ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

酒の相手

2023年03月19日 | 作品を書いたで
「ボウモアおかわり」
「ストレートですか」
「いや。トワイスアップで」 
 冬の木曜。午後5時17分。男は一人でやって来た。バー海神。このような昼と夜の境目の時間は、常連客たちはまだこない。その男は初めての客だ。50代と思われる。ホワイトカラーだろう。大きな会社の部長クラスに見える。
「いい店だな」
「ありがとうございます」
「長いのか」
「30年をこえました」
 だれか人を待っているようだ。客はその客一人だ。マスターの鏑木は話し相手をしながらグラスを磨いている。
 カラン。入り口のカウベルが鳴った。男が一人入って来た。30少し過ぎ。その男も初めての客だ。ブルゾンにジーンズ。ラフなかっこうだ。ホワイトカラーではなさそう。グリースだろうか手首が少し油で汚れている。カウンターに座った。先客の隣だ。
「いかかがします」鏑木が聞く。
「ウィスキーはよく知らないんです」
「では飲みやすいスコッチは」
「それを水割りでお願い」
 鏑木はグレンリベットのボトルを出した。少しだけ首をかしげてグリンリベットの水割りを出した。若い男は水割りのグラスを傾けた。
 初めての客二人はしばらく黙ってグラスを傾けていた。二人の間に心地よい沈黙が流れている。その沈黙が静かに止まった。
「このお店は初めてですか」
 若い男が声をかけた。
「はい。君もか」
「ぼくもです」
 また沈黙。
「あまりウィスキーは飲まないのか」
「ぼく、ビールと日本酒がだめなんです。ときどきウィスキーは飲みます」
「そうか。じゃアイラを飲んでみるか」
「アイラってなんですか」
「スコットランドの島だ。マスター、アードベックの10年。ストレートで」
 鏑木がグレンケアンのテイスティンググラスを2個並べて、アードベックを30ccづつ入れた。
「なにかの縁だ。私がおごるよ。乾杯」
 若い男はアードベックを飲んで顔をほころばせた。
「うわっ。おいしいです」
「臭いは気にならないのか」
 スコットランドはアイラ島で蒸留されるモルトウィスキーはピート香が強く、独特な強烈な臭いがする。アードベックはその中でも特に臭いが強い。
「薬みたいな臭いがしますが、おいしいです」
 カラン。カウベルの音。女が入って来た。若い。
「おとうさん。お待たせ」
 カウンターに座った。
「それじゃ。ぼくは」
「いいじゃないか。もう少しいても」
「いえ。どうもごちそうさまでした。アイラウィスキーおいしいですね」
 若い男は店から出た。
「知ってる人?」
「この店で初めて会ったんだ。いい男だ」
「いい人でしょう」
「お前知ってる人か」
「ええ。私、あの人と結婚するの」
「そんな大事なこと、なんで早くいわん」
「だから今いったじゃない。今が早いのよ」
「・・・」
「いいでしょ」
「お前は30近い大人だ」
「今度の日曜、ちゃんと家に連れて行くわ」
「あいつにいっておけ。グレンリベットを水で割るな」
「いいじゃない。どんな飲み方でも」
「男の親は子供ができると、この子が成人すると酒を酌み交わすのが楽しみなんだ。ところがお前は酒を飲まん」
「良かったね。お父さん。お酒の相手ができて」