ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

クラス会

2020年06月21日 | 作品を書いたで
 冷蔵庫を開ける。ほとんど空っぽ。奥の方に、昨日のおかずの残りがある。あと冷や飯が少し。おかずは筑前煮だ。鶏肉はない。にんじん、ごぼう、こんにゃく。
 冷や飯と筑前煮を電子レンジで加熱して食う。女房は母親の介護でクニへ帰っている。女房の母はいつもは義姉が看ているのだが、彼女が入院したため、義母の面倒をみにいったというわけだ。
 昨日の筑前煮とご飯で、にわか独身の夕食をすまそうとしたら、電話がかかってきた。
「今から出てこない」
 女だ。女二人、三宮のスナックで飲んでいるとのこと。中学の同級生であった連中だ。なんでもクラス会を企画しているけれど、なかなか参加者が集まらず、その善後策を相談しているらしい。
 一〇年前にもクラス会があった。私は参加した。その時の幹事は彼女たち二人であった。
 メシはやめて出かける。生田神社の近くのスナックで二人は待っていた。山口と橋田だ。
 ビールを頼んだ。
「海崎くんは地震でなくなったでしょ。高木くんは入院してるわ。藤田くんと平さんは来るって」
「ま、還暦を過ぎてるからいろいろあるわ」
「で、ワシにどうしろとゆうんや」
「あんた。副添くんとしたしかったじゃない。誘ってよ」
「わたしたち二人、藤田くんと平さん、あんたと副添くん。これで六人、なんとかクラス会としてかっこがつくわ」
 この二女史は私が参加するものとはなっから決めつけているらしい。
「おいおい五人かもしれんで」
「どういう意味」
「ワシの都合は聞かへんのか」
「あら、あんたは当然参加じゃない」
 中学を卒業して四五年。この間、クラス会が二回あった。私は二回とも参加した。前回のいいだしっぺで幹事は、この二人だ。最初は死んだ海崎と私がいいだしっぺで幹事をやった。

 新梅田食堂街の串カツ屋で飲んでいたとき、たまたまヤツがいた。
「ま、飲め」
 課長がビールを勧めた。どうも職場のQCサークルのリーダーを私にさせたいらしい。結局、ビール三本と串カツ数本で私はQCサークルのリーダーの件、OKしてしまった。
 ふと向こう側のカウンターに視線を上げると、ヤツも視線を上げた。
「ん」確かあいつは中学で同じクラスだった・・・。んんん名前が思い出せない。あのころは、神戸の中学生は全員丸坊主の少年であった。その少年の面影が残っている。しかし、よく似た別人ということもある。
 トイレに行った時、そっと聞いた。
「失礼ですが海崎さんですか」
 相手もそうではないかと思っていたようだ。
「高垣か」
「そや。海崎、ひさしぶり」
 課長がこちらを見ている。
「ちょっとごめん」
 課長の隣りにもどった。
「知り合いか」
「はい。中学の時の同じクラスやったヤツです」
「そうか。そんじゃ俺は帰る。あ、ええええ。ここはワシが出しとく。QCサークルのリーダー頼むで。ま、旧交を温めたらええ」
 課長はそういうと支払いをすませて帰った。そのあと、海崎と居酒屋とショットバーへ行った。
「なあ、高垣、クラス会せえへんか」
 最初のクラス会は、私と海崎が幹事となって、みんなに声をかけて集まってもらった。その時に大活躍して二十五人もの出席者をかきあつめたのが例の二女史だ。

 六甲山から吹き下ろす風が冷たい。神戸は三宮のフラワーロード。そごうのひと筋南のビルの五階。待ち合わせはそこのカニ料理屋東村。待ち合わせ時間は午後七時。午前中だけ会社で仕事して、時間があるので阪急会館で映画を観て、センター街の星電社で買い物してた。午後六時四十分。ちょうど良い時間になった。
 東村に入る。席は私の名で予約している。
「お、山口と橋田早いな」二女史がもう来て席に着いている。
「海崎は」
「まだみたいよ」
 ほどなく海崎も来た。続いて十人の参加者がぞろぞろと来た。この第一回のクラス会は十四人の参加者が集まった。担任の先生もゲストで来ていただいた。

「クラス会へのお誘い」のハガキが来た。第一回のクラス会から一〇年たった。なんでも山口女史と海崎が元町で、ばったり会ったとのこと。「久しぶり元気?」から、「積もる話」で盛り上がり、クラス会をやろうということになったのだろう。
「出席」に○をして返信ハガキを出した。日時は一月一六日午後七時。会場は百人奉行鍋屋敷。
 一月十五日の成人の日が日曜だったので十六日の月曜日が振り替え休日となった。三連休の最終日の夜に二回目のクラス会が行われた。幹事の海崎が特に楽しそうだった。
「近いうちにぜひ三回目をやろう」といっていたことを思い出す。その海崎はクラス会には永遠に出席できなくなった。

 一九九五年一月十七日午前五時四十六分。神戸は地震で壊滅した。海崎は自宅で圧死した。この震災で私の知り合いは六人死んだ。海崎もそのうちの一人だ。
 震災後の神戸は、それ以前とは違う神戸になった。あれからふた昔ほど年月が流れた。地震で亡くなった者、病気で亡くなった者。この世には居るが神戸を去った者。七十近くなるといろいろある。
 たまたまぱったりと同級生と街で出会うということも少なくなった。

「今日、そごうで買い物してたら橋田さんにばったりあったの。で三回目のクラス会をやろうということになったのよ」
「山口は今はどこにおるん」
「塚口よ」
「みんな年とったから、ばったり会うこともすくなくなったね」
 結局、中学のクラス会は三回やっただけだ。参加者が集まらなくなったし、妙な疫病がまん延して集まって酒宴を開くこともはばかられるようになった。