「英語はコミュニケーションのためにあるのだから、話せなければ意味がない」と言う人が多いですが、広辞苑によるとコミュニケーションの定義は「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達であり、言語・文字、その他の視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする」とあります。つまり、話すことだけがコミュニケーションとは限りません。
国公立二次試験を一週間後に控え、仕事柄、抽象度の高い学術的な英文を読む機会が増えますが、このような難解な英文が正しく読めるということは、その英文を記した筆者とのコミュニケーションが正しくできていることになります。
文章として文字であらわされている英文を適切に解釈読解できる英語力があれば、話す英語を身につけるのは意外とスムーズです。「日本人は英語が読めるのに話せない」ともよく言われますが、ほとんどの日本人は英語が的確に読めていないのが実状。例えば、
The girl called Mary called her mother.
こんな短い英文でも、正しく解釈できるのは、指導経験上、2割前後です。
難関大学に合格できるだけの英語力があれば、スピーキングの向上は時間の問題。だからこそ私は、文法と英文読解を礎とする受験英語にこだわり、東京大学・京都大学・早稲田大学・慶応義塾大学・上智大学等の難関大学入学試験の英語が難なく読める骨太な英語力の構築を目指し、生徒たちを指導しております。
昨日は51歳の誕生日でしたが、午前中はブログ更新とランニング、午後は確定申告書を提出し、塾舎新築に関して銀行と打合わせ。合間に英語を音読し、6コマの授業準備とその指導で瞬く間に時間が過ぎていきました。しかし、生徒二人からそれぞれ、同志社大学と関西大学に合格したと報告があり、最高の誕生日プレゼントとなりました。彼らの第一志望は国立大学ですので、本当の勝負はこれからですが、こうやって一つずつ結果を残していくプロセスこそが自己肯定感を育み、成長と成功につながっていきます。