1250 “サバンからメラウケまで”、という歌の歌詞です。内容は、これがインドネシアの国土です、という意味です。たわいにない歌だと思うが、子供のころから歌わされているインドネシア人にとっては、心の歌です。日本の“故郷“とは、意味が違いますね。日本にはこういうたぐいの歌は無いですね。
Dari sabang sampai merauke Berjajar pulau-pulau
Sambung menyambung menjadi satu Itulah Indonesia
Indonesia tanah airku Aku berjanji padamu
Menjunjung tanah airku Tanah airku Indonesia
国歌と共によく歌われます。
余計なことだが、地図を見ると、ある程度の街としては、ジャヤプラの方が東で国境に近い。何故、メラウケまででしょうか、多分、サバンから直線で繋げば、対角に近いので挑戦が長くなる。それで、メラウケまでと、したのでしょう・
だから、どうなんだということは無いが、取りあえず、両端を訪問しました。その雰囲気は相当違う。サバンはスマトラのバンダアチェの西に浮かぶ島、ウェーという島にある街だが、バリバリのイスラム地帯、女性は外出する時には必ずジルバブを使わなければならないし、肌を見せてはならない。そんなところですが、欧米人のためのリゾートでもある。ここからは、ビキニ姿で、出てはいけないという看板があるように、華やかな雰囲気もあった。しかし、メラウケは欧米人のリゾートの雰囲気はまったくない。広い海岸には、パプアの人々が訪れているが、ぶらぶらしているだけだ。また、パプアニューギニアとの国境がどこなのか分からないほど、ジャングルの中なので、ここが、端っこ、という雰囲気もない。
ソタのの人々も、自由に行き来している、というより、国境という意識がない。一応、警備兵が詰め所にいるが、運転手がKTPを見せただけで、私がパスポートを求められることは無かったし、記念に帽子やTシャツはどうかと、言われた。そこから、国境へ100m進んで行った。そこには、住民がたむろしていて、世間話をした。燃料の枯れ木を集めに毎日、向こうへ行くし、水も向こうから運んでくると言っていた。
私は目印の場所で写真を撮ってもらって、10mほど向こうへ入って見たが、へは4km以上あると聞かされて、それ以上は進まなかった。
最後に、本当に、未開の場所に興味がある方か、向こう見ずの人が思いつきで、来るか、とにかく、一般の平凡人では、こんなところへ来てしまったら、後悔するでしょう。インドネシアでは私が行くところ、どこでもそうだが、メラウケは特にそう思うが、日本人を誘って連れてくることはできない。もし、連れてきたら、食べ物や街の匂いや人々が持つ雰囲気や泊まる場所の状態などで、参ってしまうでしょう。
日本人が来ることはほとんどないし、学校の傍を歩いて通れば、私が近付く前に、子供たちが寄ってくる、女学生も集団で寄ってきる。日本語で“こんにちは“と言ってやれば、全員から、”こんにちは”と返ってくる。そのあと、大笑いになる。その子たちにとっては、日本人の顔を見る機会は無いだろうし、話をすることなどは、一生のうちにあるかどうかというくらいの奇跡のようなもの。それは、はしゃぐわけである。はっきり言って、生活は最貧に見える。ジャカルタとは別の世界である。それでも、こんな時、来てよかったなと思う。彼らは、決して不幸ではないと思う。
旅行記 アチェ ウェー サバン http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html
写真集 ウェー島 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html
バンダアチェ http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html
写真集 ジャヤプラ http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00090.html
今回の旅の写真集 スンタニからジャカルタ
http://otaenplaext.net/newpage28.html
両端 貧困 ご気楽