> アマガミのSSを探してここへ辿り着きました。
> いやあ、橘さんが変態紳士過ぎて素晴らしいですね! (褒め言葉)
> 実に生き生きしていると思います。
> またちょくちょく覗きに来ます。 (wible)
はじめまして。読んでくださって、ありがとうございました!
『アマガミ』らしさを出すためには、橘さんを橘さんらしく書かないといけないと思うのですが
これがまた簡単なようで難しいというか。
なので、生き生きしていると言って頂けるのはとても嬉しいです!
第一章 「メンテナンス -9/11-」
「試験運用、ですか?」
「そう。試験運用だよ」
分厚く切られたカステラを勧めつつ、長瀬さんが俺の言葉を繰り返した。
右手のひらを軽く差し出す仕草で、丁重に辞退しておく。そろそろ夕食の時間だから、こんなものを食べたら満腹になってしまいそうだ。箸の進みが遅くなりでもしたら、ミルファに何を言われるか分かったもんじゃない。
以前そういうことがあったとき、体調不良を疑ったミルファに病院まで引きずって行かれそうになった。救急車を呼ばなかっただけマシだった、というのはタマ姉の言だ。
「ふむ。買い食いや間食は、あの子に咎められるからやめておくかい?」
「ええ、まあ――って、どうしてそんな話を知ってるんですか!?」
慌てる俺の様子を見た長瀬さんは、呵々と笑うと、
「定期メンテナンスのときに、色々と教えてもらってるのさ。多分、今日も楽しげに話していると思うよ。ほとんどが貴明君の話なんだけどね」
――なんてこった。
頭を抱えて転げ回りたい。
ミルファのプライバシーを尊重するため、メンテナンスだからといってメモリーを覗いたりはしないという話を聞いたことがある。だけど、ミルファ自身が口にする情報なら構わないってことなのか。だとすれば、俺のプライバシーはどのように保証されるんだろう。
「安心したまえ。本当に話したらいけないことは一切口にしていないから」
話したらいけないことの基準が不明瞭だ、と思うけど恐ろしくて突っ込めない。余計なことを言うと藪を突きそうな気がする。
「……というか、そもそも話されて困るようなことなんてしてないですよ」
「そうかい?」
憮然と返すと、長瀬さんは意地の悪い笑顔を浮かべたまま、眼鏡をくいっと押し上げて一言。
「――あの子たちの排水現場に出くわすのは、君の趣味なのかな?」
「……………………………………………………………………………………………」
家に帰ったら、布団にくるまって泣こう。
今夜は一晩中泣き明かして、明日から頑張ろう。
そう決意した。
「まあそれはともかく、話を戻そうか」
大いなる辱めを受けた俺は、革張りのソファに深く身を沈め、小さく縮こまっている。笑いを堪える長瀬さんの様子が、たまらなく憎々しい。
ここは来栖川エレクトロニクスの応接室。俺は今日、ミルファに付き添う形でここにやってきたのだ。普段ミルファは、月に一度のメンテナンスに一人で赴く。どうして今日に限って俺が付き添っているのかといえば、他でもない、目の前にいる長瀬さんに呼び出されたからだった。
ちなみにミルファは、別室でメンテナンス――という名の軽い動作チェックと誘導尋問の真っ最中のはずで、手持ち無沙汰の俺は、どうか恥ずかしいエピソードを漏らさないでくれと祈りながら、長瀬さんにからかわれている真っ最中である。
と、ようやく笑いの取れた長瀬さんが、少しだけ口元を引き締めて話し始めた。
「かつて、君たちの学園で、来栖川エレクトロニクス製メイドロボのプロトタイプが試験運用されていたのは知っているかい?」
「はい」
有名な話だった。
何年か前、うちの学園でメイドロボが試験運用された。当時の在校生がいなくなった今でも語り草になるくらいだから、よっぽど衝撃的な出来事だったのだろう。そのときに試験運用されたモデルは爆発的なヒット商品となり、現在のメイドロボ事業に大きな影響を与えたとか何とか。
「実はね、イルファとミルファに、そのときと同じような試験運用をさせようと思っているんだよ」
「イルファさんとミルファに……ですか?」
知らず、眉根が寄っていた。あの二人に対して「試験運用」という言葉を使うのが、相応しくないように思えたからだ。何かもやもやしたものが胸のあたりにつかえている。
そんな俺の内心を読み取ったかのように、長瀬さんは穏やかな声を出す。
「ああ、いや、そんなに難しく考えなくてもいいよ。種を明かせば、彼女たちの生みの親が『いっちゃんたちと一緒にもっと色んなことしてみたいな~』なんて言い出しただけだからね」
「珊瑚ちゃんが?」
そうだよ、と首肯した長瀬さんは、
「ああいった空間における集団行動は情操教育に有効でね。以前行われた試験運用は機体のテストという面が大きかったんだが、イルファとミルファにとっては情操教育そのものが目的であると考えてもらえればいいよ」
一息を入れて話を続ける。
「知っての通り、彼女たちの開発コンセプトは特殊なんだ。特異と言ってもいいね。わざわざ別のボディで成長過程を歩ませるなんていうのは、見方を変えれば無駄な手間でしかない。でもねえ。無駄だから不必要と言ってしまうのも……つまらないと思わないかい?」
なるほど、と今度は俺が首肯した。
確かに、幼稚園や小学校、中学校を経て様々なことを学ぶのは、人間だったら当たり前のことだ。テストを始めとした嫌なこともあるけど、そういったことを全部含めての学園という場所であることは疑いようがない。どちらかといえば、友達との触れ合いや行事みたいに楽しいことの方が多いし、ミルファたちにもそれを経験させたいという気持ちは俺にも理解できた。
「分かりました。でも、どうして俺にそんな話をするんです? 長瀬さんと珊瑚ちゃんが決めたなら、それで十分だと思うんですけど」
「イルファはともかく、君はミルファのご主人様だからねえ」
ご主人様という単語をやけに強調して、長瀬さんがさっきと同じ意地の悪い笑みを向けてくる。
――今日はこのネタで引っ張るつもりなんだろうなあ。
半ば諦めて、カステラの皿の隣に置いてあった紅茶のカップを手に取る。少し冷めて飲みやすくなったそれを口に含んで、
「しかし、彼女たちのコンセプトと照らし合わせて考えると面白いと思わないかい? 貴明くんは、いわば幼稚園児に唾をつけて懐かせてしまったわけだ」
ブゥ―――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!
薫り高いアールグレイを盛大に噴き出す。
しまった。どうせなら長瀬さんに向かって噴き出してやるんだった。
「大丈夫かい? 光源氏くん」
「ごほっ……! 妙なニックネームで……ごほっ、人を……呼ばないで……ごほっ! ください……!」
くそう。完全に手玉に取られている。
涙目になりながら咳き込んでいたら、応接室のドアからノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
長瀬さんが声をかけると、白いドアがゆっくりと開かれ、スーツの上に白衣を羽織った女性が現れる。
「主任。ミルファのメンテナンスが終わりましたのでご報告に参りました」
「ああ、ありがとう。何か問題はあったかな?」
「いえ、システム的な問題はまったくありませんでした」
長瀬さんの質問を受けた女性が、ちらりとこちらを見た。目が合う。眼鏡の奥の理知的な瞳が「あなたが貴明くんなのね」と言わんばかりの微妙な色を浮かべていた。少しだけ笑いを堪えているようにも見える。
「……ごほっ、あの、いつもミルファのメンテナンスを、ありがとうございます」
そのままだと泣いてしまいそうだったので、その場を取り繕うように、真面目くさった台詞を口にした。頼むから、これくらいの強がりは許して欲しい。
「いえ、あの子は私たちにとっても娘のようなものですから。大切にしてくださっているようで何よりです。……色々と大変だと思いますけど、これからもよろしくお願いしますね」
微笑んだままぺこりと一礼して、女性は応接室を後にした。たったそれだけのやり取りだったけど、ミルファが大切にされていることが分かって嬉しくなる。
「さて、それじゃあミルファが戻ってくる前に説明を終えてしまおうか」
何事もなかったように、長瀬さんはソファにかけ直した。恨み言の一つも言ってやりたいけど、こんな態度を取られたら何もできない。まったくもって、踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
「今回試験運用を行うのは、イルファとミルファの二人でね。シルファはもう少し時間をかけて、ゆっくりと成長を見守ることになった。試験期間は来月の始めから十一月の上旬までのおよそ一ヶ月間ということになる。そして、ここからが本題なんだが――」
そこで一旦言葉を切った長瀬さんに対して、俺はどんなことを言われてもいいように身構える。しかし、長瀬さんが発したのはからかいの言葉ではなく、
「彼女たちがメイドロボだということは、隠したまま編入させようと思っているんだよ。外国からの留学生ということにしてね」
「え?」
そんな風に思わず訊き返してしまう程度には意外なものだったのである。
*****
バスを降りると、辺りは既に真っ暗だった。
秋の日はつるべ落とし、なんて大いに共感できる格言を生み出した昔の人は凄いと思う。スズムシの奏でる音色が物悲しさを感じさせるのは、過ぎ去った夏の日々がそれだけ鮮やかだったということだろうか。
ちらちら瞬く街灯が、アスファルトに影を伸ばしている。二つ寄り添った影は、ゆっくりすぎず早すぎず、適度なペースを保ったまま歩き続けた。
「それじゃあ、試験運用の話そのものは、ミルファたちも聞いてたんだ?」
「うん。わたしは貴明たちの夏休みが終わるちょっと前に、姉さんから教えてもらったよ。具体的な内容や日程は決まってないって言ってたから、もっと先になると思ってたけど」
バスの中でメンテナンスの詳細を聞き終えたため、話の矛先は自然とミルファたちの試験運用に関するものに移る。
「いきなり呼び出されるから何事かと思ったよ。悪い報せじゃなくてよかった」
「あ、貴明、わたしのこと心配してくれたんだ?」
「そりゃあ、心配っていうか、うん、まあ色々と」
「色々ってなあに?」
正直、面と向かって心配だとか何とかってのはかなり照れくさい。
「……色々は、色々だって」
「――ふうん」
そんな風に口篭もった俺を見て、ミルファはにんまりとした笑みを浮かべる。
「そっかそっか、貴明はちゃんとわたしのこと心配してくれるんだね」
「……別に、そういうことにしといてくれてもいいけどさ」
言って、複雑な感情の篭ったため息を吐き出した。長瀬さんといいミルファといい、俺をからかって楽しいのだろうか。だけど、両手を後ろに組んで嬉しそうにしているミルファを見ていると、文句を言おうという気すら湧いてこないのだから現金なものだ。
軽やかなステップに合わせて、見慣れたポニーテールが舞っている。ミルファはくるくると俺の周りを飛び跳ねながら、喜びをそのまま表現し続けた。
石鹸の香りが夜風に混ざり、それがミルファの匂いだということに気付く。
いつもと違う匂い。
メンテナンスの前には、研究所にある浴室を使うと言っていたから、きっとそこに常備してある石鹸の匂いなのだろう。
「ねえ、学園ってどんなところなのかな?」
どきりと胸が高鳴る。
目の前でダンスを中断したミルファが、覗き込むようにこちらを見つめていた。
「勉強したり、スポーツしたり、友達と喋ったり……まあ普段は勉強が中心だな」
「勉強かあ」
ミルファに気取られないよう、視線をそらして軽く咳払いをする。
いけない。女の子と二人きりのときに匂いがどうとか考えるなんて、まるで変態じゃないか。雄二あたりなら男の性とか主張しそうだけど、俺はあそこまで割り切れそうにない。
「先生が授業するんだよね。授業って面白いの?」
「面白い授業もあるし、つまらない授業もある。古典、日本史、世界史あたりは三種の神器って呼ばれてて、興味のない人間には眠気を誘う効果しかないんだぞ」
「そんなのがあるの?」
「ああ。あと数学、現国は当たり外れが大きくてさ。延々と自分一人で喋り続ける教師もいれば、毎時間必ずクラス全員に問題を解かせる教師もいるんだ。前者だとぼんやりしてても大丈夫だからありがたいんだけど、授業の内容が頭に入ってくるのは後者だと思う」
「うんうん、それで?」
「やっぱり一番の難関は英語だよなあ。リーダーとグラマー……読み書きと文法で授業が分かれてて、文系でも理系でもかなりの比重が置かれてる教科だし。ていうか、ミルファって自分の学力がどれくらいなのか分かる?」
「わたし? ええと、基本データと一般常識以外は、経験を積み重ねて覚えていくけど、基本データは珊瑚の知識量になってるみたいだよ」
「……そりゃあ」
高校レベルを遥かに超越してるってことですか、ミルファさん。
「ねえねえ、貴明。他にはどんな授業があるの?」
「あ、あー……、他に? 他は、体育とか、家庭科とか……」
調子に乗って学園の何たるかを教えてやろう、なんて思ってた自分が妙にみっともなくなって、途端に歯切れが悪くなる。
ちょっと待て。ミルファの編入って、中間試験や期末試験と被らないよな。指折り数えてみるも、試験の日程なんて頭に入っているはずがない。仮にミルファが俺たちと同じ試験を受けることになって、仮にぶっちぎりで負けたりしたら――めちゃくちゃかっこ悪くないか、俺。
「そんなに沢山あると、授業を受けるのも大変そうだね」
「た、大変だけど、しっかり勉強しないといけないからな。うん、学生の本分は勉強でありますよ?」
動転のあまり、このみの口調になっていた。
まずい。明日からでも、しっかり予習復習をやっておかないと。
――まあ、付け焼刃じゃタカが知れてるだろうけどさ。
「でも、おかしいよね」
間抜けな悩みで葛藤する俺の内心など知るはずもなく、ミルファがちょこんと首を傾げる。その動きに合わせて、ポニーテールがさらさらと肩を滑り落ちた。
「メイドロボの試験運用なのに、メイドロボだっていうのを隠して編入するんだもん。それじゃあ意味がないんじゃないかな。貴明もそう思わない?」
「あ、いや、」
返答に詰まる。
だけど、それも一瞬。
「――それは長瀬さんも言ってただろ? 試験運用そのものは日常生活で十分な用を成しているから、それとは異なった環境に置くことが目的だ、って。あらかじめメイドロボだって伝えておくと相手も構えるかもしれないし、できるだけ自然な状態で学園に通って欲しいんじゃないか?」
「そうなのかなあ」
ミルファは納得がいかないのか、腕組みまでして考え込んでいる。
助かった。
不自然に言葉に詰まった俺の様子は、どうやら気にならなかったらしい。
「そうそう。それより、その耳当てってどうやって隠すつもりなんだ? そんなの着けてたら一発でバレそうだけど」
「これ? これはただの補助センサーだから、簡単に取り外せるよ」
ほら、とミルファが耳当てに添えた両手を離すと、
「…………ホントだ」
その下から可愛らしい耳が現れた。思わずまじまじと見つめる。
「あ、あんまりじっと見られると、恥ずかしいよ」
「ご、ごめん」
謝りながらも、俺は視線を動かせなかった。顕になった耳を持て余すミルファを眺めていると、こっちまで照れくさくなってしまう。
耳当てをはずしたミルファは、外見も完璧に『普通の女の子』になっていて、言うなればまったく隙がなかった。そのせいか、気心の知れたはずのミルファなのに、まるで別の女の子のように見える。それはつまり、
「……貴明? 何だか顔が赤いよ。どうしたの?」
薄暗い街灯の下でも分かるくらい、はっきりと俺の顔色が変わるのには十分な理由なのだ。
「熱があるの? ……ひょっとして風邪? 季節の変わり目には気をつけないとって環も言ってたのに……。メンテナンスが必要なのは、わたしじゃなくて貴明だったのかな」
しかも、ミルファはこういうことには基本的に凄く鈍い。冗談を交えつつも、本気で俺のことを心配している。
「い、いや、これは違うから。体調は問題ないよ、ホント、大丈夫、うん」
「そんなこと言ってもダメ。風邪はひきはじめが肝心、だよ?」
これもタマ姉から教わった知識なのか、早々と耳当てを着け直したミルファは、強引に腕を絡めて歩き始めた。
「ちょ、ミルファ? だ、大丈夫だってば」
「辛かったら言ってね。抱きかかえて行くから」
「……それはさすがに勘弁して」
確かに俺は特別力が強いわけではないし、逆にミルファは在宅介護も想定されたボディだから、平均的な体格の男子学生を運ぶくらいは難なくこなしてしまうだろう。
とはいえ、それとこれとは話が別だ。ミルファに抱きかかえられて帰宅する自分なんて想像もできない。
――というか、したくもないぞ、そんなの。
古今東西、そんな情けない男の話なんて聞いたこともない。
「明日も通学しないといけないんだから、早く帰ってゆっくり休んで備えないと。晩ご飯は秋刀魚を焼くつもりだったけど、もっと消化にいいものにしようかな」
妙にはりきるミルファは、初めて家の用事を申し付けられた子供のようで、何となく微笑ましく見える。俺の体調管理という使命感に目覚めてしまったミルファには、もはやどんな言葉も届きそうにない。
――まあ、話が逸れて助かったのかな。
夕食の献立をあれこれ考えるミルファを尻目に、内心で胸を撫で下ろす。先ほどまで試験運用に対して抱いた疑問は、どこかに飛んでいってしまったようだ。
『――以前の試験運用は、正直なところ芳しくない結果に終わってしまってね』
顔の熱が引いた俺の頭の中に、長瀬さんの言葉が蘇ってくる。
ミルファに言ったのは嘘ではない。だけど、すべてを話したわけでもなかった。
以前の試験運用は、結論から言えば半分は成功、半分は失敗に終わった。詳しい話は聞けなかったけど、そのときに運用されたメイドロボの子は、健全な学園生活とは言い難い状況に置かれていたそうだ。
教室や廊下の掃除をしたり、他人の言いつけに従ったりという「メイドロボとしての学園生活」は順調でも、クラスメイトと親睦を深めたり、学園行事に参加したりといった「普通の学園生活」を送ることができなかった。つまり、試験運用の成果としては十分でも、そこに至る経緯が不十分だったということらしい。
長瀬さんは、このことをミルファたちに黙っていて欲しいと言った。俺もその方がいいと思った。余計なことを言って、気を遣わせたりはしたくない。
「栗ご飯は、まだ早いかな。貴明は栗ご飯好き?」
「好きだよ。前にこのみんちと一緒に栗拾いに行って、見るのも嫌になるくらい食べたけど、次のシーズンには不思議と食べたくなるんだよなあ、あれ」
「そっか。それなら今度スーパーで見かけたら買ってくるから、楽しみにしててね」
そう言って、ミルファは満面の笑顔を向けてくれる。
ミルファの顔の両脇には、しっかりと補助センサーがついていて、彼女がメイドロボだと言われれば、とりあえず納得する人が大半のはずだ。ひょっとしたら、以前のような試験運用の形が適しているのかもしれない。
でも俺は、ミルファたちに普通の学園生活を楽しんで欲しいと思う。人の心を持っているなら、きっとそれは当たり前の権利だから。
「貴明、何だか楽しそうだね。晩ご飯がそんなに楽しみ?」
ミルファが不思議そうに首を傾げる。そうか。俺は楽しそうにしてるのか。
だけど、そんなのは当たり前だ。
「それもあるけど」
口元が緩むのを俺はもはや抑えもせずに、
「ミルファと一緒に学園に通えるから、今からわくわくしてるんだよ」
普段なら絶対口にしないような、こっ恥ずかしい台詞を言い放った。
言葉の意味を掴みかねたミルファが、ぱちぱちと目を瞬いたのも一瞬のこと。
「――――っ!?」
最新の瞬間湯沸かし機なんて比べ物にならないくらいの勢いで顔を真っ赤にして、そのまま直立不動の体勢で固まってしまった。
――まあ、これくらいの仕返しは許してもらうってことで。
まだまだ秋の入り口をくぐったばかり。
本格的に葉が色づき始める頃には、ミルファたちの試験運用が始まる。
to be continued
序章 「ホームルーム 10/11」
「俺、ミルファちゃんのことが好きだ」
「え……?」
唐突な告白に、ミルファは呆気に取られた。
唐突。そう、あまりにも唐突だ。
ミルファの前に立つ男の名前は向坂雄二。貴明の親友であり、幼馴染でもある。
たしかにミルファと雄二は、それなりに長い時を同じ場所で過ごしてきた。ミルファの生活は貴明と共にあるのだから、貴明と友人関係にある雄二と顔を合わせることが多くなるのは必然である。それは極めてシンプルな三段論法。
しかし、
「……どうして?」
少なくともミルファには、それが好意に直結するとは思えない。
「理由なんてねえよ。好きだから好きだ。ヘンか?」
「へ、ヘンではないけど……」
ミルファは気圧される。浮付いた印象の強い雄二が、真剣な顔を作って迫ってきているのだ。普段のイメージとのギャップがもたらす相乗効果なのか、五割増しで美男子になった雄二は留まるところを知らない。
「なあ、分かってくれるだろ? 俺は真剣にミルファちゃんのことを――」
「……っ」
雄二に肩を掴まれ、ミルファはその身をよじる。
そのときだった。
「――待て! 雄二!」
鋭い声が二人の動きを止める。
雄二とミルファ、合わせて四つの瞳が、声の方向に向けられる。
そして二人は見た。
白馬にまたがり、颯爽とマントを翻す、河野貴明の姿を。
ごつん。
「ど、どうしました!? 貴明さん!?」
どうしたもこうしたもないだろう、と貴明は思った。勢いよく机に突っ伏したせいで額が痛い。痛いが、それどころではない。一体これは何の冗談なのか。
無垢な表情で貴明のつむじを見つめるのは、クラスメイトの草壁優季である。半月ほど前に衣替えを済ませたため、彼女は学校指定の冬服に身を包んでいた。
「あのさ、草壁さん」
貴明は、幽霊かゾンビの方がマシに思えるくらいの緩慢な動作で顔をあげ、
「これ、どこまで本気なの?」
机を挟んだ向こう側に、懇願を含んだ疑問を投げかけた。貴明の手にはコピー用紙を束ねた冊子が握られていて、冊子の表紙には「演劇脚本(草案)・製作者☆草壁優季」と印刷されている。
頼むから冗談であってくれ、という意志の篭った視線を受けた優季は、慈悲を感じさせる微笑を穏やかに浮かべ、
「全部ですよ?」
あっさりと無慈悲な言葉を口にした。
「何か問題ありましたか?」
邪気の欠片すらない優季の様子に、貴明は頭を抱える。
問題あるに決まっていた。
だが、現実は貴明のことをあざ笑うかのように周りの声を運んでくる。
「すごいわ! 優季ってこんな才能もあったのね!」
「まったくだな。河野の優柔不断っぷりといい、向坂の女好きといい、ここまで役者の性格を反映した物語を作れるなんてたいしたもんだ」
「まさにキャスティングの妙。これなら面白い劇になりそうよね。よーし、やる気出てきたー」
教室内の熱狂を見るに、クラスメイトたちは貴明と真逆の感想を抱いたようだ。
貴明の頬を汗が伝う。
まずい。
このままでは、なし崩し的に最悪の結末を迎える羽目になってしまう。絶望に満ちた未来図を回避するためには、速やかに反対票を集める必要があった。
「ゆ、雄二。お前も何とか言ってくれよ」
「んあ?」
隣の席で冊子を眺めていた雄二に、貴明がすがりつく。
何も考えてなさそうな顔をした雄二は、何も考えてなさそうな声で、
「俺は構わないぜ。お前が主役ってのは少し引っ掛かるが、脚本を読んだ限りじゃこっちにも見せ場がありそうだしな。これで目立てれば、いよいよ俺にも春がくるってもんよ」
「そっ、そんな……」
口元を引きつらせた貴明の背に、優季の手が優しく触れた。
「貴明さん、そんなに嫌ですか? たしかに二人の親友が一人の女性を奪い合うなんてほとんど古典ですけど、古臭くならないように気をつけたんですよ?」
逆だ。革新的すぎて勘弁して欲しい、というのが貴明の感想だった。
貴明は慎重に言葉を選び、何とか優季を思い止まらせようと試みる。
「嫌っていうか、……やっぱりこのビジュアルはありえないよ。百歩譲って話は問題ないとしても、マントとか白馬とか、このあたりはやりすぎじゃないかな」
「貴明さんは、分かってません」
困った人ですね、と人差し指を立てた優季は、自信満々に胸まで張ってみせる。
「女の子は、いくつになっても白馬の王子様に憧れるものなんです」
「女の子って……」
呟きながら、貴明はこれ以上の説得は無駄であると判断した。見れば優季は、きらきらと瞳を輝かせて、夢見る乙女の表情を浮かべている。妄想に没入した優季を引き上げることは誰にもできない。
クラスメイトは駄目。共演者も駄目。原作者はもちろん駄目。
こうなったら最後の望みと、貴明は傍らに腰かけた少女に顔を向けた。先ほどからちらちら視界に入っていたポニーテールは彼女のものだ。黙々と脚本を読んでいたようなので、さすがに目を通し終わっている頃だろう。
「なあ、ミルファはどう思う? ミルファだってこんなの――」
途中で言葉が途切れる。
貴明は思わず息を呑んだ。
「………………じゅる」
ミルファが涎を垂らしていた。
うっとりした目で虚空を見つめ、頬がだらしなく緩んでいる。これが最新のメイドロボとはとても思えない――いや、最新のメイドロボだからこそ、と好意的に捉えるべきなのか、とにかく何とも形容し難い顔をしていた。かすかに聞こえた「貴明……かっこいい……」という言葉は、頼むから聞き間違いであって欲しい。
「――主演女優さんは、すっかりその気になっているみたいですね」
「そんな馬鹿な……」
いつの間にか妄想から戻ってきた優季が、「してやったり」という顔をして貴明とミルファを見比べていた。
これで、貴明の希望はほぼすべて断たれたことになる。
「それでは、皆さん注目してくださぁ~い」
教壇に立った委員長が、間延びした声でクラスメイトたちに呼びかけた。
それを合図に、ざわついていた教室が不自然なほど唐突に静まり返る。
「えーと、そろそろ読み終わったと思いますので、多数決をとってもよろしいでしょうか? ……よろしいですよね?」
気遣わしげな問いかけは、貴明に向けられたものだ。
自信のなさそうな委員長――小牧愛佳が、今の貴明には地獄に手を差し伸べる女神のように見えた。
ここが勝負どころだ、と貴明は直感する。何としても異議を取り付け、脚本とキャスティングの変更を了承させなければならない。
「いっ、異議あ」
「異議な――――――――――――――――――――――――――――っし!!」
圧倒的な大音量が、貴明の叫びを押し流した。
およそ30対1。絶対的な物量差は覆ることなく、民主主義の悪しき慣例である多数決により、少数意見は黙殺されることとなる。貴明にとっては悪夢としか思えないような出来事だった。
「え、えと、河野くんが、この世の終わりみたいな格好でうなだれているのが気になるんですけど、いいんでしょうか?」
「ほっとけ委員ちょ。こいつはいつもこんな感じだ」
「そ、そうなんですか? じゃあ、うちのクラスの出し物は演劇ということで、脚本や配役については草壁さんの書いた冊子を参考にしてください。明日から準備期間に入りますので、とりあえずの割り当ては……ああ~、まだ説明は終わってないから~。みんなぁ~、ちゃんと最後まで聞いてぇ~」
愛佳の説明が終わらないうちから、教室の中は喧騒の渦と化した。神通力じみた説得も、今度ばかりは効果を成しそうにない。明確な志向性を得た若い力は、留まるところを知らずに湧き上がってくるようだった。
「……あれ? 皆どうして騒いでるの?」
ようやく我に返ったミルファが、傍らで楽しそうに微笑む優季に訊ねる。
「出し物が演劇に決まって、やる気満々みたいですよ」
「えっ、本当にこれをするの? そ、そうなんだ」
「主演、頑張ってくださいね」
「き、緊張しちゃうな……って、どうして貴明は床に寝転がってるんだろ? こんなところで寝てると、制服汚れちゃうよ?」
「貴明さんは、人生の無常を噛み締めているみたいですから、しばらくそっとしておいてあげましょう」
肩を震わせながら寝転がっている貴明を、ミルファは訝しげに眺めていた。
文化祭まで残り二週間となった、放課後の光景である。
to be continued