橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

終の住処

2012-10-07 20:38:26 | Weblog

今朝、野良猫の終の住処と書いたけど、

自分の終の住処はどこになるのだろう。

40代も半ばとなり、ふと頭をよぎる。

生まれた土地から遠く離れた場所で糊口を凌ぎ、

いまだ賃貸住宅。

家を持ちたいとは思わないけれど、

鴨居にくぎを打ったり、柱にペンキを塗ったり、

自由に家をいじれたらと思う。

この世は仮の宿りというし、

どんなところに住んだってそれは仮の宿りなのだろう。

豪華な家を持ってもかりそめ、

方丈記のごとくに方丈の庵でこと足りるのが、

震災後の日本の目指すべき姿・・・なんて思うけど、

やはり洋服は好きだし、本も捨てられない。

中華料理屋ばりの火力で炒め物をしたいと思うし、

本当は縁側か坪庭が欲しいのだ。

それを欲望というか文化と呼ぶか・・・。

 

それを文化と呼ぶ家には住みたくない。

 

家は欲望の塊。

子供の頃住みたかった家は、

たくさんの部屋が万国旗のように各国仕様になっている家。

中国の部屋、インドの部屋、中東の部屋、アジアンリゾート、

ヨーロッパアールデコ、アメリカンコミック、ロシアの客船、

そして桂離宮・・・・。

もうわけが分からない。

 

住めば都な人になりたい。

いや、どんな古い家にも住める私は

十分、住めば都な人間なのかもしれないが、

最近、自分なりの条件に合う賃貸物件が少なくなっている。

 

ここならいいという基準は

日当り良く、窓が部屋の2面以上にある、

窓が開く(窓の開かない高層マンションとかもってのほか)、

畳の部屋がある、そんで障子が入ってて欲しい、

大きな押し入れが欲しい、近くに緑がある。

洗濯物がたくさん干せる。

ほんとうはひろーいベランダとか屋上とか庭に

青空の下、洗ったシーツをはためかせるのが幸せの象徴と思っている。

そんくらい。

ようするに風通しのいい家。

そのくらいのことがなぜ実現できないのだろう、今の日本。

 

 

 

 

 

 


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