ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

最後に出るんや

2021年09月10日 | 作品を書いたで
 神戸新開地ええとこ亭。ぼくのきょうの仕事場や。
神戸の新開地。かっては神戸、いや関西一の繁華街としてにぎわい、「東の浅草西の新開地」といわれたもんや。その後、神戸の中心地は東の三宮に移り、新開地はさびれてしもた。そして神戸の定席寄席の神戸松竹座ものうなったし、新開地の旗艦映画館とゆうてもええ聚楽館も閉じた。
 その新開地も地元の人たちの努力が実り、かっての賑わいを取り戻しつつある。そして二〇一八年松竹座閉鎖から四十二年ぶりに上方落語の定席がオープンした。それがここ、神戸新開地ええとこ亭ちゅうこっちゃ。かって聚楽館は「ええとこええとこ聚楽館」といわれた。それにちなんだネーミングや。
 ええとこ亭入り口で鳴っていた一番太鼓が終わり、二番太鼓も終わった。ぼくの出番や。石段の出囃子で高座へ上がる。
「石段」上方落語では前座専用の出囃子や。石段を上るように早く出世するようにというこっちゃ。ぼくも早く「石段」ではなく、ぼく専用の出囃子で高座に上がりたいもんや。
 見台ひざかくしの前に座る。目の前の幕が上がる。小拍子をパンと叩く。
「ようこそのお運びで。トップバッターはわたし欅小燕があい務めます」
「こんちは」
「お、こっち入り」
 きょうは「つる」をやる。こないだは「動物園」をやった。なんせ、ぼく、この二つと「時うどん」など前座噺を五つできるだけ。
「で、メンがどないしたんや」
「メンがだまって飛んできた」
 下げをいって下手へ下がる。幕はそのまま。お茶子さんがめくりをめくる。笑艶亭鷹三。笑艶亭の中堅鷹三にいさんの出番や。
 ぼくのとりあえずの目標は幕が開いた状態で石段以外の出囃子で高座に上がること。
ぼくは人間国宝欅麦秋師匠のひ孫弟子にあたる。ぼくの師匠の師匠三代目欅燕雀は浪速の爆笑王といわれたけど、癌で早世、師匠が四代目を継いだ。四代目燕雀師匠に入門して五年目や。
 師匠の叔父、三代目燕雀師匠の弟弟子で欅麦秋師匠の最後の直弟子欅麦助師匠がこのたび欅麦六を襲名することになったんや。麦六は麦秋師匠の俳号や。麦助師匠も俳句をやる。
「渡り鳥 串を打たれて 酒のあて」
 と、いう句がある。その麦助師匠が尊敬する師匠の俳号を襲名することになったんや。今後は高座に上がるときはもちろん、俳人としては二代目欅麦六と名乗らはるそうや。
 その二代目欅麦六襲名披露公演に出演を頼まれた。燕雀師匠ももちろん中トリで出はる。
「小燕、ワシの前やってえな」
 師匠からいわれた。師匠は中トリやから、ぼくの出番は二番手ということになる。やったあ。初めて幕があいたままの高座に上がれる。なにをやろう。「つる」や「動物園」といった前座噺ではのうて、もう少し重い目の噺がええな。二代目欅麦六襲名披露公演は、全国をめぐって十一ヵ所で行われるけど、ぼくは八月の兵庫県の芦屋での出演を頼まれた。
 セレブな街で知られている芦屋の芦屋川のほとりにある芦屋スターホールでの口演だ。このホールでは毎年四月麦秋師匠のご長男の五代目欅麦団治師匠が独演会をやらはる。いま、その麦団治師匠に「青菜」の稽古をつけていただいている。「青菜」は夏の噺や。「青菜」をやろう。
「うん。ええやろ」
 麦団治師匠の前で、「青菜」をとおしでやった。
「ほな、師匠、八月のスターホールでやってもええですか」
「ええで」
「ありがとうございます」
「ところでな、お前もそろそろ石段やのうて、出囃子なにがええか考えとき」
 噺家の出囃子はだいたい決まっている。桂米朝師匠は「三下がりかっこ」三代目桂春団治師匠は「野崎」やった。自分の好きな音楽を出囃子にしてもええんや。笑福亭仁智師匠は「オクラホマミキサー」笑福亭鶴笑師匠は「ハリスの旋風」を出囃子にしてはる。ぼくの出囃子は。

「震えるつま先高鳴る鼓動」
リンドバークの「every little thing every precious thing」だ。
元阪神タイガースの守護神藤川球児投手の登場曲だった。この曲が鳴るとぼくたち阪神ファンは勝利を確信したもんだ。
 幕があいた高座に上がる。ぼくも藤川投手みたいに最後に高座にあがれるようになるんだ。