悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

神田川

2007-04-24 20:56:24 | Weblog
 昭和48年、私が23歳の頃できた歌~聞いていたら涙が出てきた。学生の頃は、井上陽水の歌なども、同級生は歌っていたが、知らんぷりしていた。踏切があがるの、あがらないのと、何を言っているんだか。という気持ちもはたらいていた。神田川だって、汚い川がどうしたの、というのが本音だったと思う。

 踏切については、以前古河駅の南北に踏切があり、長時間ふさがっていた。多くの市民は、迷惑がっていたが、私は、何とも感じていなかった。「あたりまえのこと」と思っていた。貨物があったので、駅付近の踏切は、いつも開いたり閉まったり。その上、踏切で待っていると、トイレも垂れ流しの時代だったので、飛沫がかかったりと、今思えば、さんざんな状況であったろう。しかし、我が家は、国鉄一家。ただ、当たり前だった。

 その頃の歌が、いつの間にか、心線を揺さぶる歌となっていた。井上陽水も、昔のFM放送で、「テレビのない生活など考えられない」と言っていた。これに反発し、陽水は嫌いだったが、歌には心酔した。かなり聞き込んだと思う。メロディが耳から離れなくなったほどだ。

 歌、詩、メロディ、小説、絵、等々、心を揺さぶるものを忘れないようにすることが、生きる証なのかなと思うようになってきた、今日この頃です。