ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

食堂ジンベイ メニューその1 ダンブツオオデンキウナギの蒲焼

2021年02月18日 | 作品を書いたで
 食料はあと五日分はある。二五日間がんばっているが、目的はまだ達してない。あと五日でアレが捕獲できるとは思いにくい。ここの日数計算でのことだが。
 場合によっては食料その他、必要なモノをここまで届けてもらわなければならないだろう。かなり経費がかかるが、必要経費だから精算時に上乗せできる。
 ん。湖面に波紋ができた。三メートルほどの細長い影が湖面にうつる。やつだ。間違いない。ダンブツオオデンキウナギだ。

「もう、ずいぶん昔のことです。私たち夫婦の共通の友人に食事に招かれたのです。そこでいただいた魚料理がたいへんにおいしかった」
 老齢の夫婦である。この夫婦が今月の客である
 ウチは広告宣伝はいっさいしていない。看板一枚出していない。店のおもてを通っただけでは、ここがレストランとは判らない。ふつうの民家である。ただ表札が「食堂ジンベイ」とあるので、ここがレストランだとかろうじて判る。中に入るとテーブルと椅子が二脚だけ。
「食堂ジンベイ」の客はひと月に一組だけ。予約は四年先までつまっている。 
 私、湯沢山洋、「食堂ジンベイ」のオーナーシェフである。和洋中華、イタリアンにエスニックあらゆる料理を手がける。
 食堂ジンベイにメニューはない。お客が食べたい料理をリクエストすれば、どんな料理でも作る。食材は、この世にあるモノであれば必ず手に入れる。
「その魚が食べたいのですね」
「ぽっくりとした身で、淡泊でありながらコクがある。口に入れた時はなんということもない魚肉でしたが、じわっと美味が口の中にひろがっていきました」
「白身の魚ですね」
「はい」
「淡水魚か海水魚か判りますか」
「その友人の話では、山奥の湖で獲れた魚だそうです」
「どちらの湖か判りますか」
「なんでも北国の湖だそうです」
「料理はご友人がされたのですか」
「はい。友人は昔、丹半の花板だったのです」
 丹半。いまはもうない名料亭である。創業は古くは家戸時代の成応二年。戦前には衆和天皇も行幸のおりに立ち寄られたとか。そこの花板。私も名前は知っている。
「中南俊直さんですね」
 その魚がなにか。夫婦の友人という人に会って教えを請おうと思っていたが、中南氏は三年前に亡くなった。
 まず、その魚を特定する必要がある。魚が特定できれば、処理の仕方、調理法を考えなくてはならない。

 阪西大学農学部水産学科。ここだ。魚類学者の岩本純一教授の研究室はこの建物の三階にある。古いエレベーターを降りると目の前が岩本研究室だ。ホルマリンの臭いがただよってくる。
 ドアをノック。
「はい」
「私、湯沢といいます。岩本先生はおられますか」
 若い男が中に入れてくれた。
「先生、ついさっきまで待ってたんですが、淡水魚養殖実験場でトラブルがあって、急いで出かけました」
 岩本教授はこの国の淡水魚の権威だ。私が客の夫婦から得た乏しい情報からでは魚を特定できない。淡水魚の専門家に相談する必要がある。いたしかたがない。出直すとしよう。
「判りました。また来ます」
「ちょっと待ってください。ぼくは岩本先生の助手で院生の高橋といいます。ぼくでよろしければお話をうかがいますが」
 夫婦から聞いた話をひととおり話した。
「はい。北国の山中の湖ですね。淡泊な白身。長い魚。魚体は大きいが食べる所は小さい。調理した人が手を火傷していた」
「判りますか」
「だいたい判りました。その湖は赤林県の段仏湖で、その魚はダンブツオオデンキウナギですね」

「ワシはまだ命がおしい」
 地元の役場に紹介してもらった、その老人は右腕に大きな火傷の跡がある。
「これみろ。電気が右肩から右腕に抜けたから火傷だけで助かったのだ。心臓のある左半身をやられていたら命はなかった」
 ダンブツオオデンキウナギ。知られている限りでは最強の発電魚である。地球のアマゾンのデンキウナギは九百ボルトの高電圧を放電するが、電流が少なく放電時間も極めて短い。危険な魚ではあるが、人が感電死した例は少ない。
 ダンブツオオデンキウナギは三千ボルトで五十アンペアの高電圧高電流を三分放電できる。人、いや生き物ならば、直接触らなくても近くの水中におれば確実に感電死する。
 このように危険な魚であるが、たいへんに美味しい魚だ。ダンブツオオデンキウナギを五尾獲れば大きな屋敷が立つ。一尾なら一年は遊んで暮らせるといわれてきた。
 その屋敷は湖のほど近くにある。湖面を渡ってきた風が心地よい。縁側に座った老人は火傷の跡のある右手で茶碗を持って、ズズズと茶をすすった。私の前にもナッツと茶がある。
「ま、遠慮せんとどうぞ」
 茶を飲んでナッツを食べた。衝撃を受けた。こんな茶とナッツはいままで口にしたことがなかった。私も料理人だ。たいていの美味しいモノは食べたことがある。しかし、こんな茶とナッツは初めてだ。
「どうじゃ。うまいだろ。ダンブツ茶とダンブツナッツだ」
「このお茶とナッツはここで栽培してるのですか」
「そうじゃ。白い花が咲いておる木がなん本もあったじゃろう」
「はい」
「ダンブツボダイジュじゃ。あの白い花が結実し、その種がこのナッツじゃ。葉っぱを乾燥させたものがダンブツ茶じゃ」
 お茶とナッツがダンブツオオデンキウナギとどう関係あるのだろう。疑問に思うが老人の話を聞く。この老人はダンブツオオデンキウナギを捕獲したことのある漁師のただ一人の生き残りだ。
「ワシはもう漁師ではない。引退して十年以上だ」
 そうはいっても、褐色の顔色はまだまだ現役の漁師のようだ。
「この村は、元来は貧しい村でな、稲、麦といった穀物はできない。村の収入源は湖の魚だけじゃ。特にダンブツオオデンキウナギは高値で売れる。ところが、この魚を獲ろうとして多くの漁師が命を落とした。数少ない生き残りもトシでな。ワシだけがこうして生きておるんじゃ」
「では、今は段仏湖で漁をする人はいないんですか」
「段仏湖には他の魚もおるが、金にならん雑魚ばかりじゃ。それにアレもずいぶん少なくなった。今はおるかおらんかわからん」
「では、この村はどうして収入を」
「村の広場に銅像があったじゃろ」
「はい」
「あの高田智也が二十年前、一本のダンブツボダイジュをこの村に植えた。その一本が今は四百五十本に増えた。今はこのダンブツボダイジュがこの村の稼ぎ手じゃ」
「判りました。でも私はどうしてもダンブツオオデンキウナギを捕まえたいんです」
「やめとけ。死ぬぞ」
 老人とのやり取りがしばらく続いたが、根負けしたのか、とうとう老人がいいだした。
「判った。道具がまだ残してあるから貸してやろう」
 老人は裏の物置から長さが三メートルほどの細長い篭を出してきた。
「ヤツは貪欲な雑食性の魚じゃ。エサはなんでもいい。ワシは鶏肉を使っていた。この篭に鶏肉を入れて一晩湖底に沈めておくのじゃ。どこがポイントかはこれに書いておいた」
 老人は湖の地図を手渡してくれた。五カ所に印が付いている。
「その一番南のところがワシが最後に漁をしたところじゃ」
「ありがとうございます」
「最近、ダンブツオオデンキウナギも数が少なくなっておる。いや、もう絶滅したかも知れん。ムダじゃとワシは思うがの」
「どうしてもダンブツオオデンキウナギを獲りたいのです」
「お前さんにあきらめさせるのはできんようじゃの」
「はい」
「だったらこれも貸してやる」
 分厚いゴムで出来た雨合羽と胸元まである長靴、肘を通り越してわきの下まである長い手袋。両方とも分厚いゴム製だ。
「ヤツは3千ボルトの高電圧を放つ。ちょっとで肌に触れれば即死する。一番気をつけねばならないのは水じゃ。ワシがやられた時は肩口から右の肘に水滴が一滴ながれた。それを通ってヤツの電気が流れた」
「いいか。ヤツは三メートルの細長い魚じゃ。罠にかかったヤツを感電せずにどう取り込むか。ようく考えることじゃ」

 魚探には確かに反応があった。それに今朝引き上げた篭のエサはなくなっていた。確かにヤツはいる。先ほどの波紋はヤツがたてたものだろう。
 篭による罠漁は、いったん止めよう。釣りを試してみよう。確実に釣るには、岸から釣るより、ボートを出して湖の中ほどに釣り糸を垂れた方がいいだろう。
 持ってきているボートは小型だ。三メートルの大ウナギを釣れば転覆させられるおそれがある。ボートが転覆、水中に転落すれば3千ボルトの電撃をくらう。特製の絶縁服を着ていなければ即死だ。
 湖畔の立ち木にロープをくくりつける。ロープはボートのともに搭載している小型のウィンドラスにつながっている。
 ボートを出す。岸から五メートル。船をとめて魚探のスイッチをオン。反応なし。船を少しづつ移動させながら魚探で探る。それにしても、この湖は魚影が少ない。ダンブツオオデンキウナギ以外の魚があまりいない。当然だろう。三千ボルトの放電をする魚がいるのだ。近くを泳ぐ魚は無事ではない。餌となる魚が少なくなれば、大ウナギも少なくなるのだ。
 魚探に反応があった。長い影がディスプレイに写っている。釣り針の先に鶏肉をつけて水中に投げこんだ。ハリスは釣具メーカーに特注で作ってもらった。太い目で切れにくいのはもちろんだが、特に絶縁性に優れた素材で造られている。
 ボートのへりに高速の電動リールを設置してある。もちろん、釣具メーカーに特注で造ってもらったものだ。絶縁体のセラミック製のリールだ。 その電動リールは四つの碍子の上に固定されている。
 ヒット!猛烈な勢いでリールが回りだした。ガキッ。リールのストッパーを掛けた。ゴンという衝撃とともにボートがひっぱられる。リールのスイッチをON。同時に船外機を始動。ボートはゆっくり後進する。ハリスが左右に揺さぶられる。ボートのまわりに小魚が腹を上にして浮かんできた。三千ボルトを放電しているのだろう。ウィンドラスを稼動させる。ロープが巻き取られ、ボートの後進のスピードが速くなった。強い力で引っぱられるから、左右に揺れていたボートがまっすぐ後ろへ進む。
 水面に水柱が立つ。大ウナギのシッポが見えた。かなりの大物だ。リールは快調にハリスを巻き取っていく。三メートルを超える細長い影が見えてきた。
 ジャリジャリ。ボートの船尾が砂と接触する音がする。岸に着いた。ウィンドラスが回っているので、ボートは水面を離れ地上をすべる。大ウナギが地上に引きずり上げられた。長さ三メートル直径十五センチほどの大物だ。
 バチバチと音がする。高圧電流を放電しているのだ。横の草むらにいるトカゲやヘビなどの小動物が死んでいる。
 こいつを取りこんで処置をし、店に持ち帰って調理しなければならない。しかし、いま触るのは危険だ。絶縁性の大きな、分厚いゴム製の長手袋、合羽、長靴で武装しているが三千ボルトの高電圧だ。少しでも水分があれば感電して即死する。
 触らずにそのままにしておく。ダンブツオオデンキウナギの放電時間は三分。一〇分経った。もうだいじょうぶだろう。絶縁体のセラミック製の包丁で首の後ろを切ってしめる。血ぬきして分厚いゴム製の袋にしまう。

 調理場の床にはゴムを敷きつめた。ゴム長靴、ゴム手袋、ゴムのエプロン。手には特性のセラミックの特大ウナギ裂きを持つ。
 あとはサイズが大きいだけで、やることはいっしょだ。目打ちを打ってウナギをまな板に固定する。腹開きにする。一気にウナギを裂く。ウナギの調理は「裂き八年串打ち三年焼き一生」という。私はウナギ職人の経験が少しはある。ダンブツオオデンキウナギはサイズが大きいから裂くのは比較的簡単だ。
 身はきれいな白身だ。全長が三メートルほどの魚だが、大人の握りこぶし大の頭とその後ろ二十センチに内臓がある。この魚の胴は三十センチで、あとの二メートル七十センチは尾というわけだ。尾の部分はすだれ模様の筋肉がある。ここの筋肉が発電組織。三千ボルトの高電圧を発電している。この部分はしゃごしゃごしてて食べられない。食べられる部分は長大な尾と短い胴のすき間の十センチほどの部分だけ。
 その十センチを残して尾と胴を筒切りにする。残った十センチの身、これを包丁で開いて二切れの切り身にする。串を打つ。
 備長の炭で焼く。醬油と味醂で作ったタレを塗る。焼く、塗るを三度くりかえす。
 
「お待たせしました。ダンブツオオデンキウナギの蒲焼でございます」
 夫婦の前に一皿づつ置く。本日の料理はこれだけである。
 夫婦は至福の表情をうかべて食べた。
 私は、そっとお勘定書きを置いた。本日の会計はそれなりのお値段である。