『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

稲の種籾を播く 水口祭り その2

2007年04月26日 | 歴史
水口祭りについては、高木誠一も『磐城北神谷誌』のなかで、
次のように書き記している。

「水口祭り
 苗代の播まきは、いつも八十八夜一週間前位ある。
この種をまく時、水口祭りをする。苗代の入水口に、
ニハトクの木に苗取山荒神牛王の札を
三角にたヽんではさみたるものと、
カラス幣と云つて、
正月神棚に餅をあげだしき紙を小さく四角に切つて
竹、又はカヤにはさんたるもの十二本、月の数程こしらへ、
六本は神棚の田の神様に、残り六本は水口に立てる。
そして、櫻の花などをあげ、種籾燒米を供へて祭るのである。
山吹は實がならないとて忌む。
 又、苗代には苗見竹と云つて細竹を眞中にたてる。
これは大昔、稲荷様が天笠から稲(いね)穗をくわいて来て蒔いて、
他の者に荒らされない様に標を立てヽ、ナイナイと云つておいた。
それで苗(ナイ)と云ひ、竹を苗見竹を云ふ。
田植の時、この竹を二つに折つて、
長さが両方同じな時は思ひ事、萬事叶ふなとヽ云つて居る。

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