橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

ツイッターは下克上のツールか?

2010-02-16 02:32:14 | ツイッターで仕事辞めました~その後
今日、ルーマニアはブカレストの方からフォローされた。
これまでにも外国人からのフォローはあったが、
ネットワークビジネスっぽいものだったりして、
適当にほかしていた。
それが、今回はなんと日本のことを
世界に発信するブログをやってる人で、
かなりな日本通。
実は、私もウェブで日本を世界に発信したいと
思とったところで、
そんな時なぜこの方が私をフォローしてくれたのかと、
勝手に運命を感じたりした。

それにしても、彼女はどうやって私のつぶやきに遭遇し、
フォローしようと思ったのだろう。
彼女のブログは英語で書かれている。
私はこれまでほぼ日本語でつぶやいてる。

世界で2500万人とか3000万人とか
やってると言われる中、こうして出会うなんてねえ。
ツイッターすげえわ。

ツイッターをマーケティングツールと考えている人は
他にもいろんなフォロワーの付け方発見してんだろうなあ。
たしか、周辺地域でつぶやいてる人をチェックするのもあったし。

とはいえ、ツイッターをやってて強く感じるのは、
まずマーケティングありきでは、
この世界では生き残れないということだ。
主張や考えがまずあって、
もしくは絶対的なおもしろさという
核があってこそのツイッターなのだ。

そして、つぶやいてる人の顔が見えてこなければならない。
もちろん、ハンドルネームでやっている人は多いが、
自分の素性を必要以上に隠した発言しかしないものには
あまりフォローが集まらないし、
自分の意見が明確でないモノはスルーされる。
ツイッター上では、中立性というのは必ずしも重視されない
(もちろん物の見方の公正さというのは必要だが)。

そして、この個性が前提となる点が、
匿名組織であるマスメディアと違うところだ。
マスメディアのつぶやきはニュースフィードでない場合
かなり思い切った発言をしない限り、
共感を得づらいと思われる。
TBSラジオのKiraKiraやLifeは
組織なんかぶっとばせの勢いで
ぶっちゃけてるからツイッター上で評価を得ている。

ツイッター上ではマスメディアと個人の力関係が
逆転している。
マスメディアでも今、
ツイッターの活用法をいろいろ模索しているようだ。
しかし、今のまま、誰が物事を決めているのか全く分からない
個人の意見が見えてこないシステムのままでは、
マスメディアがツイッター上で勝利することは望めない。
もちろん、ツイッター上でなど勝利しなくてもいいのかもしれないし、
ツイッターなど、まだまだ一部の人々の関心事なのかもしれない。

ただ、ツイッターを日々やっていて感じるのは、
個人の言葉を武器にした人々が、今ツイッターというツールを得て
マスメディアに勝負を挑んでいるということだ。
日々のツイッター上でのつぶやきの連鎖は、
あたかも薩長同盟前夜の密談のようにさえ感じられる。
ただ、そうした改革の空気にあおられて、
言説が暴走していると感じられることもあるし
それが、変な方向に行かなければいいが
という危惧を感じることもある。

ツイッターに看過されて、
仕事まで辞める決意をした私が言うことではないかもしれないが、
やはりいつでもどこでも冷静さは必要とされるということも
ツイッターのタイムラインを見ていると感じるのだ。
もちろん、それは熱い思いがあった上での冷静さであるが。

ツイッターは下克上のメディアか?

坂本龍馬ブームの昨今。
あのときの失敗、あのときの真実を
今一度しっかりと見つめ直し
今の新たな時代の到来を冷静に見つめたいと思う
今日この頃なのだ。

この文章、具体例が書かれてなくて、
何のことを言ってるか分からなかった方、
是非とも、一度ツイッターでどういう議論が行われているか
見てみてください。