天保12(1841)年に、
いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。
「萱手(かやで)」についての記述である。
屋根ヲ葺ク者ヲかやでトイフ。
たちつけヲ着、一尺餘ノ小脇指、
鍔イカニモ小サク、銅拵ヘナルヲサス。
是ヲ野差トイフ。竹割リ、縄キリ、之ヲ用ユ。鎌ハツカハズ。
葺口ヲタヽキ揃ユル板ヲがんぎトイフ。
たちつけトハ、山袴ニテ、又、かるさんトモイフ。
村民ノ山野ニ出ルモ、皆之ヲ着、田畠耕鋤ニモ着ル者多シ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
屋根の萱葺きを仕事を生業とする者のことを
「萱手(かやで)」という。
萱手は「たちつけ」という作業着を着、
長さ30センチメートルほどの小さな刀で、
銅で作られた小さな鍔が付いているものを腰に差す。
これを「野差(のざし)」といい、竹を割ったり、
縄を切ったりする際に用いる。鎌は使わない。
また、屋根に葺いた萱を平に揃える時には
「がんぎ」という板を使う。
「たちつけ」というのは、「山袴」のことで、
「かるさん」ともいわれる。
村の人たちが山野で作業をする際や
田畑を耕す際にも着用することが多い。
いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。
「萱手(かやで)」についての記述である。
屋根ヲ葺ク者ヲかやでトイフ。
たちつけヲ着、一尺餘ノ小脇指、
鍔イカニモ小サク、銅拵ヘナルヲサス。
是ヲ野差トイフ。竹割リ、縄キリ、之ヲ用ユ。鎌ハツカハズ。
葺口ヲタヽキ揃ユル板ヲがんぎトイフ。
たちつけトハ、山袴ニテ、又、かるさんトモイフ。
村民ノ山野ニ出ルモ、皆之ヲ着、田畠耕鋤ニモ着ル者多シ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
屋根の萱葺きを仕事を生業とする者のことを
「萱手(かやで)」という。
萱手は「たちつけ」という作業着を着、
長さ30センチメートルほどの小さな刀で、
銅で作られた小さな鍔が付いているものを腰に差す。
これを「野差(のざし)」といい、竹を割ったり、
縄を切ったりする際に用いる。鎌は使わない。
また、屋根に葺いた萱を平に揃える時には
「がんぎ」という板を使う。
「たちつけ」というのは、「山袴」のことで、
「かるさん」ともいわれる。
村の人たちが山野で作業をする際や
田畑を耕す際にも着用することが多い。