日本のハード・ロックの夜明けをどの時期にするかというのはいろいろと意見があるだろう。
でも、私の世代にとって、最初の衝撃は、沖縄の紫だった。
Deep Purple のコピー・バンド的な印象はあったが、日本のバンドなのに、洋物ハード・ロックの香りがしたのは、このバンドが初めてだった。
確か、渋谷陽一氏も興奮して、ラジオで特集をしていた記憶がある。
デビューは1976年の4月。ツイン・ギターがパープルとはちょっと違ったギターの華やかさを作っていたのが印象的だった。
今、聴くと、やはり国内のレコーディング技術が低かったせいか、音が薄っぺらだ。当時はものすごくかっこよく感じたんだけど。
でも、やはりこの曲のイントロが衝撃的であることは変わりない。
Murasaki (紫) - Double Dealing Woman
そして、同じ1976年の12月にデビューしたのがBOW WOW。山本恭司氏の圧倒的なギター・テクニックに、当時のバンド少年はみんなあっけにとられる。当時、うまいギタリストはいっぱいいたけど、ハード・ロック的なかっこいいフレーズを決められるギタリストは山本氏以外にいなかった。
ナインス・コードをさらりと使うところもセンスが光った。
ヴォーカルの弱さはデビュー時も言われたが、それでも、それまでの日本のロックになかったモダン性があったと思う。紫は洋物に近づいたが、モダン性が乏しかった。
BOW WOWは当時の洋楽のロックに近い音の響きを持っていたのだ。
ハーツ・オン・ファイア
彼らは地道に活動を続け、ついに、1982年、「ASIAN VOLCANO」でヨーロッパで注目を浴びるようになる。
その時代の曲がこれ。明らかにパワー・アップしている。
BOW WOW - Rock and Roll Tonight
そして、さらにVOW WOW となって進化するのである。
沖縄で言えばコンディション・グリーンも好きでした。紫=パープル、コンディション・グリーン=ZZトップですかね。
紫とBOW WOWの違いは、HRとHMの違いなのでしょうね。ギターのサウンドが明らかに違いますよね。
BOW WOWはキーボードの厚見玲衣とヴォーカルの人見元基を加えて5人編成となり、バンド名をVOW WOWに変えた時に見に行きました。
88年辺りで確かホワイトスネイクのニールマーレイがいた時期です。
初期のBOW WOWは見た目がバンクぽかったですね。
紫は残念ながらほとんど聴いていなかったのですが聴いてみて良かったです。
どちらかというとNOVELAと陰陽座ほうでした。
コメントありがとうございます。
コンディション・グリーンはアメリカン系でしたね。
過激なパフォーマンスが話題になりました。
山本恭司氏のギターは当時、すごく華やかに感じました。
コメントありがとうございます。
VOW WOWになってからの方が有名になりましたね。
イギリスでの公演が好評でしたし。
紫はパープル好きならうなづけるところがあると思います。
NOVELAと陰陽座とは渋いですね。
Bow Wowは渋谷陽一氏の番組で知り、エアチェックもしてたなぁ。斬新でしたね。愛読誌「ロッキンf」に、山本恭司氏はよく登場、寄稿してました。最初のUK公演は、大したことない現地の評価だったと思います(1978年頃)。「Bow Wowって可愛名前やん(笑)」とか「Are you lady?、のバンドだろ(笑)」とか……時期が時期、でしたからね…
色々あったと思いますが、日本語で歌い、ポップな路線になった時はビックリしました。
長尺のコメント、大歓迎です!
タイトルだけ読んで、短いコメントする人がいて、困惑するケースがあるので、力の入ったコメントはすごくうれしいです。
紫のプロダクション、もったいないですね。もっと音を厚くできただろうにと思います。
結局、アンセムのように、アメリカまで行くということになるケースがありました。当時の日本のレコーディング技術では、ハードロックはうまく録れなかったようですね。
四人囃子は私が高校の時に最も聴いた日本のバンドです。文化祭で演奏もしました!
次回はゴールデン・ピクニックスにしますね。
コメントありがとうございます。
1970年代の初めころって、日本の録音技術では、洋楽っぽい音にはならなかったんですよね。
確かに、クリエイションはちょっと音がモダンになっていたかも。それでも、おっしゃるとおり、洋楽とは違ってました。