ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

井戸のうちわ

2021年04月14日 | 上方落語楽しんだで
落語に「井戸の茶碗」という噺がおます。古今亭志ん生師匠や志ん朝師匠が得意としてはった噺です。上方でも演じられ、ワシは桂文我師匠や桂文華師匠の「井戸の茶碗」を聞いたことがおます。人情話です。
 美しい娘がいる浪人。貧乏はすれど清廉潔白なご仁。手元不如意につき父の残した仏像をクズ屋に売る。このクズ屋もバカ正直。この仏像が細川藩の若い侍に売れた。この若い侍も生真面目バカ正直。正直もんが3人そろうわけですな。
 その仏像の中から50両出てきた。「仏像は買ったが50両は買った覚えはない。返してまいれ」「あの仏像はもう拙者とは縁が切れたものだ。なにが出てこようと知らぬ」貧乏浪人は受け取らん。困ったクズ屋は浪人から預かったきたない茶碗を持って若侍に。その茶碗は「井戸の茶碗」というたいへんなお宝やったという噺でおます。
 それからしばらくして、摂津の国で大きな疫病が流行りました。妖怪あまびえのご利益も多少はありますが、疫病のまん延は拡大の一途です。その疫病は、人の口の中に目に見えない頃奈の虫がいて、その虫が人から人へと病をうつしていると考えられていました。
 摂津の国のお代官で井戸敏左衛門さまが、頃奈の虫が人の口から出るのを防げばいいんだと考え、うちわを民に配りました。摂津の国では人々は会話をするときはうちわで口元をおおって会話をすべしとのお達しが代官所から発せられました。これが功を奏したのでしょう。摂津の国では疫病は早々に収束いたしました。お代官井戸敏左衛門さまは名代官として後の世まで語り伝えられました。また、この時配られたうちわは「井戸のうちわ」といって大変なお宝として珍重されるようになりました。
 時は流れ、明治、大正、昭和、平成、そして令和の御世となりました。現存する井戸のうちわは3本だけといわれています。いずれも国宝です。1本は摂津の国、今の兵庫県西宮市の井戸家の菩提寺鷲山寺にあります。このお寺の境内には名代官井戸敏左衛門の銅像があり、今も花を手向ける人が絶えません。2本目は東京の双振堂文庫、3本目は大阪の藤山美術館で所蔵されています。4年ほど前、テレビの「どうした鑑定団」で4本目が出て、本物かと騒がれましたが、ニセ物である確率が高いそうです。
 ここに松本留五郎という人がおります。極端なケチです。カネはできれば一銭も出したくないという生活を送ってます。もちろんエアコンなんてもんは持ってません。扇風機さえありません。冷房器具はうちわ1本。そのうちわも動かすといたむからと、うちわはじっとさせて首を動かしてました。
 地球温暖化の影響でしょうかその年の夏も猛暑です。さすがの留五郎も熱中症が心配です。せめて扇風機なと買わねばなるまいと、あす三宮の蛍電社に行こうと思いながら、うちわを手に持って例によって首を振りました。猛暑です。いっそうはげしく首を振りました。グキ。プチン。そのままあの世。留五郎さんのご遺体のそばにうちわが落ちてました。そのうちわは、なんと井戸のうちわだったのです。4本目の井戸のうちわでした。