南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆友あり

2014-04-04 22:25:32 | 喜び

 1904 遠方より来たる、また、楽しからずや。上海から戻ってきていて、先程、一緒にゴルフを楽しむことができた。長年務めていた会社の海外工場の立ち上げや経営を任せられていて、海外生活が長かった。そして、四年ほど前にインドネシアのその会社の社長として赴任してきた。その会社の押出部門の立ち上げを手伝った私と同僚のような形になった。酒とタバコとゴルフが命で、仕事のストレスをそれらで和らげているように見えた。で、私と毎週、土日とゴルフをやっていた。

 

染井吉野、山桜などの中に、たった一本、大島桜?淡い緑で風景に溶け込んでいたが、目立っていた。8分咲のようだったが、散る花びらも多く、絨毯ができ始めていた。

 

技術者の私とは違ったタイプの方で、経営者だった。そういう点で、私にはない、総合的に管理する能力を持っていて、そう深くて詳しいとは思わないが、広い範囲のことを考えていて、それぞれの担当者を使い、任せる余裕の世にものを感じさせられて、久しぶりに、この人を見習いたいと思わされた。

 

会社の都合に負って、二年程で、退職してしまったが、日本に帰り、請われて、ふたたび、中国の金型製造会社の総経理として、招かれ、約2年経過していた。70歳を超えると労働ビザの修得が難しいそうで、三か月ごとに日本に戻って、10日ほど滞在し、再び上海に戻る生活をしているので、そのつど、元会長さんとゴルフをするのだそうだ。今回、たまたまそのタイミングで会うことができた。耳の具合が良くなかったが、今回、なお進んでいて、今年、一杯で、中国からも引き揚げて、仕事から解放さえたいと云っていたが、どうでしょうか。

 

ゴルフの後、静岡駅まで送っていったが、中国で三社立ち上げ、軌道に乗せていた子会社が、身売りされてしまったこと、育てた従業員に行方のこと、また、同じような立場で会社の発展に尽くし、会社にいられなくなってやめて行ってしまった同僚やその近くの上下、前後関係だった人たちの現状と行く末のことを、相当気にしているようだった。OB会を招集したい考えをもっていることを話していた。その時に私も協力したいと話しておいた。

 

再会を期待しながら別れた。グッドゥラックである。スモガ プルヤラナンニヤ ムニュナンカンだ。

手本 別格 再会

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