『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦1月16日 悔始め

2009年08月21日 | 伝説
天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月16日の項には、
次のような記述がある。

十六日 老人、寺ヘ念佛ニ入ル。
今日ヨリ凶事ニタヅサハル。
故ニ是日ヲ悔始メトイフ。
正、五、九月ヲ祝月トシテ、
死亡者アルモ、其家ニ行クヲ嫌フ。
就中、正月十五日ヨリ上ニ死者アル時ハ、
人ヲ雇ヘドモ雇ハルヽ者ナシ。
無常講ナル者アリ。
之ヲ助ケ、夜隂竊ニ棺ヲ土中ニオサメ、
十五日ヲ過テ、空棺(カラクワン)ニテ
葬礼ノ式ヲ為スアリ。
逃レ難キ至親ノ者ハ行ク事アルモ、
十五日過グルマデ、我家ヘ帰ラズ。
正、五、九ノ三月ニ當ル亡者ノ年忌アレバ、
前月ニ取越シ、當月ニハ佛事ヲ為サズ。

これを現代的な表現に改めると
次のようなものになるかと思う。

陰暦1月16日 地区の老人たちが念仏を行うため、
寺に行く。
今日から葬式などの凶事を行うことになる。
そのため、この日を「悔始め」という。
正月、五月、九月を祝月とし、
死亡者があっても、その家に行くことを嫌うという風習がある。
そのなかでも特に、
1月15日以前に死人が出た際には、
葬式手伝いを頼もうとしても、それに応じる人がいない。
ところで、無常講という組織があるが、
その者たちは互いに助け合い、
1月15日以前に死人が出た際には、
夜陰に紛れて土葬を済ませ、
1月15日以降に葬式を行うということをする。
1月15日以前に死人が出、
どうしてもその死人が出た家に行かなくてはならなくて、
その家に行った際には、
1月15日になるまで、自分の家に戻らない。
正月、五月、九月に亡くなった人の年忌がある時には、
その前の月のうちに済ませる。
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