軽自動車は家内専用で、僕も時折乗る車ですが、 数週間前に赤信号を無視した自転車に飛び出される出来事が発生した。
運転していたのは家内だが、ほんのわずかなタイミング差でセーフ、 飛び出した学生は一度は話をしたものの、隙をみて?全力で逃げていってしまったらしい。
こちらは青、 向こうは赤、 雨の日の傘自転車で、横の細い道から大通りにノンブレーキでそのまま突入。
数年前には、夜道を運転していたハイエース(家内運転)の車体後方に無灯火で、しかも一時停止無視の車にぶつけられる事故があり、
乗っていた免許取り立て3ヶ月のアンちゃんは、上記の運転をしておきながら、家内の当て逃げだと言い張った。
*最終的にはこちらに10%、アンちゃんは90%の過失を負うことになった。
事故など滅多にないわけだけど、全くこちらに比がないのに、あたかも全ての問題があるかのように言われたわけだが、もしそれが僕の運転だったのなら、
そのアンちゃんも舐めてかかりはしなかったと思う。
すでに娘の車には取り付けられているわけだが、今回の自転車飛び出しの一件により、僕は全ての車にレコーダーを取り付けることにした。
記録さえ出来ればよいので、最低限の映像が撮れる物でよく、ヤフオクによく出品されている送料合計で2500円程度の物で性能的には充分。
口でどういっても過去の再現は出来ないが、そのままが映像で残る事実はねじ曲げられない。 真実そのものなわけですから。
しかし・・・・・ 何でこの国は 「自分が悪かった」と言えない人間ばかりになってしまったんだろうかと?
自分は悪くないんだ、全部他人が悪いのだと・・・・、 褒めて育てる なんぞという教育がもたらした絶対的結果であるが、
そういった人間に成長するのだという事実は、某スクールに入ってくる子供達の姿を通してうんざりするほど観てきた。
そこの校長先生も明らかに子供達は変わってしまったと口にしているわけだが、
20年前までの厳しい教育がまだ生きていた頃に、6ヶ月から1年で卒業できた生徒達が、今は2~3年かかってやっと卒業となる。
最悪なのはいつまで経っても卒業できるレベルに成長せず、プライドばかり異常に高くて歪みきった人間性のままの、どうにもならない青年も出てくるようになってしまった。
褒めて育てられれば、自分は偉くて優れているという考えが己の基本姿勢になるわけで、叱られることで自分の比を認める至極当たり前の”心の鍛錬”を受けていない
事から、人としての重要な部分が欠落した精神構造が直面した問題から目を背けるために責任転嫁を平然とさせるわけで、残念なことにこうした褒めて育てられた教育で出来上がった人間性は、いかなる方法でも絶対に直すことが出来ない。
仕方のないことではあるが、これも絶対であり、嘘偽りない事実そのものでもあるのだ。