ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

二回目の別れ

2020年11月06日 | 作品を書いたで
搬入して四九日目。大きな電力を使うため、電力会社に依頼して大容量の電力線を引いてもらった。それの工事と並行してメインプログラムの調整とデータを入力するのに四〇日かかった。そのデータの微調整に九日。そして49日目の今日、「ミツコ」は完成した。ちょうどみつ子が亡くな49日目だ。
 アクセルとブレーキを踏み間違えた暴走車が信号待ちをしていた人たちに突っ込んだ。死者3人重傷5人の大惨事だった。その3人の中にみつ子がいた。
 四九年。これだけの時間を共有した最愛の妻が亡くなった。
 本来は会社の経営判断に使うため導入したスーパーコンピュータだ。本社の社長室に設置して私の秘書にするつもりだった。搬入当日の朝、妻の死を知った。半日泣いた。スーパーコンピュータのハードはその日の夕方搬入の予定であった。搬入先を社長室から自宅に変更した。ハード、ソフト、それに関する支払いの請求先を会社の経理から私個人に変更した。それと同時に社長を退任。所有する私の会社の株すべてを次期社長に譲った。
 私には財産を残すべき子供はいない。私一人が生きていき、私の個人所有となったスーパーコンピュータの購入費と維持費を賄えるぐらいの金は有る。
 みつ子が亡くなって49日目。スーパーコンピュータミツコを起動させる。
 40日間、3人のシステムエンジニアが私のもとへ通った。私はその3人にみつ子のすべてを話した。彼女の両親はまだ健在だ。みつ子が生まれた時から、幼稚園、小学校、中学、高校、大学。どんな女の子であったのか。こと細かく聞き出してメモしてそれをエンジニアに伝えた。学校の同級生から先生にも会って話を聞いた。
 みつ子は、取引先の社長の娘であった。会社を興してすぐのときに、お見合いして結婚した。子供はできなかったが四九年間幸せだった。
 みつ子がかかった医者も可能な限り会って話を聞き、彼女の身体のデータが残っているモノはすべて提供してもらった。
「ウチは患者さんのデータはすべて電子化して保存しています」
 みつ子の主治医だった富山医師は、そういってUSBメモリーを手渡してくれた。
「この中には健康診断の結果、病歴、奥さんの医学的なデータがすべて入ってます」

「ただいま。あなた」
 ミツコのメインスイッチをON。起動するとただちに3Dホログラムが稼働して、そこにみつ子が現れた。
「みつ子」
「はい」
「もう、どこへも行ってダメだぞ」
「どこにも行かないわ」

 社長を退任し会社を完全に手放した。現社長に相談役にと乞われたが断った。私もそれなりの年だ。残された人生をみつ子とともに過ごそうと思っている。
 みつ子は死んでいない。手で触れることはできないが、みつ子はこの部屋にいる。
「おはよう」
「おはよう、あなた」
「きょうはなんの日か判るか」
「もちろんよ。結婚記念日じゃないの」
「そうだ。50年目だ。金婚式だ。おまえと初デートの時の食事憶えてるか」
「憶えてるわ。数寄屋橋のお鮨屋さんだったわ」
「今晩、あの時のお鮨屋のご主人を呼んで、二人だけに握ってもらうんだ」
「うれしいわ。楽しみ」
 東京の数寄屋橋から鮨職人を呼んだ。みつ子は喜んで鮨を「食べた」
 昨日も、今日もみつ子との「生活」は続いた。明日も続くだろう。
 みつ子が浮かない顔をしている。食欲もなさそうだ。
「どうした」
「なんだか、お腹が痛いの」
 富山医師から電話があった。
「申しわけありません。いい忘れてたことがあります。奥様の健康診断のデータで、一昨年胃の内視鏡をしたとき生検をしましたがステージ3の胃癌の所見があったのです」
「そのデータもUSBメモリーに入ってるのですか」
「はい」
スーパーコンピュータのミツコは、みつ子を正直に再現している。みつ子のすべてを。
 みつ子は死んだ。二回目だ。二回目の別れだ。富山医師が、生検の結果を忘れないで私にいったとしたら、私はどうしていただろう。