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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ゴミ回収

2012-09-11 22:13:44 | 環境

 1335 何か月ぶりでしょうか、夕方、30分ほど雨が降った。屋根に積もった埃を洗い落した。

十数年前も今も同じ風景。いや、むしろ、人間が増えたことやプラスチックが増えたことで状況は酷くなっている。

ゴミと山羊や羊の関係。都会も田舎も同じです。工業団地も高級分譲住宅地も中級も低級も違法バラック住宅地も全て同じです。流石にジャカルタの中心ではほとんど見られないが、中心を除いて地域には当たり前に在る。ゴミ入れは大小に関係なく、溢れていて、その容量の倍以上のゴミが周辺に散乱している。プラスチックの袋は破られていて、中身が散乱している。一般的には、放たれた山羊の幾つかのファミリーで餌をあさり歩く、彼らには、決まった時間とコースがあるらしい、飼い主が一緒のことは無い、飼い主が、毎日の彼らのスケジュールを教え込んでいるのです。その通りに食事をして回るのです。イスラムでは豚は食べてはいけない、その理由は、不潔な動物だからと説明する人がいる。腐ったもの不潔なものを食べるからだという。こんな風景を見ていると、山羊だって同じじゃないかと思う。

 

 だが、このゴミの溢れた場所は、至る所にあるわけで、そのゴミを当てにしているのは、山羊や羊だけではない。犬や猫、アヒル、ネズミ、などの動物だけではない。人間様も袋を担いだり、木箱の車を引っ張ったりして、ゴミを捨ててある場所を定期的に回って少しでもお金になりそうなものを集めて回る。段ボールを捨てておけば、一時間もしないうちに消えている。プラスチックのボトル、ガラス瓶、金属の缶、日本では分別して、それぞれの容器に捨てるものです。これらも、直ぐ消えます。プラスチックの袋を破るのは山羊だけではありません。人間様が破るのです。発泡プラスチック容器も回収の対象です。

 

 工業団地の廃品回収に関しては、その筋のマフィアが幾つかのグループに分かれて、支配しているのは多くに人は知っています。何故か知らないが、アンボン人とマドラ人が多いらしい。業者を変えたり、ほかの業者も入れあると、たちどころに、正門の前にゴミを撒いたり、木箱を積み上げたりして、出入りを妨害されます。今でも、時々、やられている会社を見ます。山羊や羊とその飼い主はその組織には入っていないが、巷のゴミあさりの人達もそういう組織とは無縁ではやっていけない。集めた再利用できる廃棄物は、その筋のルートで洗ってそのまま利用されたり、紙やプラスチックの原料になったりする。

 私はゴミ回収費用を毎月400円ほど払っている。分譲地の事務所が週二回各家庭ごみを回収することになっている。木箱のトラックが回っているのをときどき見る。各家庭の前の明らかにゴミとして捨ててあると見える物は持って行く、その、場所を掃除するわけではないので、破られた袋から散乱したゴミはそのままにして、プラスチックの袋ごとその中に若干残っている物だけが持って行かれる。多くの本当のゴミは散乱したままになる。

 

 私はそれを嫌って、プラスチックの袋を厳重に縛り、結び間を下にしてもう一枚のプラスチック袋にいれる、それの結び目を下にしてもう一枚の袋に入れてきつく縛る。プラスチックに袋を三重にしている。流石に山羊の歯でも、破れない。人間も結びを解いて中身をチェックする人はいない。だから、私が出したゴミだけはしっかり丸い形で残っていて、時が来れば、トラックが持って行ってしまってくれている。頭に来た人間の仕業でしょうか、時々、丸い袋が置いた場所から離れた場所に放り出されていることある。そうするのは、私だけです。おかげで、家の前のゴミの置き場所を掃除する必要はほとんどなくなった。

 グライ ハロ テルコムセルのサービス店

ゴミ 回収 山羊

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(^_-)-☆不適格の海

2012-07-30 22:08:56 | 環境

 1292 掃除をしなかったプールのようだ。水を入れ替えていないプールのようだ。用宗海水浴場、孫が海で泳ぎたいと言うので、連れて行った。家から一番近い海水浴場で、10分くらいで着く、知られていないし、海岸が砂浜ではなく、玉砂利状態で、急に深くなっているので、海水浴場には向かない、当然、空いている。
50mほど沖にテトラポットが積み重ねられている、その又沖の50mほどにもテトラポットが並んでいる。幅300m沖のテトラポットまで50m、その範囲が海水浴場になっていて遊泳OKになっている。
インドネシアではないので、海岸のゴミは無い、それはいいが、海水が濁っている、また、透明な浮遊物が漂っている。お世辞にもきれいな水とはいえない。二重のテトラポットで海水の交換が出来ていないから、浮遊物が溜まる一方なのでしょう。テトラポットの役割は海岸が消えてしまうのを防ぐためでしょう。無ければ、砂や砂利が沖に持っていかれて海岸が消えてしまうでしょう。だから、仕方が無いと思うが、何か、海水を入れ替える好い方法は無いものでしょうか。私が子供ころ、8月中旬過ぎの海水浴場にはクラゲが現れ始め、チクチクさす、人によっては刺された場所がはれ上がる、と、言われていたから、夏休み後半には海水浴には行かなかった。ところが、今日の用宗海岸海水にはクラゲが充分繁殖していた。見える死骸は大量に漂っていた。遊泳中、チクチクと刺されて、気になった。孫たちもチクチクすると言っていたし、他の人達も、何かに指されたという話をし合っていた。これも、海水の代謝がされていない、海水が温まっているのが原因だということははっきりしている。今、この状態だから、8月中旬近くにはもっと、ひどい状態になっているはずだ。海水浴場としては、水質検査をしていると思うが、大腸菌やその他プランクトン、クラゲなど、海水浴場いとしては不適というデータになっているに違いない。
 日本で、今まで、こんな汚れた海水浴場に出会ったことは無い。孫たちを再び連れて行く気になれない。ちょっと遠いが焼津か静浜、方向は逆だが、三保辺りまで行った方がいいかなと思う。
 昨日の花火大会、無風に近い状態になってしまっていた。火薬からでた煙が留まってしまっていて、次々と打ち上げられる花火の大輪が掛けてしまったり、ほとんど見えなくなってしまったり、台無しになってしまった。
 私は始めてこういう状態を見たが、せっかく、何十万、何百万掛けても、煙が邪魔して台無し、何ていうことは、全ての花火師が何度も経験しているはずである。無煙火薬を安価で何故作らないのでしょうか、理論的にできないと、証明されているのでしょうか、当然、研究はしていると思う。煙がほとんど出ない花火を開発したら、大儲けできるはずだが、ノーベルさんが大喜びして、ノーベル賞を幾つもくれると思うのだが、ぜひ、その道の専門家に作ってほしいものだと思う。

 クラゲ 大腸菌 不合格

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(^_-)-☆舗装急ピッチ

2012-06-28 22:06:46 | 環境

  1260 汚職の風土を無くすことはできない。イスラム社会だからではありません。ゴミが増える一方なのもイスラム社会だからではありません。インドネシア人社会だからです。アッラーは汚職を奨励していますか。ゴミをどこでも捨てていいと言っていますか。言っていないでしょう。宗教以前にインドネシア人だからチャンスがあれば汚職をしたいと思うのです。手に持っている不要なものは、手から放したくなったときにどこであろうと手から離すのです。それらのことで、罪悪感が乏しいのです。悪いことだという意識がほとんどないのです。オランダ領の時代にも同じことだったでしょう。

ということで、人が変わらなければ、状態も変わりません。ということは、永久にゴミは無くならないし、汚職も無くならないのです。そう思って対処する人が大統領にならなければ、どうにもならないということです。

“浜の真砂は尽きるとも、世にコルプシ(汚職)の種は尽きまじ“石川五右衛門

そこで、というか、今週はどこにいてもできる仕事ばかりなので、03:00に家を出て、また、パンガンダランにいる。金曜日、昼からチカランでミーティングがあるので、それに、間に合うように帰る。

学校が、まだ、休みだとかで、平日にもかかわらず、人出が多い。久しぶりにカランニニへ寄ってみた。何も変化は無い。この並びから見る、ヌサカンバンガンとチャガールアラムはそれぞれに若干の変化があって、魅力的だ。

 

ラマダン レバランに向けて、急ピッチで道路の修復をしている。特にパサールパンガンガランから西へ向かう道、グリーンキャニオンやバトカラスがある方向だ。やっと、雨季が終わったようで、砂埃が立ち上がる中、舗装が進行している。グリーンキャニオンまで、25kmあるがそのうちの10kmは済んでいる。インドネシアの舗装の仕方が気に入らない。道幅一杯に舗装すれば大型バスが余裕も持ってすれ違うことが出来る。だから、全く舗装してなければ、やはり、充分すれ違いの余裕がある。ところが、インドネシアの舗装に仕方は、全幅ににはしない。両側に1mほど舗装しないでおく。どういう理由があるのか分からない。だから、舗装した部分では大型車のすれ違いはできない。どちらかが、譲って、舗装から片側の車輪を落とさなければならない。また、普通車と大型車がすれ違い場合も多くはどちらかが譲る、一般的には普通車が避けることになる。そこまでは、良いとして、困るのは、その舗装の幅はそのままに、毎年のように舗装を積み重ねて修復する。舗装していない部分と舗装との段差が年々大きくなる。左に大きく傾くことになる。何センチまで段差が許されているのか知らないが、20cm位はざらである。ということだが、ムディックやハリラヤには舗装が間に合うことを期待するしかない。

舗装 レバラン 汚職

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(^_-)-☆キタス申請 

2012-06-27 22:07:27 | 環境

 1259 何度目かのキタス申請のために、本当に久しぶりにブカシバラットへ行ってきた。ここ10年以上、行く用事は無かったし、ゴミゴミしていて、渋滞も激しくなっているから、行ってみたいと思うこともなかった。今回は新しくできたカントール イムグラシでKITAS(住民登録証)申請のためにサインや写真撮影に行かなければならなかったからです。今までのカラワン イミグラシはカラワン以東だけになって、チカランはブカシの中だから、当然、ブカシの事務所へ行かなければならなくなった。先日シンガポールから戻った時に入国係官が知らなかったことでした。
 10年以上前には、ホテルホリゾンやフィラドゥアラトゥスVila200に日本人の友達が住んでいたり、従業員のコスが集中してしたりして、何かと、メトロポリタンモールと向かい側のヘロー辺りで食事をする機会も多かった。インドネシアで初めて“ホカベン”へ入ったのもここでした。当時でも、ごみごみしていて、あまり行きたいとは思っていなかったが、仕方がなく行っていた記憶がある。
 総合病院もミトラクルアルガしかなかった。今のようにミトラクルアルガもブカシティムールにできているし、チカランの旧市街にもジャバベカにもリッポチカランにも立派な総合病院ができているのでブカシバラットへ行く必要が無くなっている。
 とこれで、イムグレの場所、これが分かりにくいし、行きにくい。ブカシバラットのインターを出て左折し、ミトラクルアルがを過ぎた角で左折する。それが、病院の前の側道を入っていないと左に曲がれない、通りすぎてしまって、突きあたりまで行ってUターンし病院の前を通り過ぎてマタ、Uターンし病院の前を通りすぎ終わったところに確かに左へ曲がれそうな狭い道がある。車がやっと通れるくらいだが、二輪車が何台も駐車していて、危なそうだったし、その曲がった先200mくらい見通せたが、それらしき建物が見えなかった。そこを曲がらず、次の曲がれそうな場所を探したが。結局、また。突き辺りまで行って。同じように、また病院の前を通ったところで、そのあたりにいる人に聞いた。その、やっと通れそうな道の先だという。200mほど行くと道なりに直角に右へ進んだ、在りそうな雰囲気がない。300mほど行くと対向車線側に屋台と人だかりが見えた。
看板にIMIGRASIと書かれていた。ところが、右折できないので、そこを通りすぎて100mくらいいたところでUターンして、先ほどの看板の前に着いた。そこから入れるのかなと思ったら、それも違った。駐車場へはそん手前30mくらいのところで左折しなければならなかったらしい。また、そこを通りすぎて、Uターンを二回して駐車場と小さく書いた看板のところを左折してやっと駐車場に着いた。
 古い建物を改造して開業したのでしょう。全体が汚いし、臭いし、レイアウトというか人の控え場所も整理されていなくて、どこで待っていればいいか分かりにくい。外国人にとっては、戸惑うことが多いのではないかと思う。カラワンの方が全ての点で、使い勝手が上だと思う。
 ブカシ県の住民は全てブカシバラットのイミグレへ行かなければならなくなっている。一年くらい前からだそうです。私の前回は1年半ほど前だったので、カラワンでした。
 
ブカシバラット イムグレ 分かりにくい

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(^_-)-☆東西対角の両端

2012-06-18 22:04:52 | 環境

  1250 “サバンからメラウケまで”、という歌の歌詞です。内容は、これがインドネシアの国土です、という意味です。たわいにない歌だと思うが、子供のころから歌わされているインドネシア人にとっては、心の歌です。日本の“故郷“とは、意味が違いますね。日本にはこういうたぐいの歌は無いですね。

Dari sabang sampai merauke  Berjajar pulau-pulau
Sambung menyambung menjadi satu  Itulah Indonesia
Indonesia tanah airku  Aku berjanji padamu
Menjunjung tanah airku  Tanah airku Indonesia
 国歌と共によく歌われます。

 

余計なことだが、地図を見ると、ある程度の街としては、ジャヤプラの方が東で国境に近い。何故、メラウケまででしょうか、多分、サバンから直線で繋げば、対角に近いので挑戦が長くなる。それで、メラウケまでと、したのでしょう・

 だから、どうなんだということは無いが、取りあえず、両端を訪問しました。その雰囲気は相当違う。サバンはスマトラのバンダアチェの西に浮かぶ島、ウェーという島にある街だが、バリバリのイスラム地帯、女性は外出する時には必ずジルバブを使わなければならないし、肌を見せてはならない。そんなところですが、欧米人のためのリゾートでもある。ここからは、ビキニ姿で、出てはいけないという看板があるように、華やかな雰囲気もあった。しかし、メラウケは欧米人のリゾートの雰囲気はまったくない。広い海岸には、パプアの人々が訪れているが、ぶらぶらしているだけだ。また、パプアニューギニアとの国境がどこなのか分からないほど、ジャングルの中なので、ここが、端っこ、という雰囲気もない。

ソタのの人々も、自由に行き来している、というより、国境という意識がない。一応、警備兵が詰め所にいるが、運転手がKTPを見せただけで、私がパスポートを求められることは無かったし、記念に帽子やTシャツはどうかと、言われた。そこから、国境へ100m進んで行った。そこには、住民がたむろしていて、世間話をした。燃料の枯れ木を集めに毎日、向こうへ行くし、水も向こうから運んでくると言っていた。

 

私は目印の場所で写真を撮ってもらって、10mほど向こうへ入って見たが、へは4km以上あると聞かされて、それ以上は進まなかった。

 

 最後に、本当に、未開の場所に興味がある方か、向こう見ずの人が思いつきで、来るか、とにかく、一般の平凡人では、こんなところへ来てしまったら、後悔するでしょう。インドネシアでは私が行くところ、どこでもそうだが、メラウケは特にそう思うが、日本人を誘って連れてくることはできない。もし、連れてきたら、食べ物や街の匂いや人々が持つ雰囲気や泊まる場所の状態などで、参ってしまうでしょう。

 

 日本人が来ることはほとんどないし、学校の傍を歩いて通れば、私が近付く前に、子供たちが寄ってくる、女学生も集団で寄ってきる。日本語で“こんにちは“と言ってやれば、全員から、”こんにちは”と返ってくる。そのあと、大笑いになる。その子たちにとっては、日本人の顔を見る機会は無いだろうし、話をすることなどは、一生のうちにあるかどうかというくらいの奇跡のようなもの。それは、はしゃぐわけである。はっきり言って、生活は最貧に見える。ジャカルタとは別の世界である。それでも、こんな時、来てよかったなと思う。彼らは、決して不幸ではないと思う。

 

 旅行記 アチェ ウェー サバン http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html

 写真集 ウェー島 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html

               バンダアチェ http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html

写真集 ジャヤプラ http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00090.html

今回の旅の写真集 スンタニからジャカルタ 

http://otaenplaext.net/newpage28.html

両端 貧困 ご気楽

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(^_-)-☆いつも来る場所

2012-05-30 23:03:32 | 環境

1231 また、パンガンダランに来ている。他に行く当てが無い時には、ここが一番いい。ゲートを通るとまっすぐ伸びたジャラントール、地元の人はそういう。お金を払って通る道だからです。突きあたりが西海岸です。中央分離帯のある、片側二車線の広い通りです。その西へ向かって海岸に突き当たる前、左側のホテルにいる。このホテルに泊まるのは初めてです。何故ここにしたかというと、反対車線を隔てて50m位のところにテルコムの中継鉄塔があるからです。このホテルの前で、電波の具合をチェックしたら、フルだった、いつも、東海岸のホテルを使っていて、馴染みになっているが、ネットのローディングが遅くて無駄な時間がかかってしまう、今回は、電波の強さ優先で選んだ。しかし、部屋の状態は良くない。トイレは臭い。アクアガロンボトルのデュスペンサーがない。何より、広い道に面しているので、バイクの騒音が大きい。

 

西海岸の肩に近い部分まで50mほどの距離、17:00頃部屋から出て、西海岸へ行ってみた。平日というのに、夕方の人出は多いと思った。サンセットが近いので、恋人同士でしょう、お互いに写真を撮り合っている風景が目に付いた。久しぶりに天気が良い日に当たった。

 

まだ、乾季にはなっていないと言うが、グリーン キャニオンやバトゥ カラス方面へ向かう道の補修工事が始まっている。アスファルトを剥がして、土を露出させ、ローラーで固める工程になっていた。そのデコボコたるや、半端じゃない。多分、アスファルトが完全に敷かれるまでに3カ月以上かかるでしょう。本当に毎年のように同じことを繰り返しているように思う。なぜ、雨季になると、穴ぼこだらけになって+しまうのでしょうか。

インドネシアの道路工事をする人や会社はそれで平気なのでしょうか。10年以上、穴ができない道路を作って見せると思わないのでしょうか。毎年、補修することを恥と思わないのでしょうか。インドネシア全土で言えることです。

 

写真より遥かに実際の方が美しいし、スケールが違う。サンセットと既に沈んだ後。

ルンバープトゥリからのパンガンダラン、ウェブ サイトの表紙になっています。10年以上前の写真と今日の写真と同じですね。

天国 ローディング サンセット

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(^_-)-☆普通の生活

2012-05-22 22:18:16 | 環境

 1223 皆既日食、金環日食、堪能できましましたか、インドネシアのテレビでも東京などの様子を放映していました。
 ワーキングビザの申請が延び延びになっていたが、整って、プロセスに入った。遅くても二週間以内にシンガポールで習得することができる目安がついた。今度が最後のシンガポールで取得になるでしょう。
注文をしてある装置の進捗状況を眺めに行ってきた。場所はチビトゥンだがコタチカランに近い。押出しの金型や装置はインドネシアローカルの中小企業で充分、用を足せる。日本や中国から買う必要などまったくない。今日も予定通り進んでいて、来月の第二週には試運転して、性能を)確認できる状態までになっていた。私は仕事をしていないが、眺めているだけで、確実に前進をしている。
 ということで、仕事の話ではなく、またまた、渋滞を避ける話、チビトゥンへ向かうときには、高速を使って、MM2100と反対側に降りて、行く。目的の会社までは並みの渋滞がところどころにあるだけで、順調でした。しかし、ジャカルタ方面行きの高速はチビトゥンまで順調だったが、帰りの方角(対向車線)は、相変わらずの大渋滞を確認していた。また、チビトゥンから高速へ入る道は一般国道から完全に車で埋まっていた。目的の会社からチカラン方面に戻るには、チビトゥンのインターへ戻って高速を使う選択肢はまったくない。この前のこと、懲りているので、ジャラン カリマランを使うこともしない。国道を東に向かってコタ チカランへ入った。其のあたりは当たり前の渋滞だったが、ラマヤナ辺りから、車が進まなくなってしまった。耐えて、そのまま直進し、ジャバベカ1方面へ行く手もあったが、対向車が来ない、これは、道が塞がっているなと呼んで。なお、東のルマーアバンを通ることにした。三角形の二辺を選んだのだから、距離は長くなるが、渋滞が少ないことを願った。ルマーアバン駅の踏切からジャバベカに向かった。それからは、ジャバベカゴルフからリッポチカラン方向と同じ道を通るだけ、他の道を使った場合と比較はできないが、渋滞の中にいる時間はかなり短いと確信する。
 リッポチカランではなく、コタ チカランの雰囲気です。チカラン バラットのインターからジャバベカを過ぎて、そこまでの距離の二倍以上先にあります。リッポチカランのように計画的につくった街ではないので、雑然として、インドネシアらしい、この町では、日本人は暮らしてゆけないでしょう。

 普通 並渋滞 国道

 

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(^_-)-☆斜陽のブロックM

2012-05-20 22:02:44 | 環境

1221 パパヤで買い物をしたが、帰るにはまだ早すぎる。

明るいうちにブロックMの中を歩いてみた。パパヤの入口のちょっと奥の左側に駐車した。というのも、中の方へ行ってしまうと駐車する場所がないかもしれないので、入口近くても、空いていれば、そこへ止めてしまった方が、無難だからです。車を降りて過ぎに右に曲がった。左の角に新築の建物がある、なんだろう?その先、右側に川奈の看板が見える。昔、アユがあった場所はトコウマス(貴金属店)になっていた。鳥勝の前に、昔会ったことがある車の整理をしているおっさんが椅子に座って物思いにふけっているのに会った。何をしている?と話しかけたら、逆に、何をしている?と、聞かれてしまった。2000年頃にはよく来たことがあるが、今は、全然来ていないので、久しぶりの様子を見に来たと伝えた。そうすると、べらべら、しゃべりだした。

 先ず、以前はよかった、日本人が、どんどんきて、チップも沢山くれた。今は半分になったしまった。カラオケの店も減ったし、日本食レストランも少なくなった、経営者が変わって、名前も変わったところもあるが、客の数は少ないままだ。原因はブロックMスクエアーができたことだという。その客の為のバイクの駐車場が大幅に面積を増やしたことです。おそらく、車の駐車場の面積は2000年頃の三分の一になっている感じがする。それに、歓楽街には似合わないコンビニやトコウマスが新装オープンしている。韓国系のカラオケは無くなってしまった?とも言っていた。一回楽しむのに今は1万5千円はかかる。

何より、リッポチカランやリッポカラワチの新しい沢山の日本人や観光人向けの歓楽街ができて、わざわざ、ジャカルタまで来る人用が無くなった。この、おじさん、そういう事情をよく知っている。10年後には、日本人向けの歓楽街ではなくなると断言していた。

 

 パパヤの次の入口の右側にセブンイレブンが目立っていた。一等地に進出している。流石だと思う。その前の道は、昔は車、今はバイクに占領されている。変わり具合の象徴だと思う。以前、焼き肉千里があった通りも車の駐車スペース半分になっていた。そこはブロックMスクエアーの方を向いていて、雰囲気はそちら側になっていた。左へ左へ曲がって丸福のある通りに出た。振り返れば、やはり、サークルKやスクエアーの建物である。タイチャンラーメンの客も激減だし、レストランユキもこの中では老舗中の老舗だが、経営は大変だとか、カラオケユキ1、ユキ2はだいぶ前にクローズしたそうだ。モンやシキの並びとその向かい側のカラオケは全部なくなっていた。間口が狭い、日本食レスランに変わっていたが、どう見ても立地条件は良くないと思う。いつまで、持つでしょうか。ボーティクエ?ホテルなるものが目立っているが、どういう人種が利用するのでしょうか、場違い、雰囲気に合わない感じがする・ユウジロウやキューリ、チャンティックトーキョーの並びが、昔の面影を残しているが、この辺りが、壊されて近代的な建物ができてしまえば、2000年ころの面影は消えてしまう。商社や建設会社の招待を筆頭に、出張者が来れば、必ず、連れて行ったころの雰囲気は無くなった。

 日本の景気とインドネシアの景気の縮図がここにあるような気がする。

18:00前にはブロックMから出た。パサラヤの危険だと言われた駐車場が平地になっていて、その向こうの道の上に高架の自動車道を建設中だった。既に薄暗くなっていた。家に着いたのは19;00順調でした。

 

 落日 面影 今は昔

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(^_-)-☆JKT48

2012-05-14 22:08:19 | 環境

1215 JKT48のこと、グローバルTVと何らかの提携をしているのでしょう、グローバルTVに頻繁に出るが、その他のTVには全く出ない、出演依頼が来ないのでしょうか。日系企業のTVコマーシャルには頻繁に登場する、これは、全TVで流されている。ジャカルタ新聞では盛んに状況を伝えている。

 しかし、一向にランクインしてこない、他のTVの歌番組にはまったく登場しない。ベストテンなどには程遠い。何故でしょうか、今、インドネシアで人気なのはK-POPです。そのスタイルの、スマッシュという男性グループ、チェリーベルという女性グループを始め、類似したグループがベストテンの常連になっている。また、根強い人気のコタック、ゲイシャ、ニジなどといったインドネシアンPOPが固定していて、JKT48が入ってくる可能性は非常に小さい。躍起になって、売り出そうとしている様子は伝わってくるが、空回りをしている。日系の男性化粧品のコマーシャルに使えば、売れるようになると思うのだが、どうでしょうか。

 

 イスラムでも腿出し、胸半出しは認められている。臍出しはだめらしい。インドネシアでは女性歌手に求められているのはダイナミックな色気です。伝統的にダンドゥットゥの腰ふりダンスを強烈にすれば、すぐに、人気が出る。K-POP女性グループもひらひらの超ミニスカートで胸も半だしの生地が少ない節約コステュームで大人の色気を発散している。韓国語の歌詞は入っていない。歌詞やメロディー、ハーモニーはどうでもいいことです。

 そこへ行くと、日本語で言う、かわいさ売りのJKT48は、色気がないので、全然、注目されないし、どうでもいいと言ったって。歌詞は理解できないし、カタカナ(英語のはず)歌詞が一つの音符になっていないので、英語になっていない。インドネシア人には不思議な日本語に聞こえている。

 ということで、私の予測では、ジャカルタ、インドネシアではJKT48は成功しない。まず、インドネシアでJKT48もどきの女性歌手グループが誕生してくるか来ないかがバロメーターです。多分、出てこないでしょう。

 

 ジャバベカゴルフNo17ショートホールのグリーン上でトムチャット(Tomcat)火傷虫を見つけた。JABOTABEKで被害が発生しているという注意勧告が出ているニュースは伝えたが、私もインドネシアで初めて確認した。キャディー全員は初めての出会いで、興奮していた。芝の葉の大きさと比較してもらうと分かりますが、長さ7~8mm太さは1mm程度。自分で、よく見つけたと思う。

 

厳しい捜索活動、道なき、ジャングルの急斜面を切り開くことから始まった。21包みが警察病院へ運び込まれたが、運び込まれる頻度の間隔が開いてきた。一人が胸の前に抱えて軽々運び込んでいる小さな包みもあった。

 ロシアチームも捜索に参加した。飛行中写真を撮って地上の人に送られていた写真が多数紹介されている。

JKT48 TOMCAT SUKHOI

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(^_-)-☆旅から帰還して

2012-05-12 22:42:44 | 環境

1213 チカランの家へ戻っている。
シンガポールドルとコンセントには戸惑う。ルピアで支払いはできるし、マネーチャンジャーも町のあちこちにある。コンセントのアダプターも売っているが、ホテルに言えば貸してもくれる。何も困ることはないが、何故こんなにシンガポール優先なの?と思う。 バタムやビンタンの宿泊客の80%以上はシンガポールかマレーシアからだそうです。そりゃそうだ、近いし、それらの国より物価が安い。話はそれるが、昨日のタクシードライバーが言っていた。シンガポールやマレーシアからくる男どもは女買いが目的だとか、町から外れた山の中には、ジャワバラットから出稼ぎにきた女性をホテルへ送り届けるが、点在しているらしい。
タンジュン ピナンとキジャンを往復している間にここを曲がればそういうがある、行ってみるか?と、三か所で言われた。残念かどうか、私には係り合いがないことでした。
11:10バンダラ キジャンからテイクオフ、スホイ事故は山岳地帯(2200m以上)を通過してプラブハンラトゥまでは山ばかりだから、不時着もしにくい航路だが、キジャンからスカルノハッタは海の上だけです。高度を下げても激突する場所がない。そういう意味では事故による心理的に不安を感じることは全くない。
魚も豊富、ボーキサイトの露天掘り、小さい空港だがあちこちにハンドホーンのチャージ用のコンセントが備えてある。これは日本より進んでいる。
ビンタン島はボーキサイト、バンカ島、ブリトゥン島には錫と鉛、カリマンタンやスワウェジ中心に原油や天然ガス、スマトラを中心にゴムやパームヤシ、農産物、海産物は豊富、こんな恵まれた国はないと思う。掘れば出てくる、掬えば網に入ってくる、果物はどこでももげる。
それなのに、なぜ貧富の差が大きいのでしょうか。富の配分が不公平だからだ。やはり、汚職の問題に尽きるでしょう。教育にしても医療にしても、まず機会均等をすればいいと思うのだが、その資金は、組織の末端へ到達する前どころか、組織の中途で消えてしまうシステムになっているからです。
今回も旅をして見たことは、橋を架ける工事が止まっている、いつ完成するのか、聞いても、知らないという。立派な建物が完成している、しかし、使っている気配がない、何のために建てたのかと聞いても、知らないという。日本のダム工事の中断や原発の再稼働反対とは原因+が違う。インドネシアは、行政と業者の癒着が原因だからです。私がインドネシア語を話せると知ると、うっぷんを晴らすように汚職のことを話す人が多い。教員も一般公務員も、私のところまで、お金が回ってこないという。汚職もハラムでしょ、宗教省管轄の宗教裁判所で裁いたらいいと思うのだが、自分で自分の首を絞めるようなものだから、そうはしない。食品に豚から抽出したエキスが0、05%含まれていと言って回収や賠償を命じたりするのに、何故、汚職を裁かないのでしょうか。自浄能力の欠片もない、ということでしょうね。
1時間遅れの13;00にはスカルノハッタを後にしてチカランへ向かった。

ハリム空港に控えている乗客の身寄りの人々から、歯形を始め、本人の体の特徴、所持品など特徴の聞き出しをしている。12人の遺体を見つけたとか、一人の遺体の一部がぼかしで、初報道された。また、プラスチックシートで包んだ遺体を前に並べて、記念撮影?の姿も報道された。所有物も見つかって身分証明になるものも見つかっているが、本人が身につけているわけではないので、遺体が誰かは明らかにできない。身元が判明したのは一人もいない。
 貧困 金持ち おとなしい

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(^_-)-☆キジャンから

2012-05-11 23:06:49 | 環境

1212 サンがないサンセット タンジュン ピナンの港付近、バタムへ向かう水上バスが見える。

トヨタの車じゃないよ。P.Bintanの南三分の一ほどはキジャンという地方です。タンジュン ピナンの空港の名前も通称キジャン空港と言うそうです。

 と、言うことで、今日は、コタ キジャンの南の港からポンポン船に乗って島めぐりをしてきた。クプラウアン リアウ州というくらいだから小さい島が沢山ある、その島巡りを狙ったが、本当に島巡りだけで何もなかった。マングローブに囲まれた島々が大多数だが、その島のマングローグ林を引き裂いて、真っ赤な土の道が海辺まで来ている。そして、島々の上の方は河童の頭のお皿のように真っ赤な地面が広くむき出しになっている。シャベルカーやダンプカーが見える。また、海辺のところどころには、岸から斜め上方へ向かって海にベルトコンベアーが伸びている。その下には大型の箱舟が待機している。何の積み出しでしょうか、カリマンタン ティムールなら石炭の積み出しです。ここはなんとボーキサイトの積み出しです。

 真っ赤な土はボーキサイトだったのです。地元に人の話によると5年前まで日本へ大量に輸出していたそうです。そういえば、父親が勤めていた蒲原の日本軽金属の海側に真っかな三角山がいくつも聳えていたことを思い出した。小学校の頃、アルミニュームの原料はボーキサイトと行って、日本では産出しないので南方からすべて輸入していると教えられたことがあった。今日、初めてその産出地を確認した。現地の人は、あれはボルキシだといい、日本へ輸出していたという、何のことか、最初、なにを言っているのか、分からなかったが、アルミの原料だと聞いてなるほどと思った。

 

 しかし、今は輸出ストップ、採取もストップしているとか、日本は今は、どこから、輸入しているのでしょうか、そこまでは知らない。

 山が真っ赤になりジャングルが消えてゆく、自然破壊の典型です。掘れば掘るだけ限りなくボーキサイトは産出できるそうですが、さすがに政府も中国やベトナムへの輸出をストップし、掘削もやめさせた。聞くところによると、この採掘に関してもかなりの贈収賄の疑いがあるという。

 

 今は、漁業の町になっている。私は観光地として開発したらいいと思う。このマングローブの島々を多くの人に紹介したらいいと思う。

 

 夕方になると西海岸の広場にプラスチックの椅子と机がどこからかわいて出てくる、1Km長さで、幅が5m~30mくらいある椅子の数はざっと来て千以上はある。カキリマが道沿いに並ぶ、ジャグンバカール マサック、ミーバソ、サテカンビン、アヤム、オタックオタック、ナシゴレン、ミーゴレンなどなど、一般的なインドネシアの食べ物と飲み物の店が並ぶ。家族ずれ、恋人、若者同士、こういう姿をみていると、なんだかんだと言っても、多くの人は満足しているように見える。

 

 スホイに関して、19:00 ぶつかった崖の下へ落ち始めているが、まだ、3km以上ある散乱地に到達をしていない。道がないので先ず道を切り開かなければならない。今日は行動を止めたそうです。乗客のほとんどは、インドネシアの航空会社の地位の高い人でしょう。

 

サラック山(2200)のすぐそばの1800mに激突300mほど下に散らばっているという。11日17:00まだ、落下地点に到達していない、遺体を発見などということはないし、落下傘が降下したなどということもない。降下できる場所もない。ヘリコプターのフォバリングで人を下せる場所でもない。遺体を発見してもヘリコプターが待てる場所まで運び出す必要がある。

もし遺体を発見したとしても肉の破片のようなものだから、一人とか二人とか断言できることはないと思う。御巣鷹山の事故とは比較にならないほどの激突状態で、世界貿易センターへ突っ込んだよりも木っ端みじんだと思う。

 平和 自然破壊 漁業

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(^_-)-☆突然の騒ぎ

2012-04-23 23:10:55 | 環境

1194 静岡は丸子の家にいる。たったの4泊5日の日本です。なぜ、そんなことをしなければならないの?それには、理由があるのです。27日の夜にはインドネシアにいなければならないが、27日のティケットが取れなかった。

 今日は曇天ということもあって、成田エクスプレスの沿線が殺風景である。いきなり、インドネシアの雰囲気と日本の雰囲気の違いを感じさせられた。外に出ている人を一人も見ない。沈んだ中間色というのでしょうか、明るいとか鮮やかとか目立つ色の家は一軒もない。家々の色は老人の服装の色のようだ。もっと、原色がほしい。

 

 家に着いて一時間も過ぎないうちに、スイス人の母親と男の子が客としてきた。家に着いて上がったらすぐに、彼女に息子が自分の指に、説明は難しいが、キーホルダーのようなものの輪っかに指を通し、それが抜けなくなったばかりでなく、飾りのトナカイの角の間にその指を挟めれてしまって、二重に指から抜けなくなってしまった。母親が石鹸水を塗って引き抜こうとしていたが。抜けない、私はペンチやプライヤーで広げようとしたができない。その子の指を傷つけたくなったので、無理やり引っ張ることはできない。そこで、娘が消防署に救急医を紹介してもらおうと電話した。消防署の職員からそれは医者でなくて私たちに任せろということになった。早速、消防署へ連れて行ったら、金属カッターの小さいやつで、輪っかを切断した。角も開いてすぐ指がから外れた。超小規模なレスキューでした。それよりも内の孫二人とスイス人の母、息子が突然、妙な騒ぎで現れたのには、消防署の職員がキョトンとしていた。ダンケシェンとお礼を言われて、なお、キョトンとしていた。私たちが出て行ったあと、しばらく、彼らの間で、その出来事について話が続いたと思う。

 

そんな騒ぎはすぐに忘れたように、チューリッヒが出身地だそうで、私もスイスには4回、行ったことがあるし、チューリッヒへ行ったこともあるし、スイスのことで話が弾んだ。男の子は孫たちとエキサイティングしていた。家中をどたばたと走り回っていた。

挙句に彼女たちの家まで送らされた。久能山近くの高級住宅地光洋台の一角まで。スイス人ご主人は静大の教授をしている。ドイツ文学とドイツ語を一般教養として教えているという。

 

 家の庭の春

 ビックリ スイス レスキュー

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(^_-)-☆トムキャット

2012-04-09 10:32:20 | 環境

1180 キャディの間では、邦人アパート殺人事件より、トムキャットの話題の方が主だった。というのも、キャディの一人がトムキャットに触ったかどうか、手がミミズ腫れになって仕事を休んでいるという。Tomcat戦闘機F1トムキャットではない。アリのように小さい動物だという。私がインドネシアへ来ていない3月の終わりのテレビや新聞でジャカルタとブカシ、タンゲランでトムキャットによる被害が出ていると報道されたらしい。バンドンでも発見されたという。

写真を見せてもらった。なるほど、私が子供の頃に、良くいた火傷虫でした。今の日本では殆ど話題にならないが、多分、絶滅してはいないだろうから、たまには蚯蚓腫れを起こして、原因が分からないという、こともあるでしょう。

インドネシアでは多分外来動物になるのではないでしょうか、もともと、熱帯に居た動物では無く、日本では一年中いたが、どちらかというと、寒い時期の方が被害が多かったようでした。姿についてはネットで調べればいくらでも出ている。ちょっと大きめな蟻といったところでしょうか、気持ちのいい、愛される様な姿では無い。

見たことがない動物なので、インドネシアでは、話題になったのだと思う。

トムキャットの何故命名したのでしょうか、それは分からないが、その名前だけでも、昔からいた動物では無いことが分かる。

「アオバアリガタハネカクシ」が日本名です。青羽蟻形羽隠なら、姿がちょっと想像できる。有りがたいからではありません。
 体液がペデリンという猛毒で、虫が歩いた後をさわるだけでミミズ腫れになるとか、一か所なら丸く湿疹や腫れが広がります。見つけても、決して触ったり、潰したりしてはいけない。もし虫の体液がついたら、すぐに水と石鹸で洗い落とし、冷やすのがいいらしい。

日本人が持ち込んだのかもしれませんね、とにかく、蟻のように小さい動物です。色は赤と黒ですが、真っ黒や黒っぽい茶色もいます。

 

私にとっては驚く動物ではありません、インドネシアはもっとほかのことで話題にし、対策を取った方が良いことは沢山あります。例えば、デングフィーバーです。

 

化粧パックの偽物を作る工程をテレビで紹介していた。格安の製品については、簡単に信用しないこと。買わないこと。買っても、先ず、手の甲に塗ってみて確認することを勧めていた。

 

毒虫 触らない トムキャット

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(^_-)-☆なんでもあり

2012-04-07 22:27:50 | 環境

 

1178 やはり、インドネシアのゴルフは良い。一ヶ月ぶりである。ちょっと、留守をした、暫くのご無沙汰でしたという感じ。心地よい暑さの中、木陰に入れば涼しい風が清々しい。今日は皆さんから、例の事件についての話が出ていた。それぞれが持っている情報を出しきったようだ。私にとっての新事実はなかったが、ローカルテレビしか見ていない私の情報が一番、詳しいようだったし、広かったようだ。ただ、その日本人と一緒に先週ゴルフを一緒にやったとか、昨日、電話で話をしたとか、同じ棟だから、何回か挨拶したことがあるとか、彼女の顔を見たことがある、などと、そういう事を云う人もいた。

ジャバベカゴルフのメンバーだから、私も、あったことがあるはずだ、といった人もいたが、私は、その人の事を全く知らない。

その人は、どうするのでしょか、これから。

 

私には関係ないが、グッドゥフライデーで休日、昨日の夜から各キリスト教会では催しがあり、今日はそのピークになる。この時期、毎年、イスラム過激派による嫌がらせ、時には爆弾テロも起きる可能性が大きいため、その周辺の警備やチェックが厳しくなる。インドネシアのためのも、何も起きなければいいと思う。そして、大きな事件は無かったようです。

 最近盛んに流され始めたコマーシャルがある。アクア(AQUA)とアデス(Ades,コカコーラの水)である。どんな内容かというと、もっと飲んでください。というのではなく、飲み終わって捨てる時に両手で握って搾るようにつぶしてから捨てましょう。と、いうものである。要するに完全に潰してから捨てましょうというものです。リサイクル利用するにはそうした方が良いという。もし、それが趣旨なら、別にアクアに限らず、全てのペットボトルや缶類について、そうしましょうと、公共が流すべき、物である。ところが、政府も行政もそういう指導はしていないし、分別廃棄というか、種類に分けてゴミ捨てをしましょうなどとは全く言っていない。

 アクアが何故、そんなコマーシャルを流すのでしょうか。偽物を作らせないためです。家の前に出した、ゴミ袋を破って中味をあさるのは、ヤギや猫ばかりではありません。袋を担いだ人間さまが、紙やペットボトルを探すのです。ペットボトルと紙は粉砕して溶かしてそれぞれの製品の原料になる流れに売ることができます。というのは、日本。インドネシアは違います。ペットボトルは、アクアの偽物を作る闇のルートに売ります。偽物を作る工場は水道の水を入れて、全く、同じ封をして売り出します。インドネシア中の道端の掘立小屋販売所のどこへ持って行っても、それらは、売り出すことができます。ゴミあさりの人や子供は、ペットボトルだけでは無く、香水や化粧品のプラスチックボトルやガラス瓶も偽物作りルートに流れます。蓋やラベルや密封シールはどうするの?そんなものは簡単に作ります。

 アクアは偽物を作らせないためにそんなコマーシャルを流し始めたのです。すごいですね、インドネシアはイミテーションはどんなものでも作られていて売られているのです。先日もバリでアラック(地酒)の偽物を飲んでしまって亡くなった邦人がいました。

 

 これも、イミテーションかもしれません。日本語表示があるセンベイ、高いですね。300円近い。その他にも日本語表示のビスケットなど沢山ありますが、明らかに日本からの輸入製品では無い。その他の表示が日本語では無いし、有っても、日本語が間違えている。

もう一つは偽物では無い。シンコンチップスです。ポテトチップスではありません。インドネシアではクルプックと並んで、大変人気が在るスナックです。私も好きです。一袋50円くらいです。これはバーベキュー味と書いてありますが、ノリ塩味もあります。その他色いとナ味が在ります。

たくましい 何でも 偽物

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(^_-)-☆母を見送り

2012-03-04 22:00:01 | 環境

1144 実際は亡くなってから46日、シジュウクニチ(49日)の法要を行った。母親は今日から本格的に極楽での生活が始まったらしい。“この世の中“から”あの世の中“へ到着したという。親父のもとへ落ち着いたと思う。

 

 今は、多分、富士市に統合されて庵原郡ではなく富士市富士川町になっていると思うが、生まれ故郷の富士川町の国1の富士川橋の富士川町側の橋を真っ直ぐの延長線上の山の上に先祖代々のお墓が在り、その中に分家した私が作った親父の墓が在った。小学校の頃、私に生れ故郷でもあるし、親父の兄達の家が何軒か其の辺りに会ったので、夏休みのお盆の頃一週間から10日間ほど、この辺りに遊ぶに来ていた。いとこも大勢いて、彼らは私が静岡の都会からやってくるのを楽しみにしていたようで、毎日のように富士川で魚を追いかけたり、泳いだり、山に入って昆虫を追いかけていた。お盆の時は生き物の殺生は駄目だと言われていたが、そんなことは無視して、山川を走り回っていた。入れ替えあり立ち替わり、従兄弟連中が私に付き合ってくれていた。流石にウサギはいなかったが、“カブトムシを追いしかの山、小鮒釣りしかの川”私の故郷そのものです。

 お墓の中も遊び場の一つだった。写真はそのお墓の一風景で60年以上前から変わっていない。孫が今、この場にいるのが不思議な感覚を覚えさせられる。

 

この地で、私が作った墓の中に次に入るのは順番からいって私である。そう早くは入りたくないが、30年先まではいらないということは確率的にゼロである。この予測は東海地震が30年以内に起こる可能性が80%というものより遥かに確実な予測です。

般若心経を唱えながら、ギャーテーギャーテーハラギャーテーと言いながら、そんなことを考えていた。

 

 思い出 49日 故郷

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