら死因は何になるんだろう。こういうのもアルコールが原因で死んだことになるんだろうか。ストレスで胃に穴があく前に、ミルファの胸に押しつぶされるだろうか。おっぱいによる圧死。それとなく幸せそうなのが逆に嫌すぎる。
いや、違う。
諦めるのはまだ早い。
たとえ瑠璃ちゃんが助けてくれなくても、もうひとり頼りになる人がいるじゃないか。三姉妹の長女であり、姫百合家の平和の象徴であり、この状況を打破できる切り札。
「あ、いっちゃんおはよ~」
救いの鐘の音、もとい、珊瑚ちゃんの声が知らせてくれたのは、その切り札の目覚めに他ならない。
イルファさんだ。
イルファさんが、目覚めてくれたのだ。
イルファさんなら、イルファさんなら、きっと何とかしてくれる。
俺は最後の力を振りしぼり、ミルファの胸から必死で顔をずらして、イルファさんに助けを求める。
「イ、イルファさん! イルファさーん!」
「――ふわぁい? あらあらあらぁ? なぁにかと思えばぁ、たぁかあきひゃんりゃないれふかぁ~。なぁんだかぁ、たぁいへんなぁことになぁってまぁふねぇ~」
一瞬で希望が砕け散った。
間延びした声を聞いただけで分かってしまった。
一番大変なことになっているのは、イルファさん自身である。
イルファさんは、他のふたりなんて比べものにならないくらい、べろんべろんに酔っぱらっていた。足下はおぼつかないわ、ろれつは回っていないわ、ある意味オーソドックスに酔っぱらっている。なるほど。三姉妹の中で一番アルコールに弱いのはイルファさんだったのか。
って、冷静に分析してる場合じゃない。
「イルファさん! 助けてください! 助けてください!」
わらにもすがる思いで、姫百合家の中心で愛ではなく救援要請を叫ぶ。
イルファさんはとろんとした目で部屋中を見渡してから、ようやく理解できましたと言わんばかりに大きくゆっくりとうなずき、
「ミルファちゃんたちばっかりぃ、ずぅるいれぇすぅ、わぁたしも一緒にぃ、可愛がってぇくぅらはぁ~い」
初めからダメだとは思っていたが、予想どおりイルファさんはまったくこちらの意図を察してくれなかった。千鳥足でふらふら近づいてきたかと思うと、
「ダ~イ~ブ~」
言うが早いか床に転がり、ミルファの反対側から俺の頭を抱きしめる。3cm差の膨らみに挟まれて、もう柔らかいやら気持ちいいやら何がなんやら。
「お会いしたぁときからぁ思ってまぁしたけろぉ、貴明ひゃんってぇかぁわいらしいれぇふよねえ。あのときはぁ、オイタしちゃってぇ、ごめんらはいれひたぁ」
もはや何を言ってるのか理解不能。
こんなことなら、先に珊瑚ちゃんに酔っぱらい専用の翻訳機を作ってもらうんだった。
「ちょっとぉ、たぁかぁあきひゃぁん? 聞いてまふかぁ? そもそもれふねぇ、おっぱいのおおきひゃれ女性のぉ価値は決まらないんれふよぉ? わかってまふかぁ?」
こういうの何て言うんだっけ。絡み酒だっけ。
「だいたいれすねぇ、貴明さんはぁ、わらひの旦那様らのにぃ、ふらふらしすぎなんれふ。ミルファちゃんやぁ、シルファちゃんにぃ、構ってばっかりれぇ、ちっともぉあらひのことを見てくれないらないれすかぁ」
支離滅裂すぎて話題の焦点すら定まらない。よりによってこんな厄介な酒癖の持ち主だったとは。
イルファさんは、半分涙目になった俺にすりすりと頬ずりをしながら、
「んっふふふ~、瑠璃様もぉ、いらっしゃればよかったんれふけろぉねぇ~」
ハッとする。
ひょっとして、瑠璃ちゃんは自分に降りかかる災難を予測して立ち去ったのだろうか。イルファさんに何か異変が起これば、真っ先に狙われるのは自分だと確信していたのではないだろうか。きっとイルファさんと一緒に暮らしているうちに危険察知能力が研ぎ澄まされていたに違いない。人間って不思議。
しかし、そんなことが分かったところで、見捨てられたという事実に変わりはなく、状況は悪化していくばかりである。
「あたし貴明のためにおっぱいおっきくしたのにぃ~、姉さんたちのちっちゃいおっぱいの方がいいんだぁ~、早とちりして勝手におっきくしてごめんなさぁ~い」
「堕落してますっ、堕落してますっ。両脇からお姉様に抱きつかれて喜ぶなんてここはどんなハーレムですかっ。貴明様はしっかり反省してくださいっ、今すぐ悔い改めてくださいっ」
「酔っぱらうろって気持ちいいんれふねぇ~、あははは~、瑠璃様~、イルファは星になりまひたぁ~」
ちらりと視界に入った時計の針は、未だにおやつの時間を指し示していた。
珊瑚ちゃんのプログラムの効果が切れるまで少なくとも三時間は残っている。
果たして俺たちがこの三時間をどのように過ごすのか、それはまったく見当もつかない。
ただひとつ確かなのは、俺の肉体と精神がとても三時間も持ちそうもないということだ。
「お酒って楽しそうやなぁ、なあなあ貴明、ウチも飲んでええ?」
実に楽しそうな珊瑚ちゃんの言葉を聞きながら、どうしてか俺は酔っぱらったタマ姉の姿を思い浮かべている。ほろ酔い気分、夢気分のタマ姉は、どでかい酒瓶を小脇に抱えながら、これ以上ないってくらい幸せそうな顔をしてこう言ったのである。
――酒は飲んでも飲まれるな。
*****
で、およそ三時間後。
「申しわけありません、申しわけありません、私ったら貴明さんになんてことを」
憔悴しきってソファに身をうずめる俺に、先ほどからイルファさんが頭を下げ続けていた。どうやらイルファさんは、「酔いがさめたときに酔ってるときのことを完全に覚えているタイプ」らしく、正気に戻ってからずっと頭を上げてくれないのだ。しっかりしているせいで損をする長女気質というか、ここまでくると逆に同情してしまう。
「穴があったら入りたいですっ。本当に申しわけありませんっ、ああ、もう、どうやってお詫びしたらいいのやら」
「いや、だから気にしなくてもいいってば」
あれはまるっきり事故みたいなもので、イルファさんに責任は――まったくないというわけではないにせよ、情状酌量の余地はあると思う。
「そういうわけにはいきませんっ。うう……お酒に溺れてしまうなんて、私はまだまだ未熟なメイドロボです……」
しかし、イルファさんはよっぽど自分の失態を恥じているのか、顔を真っ赤にして、それこそ泣きそうになりながらも謝るのを止めてくれない。
ちなみにシルファは、酔いがさめるなり部屋に閉じ籠もってしまい、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんのふたりで絶賛説得中である。シルファはイルファさんと違って、すべてを克明に覚えているというわけではなかったが、自分がどういったことをしていたのかおぼろげに記憶に残っているようだ。
「貴明が気にしなくていいって言ってるんだから、もう謝るのやめたら?」
緊迫感の欠片すらない声が、頭の上から降ってくる。
数時間前と同じく、俺の頭に胸を乗っけたミルファは、まるで他人事のような口ぶりで、
「姉さんは気にしすぎだよ」
「ミルファちゃんが気にしなさすぎるんですっ。だいたいなんですか、私はこんなに謝ってるのにあなたときたら」
「だってあたし、なんにも覚えてないんだもん」
「ううー、酔った勢いで貴明さんに抱きついて、む、胸を押しつけて、それで知らないふりなんてずるいですっ」
「えー、それくらいだったら酔っぱらってなくてもやってるじゃない」
ほらほら、と頭の上で胸を揺らすミルファ。
だからおまえは俺の頭を何だと思ってるんだ。
「……確かにそうですね、……って、納得できるけどしたくありませんっ!」
「うるさいなあ。確かに乗っけられるほどおっぱいのない姉さんの気持ちも分かるけど」
「そういうことを言ってるんじゃありません! 私はメイドロボとしてふさわしい振る舞いの話をしているんですっ!」
姉妹の口げんかは終わらない。
元を辿ればミルファの酔っぱらってみたいという一言が原因だというのに、当の本人は都合の悪いことをすべて忘れてしまい、周りが被害を引きずるというのは何とも皮肉な話である。
「なあ、ミルファ」
「なあに?」
「結局、酔っぱらってみた感想はどうだったんだ?」
「うーん、忘れちゃったから分からないよ。でも、姉さんが言ってるみたいに貴明とべたべたできたなら、また酔っぱらうのもいいかもね」
満面の笑みを浮かべながら、しれっと言い放つミルファは、ホントにいい性格をしていると思う。この笑顔を見せられて「まあいいか」なんて思ってしまう俺も同類か。
何にせよ。
世の中、最後に得をするのは、いつもこういうやつだというのは間違いない。
END
1
「貴明~、貴明ぃ~?」
「ミ、ミルファ、あんまりくっつくなって。暑苦しいだろ?」
「あたしは暑くないも~ん」
「あのな……」
貴明とミルファがリビングで抱き合っている――いや、ミルファが一方的に貴明に抱きついているのを、シルファは洗濯物をたたみながら眺めていた。
ミルファは、あぐらをかいた貴明の背中から両手を回し、人目をはばかることなく頬ずりをしている。
「さ、珊瑚ちゃんたちも見てないで何とか言ってやってよ」
「そやなぁ。みっちゃんばっかりらぶらぶしとると、瑠璃ちゃんがヤキモチ妬いてまうで?」
「ウ、ウチ、ヤキモチなんて妬かへんも~ん!」
「瑠璃様、瑠璃様。よろしければ、私が代わりにお相手いたしますよ?」
珊瑚だけではなく、瑠璃やイルファを巻き込んで騒ぎの渦が大きくなっていく。
もはや収拾がつかないどころか、収拾をつけるつもりがないとしか思えなかった。
六人での生活を始めて随分経つが、毎日のように繰り広げられる賑やかな光景に変わりはない。騒がしくも穏やかな充実した日々。そこに身を置けるのは、何よりも得難く、幸せなことだとシルファは理解している。
だが、このときシルファの頭を占めていたのは、そんなささやかな幸福感ではなかった。どうしても気になることがあって、思考のプライオリティがそちらに傾いているのだ。
「…………」
無言で佇むシルファの瞳は真剣そのもの。よく見れば、シーツをたたむ手は止まり、ただただ五人のやり取りを凝視していた。更によく見れば、シルファの視線は貴明にのみ注がれている。
シルファは、皆がリビングに集まってからずっと貴明を観察していた。
「あ、そうだ。ね、貴明? 暑いなら、お風呂に入ってすっきりすればいいんじゃない?」
我ながらとてもいいことを思いつきました、と言わんばかりの笑顔を浮かべ、ミルファが赤毛を揺らして立ち上がる。ぽかんと口を開けた貴明の腕を取り、半ば無理矢理立たせようとしている。
ミルファは立っていた。
貴明は座っていた。
そして、二人の間にある高低差は、一つの事実を導き出す。
貴明を観察しているシルファは、その事実に気付くことができた。
――下着見えてる。ミルファお姉ちゃんの下着、ばっちり見えちゃってる。
「ちょっ、ちょっと待て! ミルファ!」
などと言いつつ抵抗しながらも、貴明はちらちらとスカートの裾を見ていた。
なんていうか、空しい男の性なのである。
そのへんは、シルファにも経験があるからなんとなく分かる。直視すると恥ずかしいなあとか、まじまじと見るのは申し訳ないよなあとか、そんな風に思ったときは、両手で顔を覆って指の隙間からこっそりと覗くのが礼儀だ。こういうのはある意味常套手段なので、貴明を咎めるつもりはまったくない。
しかし、見慣れた光景には、着眼点を変えると驚くべき事実がもう一つ隠されていた。
「どうしたの、貴明?」
「どうしたのって……。あのさ、風呂はともかく、話の流れからするとひょっとして」
「まあ、ミルファちゃんのことですから、貴明さんと一緒に入るつもりなんでしょうね」
「イ、イルファさん! 冷静に分析しないでくださいよ!」
「ふふ~ん、分かってるなら話は早いよね。さ、いこ、貴明」
ミルファの快活な動作と同じリズムで、身体の一部分が躍動している。ありていに言うとミルファの豊かなバストが揺れていて、貴明を観察しているシルファは、もう一つの事実にも気付くことができた。
――貴明様、お姉ちゃんの胸、見てる。たぶん、釘付け。
ミルファが覆い被さるような体勢を取っているせいで、重力に引っ張られたバストがちょうど貴明の目の前にぶら下がっているのだ。貴明の必死の形相から、見ないようにしよう見ないようにしよう、という涙ぐましい努力が伝わってくる。
シルファは、ハラハラしながら状況を見守っていた。た、貴明様、負けないで、といつの間にか両手を握りしめて応援していた。貴明はマスターの一人であると同時に、シルファにとっては父親代わりのような存在であるからして、娘としては父がピンクな誘惑に負けるところなんて見たくないのである。
「……残念やけど、まだお湯が沸いてへんで」
果たして瑠璃が告げたのは、誰にとっての救いだったのだろうか。
「えぇ~? なぁんだ、それじゃあ貴明とのお風呂はお預けかぁ」
がっくりと肩を落とすミルファと、
「というか、今日のお風呂当番はミルファちゃんですよ? 用意してないのは自業自得どころかメイド失格です」
姉としてお説教を始めるイルファと、
「それじゃさんちゃん、ウチらはベッド整えとこか」
「了解や~☆」
寝室に姿を消す瑠璃と珊瑚。
そして、
「……はぁ、毎日これじゃ身体がもたないよな……」
ため息を漏らす貴明の姿を、シルファは相も変わらず観察していた。
貴明の言葉は、おそらく嘘ではない。賑やかな日々は楽しいばかりではなく、それなりの精神的な疲労を蓄積させているのだと思う。
だが、シルファには分かってしまった。
――お、お父さん、なんだかすごく残念そう……!
貴明のため息には疲労に加え、落胆も含まれていた。めちゃくちゃ名残惜しそうな顔をしているのでバレバレだった。イルファに首根っこを掴まれて連れて行かれるミルファを、貴明はちょっとだけ悲しそうな目で見つめていたのだ。
主に、胸のあたりを。
「…………」
シルファは口を閉じたまま、自分の胸元を見下ろした。そっと手を添えてみるまでもなく、控え目な膨らみがあるのが分かる。まったくないわけじゃなくて、触ればちゃんと柔らかいし、服を着ても明らかな程度にはあるのだが、ミルファに比べるとやはり控え目としか形容できない造形だった。Sサイズでシルファ、なんて名付けられるくらいだから、シルファのバストはSサイズなのである。
「……ふう」
ため息。
愛しい母がつけてくれた名前にも、開発部の人が作ってくれたボディにも、不満があろうはずがない。
それでも、貴明の様子を観察していると、不満はなくとも不安になるのだ。
シルファのどうしても気になることというのは、他でもない貴明の趣味嗜好についてだった。
「……シルファ?」
「――は、はいっ!?」
ぼうっとしていたところに声をかけられ、シルファは飛び上がる。
「ど、どうしたんだ? どこか具合でも悪い?」
シルファの反応に驚いたのか、貴明は目を丸くしていたが、まさかあなたの好みについて考えていました、などと言えるわけがない。
「い、いえ、だいじょうぶです。なんでもないです」
顔を覗き込む貴明に向かって、シルファはふるふると首を横に振った。
貴明は意識しているのかしていないのか、シルファに話しかけるときは、いつもこうして目線を合わせてくれる。それはすごく嬉しいし、自分を大切に思ってくれていると分かるのだが、
「ホ、ホントになんでもないの?」
「……は、はい」
シルファは、しゅんと肩を落とした。
イルファやミルファと同じ服を着ているのに、貴明はシルファのスカートの裾を眺めたりしないし、胸元を見つめたりもしない。他人の視線に敏感なシルファがそう感じるのだから、貴明は間違いなく見ていないのだろう。
率直に言うと、シルファは自分に自信がなくなってしまっているのである。
仮に貴明がシルファにいやらしい目を向けたら犯罪者扱いされるに決まっているのだが、そのあたりを客観的に考えられるほどシルファは器用ではない。貴明が見てくれないのは自分に魅力がないからだと思いこんでいるのだ。
だからこそ、シルファは貴明の好みが気になっていた。
それはもう、ものすごく気になっていた。
「あ、あの……、貴明、様……」
「ん?」
「お、お、お……」
おっぱいの小さな女の子はどう思いますか?
――そ、そそそんなこと聞けるはずないです!
「お?」
「な、なななんでもないですからっ!」
羞恥の限界を超えたシルファは、何がなんだか分からなくなって、一瞬でリビングの端まで後ずさった。正座したままとは思えない迅速な機動は、世界に名だたる来栖川製のボディでなければ不可能だったに違いない。
「ミ、ミルファお姉ちゃんのお手伝いしてきますっ」
シルファは立ち上がると同時に風呂場の方に駆けていく。
「……何なんだ、一体……」
リビングに一人取り残された貴明は、三つ編みのお下げが残した金色の軌跡を、ワケも分からず呆然と見つめていた。
2
あくる日の空模様は快晴だった。
少し前まで猛威を振るっていた寒波は立ち去り、春の足音が聞こえてきそうな心地よい日和だ。梅の季節が終われば、桜の季節がやってくる。
そんなのどかな町並みを、シルファたちはのんびりと歩いていた。休日ということもあり、商店街には親子連れが多い。ミルファと貴明が肩を並べ、シルファは数歩後ろに続いている。冷蔵庫の中身が心許なくなったので、三人で買い出しにやってきたのである。
「たっかあきと~、おっかいもの~」
上機嫌な歌声は、ミルファによるものだ。やや調子外れだったが、それがミルファの浮かれっぷりを示していた。
六人と言えば結構な大所帯なのだが、半数がメイドロボで、そのまた三分の二が小食の女の子だから、買い出しといっても大した量にはならない。よって半数ずつ買い出し組と留守番組に分かれることになり、貴明を含む買い出し組に編入されたのがシルファとミルファの二人。じゃんけんでもぎ取った勝利だった。
「ミルファは元気だなあ」
スキップするミルファを眺めながら、貴明が一言。
ミルファはこぼれる笑顔を隠そうともせず、横を向いて、
「だって、貴明と出かけるの久しぶりなんだもん」
「そうだっけ?」
「そうだよ。ずっと期末テストの勉強で忙しかったでしょ」
「ああ……、あれは、あんまり思い出したくないな……」
苦笑する貴明を見て、ミルファは肩をすくめた。
「瑠璃様も苦労してたけど、学校の勉強ってそんなに大変なの?」
「いや、そういうわけじゃなくて、三学期の期末はこれまでのツケを精算するチャンスで、そこで失敗するとおしまいだからさ」
「なにそれ?」
首を傾げるミルファに、貴明が説明を始める。これまでに赤点を取っていても最終的に救済される可能性があるとか、一年間の成績は平均化されるとか、それでも赤点が残ると留年だとか、学校の細かいシステムについて話しているようだ。理解しているかどうかはともかく、ミルファは熱心に耳を傾けている。
ミルファのこういうところを、シルファは素直にすごいと思う。好きな人と一緒の時間を大切にしているからこそ、目一杯楽しんでいるのが伝わってくるのだ。ミルファみたいに喜怒哀楽をストレートに表現できるのは、引っ込み思案なシルファにとっては羨ましい。
そして、胸が大きいのも羨ましかった。
「……ふう」
昨日に引き続き、シルファは貴明の観察をしている。
さっきミルファがスキップをしているとき、貴明は翻りそうなスカートの裾をチラ見していた。朝から数えて、既に四回ほどミルファの胸元に目が引き寄せられている。
更に言えば、家にいるときには、お揃いのワンピースに身を包んだ珊瑚と瑠璃をこっそりと眺めていた。二人の胸と腰のラインのあたりを、それぞれ一回ずつ見ていたと思う。それに、朝食の支度をしているイルファのうなじを見つめながら、鼻の下を伸ばしていたのも見逃していない。
だが、貴明はシルファに対しては、一度もそういう視線を向けていなかった。
――やっぱり、わたしって魅力ないのかな……。
幾度となく繰り返した自問が、シルファの頭の中をぐるぐると駆け巡っている。メイドロボとはいえ、珊瑚に生み出されたシルファたちには心があり、シルファのような〝女の子〟に宿ったそれは、乙女心と呼んで差し支えのないものだ。
「――ねえ、シルファはどう思う?」
いきなり名前を呼ばれて、シルファはハッと顔を上げた。
眼前にミルファの顔が迫っている。基本骨格が同じボディを使っているので、シルファたちの体格に差はない。髪型を含む顔の作りと、胸のサイズだけが違う三姉妹である。
「な、なに? お姉ちゃん」
「もう、聞いてなかったの?」
呆れた様子で腰に手を当てたミルファが、視線で貴明を促す。
シルファが貴明の方に顔を向けると、貴明は困ったように頭を掻きながら、道路を挟んだ反対側を指さした。
「えっと、あの店なんだけど、マネキンが着てる服、分かる?」
「はい……? あの、赤い服ですか?」
「そうそう」
貴明が指さした先には洋服店のショーウインドウがあり、きらびやかな洋服が何着も飾られている。その中でも一際目立つ位置に立つマネキンが、ワインレッドの洋服を身にまとっていた。
「さっき貴明にね、あたしがあの服着たら似合うかどうか聞いてみたの。それなのに、貴明ったら何も言ってくれないんだもん」
「い、言っただろ?」
「言ってません。もっとちゃんと見て、あたしが着てるところを想像してくれなきゃダ~メ」
なるほど、とシルファは二人のやり取りを見て頷く。ほんの数分前には学校の話をしていたはずなのに、いつの間にか洋服に関する話題に移っていたらしい。
「ね、シルファはどう思う? あの洋服、あたしに似合うかな?」
ミルファに言われ、シルファは件の洋服をじっくりと眺めてみた。
ワインレッドの上着は、胸元ががばーっと開いていて、マネキンの素肌が広範囲に渡ってさらけ出されている。おそらく、背中側も大きく開いたデザインなのだろう。下半身を覆うミニスカートは黒一色で、見ている方が恥ずかしくなるほど丈が短い。
でも、たぶん、ミルファによく似合うんじゃなかろうか、とシルファは思った。
ひょっとすると、似合いすぎるかもしれない。着る人によっては品がなくなりそうな露出度の高さだったが、健康的なミルファが着れば、いい意味での色気が洋服の魅力を何倍にも高めるような気がする。
「……なあ、寄り道してないで、買い物に行かないか?」
貴明が、少し上ずった声で言った。
「え~、貴明の感想、まだ聞いてないよ?」
ミルファは、不満げに頬を膨らませて、貴明の袖を掴んでいる。
――お、お姉ちゃん、ホントに気付いてないの!?
シルファは、信じられない、といった面持ちで貴明とミルファを見つめた。
「ねぇねぇ、あたしが着てるところ、ちゃんと想像してくれてる?」
してる。しまくってる。
だから、きっと、貴明はやたらと周りの様子を気にしているのだ。あの服を着たミルファを想像して、どうしようもなくなってしまっているのだろう。あ、見た。また胸のあたり、見た。五回目。
「…………」
シルファは、もう一度ショーウインドウの洋服に視線を移し、それからなんとなく自分の身体を見下ろしてみた。わたしだったらどうだろう、とちょっとだけ想像してみたのだ。
「…………」
ダメだった。
胸のボリュームが、なんていうか圧倒的に足りませんでした。足りませんでした。
頭の中で二回繰り返して、シルファは絶望のあまり頭を抱えそうになった。
「ねえ、シルファからも言ってあげてよ」
貴明の腕にしがみついたまま、ミルファがシルファに水を向ける。貴明とミルファの身体が接している場所が、嫌でも目に入ってしまう。ミルファは貴明に、形が変わるくらいに強く胸を押しつけている。どんなに真似しようとしても、シルファにはできない芸当だ。
「シ、シルファ……あの……」
喉の奥から絞り出した声。
貴明の顔には、「助けてください」とハッキリと書かれている。
今、貴明は困っている。
それは間違いなく真実。
貴明が困っているなら手を貸すのが正しいと、シルファには分かっていた。
でも、また見た。もう六回目。
どうして見るんだろう。
わたしのことは見てくれないのに、どうしてお姉ちゃんばかり見るんだろう。
そんなことを考えると、シルファは無性に悲しくなった。魅力のない自分が情けなくて、切なかった。涙を流すことができたら、泣いていたかもしれない。
だが、ここで感情を爆発させてしまうわけにはいかない。理性を保ち、無事に買い出しを終わらせるのが自分の仕事で、珊瑚もそれを望んでいるはずだった。
シルファは、内心で深呼吸を繰り返す。
小さくても気にするな、小さくても気にするな、と何度か自分に言い聞かせてから、
「――貴明様も困ってるから、そのへんにしておこう? お姉ちゃん?」
「う……」
シルファに満面の笑みを突きつけられ、ミルファは怯んだ。イルファのような圧力を伴う笑顔ではないが、無垢であるがゆえに、シルファの笑みには抗いがたいのだ。
「わ、分かったわよ……、ごめんね、貴明」
「い、いや、別に怒ってるわけじゃないから」
素直に謝ったミルファを、貴明が慰めている。
それから貴明は、ちらりとシルファの方を見やり、両手を合わせて軽く頭を下げた。落ち込んだ気分は変わらなかったが、貴明の役に立てたことで、シルファは少しだけ安心することができた。
3
「あの、重くないですか?」
「大丈夫、大丈夫」
控え目に訊ねるシルファに、貴明は微笑みで応えた。
右手にぶら下げた買い物袋を掲げ、大したことないよ、とアピールをする。
「でも、やっぱり貴明様にお荷物を持って頂くわけには……」
シルファにしてみれば、自分が手ぶらで歩いていては、わざわざ一緒に出かけた意味がない。主人のために働いてこそのメイドであり、メイドロボである、というのがシルファの考えだった。
「うーん、いつも言ってるけど、そういうのは気にしなくてもいいよ」
しかし、貴明には貴明のポリシーがあるようで、その一線を決して譲ろうとはしない。無理強いするのもメイドにふさわしくない気がして、シルファは俯いた。
「……女の子に荷物を持たせるのって、あんまりいい気分じゃないから。ま、俺の単なる自己満足なんだけど」
貴明はそう言って、空いた方の手でぽんぽんとシルファの頭を撫でる。
それだけでシルファは、なんだかぽーっとしてしまった。優しい手のひらの感触が気持ちよかったのもあるし、女の子なんて言われたのが妙に嬉しくてオーバーヒートしそうになった。
「……ふーん。貴明は女の子に荷物を持たせたくないんだ?」
前方から聞こえた声に、貴明とシルファが同時に顔を向けると、
「それじゃあ、これはどういうことなのかな~?」
ジト目のミルファが、買い物袋を胸の前でぶらぶらと揺らしてみせた。
二つの買い物袋のうち、一つはミルファが持っていたのだ。
「そ、それは、おまえが無理矢理奪い取ったんだろ?」
「だって、そうでもしないと、全部一人で持とうとするじゃない。貴明って意外と意地っ張りだよね」
「そうかもしれないけど……、ミルファに意地っ張りって言われるのは複雑だな」
「なによ、それ」
軽口を叩き合いながら貴明とミルファが歩みを再開したので、シルファは慌てて二人の後を追いかけた。
――すごいなあ、お姉ちゃん。
言いたいことを言って、やりたいことをやる。それってメイドロボとしてどうなのよ、と思わなくもないが、シルファたち姉妹は普通のメイドロボではない。感情を宿したアンドロイドのプロトタイプとしては、ミルファの在り方が正しいように思える。そんな風に自分と他人を比べるあたりが、既に普通のメイドロボとは一線を画しているのだが、シルファは自分に自信がないので、自己評価が低くなりがちなのだ。
「大体、貴明ってシルファに甘いよね」
「そっ…………、ソンナコト、ナイゾ」
「なに、その間。なに、そのカタコト」
肩を並べる貴明とミルファのやり取りは、対等というか自然に見えた。思い返すと、貴明は誰とだってああいう感じだ。珊瑚や瑠璃はもちろん、ミルファともイルファとも楽しそうに話をしている。
ミルファは、貴明がシルファに甘いと言うが、それはある意味真実だとシルファは思う。
甘いのは遠慮の証。
気を遣われている。
悪い意味での特別。
――お父さん……わたしダメな子ですね……。
想像がヘンな方向に行ってしまって、シルファはまたしても悲しくなってきた。
貴明からしてみれば、素直で大人しくて五人の中で一番〝女の子〟らしいシルファが可愛くて可愛くて仕方がないわけで、そういう気持ちが行動として表れているだけなのだが、シルファは思い切り誤解をしているのである。思い込みが激しいあたりは、イルファやミルファ譲りなのだ。
「あーっ、タカくーん!」
「あら、タカ坊じゃない」
シルファが落ち込んでいると、商店街の向こう側から馴染みの顔が駆け寄ってきた。このみと環の二人だ。
「なにしてるの?」
「俺は買い物だけど……、このみたちこそどうしたんだよ? 休日だってのに制服着てさ」
貴明の言葉が示す通り、このみと環は揃いの制服に身を包んでいる。同じ服装なのに、ここまで印象が違うのはすごい、とシルファは思った。どちらも似合っているのは疑いようがないが、目を引く部分のインパクトが違う。敢えてどこなのかは指摘しないが違いすぎる。
「少し学校に用事があったから、このみに付き合ってもらったのよ」
「えへ~」
シルファとミルファに軽く挨拶をしてから、環が穏やかな声音で話し始めた。
「ほら、もうすぐ卒業でしょう? 手続きとか色々と、ね」
「……そっか。そういえば、タマ姉は卒業しちゃうんだよな」
「あら」
貴明の声のトーンが落ちたのを、環は冗談めかした口調で、
「なあに、タカ坊。お姉ちゃんの制服姿を見られなくなるのが、そんなに残念?」
「なっ、なに言ってるんだよ」
「タカ坊が望むなら、卒業してからでも着てあげるわよ?」
しんみりした空気を好まない環ならではの気遣いなのだろう。慌てふためく貴明の様子がおかしくて、このみも笑いを堪えようともしていないし、卒業の物悲しさはあっという間に消え去ってしまった。
だが、シルファは気付いてしまった。
貴明の視線が、環の制服の胸元を捉えているのである。
確かにすごい。胸、すごい。シルファが思わず、せ、僭越ですけど制服のサイズ間違っていませんか? なんて訊ねそうになるくらい、生地の下から押し上げている。見てしまうのも無理はない、きっと、誰でも見てしまう。
二桁に乗る寸前だった「貴明がミルファの胸をチラ見した回数」は完全に止まった。今や新興勢力に押され、その回数はあっという間に逆転しようとしている。
こうなってくると、環の冗談が冗談では済まないような気がする。
貴明は環の制服姿が見られなくなることを、心の底から残念がっているのかもしれない。
よさげな話が台無しだった。
――し、しょうがないよね。うん、しょうがないよ。
それでも、シルファの貴明への信頼は揺るがない。もしもわたしが男の子だったら、きっと目が離せなくなっちゃうよね、とか心の中で遠回しに擁護したりもしている。シルファは健気な子なのだ。
ところが、話はそれで終わらなかった。
「……お、お姉ちゃん?」
「……なによ」
ミルファが、めちゃくちゃ不機嫌になっていた。
プレッシャーがぴりぴりとシルファに突き刺さる。
ミルファは、自分を見つめる視線には鈍感なのに、貴明が他の女の子を見る視線にはとんでもなく敏感なのである。つまり、今のこの場所で、貴明がどこを見て何を考えているのか、すべてミルファはお見通しなのだった。
「……貴明、そろそろ帰らない?」
貴明の視線を遮るように、二人の間にミルファが身体を割り込ませる。
ああ、ダメだよ、お姉ちゃん、とシルファは両手で顔を覆った。確かにミルファのバストも立派だが、環相手では分が悪い。というか、完敗。しかも相手は天然モノ。ミルファの機嫌が悪いのは、自分でもそれを理解しているからだ。
「え、あ、ああ。そうだな」
剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、貴明は少し戸惑っているようだったが、間の悪いことに、本当に間の悪いことに、貴明の目の前にミルファと環の胸元が並ぶ体勢になってしまっている。
――ダメ、抑えて、お姉ちゃん。貴明様もそっち見ちゃダメ、見比べたらダメ。
シルファの思いも空しく、ちら、っと貴明の視線が動く。
ミルファは、その視線の動きを鋭く感じ取り、なんていうかキレた。
「――こぉんのどすけべっ!!」
ミルファの荷物を持っていない方の手が唸りをあげ、鈍い音がしたと思ったときには、貴明が地面に突っ伏していた。律儀なのか何なのか、気絶しながらも荷物を離さない貴明を、環もこのみも呆然と見つめている。
「ばか、ばか、ばか貴明」
ぶつぶつと文句を言いながら、ミルファは貴明を担ぎ上げる。人を一人運ぶくらい、ミルファにとっては何てことない。呆気にとられる三人には目もくれず、ミルファはさっさと珊瑚のマンションに向かって歩いていってしまった。
「あ、あの、申し訳ありませんでした」
シルファがぺこりと頭を下げると、環は苦笑混じりに肩をすくめる。
「ちょっとからかいすぎたかしらね」
すべて分かっている、ということなのだろう。
環はシルファの肩を軽く叩いて、
「こっちこそごめんなさいね。タカ坊のこと、よろしくお願いするわ」
シルファは頷き、ただ一人ワケも分からず一連の出来事を眺めていたこのみに正面から向き合う。
「このみ様にも、申し訳ないことを……」
「う、ううん。シルファちゃんは別に……っていうか、タカくん大丈夫かな」
「はい、それは、おそらく」
ミルファは貴明に危害を加えたりはしない。いや、実際に殴り倒しておいて何をと思うかもしれないが、深刻な怪我を負わせたりはしない、たぶん、しないはず。
「そ、それでは、わたしも失礼いたします」
あまり考えるとよくない結論に行き着きそうだったので、シルファはそこで話を切り上げた。
「それじゃあ、またね」
「珊瑚ちゃんたちにもよろしくね~」
環とこのみの声を背に受け、シルファもマンションに向かおうとする。
と、そこでシルファは足を止めて、二人の方に振り返った。
不思議そうに首を傾げる環とこのみに、シルファはととと、と駆け寄り、
「お互いに頑張りましょう……!」
このみに向かってそう言うと、今度こそ思い残したことは何もないと言わんばかりの足取りで立ち去っていった。
「……シルファちゃん、どうしたんだろ」
「さあ……」
このみと環は顔を見合わせるが、シルファの気持ちなど分かろうはずもない。
シルファは、貴明が一度も胸元を見なかったこのみに、ちょっとだけ親近感を覚えていたのだった。
4
シルファは膝をついた体勢で、部屋の中を動き回っていた。
フローリングの床にはカーペットが敷かれているので、こまめな掃除は欠かせない。シルファは粘着ローラーを転がして、埃を取っているのだ。
一家に一台どころか、三人ものメイドロボがいるのだから、家事は完璧にこなせていなければならない。イルファと瑠璃は食事を作っている最中で、ミルファは水回りの掃除をしている。今日は、シルファが部屋の掃除当番だった。
「――シルファ?」
ドアをノックする音に続けて、名前を呼ぶ声。
「はい」
「入ってもいいかな」
「は、はい」
ドアが開き、部屋に貴明が入ってくる。シルファはそそくさと身なりを整え、脇に粘着ローラーを置いて、正座で出迎えた。
「掃除の邪魔しちゃったかな?」
「い、いいえ。そんなことないです」
シルファは、ふるふると首を横に振って、
「それよりも貴明様。身体の方は大丈夫ですか?」
ミルファにいい一撃をお見舞いされて昏倒してから一時間ほど。すぐに目覚めたので大事はないと思うが、もうしばらくは安静にしていて欲しいとシルファは考えていた。
「もう心配ないよ。軽い脳しんとうだったみたいだし」
そう言って、貴明はシルファの前に腰を下ろす。
「よかったです……。あの、お姉ちゃんが、その、申し訳ありませんでした」
「シルファが謝ることじゃない……ていうか、あれは俺の自業自得だから」
少し顔を赤くして、貴明はバツが悪そうに頬を掻いた。貴明がいくら鈍感でも、ミルファが怒った理由くらいは分かる。ほとんど無意識の行為とはいえ、あれはよくない。休日ということで、少し浮かれていたのは否めない。
――貴明様、優しいです……。
だが、そんな貴明の言葉を受けて、シルファはますます貴明のことが好きになってしまった。ここで開き直っても誰も責めないだろうに、きちんと自分が悪かったと認め、反省しているのだ。なんて男らしいのだろう。お父さん、素敵、大好き。シルファは、ちょっと盲目的に貴明のことを尊敬しているのである。
「まあ、それはともかく」
「は、はいっ」
うっとりしていたシルファは、居住まいを正した貴明に向かい合って、背筋を伸ばした。貴明が普段よりも真剣な顔をしているので、シルファはきゅっと身構える。
「シルファ……、最近なにか悩んでない?」
「――――」
ぴくり、と肩が震えた。果たして貴明の発した言葉は、シルファを驚かせるのに十分なものだった。身構えていなかったら、驚いて声を漏らしていたに違いない。
努めて冷静に、シルファは疑問を口にする。
「ど、どうして、ですか? わたし、なにかおかしなところありましたか?」
「シルファって悩み事があるとき、鼻の頭がぴくぴくするんだよね」
シルファは、ハッとした表情で鼻の頭を押さえる。
動いてない。今は動いてない。ぴくぴくしてない。
「……って、それは嘘なんだけど」
「……え?」
「悩んでることはあるみたいだね」
真面目な顔を緩め、笑顔を浮かべた貴明を見て、ようやくシルファは気付く。
「あ……」
騙された。
貴明は方便を用いて、シルファの逃げ道を塞いだのだ。
「昨日から様子がヘンだったから、気になってたんだけどさ。もしよかったら話してくれないかな」
「あ……う……」
自分なりに上手く観察しているつもりだったが、貴明にはバレていた。シルファは、やっぱり貴明はすごいと思うと同時に、この場を切り抜けるための方法を考え始める。
――正直に全部話す?
ダメ。それはダメ。こそこそと観察するような真似をしていたと知ったら、いくら優しい貴明といえども怒るだろう。嫌われて、今より更に見向きもされなくなったら、もう立ち直れないかもしれない。
――貴明様の好みについてだけ話してみる?
ち、小さいおっぱいも好きになってください、とか言ってる自分を想像して、シルファは恥ずかしくて気を失いそうになった。絶対ダメ。言えない。そんなの言えるはずない。
それに、もはや疑問を差し挟む余地がないくらいに明確な結果が出ているのだ。
ぶっちぎりの一位は環様。
二位はミルファお姉ちゃん。
三位にイルファお姉ちゃんと、瑠璃様と、お母さん。
それから、すごく差を開けられて、このみ様と、わたし。
シルファの分析によれば、貴明が魅力的だと思っているランキングはこんな感じになっていた。二日程度のデータではあったが、短期間だからこそハッキリすることもある。
「……無理に聞き出すつもりはないけど」
貴明はシルファを優しげな目で見つめているが、瞳の奥に寂しそうな色が見えるのは気のせいではない。
言葉の通り、貴明は無理矢理には追求してこないだろうし、このまま隠し通すのが正解のようにも思える。しかし、きっと貴明は寂しい思いをするはずだ。シルファに隠し事をされたら、ショックを受けるに決まっている。
「ダメ、かな?」
「う……」
シルファは崖っぷちに追い込まれていた。最善の選択肢を思いつかない自分に絶望し、何がなんだか分からなくなっていた。人間の女の子だったら、こんなときは泣き出せばすべてをチャラにできるのだが、シルファにはそれも叶わないのである。
――ごめんなさい、お父さん!
「申し訳ありません……っ!」
心の中と外で一緒に謝り、シルファは素早く立ち上がる。
とりあえず、逃げ出してしまおうと思った。このときのシルファには、それしかできなかった。申し訳なさで胸がいっぱいになってしまって、貴明の方を見ることもできない。
シルファはリビングに向かって一歩を踏み出そうとして、
「――ふぎゅっ」
こけた。
それはもう、盛大にこけてしまった。
焦って前に進もうとしたせいで、カーペットに足を取られたのだ。
先に手をつくのにも失敗して、思い切り鼻で着地していた。
カーペットに放り投げられた金色のお下げが、だいぶ虚しい。
時間が止まっていた。
風呂場から聞こえるかすかな水音だけが室内を満たす。
シルファは、転んだ格好のまま固まっている。
先に我に返ったのは貴明で、
「……だ、大丈夫か? シルファ」
貴明が声を発したのを合図にして、再び時間が動き始める。
「……は、はい……」
返事をしながらも、シルファは情けなくて穴があったら入りたいと思っていた。
英知の結晶たるメイドロボが主人の問いに答えることもできず、逃げ出そうとした挙げ句に転んで失敗。やっぱり、わたし、ダメな子、とシルファはますます落ち込んだ。
しかし、ここでへこたれてしまうわけにはいかない。せめて毅然と振る舞って、これ以上貴明を失望させないようにしよう、とシルファは健気に決意する。
シルファは、できるだけ平静を装って身体を起こすと、胸の中で何度か深呼吸を繰り返してから、精一杯の笑顔を貴明に向けた。
「わたしは、だいじょうぶです」
「そ、そう……」
座ったままだった貴明が、居心地悪そうに口元を引きつらせている。
――ああ、きっとお父さんガッカリしてるんだ……。
そりゃそうだ、とシルファは思う。どんなに胸が小さくとも優しげに見つめ続けてくれていた貴明が、こんな風に視線をそらすなんて初めてのことだ。ついに愛想を尽かしてしまったのだろう。
それでも、貴明を好きな気持ちは変わらない。信頼を失ってしまったとしても今日からまた頑張ればいい。頑張って、いつかまたお父さんに誉めてもらおう、と人知れずシルファは誓った。
「……あ、あの、さ」
「はいっ」
シルファがハキハキと返事をする。起こってしまったことを悔やむより、前に進もうという素晴らしいポジティブ思考だった。
そんなシルファを、貴明は眩しそうな目つきで見る。
いや、見れない。
チラ見している。
どうしてって、それは、
「シルファ、あの、ちょっと、下、下が」
「はい?」
「見えてる、下、見えてるから」
ちょいちょい、と貴明が床を指さしていた。
きょとんとした顔で、シルファは貴明の指がさし示す方向を辿っていく。
辿り着いたのは、白。
純白。
ピュア・ホワイト。
シルファにふさわしい色だった。なんていうか、転んだ拍子にスカートがめくれて、丸見えになっていた。
「どたばたしてましたけど、どうしたんです……か……」
ドアを開けて入ってきたイルファが、向かい合う貴明とシルファを目に留めて固まった。
男性と女性。
乱れた服装。
先刻の喧噪。
様々なファクターを統合し、イルファは瞬時に的確な判断を下す。
「――お邪魔しました。どうぞごゆっくり……」
「待って! イルファさん待って!」
ドアを閉めて出て行こうとするイルファに、貴明が必死に追いすがる。
「誤解しましたよね!? 今、すっごい誤解してますよね!?」
「いえ、私は何も……シルファちゃん、頑張ってね」
「何を頑張るんですか! 頑張りませんよ! シルファ頑張りませんよ!」
貴明とイルファの話を聞きつけて、珊瑚たちも集まってくる。先ほど気を失って目を覚ましたばかりの貴明が、再び気絶するのは時間の問題のようだ。
「…………」
そんな賑やかな家族たちを、シルファは惚けた顔で眺めていた。
――お父さん、照れてた、よね。
それはつまり、シルファの下着を見て、意識したということだ。い、いけないことを考えたのかな、なんて考えてシルファはもじもじと身体を動かした。悶えるまではいかなかったが、むずむずしてきてじっとしていられなかったのである。
――そういえば、そうだよね。
以前、ミルファに聞かされたことがある。確か、貴明は初対面のミルファのおまたを見て、それが二人の馴れ初めだったはずだ。イルファもトイレを覗かれたことがあると言っていたし、きっと貴明は、胸だけではなくておまたの方も魅力の判断材料にしているに違いない。
――そ、それならなんとかなるよね……!
シルファは、今度からはそっちで攻めていこうと思い、せ、攻めるとかはしたないかなと思い、最後には小さく安堵のため息をついてから、幸せそうな微笑みを浮かべた。
シルファがちょっとだけ自信を持てた、ある春の日の出来事だった。
END