Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Paul in Red Square

2004年06月21日 | old diary
 NHK-BS2で放映された、昨年のポールのロシア公演のドキュメントはとても感動的だった。この日のポール達の演奏はこの上ないほど素晴らしく、世界中のほんとにたくさんの人達の夢や希望を象徴しているかのようだった。

 僕は昨年のツアーを観ていないので、日本公演では聴けなかった“Two of Us”や“I've Just Seen a Face”、そして“Birthday”などが観れたのは嬉しかった。しかし、そうしたこと以上に、あの赤の広場を埋め尽くし熱狂するロシアの人達こそが、この日の主役だったのかもしれない。

 「僕らにとってのビートルズは、他の人達とは違う」。あるロシア人は言う。「他の国の人達にしてみれば、彼らのライヴに出かけることもできただろうし、店には彼らのレコードが並んでいた。しかし、僕らは別世界に住んでいて、彼らがこの国に来ることなどあり得ず、店にレコードが並ぶこともなかった」。またある人はこんなことを言っていた。「ビートルズがかかる外国のラジオを聴くと、学校を辞めさせられたり、会社をクビになるおそれがあった。ビートルズの曲を聴ける場所に行けば、そこには想像を越えた社会的制裁が待っていた。そうした状況が、私たちと音楽の関係を一層強いものにしたのだ」。ひとりのバンド・マンが「当時の宝物だよ」と見せてくれたのが、古ぼけた白黒の小さな切り抜きだった。「これがバンドが持っていた唯一のビートルズの写真だよ」と。

 ポールとバンドの演奏は熱のこもった素晴らしいものだった。それは激しく揺れ動いた時代を生きた観客達の強い思いが、ポールに伝わったからだと思う。「ポールがこの国に来るなんて夢にも思わなかった」。彼らは口を揃えてそう言うのだ。

 それに比べたら全然重みが違うけど、80年代、日本でもポールの来日は不可能だと思われていた。大麻不法所持、現行犯逮捕の経歴はやはり重かったのだ。だから、ポールの初来日が決まったときの興奮はものすごいものだった。その日の朝、新聞を片手に大声をあげながら部屋中を駆け回ったっけ。あのときの心の高揚は一生忘れられない。

 あれから14年。僕は数えて16回もポールのライヴを観たことになる。どのステージも素晴らしく、それは感動的な体験だった。ポールのライヴはいつも新鮮だ。もしまたポールが日本に来てくれるなら、それがどれだけ幸せなことなのかを改めて噛み締めたいと思う。僕らは贅沢になっちゃいけないのだ。