きのうのお休みは喜楽館に行ってきました。開口一番は桂あおばさんです。「石段」のお囃子でお出ましになりました。演目は前座噺の定番「動物園」です。主人公がすでに動物園に行っていて、虎の毛皮を着るところからの短縮バージョンでした。
2番手は笑福亭生寿さん。まくらは方言のネタです。九州の佐賀では「はい」を「ない」というそうです。生寿さん、佐賀で食堂に入りました。「親子丼ありますか?」「ない」「じゃあ、カツ丼は?」「ない」「オムライスは」「カレーは」みんな返事は「ない」です。しゃあないな別の食堂へ行こうとしたとき、いったモノがみんな出てきたんですって。「手水まわし」をやらはった。先日のもとまち寄席の桂團治朗さんにもいいましたが、手と目線の使い方がいけません。ちょうず(長い頭)の源助が登場するシーンですが「うわあ、長い頭やなあ」とびっくりするわけですが、目線で頭の上まで追って、長い頭を表現するのですが、目線の使い方が中途半端です。う~んと上の方まで目線を上げなくてはなりません。で、源助が頭を回し始めるのですが、頭を回すだけです。ここはやはり桂雀々師匠のように手を上のほうに伸ばして、その手ごと頭を回して長頭を表現すれば大爆笑でしょう。
3番手は桂文福門下の桂文鹿さん。お名前の読み方は「ぶんしか」でも「ぶんか」でもありません。「ぶんろく」さんです。この文鹿さんプロボクサーのライセンスをお持ちなんですね。師匠の文福師匠は相撲に造詣が深い師匠です。この一門は格闘技に強い一門なんですね。ケンカを売るのはやめましょう。
「酒の粕」という噺をやらはった。下戸の男が酒の粕を食べたのが自慢で、「こ~んな大きな酒の粕を食べたで」自慢された男は「そやったら武蔵野の大杯でグーと呑むんやな」「武蔵野ってなんや」東京が江戸やった時代、あのへんは武蔵野ちゅうて広いとこやった。それぐらい広い杯で酒をのまなあかんちゅうことです。
まくらで文鹿さん酒の粕の食べ方についていわはった。酒の粕、粕汁にするぐらいしか知りまへんやろ。あれを焼いて砂糖を乗っけて食うとうまいです。知ってる人?会場の半分ぐらいの人が手を上げました。私(ごろりん)も知ってます。昔は、母が西宮出身だった関係で酒の粕の仕入先は白鹿でした。白鹿は板粕でしたから焼いてよく食べました。しかし、いまのウチのオフィシャル酒は桜正宗です。桜正宗はねり粕ですから焼いて食べることができません。粕汁や粕漬けなど料理に使うにはねり粕の方が使いやすいです。私は毎年11月の後半になると魚崎の桜正宗に今年の酒粕を買いに行って、今年の絞りたて原酒を予約していきます。
色もんは千田やすしさん。腹話術師です。腹話術なんて芸を見るのはずいぶん久しぶりです。千田さんの師匠は川上のぼる師匠ですって。川上のぼる。なつかしいな。子供ころよくテレビで見ました。一番最後に川上のぼる師匠の芸を拝見したのはずいぶん以前の繁昌亭だったと記憶します。「イットウショー」なんていってはって相方の人形がハリス坊やでしたね。
仲入り前は笑福亭枝鶴師匠。「初天神」です。トラコとおやじが凧揚げまでやるフルバージョンでした。この噺、フルバージョンはあまり聞けません。じっくりと「初天神」を楽しませてもらいました。時間の制約があるからテレビではフルバージョンはめったにやりません。こういうのは生の落語ならではです。
さて、おしっこも行って仲入りも終わりました。後半戦のトップバッターは桂きん太郎さんです。金髪にメガネ、ピンクの着物。落語家というよりピン芸人のような落語家さんです。桂小文枝師匠のお弟子さんです。
「いろんな落語家が出てきますが、こんなんもおりますねん。ちりめんじゃこの中にちょいちょい小さなタコやエビが混ざってまっしゃろ。あれやと思うてください」桂文枝師匠の名作「鯛」をやらはったのですが、食べられる鯛の悲哀が良く出てて、たいへんに良くできた高座でした。きん太郎さん、かっこは奇態ですが、なかなか出来る落語家さんだと見ました。
トリ前は桂福矢さん。「時うどん」です。噺に間がなく平板な落語でした。こんなところに出てくるには力不足ですね。今年のセリーグ蛇足シリーズの対巨人の第一戦の先発ピッチャーは望月でしたが、彼には荷が重かったですね。あれを思い出しました。
トリはお目当ての笑福亭松喬師匠。なんと「抜け雀」をやらはった。3日前にもとまち寄席で桂南光師匠の「抜け雀」を聞いたばかりです。期せずして米朝一門と笑福亭の「抜け雀」の聞き比べとなりました。甲乙つけ難いですが、南光師匠の絵描きの方が、横柄さえらそうさが際立ってました。松喬師匠は抜け雀で満員盛況の旅館小松屋、トリバゴで調べても楽天トラベルで調べても予約が取れないなどというくすぐりを入れてはった。
で、息子と親父、2代続けて名人ということですな、米朝親子と違いますな、などと米団治師匠をいじったあと下げとなりますが、松喬師匠の下げは「親を駕籠かきにした」です。南光師匠のは「天狗になるなとのいましめ」米朝師匠のは「親に駕籠を描かせた」です。松喬師匠と米朝師匠では微妙に違いますね。
松喬師匠は前半の息子の絵描きがボロボロの着物でやって来たとき、宿の女将に「雲助のなれのはて」といわしてます。江戸時代の駕籠かきは雲助といわれて、タチのよくないならず者が多かったのですね。父親は雀のカゴを描いたわけです。松喬師匠は前半に下げの伏線を張ってあったんですね。
2番手は笑福亭生寿さん。まくらは方言のネタです。九州の佐賀では「はい」を「ない」というそうです。生寿さん、佐賀で食堂に入りました。「親子丼ありますか?」「ない」「じゃあ、カツ丼は?」「ない」「オムライスは」「カレーは」みんな返事は「ない」です。しゃあないな別の食堂へ行こうとしたとき、いったモノがみんな出てきたんですって。「手水まわし」をやらはった。先日のもとまち寄席の桂團治朗さんにもいいましたが、手と目線の使い方がいけません。ちょうず(長い頭)の源助が登場するシーンですが「うわあ、長い頭やなあ」とびっくりするわけですが、目線で頭の上まで追って、長い頭を表現するのですが、目線の使い方が中途半端です。う~んと上の方まで目線を上げなくてはなりません。で、源助が頭を回し始めるのですが、頭を回すだけです。ここはやはり桂雀々師匠のように手を上のほうに伸ばして、その手ごと頭を回して長頭を表現すれば大爆笑でしょう。
3番手は桂文福門下の桂文鹿さん。お名前の読み方は「ぶんしか」でも「ぶんか」でもありません。「ぶんろく」さんです。この文鹿さんプロボクサーのライセンスをお持ちなんですね。師匠の文福師匠は相撲に造詣が深い師匠です。この一門は格闘技に強い一門なんですね。ケンカを売るのはやめましょう。
「酒の粕」という噺をやらはった。下戸の男が酒の粕を食べたのが自慢で、「こ~んな大きな酒の粕を食べたで」自慢された男は「そやったら武蔵野の大杯でグーと呑むんやな」「武蔵野ってなんや」東京が江戸やった時代、あのへんは武蔵野ちゅうて広いとこやった。それぐらい広い杯で酒をのまなあかんちゅうことです。
まくらで文鹿さん酒の粕の食べ方についていわはった。酒の粕、粕汁にするぐらいしか知りまへんやろ。あれを焼いて砂糖を乗っけて食うとうまいです。知ってる人?会場の半分ぐらいの人が手を上げました。私(ごろりん)も知ってます。昔は、母が西宮出身だった関係で酒の粕の仕入先は白鹿でした。白鹿は板粕でしたから焼いてよく食べました。しかし、いまのウチのオフィシャル酒は桜正宗です。桜正宗はねり粕ですから焼いて食べることができません。粕汁や粕漬けなど料理に使うにはねり粕の方が使いやすいです。私は毎年11月の後半になると魚崎の桜正宗に今年の酒粕を買いに行って、今年の絞りたて原酒を予約していきます。
色もんは千田やすしさん。腹話術師です。腹話術なんて芸を見るのはずいぶん久しぶりです。千田さんの師匠は川上のぼる師匠ですって。川上のぼる。なつかしいな。子供ころよくテレビで見ました。一番最後に川上のぼる師匠の芸を拝見したのはずいぶん以前の繁昌亭だったと記憶します。「イットウショー」なんていってはって相方の人形がハリス坊やでしたね。
仲入り前は笑福亭枝鶴師匠。「初天神」です。トラコとおやじが凧揚げまでやるフルバージョンでした。この噺、フルバージョンはあまり聞けません。じっくりと「初天神」を楽しませてもらいました。時間の制約があるからテレビではフルバージョンはめったにやりません。こういうのは生の落語ならではです。
さて、おしっこも行って仲入りも終わりました。後半戦のトップバッターは桂きん太郎さんです。金髪にメガネ、ピンクの着物。落語家というよりピン芸人のような落語家さんです。桂小文枝師匠のお弟子さんです。
「いろんな落語家が出てきますが、こんなんもおりますねん。ちりめんじゃこの中にちょいちょい小さなタコやエビが混ざってまっしゃろ。あれやと思うてください」桂文枝師匠の名作「鯛」をやらはったのですが、食べられる鯛の悲哀が良く出てて、たいへんに良くできた高座でした。きん太郎さん、かっこは奇態ですが、なかなか出来る落語家さんだと見ました。
トリ前は桂福矢さん。「時うどん」です。噺に間がなく平板な落語でした。こんなところに出てくるには力不足ですね。今年のセリーグ蛇足シリーズの対巨人の第一戦の先発ピッチャーは望月でしたが、彼には荷が重かったですね。あれを思い出しました。
トリはお目当ての笑福亭松喬師匠。なんと「抜け雀」をやらはった。3日前にもとまち寄席で桂南光師匠の「抜け雀」を聞いたばかりです。期せずして米朝一門と笑福亭の「抜け雀」の聞き比べとなりました。甲乙つけ難いですが、南光師匠の絵描きの方が、横柄さえらそうさが際立ってました。松喬師匠は抜け雀で満員盛況の旅館小松屋、トリバゴで調べても楽天トラベルで調べても予約が取れないなどというくすぐりを入れてはった。
で、息子と親父、2代続けて名人ということですな、米朝親子と違いますな、などと米団治師匠をいじったあと下げとなりますが、松喬師匠の下げは「親を駕籠かきにした」です。南光師匠のは「天狗になるなとのいましめ」米朝師匠のは「親に駕籠を描かせた」です。松喬師匠と米朝師匠では微妙に違いますね。
松喬師匠は前半の息子の絵描きがボロボロの着物でやって来たとき、宿の女将に「雲助のなれのはて」といわしてます。江戸時代の駕籠かきは雲助といわれて、タチのよくないならず者が多かったのですね。父親は雀のカゴを描いたわけです。松喬師匠は前半に下げの伏線を張ってあったんですね。