子供のときの記憶。オヤジがプロレスを一生懸命見ていた。戦争では負けたけど、憎き鬼畜米英人を小さな力道山がコテンパンにしているのが心地よかったのだろう。米英人よりもデカい馬場を見て心の平安を得ていたのだろう。子供心にもその雰囲気は分かった。
今はもう、そんな擬似暴力で溜飲を下げる時代ではなくなった。スポーツ競技としての魅力で観覧者市場を確保していたわけではないので、鬼畜米英への特別な感情が忘れ去られるとプロレスも一緒に忘れ去られてしまった。
今はもう、そんな擬似暴力で溜飲を下げる時代ではなくなった。スポーツ競技としての魅力で観覧者市場を確保していたわけではないので、鬼畜米英への特別な感情が忘れ去られるとプロレスも一緒に忘れ去られてしまった。