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ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

喜楽館に行ってきました

2019年10月15日 | 上方落語楽しんだで
 きのうのお休みは喜楽館に行ってきました。開口一番は桂あおばさんです。「石段」のお囃子でお出ましになりました。演目は前座噺の定番「動物園」です。主人公がすでに動物園に行っていて、虎の毛皮を着るところからの短縮バージョンでした。
 2番手は笑福亭生寿さん。まくらは方言のネタです。九州の佐賀では「はい」を「ない」というそうです。生寿さん、佐賀で食堂に入りました。「親子丼ありますか?」「ない」「じゃあ、カツ丼は?」「ない」「オムライスは」「カレーは」みんな返事は「ない」です。しゃあないな別の食堂へ行こうとしたとき、いったモノがみんな出てきたんですって。「手水まわし」をやらはった。先日のもとまち寄席の桂團治朗さんにもいいましたが、手と目線の使い方がいけません。ちょうず(長い頭)の源助が登場するシーンですが「うわあ、長い頭やなあ」とびっくりするわけですが、目線で頭の上まで追って、長い頭を表現するのですが、目線の使い方が中途半端です。う~んと上の方まで目線を上げなくてはなりません。で、源助が頭を回し始めるのですが、頭を回すだけです。ここはやはり桂雀々師匠のように手を上のほうに伸ばして、その手ごと頭を回して長頭を表現すれば大爆笑でしょう。
 3番手は桂文福門下の桂文鹿さん。お名前の読み方は「ぶんしか」でも「ぶんか」でもありません。「ぶんろく」さんです。この文鹿さんプロボクサーのライセンスをお持ちなんですね。師匠の文福師匠は相撲に造詣が深い師匠です。この一門は格闘技に強い一門なんですね。ケンカを売るのはやめましょう。
「酒の粕」という噺をやらはった。下戸の男が酒の粕を食べたのが自慢で、「こ~んな大きな酒の粕を食べたで」自慢された男は「そやったら武蔵野の大杯でグーと呑むんやな」「武蔵野ってなんや」東京が江戸やった時代、あのへんは武蔵野ちゅうて広いとこやった。それぐらい広い杯で酒をのまなあかんちゅうことです。
 まくらで文鹿さん酒の粕の食べ方についていわはった。酒の粕、粕汁にするぐらいしか知りまへんやろ。あれを焼いて砂糖を乗っけて食うとうまいです。知ってる人?会場の半分ぐらいの人が手を上げました。私(ごろりん)も知ってます。昔は、母が西宮出身だった関係で酒の粕の仕入先は白鹿でした。白鹿は板粕でしたから焼いてよく食べました。しかし、いまのウチのオフィシャル酒は桜正宗です。桜正宗はねり粕ですから焼いて食べることができません。粕汁や粕漬けなど料理に使うにはねり粕の方が使いやすいです。私は毎年11月の後半になると魚崎の桜正宗に今年の酒粕を買いに行って、今年の絞りたて原酒を予約していきます。
 色もんは千田やすしさん。腹話術師です。腹話術なんて芸を見るのはずいぶん久しぶりです。千田さんの師匠は川上のぼる師匠ですって。川上のぼる。なつかしいな。子供ころよくテレビで見ました。一番最後に川上のぼる師匠の芸を拝見したのはずいぶん以前の繁昌亭だったと記憶します。「イットウショー」なんていってはって相方の人形がハリス坊やでしたね。
 仲入り前は笑福亭枝鶴師匠。「初天神」です。トラコとおやじが凧揚げまでやるフルバージョンでした。この噺、フルバージョンはあまり聞けません。じっくりと「初天神」を楽しませてもらいました。時間の制約があるからテレビではフルバージョンはめったにやりません。こういうのは生の落語ならではです。
 さて、おしっこも行って仲入りも終わりました。後半戦のトップバッターは桂きん太郎さんです。金髪にメガネ、ピンクの着物。落語家というよりピン芸人のような落語家さんです。桂小文枝師匠のお弟子さんです。
「いろんな落語家が出てきますが、こんなんもおりますねん。ちりめんじゃこの中にちょいちょい小さなタコやエビが混ざってまっしゃろ。あれやと思うてください」桂文枝師匠の名作「鯛」をやらはったのですが、食べられる鯛の悲哀が良く出てて、たいへんに良くできた高座でした。きん太郎さん、かっこは奇態ですが、なかなか出来る落語家さんだと見ました。
 トリ前は桂福矢さん。「時うどん」です。噺に間がなく平板な落語でした。こんなところに出てくるには力不足ですね。今年のセリーグ蛇足シリーズの対巨人の第一戦の先発ピッチャーは望月でしたが、彼には荷が重かったですね。あれを思い出しました。
 トリはお目当ての笑福亭松喬師匠。なんと「抜け雀」をやらはった。3日前にもとまち寄席で桂南光師匠の「抜け雀」を聞いたばかりです。期せずして米朝一門と笑福亭の「抜け雀」の聞き比べとなりました。甲乙つけ難いですが、南光師匠の絵描きの方が、横柄さえらそうさが際立ってました。松喬師匠は抜け雀で満員盛況の旅館小松屋、トリバゴで調べても楽天トラベルで調べても予約が取れないなどというくすぐりを入れてはった。
 で、息子と親父、2代続けて名人ということですな、米朝親子と違いますな、などと米団治師匠をいじったあと下げとなりますが、松喬師匠の下げは「親を駕籠かきにした」です。南光師匠のは「天狗になるなとのいましめ」米朝師匠のは「親に駕籠を描かせた」です。松喬師匠と米朝師匠では微妙に違いますね。
松喬師匠は前半の息子の絵描きがボロボロの着物でやって来たとき、宿の女将に「雲助のなれのはて」といわしてます。江戸時代の駕籠かきは雲助といわれて、タチのよくないならず者が多かったのですね。父親は雀のカゴを描いたわけです。松喬師匠は前半に下げの伏線を張ってあったんですね。 

10月のもとまち寄席恋雅亭

2019年10月11日 | 上方落語楽しんだで

 昨夜は、もとまち寄席恋雅亭です。開口一番は、桂米団治師匠の総領弟子桂團治朗さん。手元のプログラムをみてアレと思いました。「團次郎」になっています。ところが高座のそでのめくりは「團治郎」です。ご本人も気がついたらしく「私の名前が二つありますな。ま、どっちでもええんですけどね」ほんとはめくりが正しく「團治郎」さんです。「狸賽」をやらはった。元気いっぱいの「狸賽」です。ただ、手と目線の使い方がダメでした。最初に狸が化けたサイコロは大きすぎたのですが、その大きさを手で表現するのですが、遠慮がちな手の使い方で、あれではサイコロの大きさが観客によく伝わらなかったでしょう。それからサイコロを転がすくだり。「このサイコロ走らへんやんか」「うわあ。真っ直ぐスーと行きおった」で、サイコロの動きを視線で表現するのですが、あれではサイコロはあまり動いてません。米朝師匠の「狸賽」をDVDで見れば良く判ります。米団治師匠のご指導が必要ですね。
 2番手は桂阿か枝さん。お隣明石市のご出身です。「祝いのし」を演じられたのですが、師匠の先代桂文枝師匠に良く似てきました。
 3番手は林家染雀さん。音曲漫才「姉さまキングス」の桂あやめ師匠の相方です。「化け物つかい」をやらはった。化け物が出るという借家を借りた男。ほんまに真夜中に一つ目小僧、大入道、のっぺらぼうが出てます。その男化け物を家事にこき使います。まったく怖がりません。私もあの手のものは怖くありません。病院は怪談をよく聞くところです。何度か入院しましたが、真夜中の病院をうろうろしましたが何にもでませんでした。夜勤の看護師さんに叱られただけでした。
 染雀さん、芸達者な染丸一門だけに、落語が終わったあと踊りを披露してくれました。着物を後ろ向きに来て、高座で後ろ向きに立って、後頭部に面をかぶって、さも前向きで踊っているように踊ります。「さかい住吉うしろ面」という芸だそうです。
 さて、中トリは鶴瓶一門の俊英笑福亭銀瓶さん。さっそく吉野彰さんのノーベル賞をまくらのネタにしてはった。その吉野さんが子供のころに読んだというのでファラデーの「ろうそくの科学」が話題ですが、銀瓶さんもここに来る途中三宮のジュンク堂に立ち寄ったそうですが売り切れですって。「ろうそくの科学」を読めばみんなノーベル賞というわけではありません。私(ごろりん)も子供のころに読んだ記憶があります。ノーベル賞はもらってません。ノーベル黒飴ならいただいたことがありますが。
「寝床」をやはった。大爆笑でした。浄瑠璃好きで人に聞かせたいだんさんと。聞きたくない店のもんや長屋の住人。だんさんの浄瑠璃がいかに危険なのかが、うんと誇張された表現でものすごくおもしろかったです。この笑福亭銀瓶さん、笑福亭たまさん、桂二乗さん、桂ちょうばさん、このあたりがいま、最も脂ののった落語家さんだと私は思います。
 中入りも終わり、トリ前は桂南天さん。この後にトリで出てくる桂南光師匠のお弟子さんですから親子会となりました。
 南天さん、ロックのライブによく行くそうです。ロックのミュージシャンはうらやましいんですって。彼らが何をいっても客はバカうけ。しかもステージの上から客にえらそうにどなる。「てめえら」「お前ら」呼ばわりしても客は大喜び。ここで私(南天)が立ち上がって、あなたたちに向かって「てめえら」と怒鳴りましょうか。で、彼らはなんども歌っている曲をやるぞ、といっても客は喜ぶ。客は決して聞きあきたとはいいません。で、私もここで「動物園」をやるといったらどうでしょう。
「というわけで『動物園』をやります」といって、ほんまに「動物園」をやらはった。こんな前座噺でも南天さんがやると大うけでした。この「動物園」をやる落語家さんは園長の名前に知り合いの本名をよく使います。きのうの南天さんの「動物園」の園長は前田さんです。たぶん前田達さんでしょう。南天さんの師匠の師匠桂枝雀師匠の本名です。
 さてトリです。桂南光さんです。銀瓶さんがまくらでいってたのですが、吉野彰さんの師匠の師匠はやはりノーベル化学賞の福井謙一さん。大師匠と孫弟子でノーベル賞。ノーベル賞、落語家でいえば人間国宝。大師匠の桂米朝師匠が人間国宝、順番からいうと孫弟子の南光師匠が人間国宝の番ですって。
 その南光師匠のまくらは岡本太郎画伯と会った時の話です。当時は桂べかこです。岡本画伯に「初めまして桂べかこです」というと初対面の相手に「おかしな名前だね」テレビカメラが回っている時は、いわゆる「岡本太郎」でしたが、カメラが映してないときは、だらっと休めをしてはったんですって。
 絵描きのまくらですから噺はごく自然に「抜け雀」です。ボロボロのきたないおっさんが実はたいへんに偉い人というパターンの噺です。落語では「竹の水仙」映画では「男はつらいよ 夕焼け小焼け」がそうですね。南光師匠の「抜け雀」のボロボロの絵描きは尊大でえらそうです。
「抜け雀」の下げは雀を書いた画家が、老人の画家が書き足した絵を見て落涙するところですが、南光師匠の下げと米朝師匠の下げが違います。
 南光師匠の下げは「天狗になるなという戒め」老人の画家が書いたのは、天狗が住むという鞍馬の杉の木。米朝師匠のは「親に駕籠をかかせた」米朝師匠の老人は雀に鳥カゴを描いたのです。鳥カゴのカゴとかつぐ駕籠をかけたのです。現代でも判りやすいように南光師匠が替えはったのでしょう。調べてみると南光師匠にこの下げを提案したのは小佐田定雄さんだそうです。

 星群の会ホームページ連載の「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうぞご覧になってください。
 

笑福亭たまお気楽独演会

2019年10月05日 | 上方落語楽しんだで
 昨夜も落語です。仕事を終わって新開地へ。まず、グリル一平で腹ごしらえです。ヘレビーフカツレツを食べました。私は喜楽館での落語会では、たいていこのグリル一平で食事をします。おいしい洋食とおもしろい落語。これ以上なにを望むのでしょうか。
 グリル一平から喜楽館まで、歩いて1分です。喜楽館に入ります。笑福亭たまさんのお気楽独演会です。実はこの落語会、去る8月15日に行われる予定だったのですが、台風のため中止。その振替公演です。真夏の落語会でしたから怪談特集ですが、この暑さですから違和感はなかったです。開演までにもらった落語会のチラシを見ていたのですが、たまさんが精力的に独演会をやったはる。しかもそれぞれ違う演目です。大きな名跡でも襲名するおつもりでしょうか。そうですね。笑福亭たまという高座名はそろそろ改めてもいいころでしょう。
 さて、開口一番は笑福亭智丸さん。会長仁智師匠のお弟子さんです。「平林」をやらはった。オーソドックスな平林でした。
ところで、今回は2階席でした。上から落語家さんを見降ろしてるですが、見台の上の小拍子の扱いなど手の動きが良く見えて興味ぶかかったです。
2番手は桂二乗さん。いま、米朝一門では伸び盛りの落語家さんです。娘さんネタのまくらです。娘さんが小さいので家で落語の稽古ができない。で、真夜中、深夜の街をブツブツ落語をつぶやきながら歩くそうです。で、真夜中の2時にウサギを拾ったそうです。なんともシュールなまくらでした。演目は「写真の仇討ち」です。怪談特集ですから、ちょこっとだけ怪談っぽいネタを選んだそうです。
 さて、仲トリはいよいよ笑福亭たまさんの出番です。演目は私が楽しみにしていた「地獄八景」です。この噺、桂米朝師匠のはもちろん、米團治師匠、文の助さんと、米朝一門のを生で聞いたことはありますが、笑福亭の「地獄八景」は初めてです。この噺の特徴ですが、たまさんも最近亡くなった人をたくさん出さはった。あの世の映画ではアニメが良いらしいです。優秀なアニメのクリエイターがぎょうさんこっちへ来ましたからな。
さて、閻魔の庁のところでたまさん、掟やぶりともいう奇手を使わはった。
「きょうは先代閻魔の1000年忌につき、特別に恩赦を行う。われと思わん者は自己申告せえ」「最初の亡者でませい」
ここで開口一番でしゃべった智丸さんが出てきて、たまさんの隣にチンと座ります。「次の亡者でませい」こんどは二乗さんが出てきました。高座に複数の落語家が出てくる落語なんか初めて見ましたわ。
なにはともあれ大爆笑の「地獄八景」でした。閻魔の庁のくだりで終わり。人呑鬼のパートは割愛しはった。これで良かったと思います。フルでやったら長すきます。
 仲入り前は笑福亭仁智師匠。上方落語協会会長になってなにかと苦労も多くたいへんだそうです。この時の演目は、怪談特集ということで「恐怖の民宿百物語」海外生活の経験が長い女性オーナーが経営する、おしゃれな「レイクサイドプチホテル」にやって来た二人の男。このホテル8時になると停電します。で、そのくだりになると、喜楽館館内の灯りがほんまに全部消えて真っ暗になりました。1本のロウソクの灯りだけで仁智師匠は落語を続けたはる。怪談特集らしい面白い演出でした。
さて、仲入り後の大トリはもちろん。笑福亭たまさん。「死神」です。病人の枕元に死神がおると、その病人はほどなく死ぬ。足元に死神がおると絶対助かる。枕元に死神がおる病人をなんとしてでも助けてくれといわれた主人公。どうしたか。そしてどうなったか。という噺です。
 元気いっぱいの笑福亭たまさんを堪能した落語会でした。
 

一文笛

2019年09月24日 | 上方落語楽しんだで
 はからずも「一文笛」の聞き比べとなりました。四代桂小文枝襲名披露公演で桂小文枝師匠が「一文笛」をやらはった。それから数日たった、もとまち寄席恋雅亭では、桂宗助さんがやったのが「一文笛」です。
 この噺、桂米朝師匠が作った噺です。上方落語に泥棒ネタはいろいろあるけど、この「一文笛」は屈指の傑作といっていいでしょう。
 この噺、スリの噺です。空き巣や強盗といったガサツな泥棒と違い、技術で勝負する泥棒、それがスリです。
 この噺の秀逸なのは、スリが主人公なのに、スリの現場から始まらないのです。幕末からほどなくの明治の初期の噺です。年配の男に、主人公のスリ疾風の秀が話しかけることから始まります。
「お腰の煙草入れを売ってください」秀は自分がスリだといい、男を茶店に誘います。
「じつは、その煙草入れ、わたしが仲間から買いました」
 煙草入れ、仲間のスリが狙っているが、スキがない。どうしても抜き取れない。で、俺がやってやろうと、あなたのお腰についたまま私が買ったんです。する権利を買ったわけです。
 スキがないといわれ、気を良くした男は、秀に煙草入れを売ります。不思議な話もあるもんだと、秀と別れた男は財布がないのに気がつきます。
 主人公秀の頭の良さとスリの技術の高さがよくわかる前半部です。後半に秀のアニキ分が登場します。このアニキ、かっては腕の良いスリだったが、今は足を洗ってカタギになっています。アニキは秀の才覚を惜しんでカタギになることを勧めますが、スリ以外やったことのない秀は拒否します。
 このアニキの長屋に貧乏な元武士の子供がいます。駄菓子屋で一文笛を売ってます。他の子供は笛を吹いて楽しく遊んでます。武士の子はお金がないので買えません。で、秀、駄菓子屋の店先から笛を1本くすねて、そっと武士の子のふところに入れました。その子が笛を吹いていると駄菓子屋のばあさんが、この子には買うてもろた覚えがない。盗んだんだと大さわぎ。元武士のオヤジは子供を叱る。子供、井戸に身を投げる。
 アニキはこのことを秀にいって、秀を厳しく叱責。秀、お詫びに右手の人差し指と中指を指づめ。高額な医療費がかかる重篤な子供を助けるため、医者の懐から財布を抜き取ります。
 エライやっちゃなあとアニキ感心します。指2本飛ばして、ようスリやるなあ。
 たいへんに良くできた噺です。アレっと思う導入部から、がらっと転換する後半部。それにしても、主人公の疾風の秀は、ほんまは改心したのでしょうか。

東西落語名人選に行ってきました

2019年09月21日 | 上方落語楽しんだで

 第45回東西落語名人選に行きました。会場は神戸文化ホール。このホールは私のような神戸在住のSFファンにとって思い入れにあるホールです。今から44年前、この神戸文化ホールで第14回日本SF大会が開催されたのです。桂米朝師匠の「地獄八景亡者戯」を初めて生で聞いたのは、そのSF大会でした。
 さて開口一番は笑福亭仁智師匠。上方落語協会会長が開口一番を務めるのですね。なんともぜいたくなことです。野球ネタの創作落語をやらはった。高校野球です。LP学園の野球部監督と、応援する地元商店街のおじさんの会話。とても弱い野球部です。監督がいうには、今年は期待してくださいとのこと。選手を一人づつ紹介していくのですが、まともな選手はいません。大笑いです。
 2番手は柳家三三師匠。某民放で日曜夕方にやっている某落語家バラエティ番組をイジらはった。落語家は個人で芸をします。あまり集団で芸はしません。ところがS点の人たちは集団で芸をしている。あの人たちは個人で芸ができないんですね。で、このとき三三師匠がやったのが、「釜盗っ人」泥棒ネタです。これから泥棒三喬こと笑福亭松喬師匠がでてくるのに泥棒ネタをやる!?ケンカ売ってんのかと思いました。
 で、笑福亭松喬師匠が出てきはった。売られたケンカは買うか?なにをやらはる。「花色木綿」か「仏師屋盗っ人」か。「一文笛」やってほしいなと思いましたが、「まんじゅうこわい」をやらはった。こんな前座噺でも松喬師匠がやるとひと味違います。
 さて仲入りまえは、桂福団治師匠。60年やってまんねん。しんどおまっせ。商売道具はこの扇子1本だけや。今は身体の支えですけどな。といういつもの福団治師匠のまくらです。福団治師匠がでてくるとこのまくらでないと納得できなくなってるみたいです。演目は福団治師匠ならではの人情話「藪入り」です。ひねくれもんで嫌われもんのオヤジでも3年ぶりに帰って来る息子がかわいい。親子の情愛をじっくりと聞かせてもらいました。
 仲入りも終わりました。立川志の輔師匠です。志の輔師匠は早口で最初は何をいっているのか判りませんでした。よくニュースで「バールのようなもの」これは、ほんまはなんだ。バールか。というまくらです。そのままずっと「~のようなもの」というくすぐりです。「肉のような味」は肉じゃない。「ハワイのようなところ」はハワイじゃない。「夢のような」は夢じゃない。じゃ「バールのような」はバールじゃない。で、スナックのねえちゃんに逢いに行ったオヤジ。奥方に問い詰められる。「メカケでしょう」「いいやメカケのような」
 さて大トリは現存するただ一人の人間国宝落語家の柳家小三治師匠。まくらなし。いきなり「植木屋さん」で始まりました。そう「青菜」です。この「青菜」がやたら長かった。おんなじくすぐりをなんべんも繰り返すし、じつにだれた間延びした「青菜」でした。
 いやあ。いいんですけどね。落語会はやっぱりバランスが大切ですね。開口一番は若い落語家が出て前座噺を演じる。そのあと中堅、ベテラン、大御所とでてくるからええのです。いつぞやの某金満球団みたい4番バッターばっかり並べても良い結果はでません。それに私はやっぱり落語は上方が口にあいますね。

9月のもとまち寄席恋雅亭

2019年09月11日 | 上方落語楽しんだで
 毎月10日は落語鑑賞の日です。月に一度、10日に神戸は元町の風月堂の地下で落語会が行われます。もとまち寄席恋雅亭です。私はこの落語会の会員です。10日が土日でない限り毎月ここで落語を鑑賞しております。勤務先が兵庫区なので会社帰りに立ち寄りやすいです。
 さて、きのうの開口一番は桂二乗さん。桂米二さんのお弟子さんです。米朝一門らしい端整な落語をする落語家さんです。「ちはやふる」をやらはった。在原業平の和歌です。この業平をゆうのに、いろいろ「ヒラ」のつくのをいいます。「四国にあんのが」「こんぴら」「ごぼうを細こう切って煮るのが」「きんぴら」ここで、ごぼうのきんぴらについてうんちくを入れてはった。
 二番手は笑福亭喬若さん。「豊竹屋」です。なんでも浄瑠璃にしてしまう豊竹屋のだんさん。地のおしゃべりと浄瑠璃しゃべりの対比がおもしろいです。後半、口三味線のおっさんが出てきて、豊竹屋の浄瑠璃と口三味線のかけあいが、軽快でテンポが良く、聞いていて実に心地よいです。
 三番目は桂宗助さん。「一文笛」です。宗助さんは米朝師匠の直弟子ですから、この噺の作者米朝師匠直伝の「一文笛」です。
 先日の桂小文枝師匠もこの噺をやらはった。きのうの宗助さんも小文枝師匠も同じマクラでした。「いろんなところで落語をやらしてもろてます。お客さんにもいろんな人がおられます。先生、おまわりさん、医者。特定の職業のひとをイジると、『なんでワイをイジった』と怒る人がおます。そんなかでも絶対おこられない職業というのが泥棒。こんなかに泥棒の人はおられますか。いませんね。そういうことで今日は泥棒の噺をします。泥棒といってもいろいろあって」
 わたしも上方落語ファンが長いです。ですからマクラで職業のはなしをすると、ははん、泥棒ネタだな。すると「花色木綿」か「仏師屋盗人」か、「泥棒にもいろいろ」とくると「一文笛」だなと判ります。
 ところで泥棒三喬といわれた笑福亭松喬師匠。ほとんどの泥棒の噺をやったはるけど、私は松喬師匠の「一文笛」は聞いたことがありません。ぜひ一度ききたいものです。期せずして小文枝師匠と宗助さんの「一文笛」の聞き比べとなりましたが、小文枝師匠のは濃厚で宗助さんはさっぱりでした。
 さて仲入り前は笑福亭枝鶴師匠。「愛宕山」をやらはった。この噺、もともとは春の噺で、春の山を野がけするんですが、この時の枝鶴師匠は秋の噺にアレンジして演じはった。紅葉の愛宕山です。阪神電車でここまで来はったそうです。途中甲子園があります。非日常なかっこした人たちがおおぜい電車に乗ってはったそうです。
 仲入り後のトリ前です。林家染二さん。「貧乏神」です。この噺、もともとは小佐田定雄さんが桂枝雀師匠に書いた噺ですが、染二さんも得意としたはります。染二さんのパワフルな噺の中にも貧乏神の悲哀がでて、大笑いしつつも少ししんみりするところもありました。枝雀師匠の「貧乏神」も良かったですが、染二さんの貧乏神も絶品でした。
 さてトリは上方落語協会会長の笑福亭仁智師匠。去年の6月に会長に就任したのですが「わたいが会長になってロクなことがあらへん」6月には大阪北部地震、大雨で繁昌亭が浸水被害、台風21号と24号、なんかかんやで繁昌亭大改装が必要と判明。そいえば、今年の6月繁昌亭はリニューアルしてました。
 仁智会長がやったのは創作落語「トメさんトクさん」病院に入院してる82と83のばあさんの会話。長男が見舞いに来ます。関心事は遺産のこと。仁智さんのばあさん芸がたっぷり楽しめました。
 


きん枝改メ 四代桂小文枝襲名披露公演に行ってきました

2019年09月02日 | 上方落語楽しんだで

 きのう、9月1日は「きん枝改メ四代桂小文枝襲名披露公演」に行ってきました。いつもは落語会は私1人で行くのですが、キップが二人ぶん手に入ったので友人を誘いました。
 会場は国際会館こくさいホールです。ずいぶんと大きなホールです。繁昌亭や喜楽館に行きなれている目で見れば、たいへんに大きく感じられます。この大きな会場が満席です。小文枝師匠の人気の高さが判ります。
 開口一番前座は桂三幸さんです。「みかん屋」を演じはった。みかんを行商する噺です。ですから。冬の噺です。いまは夏ですので少し違和感を感じました。夏のみかんの噺といえば「千両みかん」がありますが、この噺、三幸さんにはまだ早いですね。それに前座でやるような噺ではありません。
 2番めは桂枝女太さん。まくらのツカミは自分の名前をネタにして笑いをとらはる。枝女太をちゃんと読まれたことがない。「しによった」「しにょた」
 枝女太さん五代文枝門下で10番目のお弟子さん。ちょうど真ん中。五代文枝門下の総領弟子は桂三枝(現六代文枝)2番弟子がきょうの主役きん枝(現四代小文枝)3番弟子が文珍師匠。このうち、六代文枝と文珍の両師匠は、前に行くと背筋がしゃんとする。このお二人からはそういうオーラが出ている。ところが四代小文枝師匠からそういうオーラはまったく出ていない。極めて気楽に兄弟子として接しられるとのことです。四代小文枝師匠のお人柄がうかがえます。ずいぶん長いマクラでした。五代文枝門下の力関係が垣間見えるまくらでした。ほんすじの演目は「十徳」です。
 さて、仲入り前の中トリは桂文枝師匠。テレビの「新婚さんいらっしゃい」が来年50周年だそうで、あの番組は文枝師匠と新婚さんの当意即妙の会話が大切。新婚さんがなにをいってるかちゃんと聞くことが必要。で、文枝師匠、耳の検査に耳鼻咽喉科にいったというマクラ。補聴器をすすめられたそうです。
演目は、もちろん創作落語の「誕生日」米寿のおじいさんがたくさんの子供や孫に囲まれて米寿のお祝いをする噺です。
 さて、仲入りも終わって幕があがると五人の落語家が並んではる。四代桂小文枝襲名披露の口上です。司会は桂坊枝さん。弟弟子を代表して枝女太さん。一門の総帥文枝師匠。江戸落語を代表して春風亭小朝師匠。主役の四代小文枝師匠はひと言しゃべらせてもらっただけでした。 落語家の襲名披露の口上は1人か2人は手ばなしでほめて、あとはイジって笑いを取るのですが、この時の口上はみんな小文枝師匠をイジってはった。
 口上が終わってトリ前は春風亭小朝師匠。林家木久扇師匠をイジるマクラから、襲名にまつわる話。襲名した仲間の落語家に聞くと、襲名を打診されて受諾するまでたいていの落語家は悩む。で、どうして決断するか。仲間に襲名した落語家がいれば「あいつが襲名したんだから俺だって」と思って襲名を決断する人が多いとのこと。小文枝師匠の「あいつ」は誰でしょうね。
 この時気がついたのですが、これまで出てきた、三幸さん、枝女太さん、文枝師匠、3人とも見台ひざかくしを使わなかった。ところが江戸落語の小朝師匠が見台ひざかくしを使ったはる。江戸落語でも見台ひざかくしを使うんですね。演目は「荒大名の茶の湯」みんな細川さんのマネをするという噺です。
 さて、トリはもちろん四代桂小文枝師匠。泥棒の噺をしますということで、「一文笛」をやらはった。この噺、桂米朝師匠が作った噺です。タバコ入れを買い取るくだりから、貧乏な元侍の子のふところに笛をいれ、その子供が笛を盗んだと疑われ井戸に身を投げ危篤となる。主人公の名人スリ疾風の秀と、兄貴のやりとりで、秀のスリの名人でありながら善人、その兄貴の人物の大きさ、この演じわけが聞かせどころです。小文枝師匠は米朝師匠の噺より、いくぶんこってりしたところある、濃い目の噺となっておりました。その話術はさすがで、聞き入ってしまいました。きん枝時代よりレベルが一つも二つも上がった落語家に成長しておられました。
 さて3時間ほど落語を堪能したあと、ここ国際会館の下、さんちかの南のつきあたり「さがみ」で痛飲して、いい気分で帰宅の途についたのであります。